調月姉妹のやべー方   作:アリマリア

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 今回22,000字くらいあります。
 いつもは5,000~10,000文字なので、4倍くらいです。
 なんでこんなに膨らんだかと言えば、今回が8割くらい原作沿い展開だから。こういうのはサクッと終わらせようと思ったら、削れるところなさすぎて……。





慈悲の奇跡とその波紋

 

 

 

 アリウス自治区の中核には、1つのバシリカがある。

 そこではマダム……ゲマトリアのベアトリーチェが、この自治区の支配者として鎮座していた。

 

 スクワッドのメンバー、アツコが連れ去られたのは、ベアトリーチェが行おうとしている「自己昇華のための儀式」の生贄に使うためだ。

 故に、アツコ奪還にはベアトリーチェの打倒が不可欠。

 アリウススクワッドと先生は、このバシリカを目指して進撃している。

 

 

 

 ……が、それを防ぐのが、ユスティナ聖徒会の複製(ミメシス)

 本来はエデン条約に反する勢力を弾劾するために残された彼女たちの残滓は、しかし今やマエストロによってその力を複製され、完全に私兵と化している。

 その主は、無論マエストロから複製(ミメシス)の力を借り受けたベアトリーチェだ。

 

 実際のところ、いくら練度や装備が整っていようと、アリウスの生徒の数は有限だ。

 それだけならば、先生の脅威にはなり得ないのだが……無限の兵力たるこの複製(ミメシス)たちの存在が加われば、少なからず厄介なものとなる。

 

 

 

 故に先生たちは、守りの固い本道を進むのではなく、守備の薄い旧校舎の回廊から回り込む道を選択。

 ……しかし、自治区中に目を張り巡らせたベアトリーチェによってその策略は看破され、スクワッドと先生は空中に映されたビジョン越しに彼女といくつか言葉を交わした。

 

 ベアトリーチェはスクワッド、そしてアリウス分校は自分のための道具でしかなく、トリニティやゲヘナへの叛意など所詮は聞こえの良い大義名分でしかないことを、サオリたちの前で堂々と語り。

 更に、自らの目的──アツコを生贄にすることで、自らをより上位の存在へと昇華すること──を告白。

 

 先生は彼女に対して、生徒たちの教導者としての矜持を元に、静かに言葉を返した。

 

“あなたは生徒を、私たちを侮辱した”

“そして「教え」を、「学び」を侮辱した”

“私は大人として、あなたを絶対に許すことはできない”

 

 これを以て、先生とベアトリーチェの敵対は決定的となった。

 

 片や、生徒を利用し自らの昇華を目指す、利己的で絶対的な世界。

 片や、生徒を保護し自らは何も求めない、利他的で相対的な世界。

 

 それぞれの見えるものは決定的に違うのだ。対立は当然の話だったのかもしれない。

 

 

 

 最後に、ベアトリーチェは先生に、語る。

 

『さあ、先生──不可解な者よ。

 

 黒服はあなたを仲間と認識し、互いに競い合えると信じ。

 

 マエストロはあなたを理解者と認識し、互いに高め合えると信じ。

 

 ゴルコンダはあなたをメタファーと認識し、互いを通じて完成されると信じ。

 

 オリヒメはあなたを絶対者と認識し、互いの存在が運命を規定すると信じ。

 

 そして私はあなたを敵対者と認識し、互いに反発すると信じています。

 

 あなたは、私の敵です』

 

 

 

 ……その言葉を合図として、ユスティナの複製(ミメシス)が先生たちを取り巻き。

 

『始末してください』

 

 本格的な、攻防が始まった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 アリウス分校、そしてユスティナ聖徒会の複製(ミメシス)

 けれどこの二者だけであれば、多少厄介ではあっても、スクワッドの足を止めることはできない。

 それだけ、彼女たちに帯同する先生の指揮は圧倒的で、完璧だ。

 キヴォトスにおいて、「シッテムの箱」を持った先生が指揮する生徒たちを前に、真正面から打ち克てる勢力はそう多くない。

 

 ……が、更にもう1つの障害が立ち塞がれば、話は別になってくる。

 

 カタコンベでも一度遭遇、交戦した、トリニティの元ティーパーティ……聖園ミカ。

 彼女はその後、単身でアリウスやユスティナを打ち倒し、カタコンベを抜けて、ついにはスクワッドに襲いかかり……。

 

 

 

「んんっ……痛いね。やっぱ先生がいると厄介だな……」

 

 ……彼女たちを、1人として倒すこともできず。

 その膝を、地に付けた。

 

“ミカ。セイアは多分無事だよ”

“だから、トリニティに戻って。ミカを傷つけたくない”

 

 幾度も裏切り、戦い、邪魔をし。

 それでもなお、ミカを傷つけたくないと、ミカの敵にはならないと語る先生。

 

 これまでに手酷い扱いを受け続けたミカは、その言葉に感情を揺さぶられ……。

 彼女の笑顔の仮面は剥がれ、涙と共に落ちた。

 

 

 

「ごめんね……私はいつもこんなだよね。

 私みたいな問題児はさ……先生に何度も心配をかける生徒は、先生の傍にいられないってことも、よく分かってる……」

「私には……私にはさ、もう、帰る場所がないの。トリニティにも、どこにも……。

 私はトリニティの裏切り者で、みんなの敵で……何度もセイアちゃんを傷つけてしまった、『魔女』だから……」

「学園から追い出されたら、ナギちゃんにも、大切な人たちにも……二度と会えなくなる。

 生徒じゃなくなったら……私みたいな問題児、先生だって、もう会ってくれないよ……」

「私に、これ以上幸せな未来なんか訪れないってことも、よく分かってる。

 わ、私は……悪党だから……人殺しだから」

 

 

 

 俯いて、その涙を荒れた路地に落としながら、ミカは語り……。

 けれどそこで、彼女の濁った視線が、アリウススクワッドを突き刺した。

 

「だから……私に残ってるのは、()()()()()しか、ないの……!」

 

「あなたたちは──スクワッドは、どうして!?」

「私は大切なものを、全部失ったのに! ……ぜんぶ、奪われたのに!!」

「どうして、そこに……先生の隣にいるの!?」

 

 ミカの目に映るのは、先生と並び立つアリウススクワッドの……サオリの姿だった。

 

 自身の破滅のきっかけ。トリニティを、ナギサを襲った暴力。

 それが、今……正義の味方であるはずの先生と共にいて、まるで自分たちが正しいかのように救われようとしている。

 

「あなたたちが何の代償も支払わないで、何も奪われないでいるなんて、そんなの……そんなこと、許したら、私は……」

「私は、何者でもなくなってしまう。私には、何の意味も残らない……」

「私……わたしは……どうしたらいいの?」

「わからない……でも、だけど」

「スクワッドを……サオリを、そのままになんて、しておけない」

「その女が、何の代償もなく、先生の庇護を受けるなんて、ダメ……!」

 

 彼女の懺悔と憎悪の言葉に、サオリは言い返さなかった。

 いや、言い返せなかったのかもしれない。

 

 ミカが破滅した原因は自分であり、そして自分たちには先生の庇護を受ける権利はない。

 それらすべてが、紛れもない事実であり……。

 そして何より、これまでトリニティやゲヘナへの借り物の憎悪で動いて来た彼女にとって、ミカの憎悪は自身のそれよりもずっと、「正当性のある正しい憎悪」だったから。

 

 

 

 

「だから……先生、私を止めないでね」

 

 そう言い残して、ミカは走り去った。

 先生の制止も聞かず……この憎悪の街のどこかへと。

 

 残ったのは、彼女の流した涙の跡と、連鎖してしまった悲しみの残響だけだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ミカがいなくなり、再び走り出したスクワッドと先生。

 彼女たちは数十分の後、予定通り、アリウスの旧校舎に辿り着いた。

 

 ここから先にはバシリカに直接通じる回廊があり、彼女たちの目標であるベアトリーチェへの元へと繋がっているはずだったが……。

 

 

 

 その中を進んでいる中で、彼女たちは急な爆発音と衝撃に襲われた。

 

 幸い、先生を含め全員が無事ではあったものの……。

 倒壊した柱と壁によって、一団は分断を余儀なくされた。

 

 回廊方面へと繋がっている、先生とミサキ、ヒオリ。

 そして、入り口方面に繋がっている……サオリ。

 

 おおよそ襲撃者の計画通りといっていい、完璧な形での分断だった。

 

「ああ……錠前サオリ。こうして、あなたが綺麗に残ってくれて良かった」

 

 たった数十分前に、戦闘不能にまで追い込んだはずの、聖園ミカ。

 彼女は、殆ど負傷すら感じさせない様子で、サオリの前に立ち塞がる。

 

 

 

“サオリ、今……!”

「来るな、先生! 時間がない……姫を、頼む」

 

 瓦礫の向こうから聞こえる声にそう返して、サオリはミカを見やる。

 

 彼女は退路を塞いで現れた形。

 彼我のスピードから考えても、戦闘を避けて逃走、先生たちの元に向かうことはできない。

 

 つまり、サオリは先生の指揮も仲間もなしで、ミカと向き合う必要がある。

 

 幸い、瓦礫の向こうの言い争いは長く続くことなく、3人分の足音は通路の先へと駆けて行った。

 ミサキとヒヨリは、頼りないようでいて強い。その上先生もいるのだ。

 サオリの目標……「アツコを助けること」は、きっと達成できるだろう。

 

 

 

 そう自身を納得させるサオリに、しかしミカは笑顔を投げかけた。

 

「あーあ……結局、先生は行っちゃったね。

 よかったねサオリ。きっと、あなたのお姫様は助かるよ?」

 

 ミカの言葉が皮肉であることは、世間に疎いサオリにすら理解できる。

 故にサオリは、彼女の言葉に付き合うことなく、疑問を投げかけた。

 

「ミカ。お前が望んでいたのは、こんな事だったのか?」

 

 皮肉へ投げ返す、皮肉。

 それで彼女が激してくれれば楽だった。

 

 苛立ちは戦闘を短絡的にする。

 そして何より、他のスクワッドメンバーに向くかもしれない憎しみが自分に向くのなら、それだけ目的達成の確率は高まるはずだ。

 

 けれど、ミカはサオリの言葉に対して、困ったような笑顔を浮かべるばかりだった。

 

「私が望んでいたこと? 私、何を望んでたんだっけ……。

 ああ、うん……そうだね。目的達成、みたいな?」

 

 ミカの内に埋めく、悲嘆、絶望、憎悪、諦観、そして何より復讐心。

 それらが、一周回って彼女を冷静にさせている。

 

 

 

 故に彼女は、いつも通りの彼女の口調で、淡々と語る。

 

「……別にさ、あなたを狙ったわけじゃないよ。正直に言えば、こっちに残すのは誰でも良かった。

 むしろ……先生がここに残ってくれたらいいなーとか、そんなことも思ったくらい。

 まぁ、それはちょっと高望みだと思うけどね」

 

 先生さえいなければ、今のスクワッドは孤立無援の生徒3人に過ぎない。

 ユスティナやアリウス生の防衛を抜けてベアトリーチェを打ち倒すなど、到底不可能だろう。

 更に言えば……ミカは、敵としてではあるが、先生と再び会話をする機会を得たかもしれない。

 

 そんな最良の形にはならなかったものの、同時、彼女はそれに安堵してもいた。

 今更、先生とどんな顔をして話せばいいか、わからなかったから。

 

 

 

「でも、うん。やっぱり、私が一番望んでいたのは、コレかな。

 ──最も憎いあなたが、こうして私の前にいる」

 

 唐突にミカから放たれる殺意が、サオリの全身を貫く。

 ドロドロとして、重苦しく、止めどないそれは、サオリがこれまでに幾度となく感じた他者の憎悪と似ていたが……。

 それよりもずっと複雑で、何より、総毛立つ程に狂気じみて居た。

 

 しかし、一瞬の後。

 ミカはその憎悪を引っ込めて、どこか夢見るような優しい表情を浮かべる。

 

「それに……やっぱり先生は、生徒を助けに行くのが正しいよ。

 最後は全ての苦難を乗り越えて、みんなで幸せになる。そんなハッピーエンドに向かうのがね」

 

 ……けれど、あるいはその表情もまた、トリニティという魔窟で培われた仮面でしかないのか。

 

 ミカは改めてサオリに向き合い、ニコリと笑顔を浮かべ、告げた。

 

「そして、数多くの悪行を重ねて来た私たちは……ここで、結末を迎えるの。

 バッドエンドっていう、救いのない結末を」

 

 

 

 自らが破滅することを前提として、お前もまた地獄に引きずり降ろしてやる、と。

 暗にそう告げるミカに対して……。

 

「…………」

 

 しかしサオリは、何も言い返さず、ただそこに立っていた。

 ……少なくとも、ミカの視点からすれば。

 

「黙ってないで、何か言い返したらどう?

 『魔女』が『猟犬』を……今は捨てられちゃったから『野犬』かな? それを処刑する場面だよ? 何か言い残したいこととか、ないの?

 『納得できない』とか『お前の不幸は自業自得だろう』とか、言い訳しなくていいの?」

 

 ……あるいはミカは、そう言われることを望んでいたのかもしれない。

 

 自らの辿る絶望の運命に納得できない。

 お前の不幸は全てお前のやった自業自得だ。

 

 それらは……どちらも、ミカが自身に対して感じる、矛盾した想いだった。

 

 故にミカは、自分と同じ悪であり、今から共に地獄に堕とそうとする相手であるサオリに、甘く優しい同調を求め……。

 

 

 

「……いや、納得している」

 

 

 

 ……その誘惑を、サオリは蹴った。

 

 瞬間、旧校舎に充満する煙幕。

 更に、サオリが後ろ手に準備していたグレネードがジャストのタイミングでミカに投げつけられ、彼女がそれをキャッチして投げ返す間もなく、手元で起爆した。

 

「い……ったた」

 

 ひりひりと焼き付くような左手の痛み。

 まるで冷やすように軽く手を振るミカに、サオリは言う。

 

「今は生産が禁止されている武器だ。アリウスの訓練場にはたくさん捨てられていたがな」

「そうなんだ☆ 別に興味ないんだけど?」

 

 そう言って、ミカはサオリに向かって駆け寄ろうとし……。

 

 ……いつの間にか足元に転がっていた手榴弾の爆風に、足元から跳ね飛ばされた。

 

「くっ……!?」

「……お前を相手にする際の注意点は、理解した。

 直情的で短絡的、であれば進行ルートに罠を仕掛けるのは容易い」

 

 

 

 頭から壁に叩き付けられ、微かな痛みに眉を寄せるミカ。

 彼女に向かって銃口を向け、その横を走り抜けながら、サオリはマスクに覆われた口を開く。

 

「ミカ。私は、お前の憎悪を否定しない。

 お前に幸せな未来が訪れない事も、全てを奪われた事も、孤独になった事も。全て私に原因がある」

 

 ……錠前サオリは、非常に聡明な少女だ。

 

 スクワッドの中で最も早く、そして最も深くアリウス自治区の環境に適応し、リーダーとして選出されたことからもわかるように……。

 彼女は、客観的に物事を見る力、そしてそれに冷静に対処する力に優れている。

 

 そんな彼女が、一時的にでもアリウス自治区という憎悪の坩堝から抜け出せば、どうなるか。

 ……自然、憎悪による他責的な思考は弱まり、自分がやったこと、それがもたらした影響、関係者の被害に、目が向く。

 

 その上で、こうして直接的に、自分たちに向けられる憎悪が現れれば。

 未だ外の常識に疎いサオリとて、自らの為してしまったことの意味を理解し、そしてそれが正しいことに納得もできるのだ。

 

 そして、サオリにとって、その憎悪に返せるものはただ1つだった。

 

「ならば、私はその憎悪に応じよう」

 

 その言葉を最後に、サオリは通路の角を曲がり、教室の1つに飛び込んだ。

 

 

 

 キヴォトスの住人であろうと優に気絶させしめ、時には重い負傷すらもたらす手榴弾2発。

 けれど、それを受けてミカは、平然と立ち上がった。

 

「……面白いね、うん。

 ゲリラ戦でいくんだ。まぁ、この校舎はゴチャゴチャしてるし、それが最善だろうね」

 

 聖園ミカは、ネルやホシノ、オリに並ぶ、キヴォトスにおける強者の一人だ。

 その強力無比な神秘は、並の生徒であれば受けきれない攻撃を受け流し、衝撃を殺す。

 

 彼女は右手に持つ愛銃の無事を確認すると、サオリが逃げた方へわざとゆっくりと歩きながら、闇の中に声を投げかけた。

 

「でもさぁ、さっきのってサーモバリック手榴弾でしょ? 製造も大変だよね。ちゃんとたくさん用意してる? 一桁で私を相手にできるなんて思ってないよね?」

 

 その苛立ちを。怒りを、憎悪を、敵意を、殺意を。

 相手を煽る言葉に融かし、流し込んで、吐き捨てる。

 

「今から、ちゃんと相手してあげるからさ……全力で抵抗してみてよ。

 ──あなたにとっては、全て虚しいことかもしれないけどさ」

 

 それが、今のミカがやろうと思える、唯一無二の事柄であり。

 

「そうか。……なら、最後の瞬間まで、もがいてやろう」

 

 ……それを受け止めることが、サオリにできると思えた、唯一無二の贖罪だった。

 

 

 

 アリウス自治区の旧校舎に、黒煙と銃声、怒号と破壊音がこだまする。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 結末は、分かり切っていた。

 

 聖園ミカは、広いトリニティ自治区の中でも最強格、各自治区の代表戦力と十分比肩する程の強者であり。

 錠前サオリは、十分に人を害する訓練を積んでいるとはいえ、所詮はアリウスという狭い井戸の中でのエリートに過ぎない。

 

 先程までは、連携の取れたスクワッドの殆どのメンバーが揃い、なおかつ先生の指揮があったが故に、ミカが押されていただけ。

 サオリの有利条件の大半が失われた今、戦局は呆気なくミカに傾き。

 

 たった十数分、いいや、数分かもしれない。

 その短い時間の後、サオリは全身に傷や打撲、火傷を作り、倒れ伏していた。

 

 

 

 明滅する意識の中で、サオリの脳裏に、まぶたの裏に浮かんだのは、かつての光景。

 この理不尽な大人に支配された自治区で、スクワッドの3人を、そしてアズサを守りながら、かろうじて生き繋いで生きた過去の記憶。

 

 その中でも色濃く浮かんだのは……。

 

「アズ、サ……なんで……」

 

 何を言われても、どんな理不尽な目に遭っても、ただ1人決して折れなかった……。

 そうしてついには、自分たちの暗い世界から抜け出し、明るく華々しい世界に羽ばたいた少女。

 

 白洲アズサの、目だった。

 

 

 

「……アズサ?」

 

 サオリの呟きに、追撃を加えようとしていたミカはその手を止める。

 

 知らない名前ではない。むしろ、よく知る名前だ。

 ミカがトリニティに潜入させた、元アリウスの生徒。

 サオリと話し合って選ばれた、「トリニティの裏切り者」……に、なるはずだった少女。

 

「っ……、う、ぐっ」

 

 ミカが動きを止めたことで、サオリはなんとか立ち上がり、この場を逃れようとしたが……。

 右足にできた、真新しい大きな赤い痣が、ただでさえ朦朧とする彼女の意識を停滞させた。

 

「その傷じゃ、あと5分は立てないよ、サオリ。そういう風に蹴ったんだもん」

「……そうか。そうだな……私は、負けたのか」

 

 

 

 本当は、もっと戦うべきだろう。

 ミカの怒りを、嘆きを、もっと受け止めるべきだろう。

 

 けれど、ミカの言う通り、これ以上サオリの体は動かない。

 それならば……。

 

「なら……もういい」

「もう、いい?」

 

 それならば。

 ……これ以上、抵抗する意味は、ない。

 

「ああ。……これ以上は、もう、何が正しいことなのか、分からない」

 

 

 

 切れて血の流れる唇を動かしながら、痛む体に鞭を打って、サオリは寝返りを打つ。

 

 幼少期から幾度も見て来た、旧校舎の教室の天井。

 ミサキと、ヒヨリと、アツコと……そしてアズサと、身を寄せ合って眠りについた場所。

 

 そんな、冷たい中でほんの僅かに温かさを覚えた過去を思い出しながら、サオリは言った。

 

「今まで、これが正しいと思って突き進んで来た。

 ……だが、いざ振り返ってみれば、全てが間違っていた……」

 

 トリニティとゲヘナへの、反逆。

 それはある意味で叶い、多くの犠牲者と悲劇を生んで、けれど結果を残さないまま潰え。

 スクワッドは全てを敵に回し、アリウスを追われる身となって、アツコは生贄となり、こうして自らの生んだ犠牲者によって討たれた。

 

 全てはサオリ、アリウススクワッドのリーダーであり、皆を守らねばならないはずのサオリが、「正しい」と思って取った選択の果て。

 彼女の行動こそが、選択こそが、全てを傷つけ、壊し、腐敗させた。

 

 その事実を思うたび、サオリは打ちのめされた。

 あるいは、今受けた傷以上に、心臓がバラバラになるような錯覚すら覚えるのだ。

 

 

 

「……さっき呟いてたよね。白洲アズサ。あなたは、あの子に何が聞きたかったの?

 補習授業部のアズサちゃん。私のクーデター計画を手伝うために選ばれた、スパイ。

 先生の助けさえなければ、ただのコマの1つに過ぎなかったのに……」

 

 倒れ伏したサオリに投げかけられた疑問。

 それに、サオリは力なく答える。

 

「アズサは……元々、スパイとして選んだわけじゃない」

「……えっ?」

 

 白洲アズサは、アリウスでは落ちこぼれだった。

 

 真面目に訓練に打ち込んでこそいたが、大人の言うことを聞かないことも多い、反抗的な生徒。

 そんな生徒を、わざわざスパイに選ぶわけがない。

 

 サオリは、アズサと共に暮らし……彼女をなんとかアリウスに「馴染ませよう」とした日々を思いながら、独り言のように呟く。

 

「あの子は……『和解の象徴』になる予定だった」

「……な、え?」

「トリニティとアリウスの、和解の象徴。……最初にその表現を使ったのは、お前だったな、ミカ」

 

 

 

 2年前。

 どういう訳かカタコンベの迷路を突破し、単身アリウス自治区に乗り込んで来た、ミカ。

 

 彼女は警戒するサオリに向かって、満面の笑顔で言った。

 

『初めまして☆ 誰だか知らないけど、あなたがアリウスの生徒だよね?

 今日は良い天気だよね! すごくのどかで……』

『要件を言え、トリニティ』

『うわぁ、アイスブレイクとか嫌いな感じかな? うん、じゃあ仕方なく本題から。

 ──私は、あなたたちアリウスと、和解したい』

 

 聖園ミカの、力を持った少女の、戯れにも等しい善意の言葉。

 それが、全ての始まりだった。

 

 そうして、話す中で、彼女は言ったのだ。

 

 交換留学のように、誰か1人をトリニティで生活させる。アリウス生でも問題なく、仲良く過ごして幸せになれるということを証明するのはどうだろう。

 その子が、「和解の象徴」になってくれるんじゃないか、と。

 

 荒唐無稽な話だった。

 トリニティとゲヘナを憎むように「教育」されたサオリたちにとって、それは「差し出がましい」を超えて、もはや新たな憎悪に繋がりかねない話だった。

 

 けれど……。

 結果として、サオリはその「誰か1人」を選別する際に、アズサを選んだ。

 

 アリウスに馴染まず、瞳の底に希望の光を失わなかった、落ちこぼれの少女を。

 

 

 

「何故だったのかは、私もよく分からない。でも、アズサなら……あのアズサになら……。

 ……いいや、違うな。私が、アズサに……そんな存在になってほしいと、思ったんだろう」

 

 だから……サオリは、アズサとミカを接触させた。

 「和解の象徴」。自分たちに、新たな光をもたらしてくれるかもしれない存在として。

 

 ……けれど。

 

「それを確認できる機会は、来なかった。

 マダムは、その機会を逃さなかった。予知夢の力を持つ百合園セイアが、邪魔だったんだろう」

 

 百合園セイアの襲撃計画。

 その一因に、アズサが起用されていると知った時……。

 

 サオリは、愛銃のグリップを、強く強く握りしめた。

 

「……お前は、私たちを便利な私兵くらいに思っていたのだろう。そうでなければ、当時極秘であったセイアの居場所を教えるはずがない。

 だが、私たちは、そんな便利な私兵などではなかった。

 私たちは……『ヘイローを壊す方法』を学び、訓練し、その道具を持っている、人殺し集団だ」

 

 セイアが死ななかったことは、結果論に過ぎない。

 サオリたちは確かにその方法を持ち、そしてその力を使って、「人を殺す」という行為を取った。

 である以上……もはやその汚名から逃れる方法は、ない。

 

 

 

「ミカ……私は、お前のことが理解できなかった。何が望みなのか、全く見当が付かなかった。

 だが……もしも、お前が本心からそう思ってくれているのなら……。

 お前から『和解』という、薄ら寒いような言葉を初めて聞いた時も……何の譫言だと、頭では理解していても……もしも、『そんな未来』が私たちにあるのなら、と……。

 そんな、甘い考えを、頭から消し去ることが……できなかった……」

 

 サオリの言葉は、ミカとの会話というよりも、独白、あるいは懺悔に近かった。

 全てが終わった後に、「あの時はああだった、ああすべきだった」と悔いる……そんな意味のない言葉。

 

「……お前は、本当に、心から……私たちと、和解したかったのだろう。

 そんなお前の善意を踏みにじり、騙し、この地獄に導いたのは……私だった。

 そして、お前だけじゃない。姫が、声と顔を隠して生きなければならなくなったことも、ヒヨリとミサキをスクワッドに引き込み、この地獄に巻き込んだことも……『和解の象徴』ではなく『人殺し』として、皆の想いを踏みにじらなければならない『スパイ』として、再びアズサをトリニティに送ったことも。

 ──全て、私の責任だ」

 

 だから、お前の憎悪は、私が受け止める、と。

 

 そう言葉を結んで……意識も曖昧なのか、サオリはふと話を戻した。

 

 

 

「……アズサに、聞きたいこと、だったな。

 私のせいで、地獄に堕ちながら……けれど、トリニティに生きるアズサは……幸せそうに見えた。

 私たちの誰にも心を開かず、孤独に一人抗っているだけだったアズサが……友達と、大人と力を合わせて、最後には大きな苦難も乗り越えて……青空の下に、進んで行った。

 何故、そんなことができたのか……」

 

 サオリは、否定した。

 まるで、セイアを亡くした事実に耐えられず、そこに無理に理由を見出そうとしたミカと同じように……アズサの行動は間違いだと、その幸福はすぐに消えるのだと、そう思い込んだ。

 憎悪で塗り潰すことによって……アズサがそこに至ったことを喜ぶ自分の心を殺すことによって、彼女はこれまでの行いを、これからの行いを、肯定しようとしたのだ。

 

 ……けれど、虚飾は簡単に破れ去った。

 あの日、曇天を蹴散らすように晴れた、奇跡のような青空を見て以来。

 アリウスから逃げ出して……このキヴォトスでの、平凡で常識的な、「幸せ」を目にして。

 彼女はついに、目を逸らせなくなった。

 

「私たちの憎悪も……『全ては虚しいもの』という言葉も……やってきた全てが……。

 ──全部、嘘だったんだ。

 そう思い、そう言って、そうすることで……私はそれこそが真実だと、思い込んでいた。

 そうして、それを……周りに、その苦しみを、同じように強いて……」

 

 サオリは、何かに気付いたように、閉じかけていたまぶたを僅かに開く。

 

「……ああ、結局、そういうことだったんだ。

 全て、私が、原因だった。アズサが幸せになれたのは……私から離れたから、だ。

 そして私は……その真実を、最後まで、否定したくて……だから、あんな……」

 

 八つ当たりのように、アズサを攻撃して。

 彼女と友達の繋がりであった、ぬいぐるみに怒って。

 教え直してやると、殺意すら抱いて。

 ……アズサがいなくなるのは嫌だと、意地になって。

 

 それこそがサオリの、最も大きく、最も醜悪で、しかし最も直視せねばならない、嘘だった。

 

 

 

「……アズサ」

 

 お前なら。

 お前なら、どうするのだろう。

 

 どうすれば、今度こそ、正しい選択が取れるだろうか?

 今まで何度も間違い、騙され、嘘をついて来た私でも、正しい選択を取れるようになるだろうか?

 

 アリウスで落ちこぼれと言われ、けれど嵐のような絶望の中、儚くも絶えぬ希望であったただ1人の少女。

 

 ……どうすれば、私も、お前のようになれるだろうか。

 そんな機会は、存在するのだろうか?

 私が……多くの人を巻き込み、破滅させて来た私が、そんなことを願っても、いいのだろうか?

 

 あるいは……もしも……。

 もしも、あの雨の中、私に手を差し伸べてくれた大人に……。

 先生のような、いい大人に、もう少し早く出会えていたら……。

 

 こんな私にも……他の未来があったのだろうか……?

 誰かを不幸に落とすのではなく、幸福に導くような……他の人生があったのだろうか……?

 

 

 

 もはや、頭の中にあるのか、言葉になっているかすら曖昧な、思考の後。

 

 サオリは、けれど現実に視線を戻して、言った。

 

「……ミカ。

 もう、この有様だ。好きにするといい。お前が奪われた分を、少しでも取り戻すといい。

 優しい心を……誰かを思いやる善意を持っていたお前を、憎悪の『魔女』にしてしまったのは、他でもない、私だ。

 だから……私から、奪うといい。…………全てを」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 長い独白は、サオリのその言葉を最後にして、終わった。

 彼女はそのまぶたを閉じ、自らの最期を待つ。

 

 自身が為したことが、自身で取り返せるかはわからない。

 けれど、1つ確かなのは……自分は、聖園ミカから奪った、ということ。

 

 平凡な日々。親しい友人。幸せな未来。

 彼女の持っていた可能性の尽くを、サオリはその手で奪った。

 

 故に、奪われるべきだろう。

 サオリの持つものが、ミカが持っていたものと等価ではないとしても……それで、平等にはならずとも、最低限公平にはなるはずだ。

 

 故に、サオリはただ、その時を待ち……。

 

 

 

 …………けれど、その時は、いつまでも訪れず。

 薄っすらとまぶたを開けたサオリの目に、飛び込んで来たのは……。

 

 ……聖園ミカが、涙を流している様だった。

 

「…………え?」

 

 何かアクシデントがあったのか、と。

 サオリは一瞬、本気でそう思った。

 彼女が悲壮に感じるような何かが、自分の知らぬ間に起こり、それが彼女の涙を誘ったのか、と。

 

 けれど、真実はもっと簡単で。

 

「……わ、私は、私には……でき、ない。そんなこと、できない……。

 だって、私も、あなたみたいに……そんな機会を、望んでた……」

 

 それは、彼女が普段上げているような、ふざけたような言い方ではなく。

 悲しい程に、感情の籠った言葉だった。

 

 だからこそ……。

 

 

 

「私も……幸せに、なりたかった……」

 

 

 

 サオリには、涙と共に零れ落ちたその言葉こそが、ミカの一番の本音なのだと理解できた。

 

「だって、私も、あなたと同じ。先生にもう少し早く会えたら……そうしたら、過ちを取り返せたのかなって、そう思ってた……。

 これは当然の罰だって、受け入れてた……でも、やっぱり慈悲が欲しいって、数えきれないくらいに祈った。

 でも……無駄だったの」

 

 ミカが犯した、取り返しの付かないことの数々。

 

 トリニティの情報を、アリウスに流したこと。

 百合園セイア襲撃の発端となったこと。

 トリニティで発生しかけたクーデター。

 彼女が遠因となって起こった、エデン条約でのテロ。

 

 それによって被害を被った、たくさんの、罪のない生徒たち。

 

「どうすれば許されるのか、どうすれば償えるのか……全然、わからない。

 その、チャンスが……先生やみんなが私のために集まってくれて、それで、やり直すことができる。

 そんなチャンスが、私にもあるって信じて……でも、そんなの、どこにもなくて。そんな未来は……もう、なくて。

 毎日、虚しいだけの世界で、救いを願って苦しむだけだった……」

 

 その頬を汚していた煤を、流れる涙が洗い流す。

 

 今の彼女は、もはや復讐に心を焼かれた魔女ではなく。

 ただ1人の、悲しみに暮れる少女であり……。

 

 

 

「あなたは……あなたは、私だよ、サオリ」

 

 

 

 目の前に倒れ伏すサオリと同じ、ただの子供だった。

 

 

 

「あなたはきっと、幸せになれない。私が幸せになれないのと同じように。

 取り返しの付かないことをしてしまった私たちに、二度目のチャンスなんてあるはずがない。

 だから……私はあなたに、『公平』な痛みを願ってたのかもしれない」

 

 同じ、取り返しの付かない者同士、お前も苦しめと。

 道連れを求めるように。あるいは仲間を作るように。彼女はそれだけを想って、ここに来た。

 

 ……けれど。

 

「でも、だからこそ……私には、できない。

 だって、私があなたの結末を、こんな風に決めてしまったら……あなたと同じ私にも救いなんてないんだって、自分で証明することになっちゃう……!」

 

 悲劇を起こした魔女は、火刑に処される。

 ミカ自身でその結末を、その未来を肯定してしまえば……きっといつか、それはミカ自身の身に返って来るだろう。

 自身がサオリに手を下したように、自身を恨む誰かが鉄槌を振り下ろしに来るだろう。

 

 だから、ミカは、そんな未来を認めるわけにはいかない。

 

 今でもまだ、か細く小さな未来を、希望を……。

 既に慣れ切り鼻に馴染むハーブティの甘い香りと、少しばかり喧しいけれど懐かしい小言。

 ティーテーブルの上で楽しんだそれらを、忘れられないが故に。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ミカ……お前は……」

 

 何を言うべきか分からず言葉を出せないサオリに、ミカは尋ねた。

 

「ねえ、どうして『ヘイローを壊す爆弾』を使わなかったの?

 あなたは持ってるって聞いたよ。……使うチャンスは十分あったよね。どうして使わなかったの?

 それを使ってくれてたら……私は……」

 

 それに続く言葉は、何だったのだろう。

 

 本当にあなたを憎めたのに、だったのか。

 あるいは、それで楽になれたのに、だったのか。

 

 ミカ自身にも、それはよくわからない。

 

 けれど、それらは意味のない思考だった。

 何故なら……。

 

「『ヘイローを壊す爆弾』を……私は、持っていない。

 ……助けて欲しいと願った時、その……先生に、没収されたから……」

「え? 没収……先生に? どうして?」

 

 

 

 ふと、光が差した。

 

 それは、閉め切っていたはずの教室の、廊下との間にある扉から続く光で……。

 つまるところ、誰かが、この教室を訪れた証だった。

 

“危険なものは、没収するよ”

“それも、先生の役目だからね”

 

 それは……。

 サオリにとって、今一番聞きたかったかもしれない声で。

 ミカにとって、今一番聞きたくなかったかもしれない声だった。

 

 

 

「せ、先生……どうしてここに?」

 

 ミカが並べた瓦礫を踏み越えてやってきたのは、間違いなく先生。

 その後に続くのは、ミサキとヒヨリの2人だ。

 

「先生……姫を、助けに行ったんじゃ……」

“もちろん行くよ。サオリと一緒にね”

 

 当然のように即答され、サオリは言葉を詰まらせる。

 姫……アツコの処刑まで、時間はそう残されていない。故にこそ、ミカは自分が引き付け、3人にアツコを救ってもらうつもりだった。

 

 けれど、この大人は、当然のようにサオリを選んだ。

 ……いいや、違う。サオリとアツコの両方を選び、どちらかを捨てるという選択肢を棄却した。

 

「ごめん、リーダー……説得したけど、止められなかった」

「リーダー、無事で……いえ、無事じゃないですね? でも、それでも、良かったです……」

 

 スクワッドの2人はすぐにサオリに駆け寄り、ヒヨリが所持していた緊急時用の医療セットでの治療を試みる。

 敵であったはずのミカすら視界に入っていないのは、先生が抑えてくれると思っているからか……それとも、自分たちの慕うリーダーの負傷を治癒する方がずっと大切だからか。

 

 

 

 一方で、先生は彼女たちから一旦視線を外し、困惑と躊躇で動けないミカに視線を投げかけた。

 

“……サオリと戦ったんだね、ミカ”

「せ、先生……えっと……」

 

 その言葉をかけられたミカの心中には、ただ恐怖があった。

 

 先生は、いつか言ってくれた通り、ずっとミカの味方だった。

 彼女が裏切り者だと判明しても、檻の中に入れられても、トリニティの生徒たちに嬲られても……先程、アリウススクワッドと敵対しても。

 どれだけ邪魔をしても、それでも先生はミカを気にかけてくれていた。

 

 けれど……ここまで言い付けを破って、迷惑をかければ、見放されるかもしれない。

 いいや、「かもしれない」じゃない。確実にそうなるはずだ。

 先生との関係もまた、「取返しが付かなくなる」のだ、と。

 

 

 

 ……けれど、彼女の予想に反し。

 

“ごめんね、ミカ”

 

 先生が口に出したのは、謝罪の言葉だった。

 

「……え?」

“私がきちんと説明をしなければならなかったのに、できていなくて”

“ミカと向き合って、きちんと話をすべきだったのに……”

「ど……どうして先生が私に謝るの?

 悪いのは私でしょ!? それなのに、なんで……」

“生徒の命が懸かっていたから、サオリの手伝いをしてるんだ”

“だから、アツコを助けて、全部終わったら、一緒にトリニティに戻ろう”

 

 それは。

 聖園ミカが、今最も必要としている言葉であり、同時に最も恐れている言葉だった。

 

 自分が最も愛した、トリニティ。

 けれど、もはやそこに、ミカの居場所はなくなっている。

 

「どうして……そんなことしたって、何も変わらないよ。

 私は……退学が決まってるし、それに、セイアちゃんは……わ、私のせい、で……!」

 

 ナギサとセイア。3人のティーパーティ。

 再びあそこに戻ることはできないと、ミカは理解している。

 

 けれど、それを……そのあり得ない機会をこそ、ミカは求めていた。

 

 だからこそ、先生は頷く。

 

“私が手伝うよ。ミカが直面していること、状況、望んでいた事……”

“ミカがどんな子なのか、私は知っているから”

 

 何度も何度も、ミカは先生に数えきれない迷惑をかけた。

 

 そもそも補習授業部の顧問をすることになったのも遠因はミカにあり。

 アズサを押し付けたのもミカで。

 ナギサの疑心暗鬼だってミカのせいで。

 クーデターも、テロも、今回の襲撃だってそう。

 

 それでも、その上でも先生は、未だミカの味方でいてくれて。

 

 

 

「あはは……先生は、何を言ってるの?」

 

 ……だからこそ、ミカは突っぱねた。

 

「私がどんな子なのか知ってる……?

 ──私の、何を知ってるの?」

 

 ミカにとって、先生は光だった。

 

 自分やサオリとは違う。取返しの付かない、影に堕ちた者たちとは真逆の、光。

 誰かを救い、ハッピーエンドを迎えるに相応しい、白馬の王子様のような存在。

 

 だからこそ、自分たちのバッドエンドに、巻き込みたくはなかった。

 

「私は……『魔女』だよ。

 何か勘違いしてない? 先生、ちゃんと私を見てる? この姿を……私が犯した罪を」

 

 トリニティで、何度も言われた。

 破滅を呼ぶ魔女、と。どれだけ罪深いか思い知れ、と。

 その言葉と暴力は、怨嗟のようにミカの脳に焼き付き、離れない。

 

“そうだね。ミカは悪い子だ”

 

 だから、先生がそう言った時、ミカの心には逆しまに安堵すら生まれた。

 

 先生に嫌われただろうことが、胸を焼き付ける前に……。

 もう先生を巻き込まないで済むことに、先生が自分を「正しく」見てくれたことに安堵し。

 

 

 

 ……だから、そう。

 

 結局のところ、ミカは、今になっても先生を見誤っていた。

 

 

 

“人を騙し、己を偽り”

“人を傷つけ、己を痛めつけ”

“そんな事をしておきながら、結果を受け入れる事ができずに泣いてしまう”

“そんな子だ”

 

 先生は、大人だ。

 子供であるミカとは、視点も尺度も違う。

 

“でも、誰かに和解の手を差し伸べる優しさも持っているし”

“嫌われることを恐れて自傷してしまう、不安定な子供でもある”

 

 けれど、だからこそ……。

 ミカが無意識に目を逸らした「聖園ミカ」を、誰よりもきちんと見ている。

 

“ミカは、人の言う事を聞かない、ただの不良生徒だ”

“魔女じゃないよ”

 

“だから、ちゃんと話を聞かせてほしいな”

 

 

 

「……なんで」

 

 ミカは、恐らく、笑顔を浮かべているつもりだったのだろう。

 陰謀蠢くトリニティに暮らしていれば、いくら能天気だろうと考えが浅かろうと、表情を繕う事くらいは覚えてしまう。

 故に、いつも通り、作り笑いを浮かべているつもりだったのだろう。

 

 けれど、先生から見た彼女の笑みは……悲しく、歪んでいた。

 

「そのまま、振り向かないで、行ってくれたらよかったのに。

 どうして、私を苦しめるの……?

 こんな……最後の最後まで……私にチャンスがあるなんて、信じさせるの……?」

 

 今や、ミカにとって救いの手を差し伸べられることこそが、最も辛い責め苦だった。

 

 「取り返しが付かない」と自分を諦めていたから、自棄になっていたから、ここまで来ることができた。

 それなのに、今になって正気に戻されれば、現実を……希望を直視してしまう。

 また、求めてしまう。それが罪深いことであると知りながら。

 

 

 

 ……けれど、ミカの前に立つ大人は、優しく笑った。

 

“大丈夫。チャンスはあるよ”

“なければ、作り出せばいいからね”

“もしそれがダメでも、それなら次のチャンスを作ればいい”

 

“失敗したとしても、何度でも”

“道が続いている限り、チャンスは何回だって生み出せる”

 

“ミカ。サオリも”

“一度や二度の失敗で道が閉ざされる、なんてことはないんだよ”

 

“──この先に続く未来には、”

 

“無限の可能性があるんだから”

 

“チャンスがないのなら、私が何度でも作るよ”

“生徒が未来を諦めるなんてことは、あってはならないから”

“そういうことは、大人に任せて”

 

 その言葉を、ミカとサオリは、完全に理解できたとは言えない。

 

 彼女たちは子供だ。大人である先生と比べて、考え方も経験も、何もかもが未熟だ。

 だからこそ、その言葉に秘められた想いや意味を、完全には理解しきれない。

 

 けれど、彼女たちは彼女たちなりにその言葉を噛み砕き。

 そうして、自分なりの解答を見つけ出そうとして……。

 

 

 

『戯言もそこまでになさい!!』

 

 ……第三者の介入によって、それを中断させられた。

 

 空中にマダム……ベアトリーチェの映像が映し出される。

 彼女は怒り心頭といった様子で、憎々し気な視線を一同に投げかけた。

 

“ベアトリーチェ……!”

『よくも私のバシリカでそんな戯言を言えますね。

 ……興が冷めました。見世物はここまでといたしましょう。

 あなたたちの居場所を、私が知らないとでも? いいえ、私はただ見守っていただけ。

 余興は終わりです、今から私の全力を尽くして、あなた達を相手して差し上げます』

 

 彼女の宣告と併せて、映像に映ったのは……。

 

「アツコ!?」

 

 祭壇に磔にされた、秤アツコの姿。

 

「馬鹿な……まだ朝日は……!」

『私が日が昇るまで待つとでも? いいえ、遊びは終わりです。

 ロイヤルブラッドのヘイローは間もなく破壊されるでしょう。

 そして……その神秘の欠片を通じて、私は高位の存在となるのです』

「やめろ……! 姫! アツコッ!!」

 

 満身創痍に近い体を起こした、サオリの必死の訴えは……映像越しのアツコには、届かず。

 その悲壮を見て、ベアトリーチェの口が裂けるように歪んだ。

 

『……それでは、幕引きと致しましょう』

 

 一団を、どこからか現れた無数の複製(ミメシス)が取り囲む。

 その中には、1つの異形の姿もあった。

 黒い、拘束具のようなスーツを身に纏い、巨大なリボルバーカノンとガトリングを持った、特殊な複製(ミメシス)

 

『さあ、ユスティナの聖女、バルバラ。

 私の敵の口を封じなさい!』

 

 

 

 * * *

 

 

 

「一点突破!」

 

 傷から響く痛みを抑え、咄嗟に立ち上がったサオリは叫んだ。

 

 他の複製(ミメシス)はいい。先生の指揮の元でなら、突破し得る障害だ。

 けれど……聖女バルバラと呼ばれたアレは、他とレベルが違う。

 

 例えるならば、あのエデン条約調印式の日、地下で見た戦略兵器(ヒエロニムス)と同じ。

 自分たちのような子供が抗することのできない、絶対的な相手だ。

 

 故に、アリウススクワッドのリーダーとして、サオリは短くも端的な命令を下す。

 即ち、バルバラを避け、複製(ミメシス)の包囲を抜けて……目的地であるバシリカを目指す、と。

 

 

 

 ……サオリは、あの日、唐突に現れた正体不明の生徒が語った言葉を思い出す。

 

複製(ミメシス)の能力って、一度恐怖(Terror)を掌握したら、後は自由に作ったり動かしたりできるんだよ。

 力を間接的に貸し与えられただけのアツコにはできないっぽいけど……その力を持ってる大人自身や、アリウスの上にいるマダム(・・・)には、できる』

 

 つまるところ、複製(ミメシス)やバルバラを作り出し、動かしているのはマダム……ベアトリーチェであり。

 彼女さえ打破できれば、アツコを取り戻し、同時にこの窮地を抜けることができるのだ。

 

 つい先程は全ての抵抗を諦め、ミカに「奪われる」気でいたサオリは、今やその目に光を取り戻していた。

 ひとえに、仲間であるアツコを、そしてミサキとヒヨリを、恩人である先生を……そして、恐らくは自らと「同じ」であるミカを助けるため。

 その為に、如何に無謀に思えようとも……抵抗を始めたのだ。

 

 

 

 そして、リーダーの言葉にスクワッドのメンバーは完璧に答えた。

 

 ヒヨリはそのスナイパーライフルを構え、撃ち、バルバラを一瞬だけとはいえ怯ませ。

 ミサキはロケットランチャーによる爆撃で、複製(ミメシス)の包囲に大きな穴をこじ開ける。

 

「走るぞ!」

 

 横から湧き出す複製(ミメシス)たちをアサルトライフルで牽制・撃破しながら、サオリは2人と先生を先導してその穴に飛び込み……。

 

 

 

 ……そして、その背中を、既に体勢を立て直した聖女バルバラが狙っていた。

 

 バルバラは、他の複製(ミメシス)とは格が違う。

 

 現在のトリニティ、シスターフッドの前身、ユスティナ聖徒会において最も偉大とされた聖女。

 その恐怖を複製し転写したこの存在は、ベアトリーチェがシャーレの先生に対して用意した切り札だ。

 

 教義の象徴であったヒエロニムスのような特殊能力は持ち合わせないものの、その分極めて高い神秘による攻撃・防御能力を有し。

 その手に持つ本来は航空火器に搭載される強力な武装により、対人対軍問わず高い殲滅能力を発揮する。

 

 マエストロの言うような「美しさ」は一切持ち合わせないものの、量産可能な兵器としての汎用性であれば大きく凌駕するであろう代物。

 

 故に、極めて強力という訳ではないヒヨリの狙撃1発で稼げた時間はほんの刹那であり、その攻撃を完全に留めることはできず……。

 

 

 

 そんなバルバラの横っ腹を、極めて強力な神秘を持つ少女の銃撃が貫いた。

 

 

 

“ミカ!”

 

 振り向きながらそう声をかけた先生に対し、ミカはバルバラから視線を逸らさず答える。

 

「……コレは私が引き付けるよ」

 

 「コレ」とはバルバラのことであり、同時ここにいるユスティナの複製(ミメシス)のこと。

 即ち、この場の敵は全員自分が受け持つ、と。

 彼女は背を向けたまま、そう言った。

 

 そして、一団の先頭、驚きから思わず振り返ったサオリに、続けて語る。

 

「サオリ。あなたがあの子を助けたい理由が、少しだけ分かる。だって、私もそうだったから。私は、あなたと『同じ』だから。

 だから……私が引き付けている内に、アツコを助けに行って」

「お前は……!」

「行きなよ、サオリ! 時間がないんでしょ!」

「……ッ」

 

 サオリはその言葉に、視線を前に戻し……二度と振り向かなかった。

 

“ミカ、気を付けて!”

「心配しないで、先生。知ってるでしょ? 私って、結構強いんだよ?」

 

 その言葉を最後に、4人と1人は分かれた。

 

 片や、大切な仲間を取り返しに、最後の決戦へと向かい。

 片や、自らのすべきことを見つけ、愛銃を手に取った。

 

 

 

 そうして、スクワッドと先生が旧校舎の端、バシリカへ続く回廊へ入る、その瞬間。

 

 ミカは、4人には決して届かないであろう、小さな声で言う。

 

「……ごめんね、先生。いつも迷惑ばっかりかけて。

 そして、ありがとう。私にもまだチャンスがあるって言ってくれて。本当に……嬉しかった」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ……そうして、それから。

 どれだけの時間が経っただろう。

 

「はぁ……はぁ、げほっ……痛い。疲れたなぁ……」

 

 数分。数十分。あるいは数時間。

 文字通り無限に押し寄せて来る複製(ミメシス)をひたすらに撃破し続けているミカからは、時間の感覚が失せていた。

 

 残弾は、問題ない。

 途中からは節約するため、相手を掴んで投げ飛ばしたり、近くに転がる瓦礫を投げたりしていたから、まだ余裕はある。

 

 問題は、体力と精神だ。

 

 ミカの神秘は強力無比ではあるが、それにも限界はある。

 特に……今回のように、相手にも強力な神秘、あるいは恐怖を持った敵がいれば、なおのこと。

 

 バルバラの放つ弾丸は、その口径の大きさや数も相まって、他の複製(ミメシス)のそれとは段違いのダメージを生んだ。

 ミカの神秘でさえ、それから完全に身を護ることはできない。

 

 既にミカの全身には、細かい裂傷と痣が数多くできている。

 そして、それらが増えれば増える程に、彼女の動きは鈍くなり、更に多くの傷を生む。

 

 

 

「……1人だけなら、なんとでもなるんだけどなぁ」

 

 ポタリと、彼女の握る銃のグリップから、一滴の血が滴り落ち……。

 足元に転がる、バルバラの持っていたガトリングに落ちた。

 

 既にミカは、バルバラを撃破していた。

 確かに強い相手ではあったが、所詮はデッドコピーに過ぎないからか、あるいは技術の使い手に問題があるのか、ミカの戦闘力を前にソレは呆気なく倒れた。

 

 けれど。

 その直後、まるで虚空から湧き出るように、再びバルバラは現れたのだ。

 ……ミカの知らない、未知の大きな複製(ミメシス)を連れて。

 

「無限に蘇るって……はは、そんなのズルじゃんね?」

 

 エデン条約調印式での一件も、その終末、古聖堂地下での戦いも、ミカは未経験だった。

 故に、今になってその恐ろしさを知る。

 

 どれだけ倒しても、どれだけ耐えても、終わらない。

 尽きることなく敵は現れ、常にこちらに敵意と銃口を向けて来る。

 

 それはもはや戦いではなく、嬲られるに等しい。

 ミカからの攻撃は一切の有効打とならず、敵からの攻撃は一方的にミカの命を削って来る。

 

 いつまで続くのかもわからない拷問のような猛攻を前に、ミカの体はもはや満身創痍。

 故に、死角に潜んでいた複製(ミメシス)のスナイパーに気付かず、頭を撃ち抜かれて、倒れ……。

 

 

 

「でも、まだ、大丈夫」

 

 ……倒れかけ、けれど反射的に体勢を整えて、そちらに銃を向け、撃つ。

 

 ミカを支えるのは、先程までとは真逆の執念だった。

 もはや救われないから、同じように救われない者を作り出そうとするのではなく……。

 自らが救われる未来を信じるためにも、自分と「同じ」であるサオリに救われてほしいと願う、執念。

 

 それこそが、幾度もの先頭を経て傷付いたミカの体を、今を以てなお動かしている。

 

 

 

 スナイパーがバラバラに消えていくのを確認し、そして奥から再びバルバラが走って来るのを見て、ミカは状況を立て直すために手近な部屋に飛び込んだ。

 

「一旦、息を……、?」

 

 息を整えようとし、けれど地形確認のためにふと視線を巡らせて、気付く。

 

「ここは……聖歌隊室?

 オルガンに楽譜、蓄音機まで……そっか、そうだよね。アリウスも、私たちと同じ授業を受けてたはずだもの」

 

 アリウス自治区という絶望の坩堝にはどこまでも似合わない、教会のような広い空間。

 

 しかし、ベアトリーチェの施す教育にはそぐわないからだろうか。

 その部屋は長らく放置されていたらしく、埃が積もってしまっている。

 ミカが戯れに蓄音機を触っても、掠れたような音が少し出ただけだった。

 

「……動かないかぁ。長い間使ってなさそうだし、仕方ないよね」

 

 ミカが期待したのは、トリニティのチャペルでもよく聞いた聖歌。

 そして……先生と共に、牢獄の中で聞いたもの。

 

 想起した記憶が連鎖し、ふと、ミカは思い出した。

 

 あのエデン条約調印式の日の牢獄にて、元は自分を慕ってくれていた……そう思っていた生徒たちから暴行を受けたこと。

 そして……こんな自分を、助けてくれた生徒のことを。

 

 

 

「……カッコ良かったな、コハルちゃん。私なんかを、身を挺して助けてくれて。物語のお姫様みたいに凛々しくて、誇りがあって。

 それで、先生が登場して助けてくれて、ハッピーエンド。……私もそういうお話が好き。

 窮地に陥ったお姫様を、運命の人が救う。そんな、現実味のない御伽話。

 子供っぽくて、夢に溢れて……素敵で、胸がときめくような……。

 ……私も、そんな物語の主役になりたかった」

 

 そっと、オルガンの鍵盤に指を乗せて。

 ミカは、誰もいない祈りの部屋で、独白する。

 

「でも、わかってる。……私にそんな資格なんて、ない。

 悪い『魔女』は因果応報の運命を迎える。ハッピーエンドを迎える話なんて、この世のどこにもない」

 

 ミカは、自らが救われるとは思えなかった。

 

 内部機密を流し、人を殺しかけ、自治区の政権転覆を狙って、その上脱獄までしたのだ。

 そして何より、セイアは……大事な友人は、ミカのせいで二度も命の危険に追いやられた。

 もはや彼女が救われる未来を、彼女自身が想像できなかった。

 

「サオリ。私は、自分が受けた痛みをあなたに感じてほしかった。そうじゃないと不公平だって思ってた。

 でも……そうだよね。

 あなた達も私と同じように、救われたかったよね。物語の主役になって……幸せになりたかったよね」

 

 恐らくは、サオリも。アリウススクワッドもそうだろう。

 トリニティとゲヘナという、キヴォトスにおける最大勢力の内2つを敵に回した。

 首脳部の命を狙い、彼女たちの平和条約を利用し、あるはずだった明るい未来を破壊した。

 アリウススクワッドに、完璧で満たされた、幸せなだけの未来はあり得ないだろう。

 

 ……だが、だからこそ。

 

「あなたがアツコを助けたい理由も、わかるよ。

 多くの人を騙し、絶望に陥れたあなたでも……最後の最後に、誰かを救う事ができたなら。

 苦痛だらけのあなたの人生も、それだけで報われる。虚しくない、意味のあるものだったと言える。

 そう、思ったんだよね。

 ……わかるよ。私とセイアちゃんも、そうだもの」

 

 幸せなだけの未来はなくとも。

 彼女の人生が、虚しく終わるだけだったとしても。

 

 それでも、ただ1人でも、誰かを救えたら。

 それだけで、自分の全ての苦痛が報われる。

 

 だから、今もサオリは抗っているのだろう。

 全てが虚しいとしても、それでも、きっと最後の最期まで。

 

 

 

 聖歌隊室の外から、足音が近づいてくる。

 重々しいそれと、荘厳なチャペルに似合わない金属音。

 間違いなくバルバラと、多くの複製(ミメシス)たちだろう。

 

 けれど、ミカは焦らず、むしろ心穏やかに、鍵盤を指でなぞる。

 

 

 

「だから……アリウススクワッド。

 

 あなた達のために、祈るね」

 

「いつか……いつか、あなたたちの苦痛が癒えることを。

 やり直しの機会を希うのと同じように、あなたたちに、未来が……次の機会が、あることを」

 

「私は……。

 あなたたちを、赦すよ」

 

「それは、互いが公平に不幸であることより、もっと良い結末だろうから」

 

 

 

 扉を破り、ぞろぞろと複製(ミメシス)たちが押し寄せる。

 

 ミカを害し、殺し、きっと過去の罪への罰を与えるために。

 

 ソレらはもうじき、無慈悲に、無感情に、その手に持つ銃口を、彼女に向けるだろう。

 

 

 

「……たとえアツコを救ったとしても、あなたたちの未来は、きっと苦難に満ちている。

 一生追われるかもしれない。表を歩くこともできない悲惨な人生になるかもしれない。

 それでも……あなたたちの未来に、ほんの一筋でも、光明があると信じるのなら」

 

「アツコを助けることで、あなたたち自身をも救えばいい」

 

「私はもう手遅れだけど……あなたたちには、まだ時間が残されているでしょう?

 それに……先生が手伝ってくれるんだから、きっと大丈夫……」

 

「あなたたちの、その行く先に、幸いが──。

 祝福が、あらんことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────地獄に苦しむ者のため、心より救いと慈悲を求める。

 

 果たして、誰が彼女のようになれようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミカが愛銃を握り直した時、彼女の横から、音楽が流れだす。

 

「……あれ?」

 

 それは、ミカにとっても聞き馴染みのある聖歌。

 大いなる父に、無垢なる者への憐みを求める祈りの詩だった。

 

「……あははっ、故障してたんじゃなかったの?」

 

 そう。蓄音機は、正しく故障しているはずだった。

 心亡き大人によって打ち壊され、二度とは歌えないはずだった。

 

 けれど、奇跡は成り。

 彼女の祈りを届けるように、それは確かに歌を紡ぐ。

 

「これは……慈悲を求める歌。

 別に、この歌が好きなわけじゃないけど……そうだね、うん」

 

 

 

 がたりと、音を立てて、椅子を後ろに動かす。

 

 ずっと昔からの相棒を右手に、ミカは立ち上がり……。

 聖歌隊室を訪れた、客たちを見やった。

 

 数多く押し寄せる、地獄よりの影のような軍勢を。

 

「あは☆ 何をそんなに急いでるのかな?

 あなたたちは通れないよ。この先にあるのは、救済の戦いを繰り広げる、主人公の舞台だもの。

 私たちみたいな悪役に、登壇は許されてないの」

 

 そうして……皆を救う、本当の主役のことを想い、口にする。

 

「さぁ、先生──あの子たちを救ってあげて。

 ここは、私が食い止めるから」

 

 

 

 

 

 

 ……そうして、もう1つ。

 

 目の前で起こった奇跡は、小さな命にも波及する。

 

 

 

 

 

 

 ガゴォン! と。

 

 唐突に発生した、凄まじい轟音と粉塵が室内を埋め尽くす

 ミカは咄嗟にその目を庇い、しかし直後に状況を知ろうと前を向き……。

 

 直前にまで複製(ミメシス)たちが立っていたはずの場所に、1人の少女の……複製(ミメシス)ではない、生身の少女の姿を見る。

 

 肩までに揃えた綺麗な黒髪に、青い瞳とヘイロー、ミレニアム指定のセーター。

 見た目だけならば……少々豊満、というか恵まれた肢体をしてはいるが、普通の少女に見える。

 

 だが、尋常な存在ではないだろう。

 なにせ、複製(ミメシス)たちはバルバラも含め彼女を中心として吹き飛び、消滅している者もいれば壁に半身を埋める者、倒れ伏す者など死屍累々。

 ミカにすら察することのできない速度でそれを起こしたのだ。並大抵の相手ではない。

 

 

 

 そしてただ1人、爆心地に立つ少女は、頭痛に耐えるように軽く頭を押さえていた。

 

「……あー、やっちゃった。馬鹿でしょ私、超馬鹿じゃん。リオちゃんとの約束も破ることになるし、『あの子』もブチ切れ案件だよこれ。

 でもまぁ……私らしいっちゃ私らしいかな?」

 

 ミカは、彼女に見覚えはなかった。

 

 なにせ、彼女が表舞台に立ったのは、つい最近のこと。

 それも、まるでミカと入れ替わるようなタイミングで出会ったのだ。

 

 故に、当然ながらミカは唐突に現れた少女を警戒し、誰何する。

 

「あなた……誰?」

 

 対して、少女は「あー」と軽く頭を掻いた後。

 

「私は……まぁ、いらないお手伝い? 余計なお節介? もしくは、あなたと同じ、いつかの悪役?

 ……いや、違うな、そうじゃないね」

 

 脱力と安心を誘う、綺麗な笑顔で、言った。

 

 

 

「私は、ミカちゃんを助けに来た……ただの、お姉ちゃんだよ」

 

 

 







 本編に独自解釈を加筆するような形になったんですが、こういうのって需要あるのか……? いやしかし、説明なくやってもアプリ未プレイの読者様いたら意味わからないだろうし……など、いろいろ苦悩した回でした。

 次回はお姉ちゃんを自称する不審者の視点に戻ります。



(追記)
 アビドス3章part.4、あまりにもすごくてすごい(語彙力)
 でもこれpartいくつまで行くの……?


(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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