……ミカと別れて、どれほど経ったか。
先生は、ベアトリーチェとの決戦を終えた。
アリウススクワッドを率いて、異形と化した彼女との戦いを征し。
生贄にされかけていたアツコと、彼女を救おうとしていたサオリを救った。
ゲマトリアのゴルコンダによる干渉で、ベアトリーチェその人は逃がしてしまったが……。
もはやベアトリーチェは、二度とアリウス自治区に干渉することはできない。
これにてアリウス自治区の、そしてアリウススクワッドの救済は、おおよそ完了したと言えるだろう。
そして、今。
そんな偉業を為した
アリウススクワッドは、もう大丈夫だ。
彼女たちはもう、自分たちの足で、未来へと歩いて行ける。
そう判断したが故に、彼女たちに一言断って走り出し……。
目指すは、もう1人の、助けなくてはいけない生徒の元。
聖園ミカ。
アリウスを支配していた大人の悪意、蠢く陰謀に巻き込まれてしまった、心優しい少女。
一時は自棄になり、憎悪によって突き動かされていたミカだが……。
きっとサオリと話す間に、彼女が本来持っていたはずの優しさを取り戻したのだろう。
彼女は最終的に、アリウススクワッドをベアトリーチェの元に行かせるために、たった1人での時間稼ぎを請け負ってくれた。
……けれど、だからこそ心配でもあった。
エデン条約調印式に出席していた先生にとって、
ミカはどうやら相当に戦えるようではあったが、だからと言って無尽の兵力を相手にいつまでも戦えるとは思い難い。
故に、先生は足場の悪いアリウス自治区の回廊を、全力で走り。
その先、旧校舎で……。
「ちょっと、お姉ちゃん! さっきから動き悪いんだけど!」
「無茶言うなって……さっきも言ったけど、こっちはあんま耐久性ないんだって、ばッ!!」
「タンク買って出たのはお姉ちゃんでしょ!? 無理ならさっさと変わって!」
「いっ、妹を前線に立たせるのはっ! お姉ちゃんとしてどうなのよって話!」
「変な意地張られて死なれたら困るんだけど!?」
「ここじゃまだ……ったた! 人が喋ってる時に撃つのやめろ! ここじゃまだ死なないし!! いざとなったら切り札もあるし~!?」
そう、声を上げながら、2人の少女が戦っている姿を見た。
片や、その服も髪も乱れ、その身にいくつか小さな傷も作り、けれど未だ気丈に叫ぶ少女。
片や、普段から羽織っていたセーターを脱ぎ捨て、爆風に灼けたシャツ姿になって、いつもより余裕なく叫ぶ少女……。
“ミカ! それに……オリ!?”
その声に、少女たちはピクリと肩を揺らし、声の主を顧みた。
「せ、先生!? 本当に……!?」
「おっ、そいよ、先生……。あーもう、本当はこれに一人で耐えきったとか、ミカのゴリラパワーに恐れ入るわ……」
ミカからは、驚きと困惑、そして隠し切れない歓喜が。
オリからは、安堵と期待、そして隠し切れない疲労が。
その視線から、ほとんど直接的に先生に伝わってくる。
先生は一瞬だけ、本来はこの場にいるはずのない生徒であるオリに視線を向け……。
けれど、すぐにミカの元へとそれを向けなおした。
“遅れてごめん、ミカ”
「なんで、先生……さ、サオリたちは……?」
“もう大丈夫、終わったよ。アツコも無事だ”
「そっか……良かった」
ミカは一度、深く胸を撫で下ろした。
自らの行動は、無駄にはならず。
サオリは確かにアツコを救い……きっとそれを通して、サオリ自身も救われたのだろう。
そのことに、ミカは心底安堵し……。
けれど直後、この場には未だ危険が残っていることを思い出して。
先生の元に、決意を秘めた視線を投げかけた。
「それなら……ここから逃げて、先生。
アレは何回倒しても出てくるし……他の
結局、私たちでも3回しか倒せなかったし……倒す度にどんどん厄介になってる。次はもう、倒せないかもしれない」
ミカが最初に倒した時、バルバラはそこまで強くはなかった。
数分間の遮蔽を使った銃撃戦の末、無事に撃破することができた。
……ただ、おおよそ30秒後に再度出現する際、バルバラはミカにとって未知の巨大な
オリと協力して二度目に倒す時、バルバラはアンブロジウスと合わさり、十分な脅威となった。
アンブロジウスは、バルバラ程でないにしろ、かなり高火力な攻撃を振るって来る。
直撃すればミカやオリですらも傷つくであろうそれらは、バルバラの攻撃と合わさって十字砲火となり、ミカやオリの行動の選択肢を大幅に削り取った。
そして、それをなんとか撃破すれば……。
次に出現する際、バルバラは他の
そこまで行けば、オリもミカも、悟らざるを得なかった。
バルバラはどうやら、倒す度に脅威性を増す。
これはオリの知識の源である『あの子』すらも語らなかった、不測の事態だった。
消滅の際、疑似的に「死」に触れることで恐怖としての側面が強くなるのか。
あるいは、滅ぼされることによって再解釈が行われ、より複製の質が上がるのか。
考えられることはいくつかあったが……。
この際、どのようなロジックでそれが発生するのかは重要ではなかった。
ただ1つ確かなことは、ミカとオリの2人の戦いには、明確なタイムリミットがあるということ。
バルバラの砲火の威力は桁違いで、ただ回避や防御を試みるだけではその内押し切られてしまう。
多く撃たれるよりなお早く討つことで、被害を抑えねばならなかった。
故に、先程オリが無理に敵陣を突っ切り、スタンバトンで硬直させた後にバルバラの頭を消し飛ばしたことで、3度目の撃破となったが……。
次に出現する際、どれだけ脅威になるかは、計り知れなかった。
……もう倒せないかもしれない、と。2人が暗黙の裡にそう認めてしまう程に。
故に、ミカはせめて、先生を逃がそうと懇願しようとし……。
「だから先生、今からでも……」
“逃げないよ”
帰って来たのは、即答だった。
何も考えることのない、考える必要なんてないと言わんばかりの、即答。
それに対し、ミカは困ったように眉を寄せて、笑う。
「なんで……? 私なんて、先生に救われる価値のない存在なのに」
……けれど、そんなミカの言葉を受けて。
先生は、優しく微笑みながら、彼女の元へと歩み寄った。
“そんなことはないよ、ミカ”
“言ったでしょ、私はいつだってミカの味方だ”
“ミカがピンチになれば、当然駆けつけるよ”
軽く屈み、ミカに視線を合わせて、先生は微笑んだ。
“ミカは、私の生徒だよ。何が起こってもね”
「……っ」
それは。
ミカが今、最も必要としていた言葉だったかもしれない。
ミカを構成していた関係性の多くは、崩れてしまった。
自身の犯した罪によって、もはやナギサと頻繁に会うことはできない。
セイアは自身のせいで疲労が重なり、昏睡してしまった。
その後の脱獄によって、もはやトリニティにすら自身のの居場所はない。
……と、ミカ自身はそう認識している。
だからこそ。
この事件が始まる前から繋がりのある人物である先生から、「何も壊れていない」と言ってもらえるのは……。
ミカにとって、オリに与えられたものとはまた別の、確かな救いだっただろう。
……だからこそ。
そんな温かい言葉をかけてくれる人だからこそ。
ミカは、心底から恐れた。
自分の巻き添えとなって、先生が死んでしまうことを。
「で……でも、先生、あの聖徒会はどうするの?
私たちがいくら強くても、何度も蘇るなんて反則みたいなものだよ、どうしようもないよ!
だから先生、お願いだから……やめて。今からでも、逃げて……!」
ミカの、自らを犠牲にしてでも自身を想う言葉を聞いて……。
けれど、それでも。
先生はバッドエンドを認めない。
まさしく、物語に謳われる英雄のように。
“確かに、ミカは問題児だよ”
“でも、問題だらけの不良生徒だとしても……”
“危険にさらされている生徒に背を向ける先生なんて、どこにもいないんだ”
静かに立ち上がって、先生は視線をミカから離し……。
苦痛に顔を歪めながら、ユスティナ信徒を片端から警棒で薙ぎ払っている、オリの方へと向ける。
その視線を見て、ようやく。
ミカは、あの「自称お姉ちゃん」が何者なのかを悟った。
「……あの子も、そうなの? 先生にとっての問題児?」
“そうだね。オリも……まぁ、色々やってるよ”
“サンクトゥムタワーの外面をよじ登って不法侵入したり、いきなり他の自治区の生徒会室に殴り込んだり、セミナーに何百何千万って負債を押し付けたり”
“調月オリは……もしかしたら、聖園ミカ以上の問題児かもね”
「えぇ……」
流石のミカにも、常識というものはある。
トリニティの外でそんなに暴れ散らかしたり、他の自治区に迷惑をかけるようなことはしない。
それは自身の、ひいてはトリニティの損失になるからだ。
こう見えてもミカは、トリニティの中枢、ティーパーティの代表。
最低限どころか、しっかりとした政治的な思考を持ち合わせている。
まぁそれを言えば、オリもただ無視することが多いだけで、思考自体は持ち合わせてはいるのだが……。
それはともかく。
似た者同士。
あるいは、ミカ以上の特級の問題児……。
調月オリ。
ミカは、ここに至ってようやく、恩人の名前を知ることができた。
“……でもね、ミカも、オリも、どちらも”
“どれだけ何をしたって、私の生徒であることは、決して変わらないよ”
“そして……”
“私の生徒に……これ以上、手は出させない”
そう言って、先生は懐に手を伸ばし……。
……その、一枚のカードを引き出そうとした手を。
薄く血に濡れた少女の手が、止めた。
「駄目」
“……オリ”
彼女が時折見せる、不可思議な瞬間移動。
それを以て、オリは先生の腕を握って、行動を止めたのだ。
彼女は浅く息を吐きながら、ぼそりと、呟くように言う。
「……悪いけど、先生。あの日と同じように……そのカードは使わせない。
そのために……私は、ここまで来たんだから」
額を大きく切り、流れる血に左目を潰され。
それでも、先生に向けられるオリの右の瞳には、底知れない程強い光が宿っている。
「悪いけど、縛りプレイに付き合ってもらうよ。私とミカを使って、アイツらを倒すんだ。
……幸いなことに、先生のおかげで
後は、今残ってるのと……さっき生まれたばかりだろう、バルバラを倒すだけだ」
いつもの冗談めかしたような口調すら捨て去り。
オリは、先生の腕を、決して離さないと言わんばかりに握りしめる。
「自己犠牲による、救済……それを私は否定しない。できない。
けど、忘れないでほしい。生徒が苦しむところを見てあなたが苦しむように……あなたが苦しむことを見れば、私たちも苦しいんだ。
だから、できるだけ、それは使わないでほしい。お願いだから」
オリの、必死の呼びかけに……。
“……ごめんね、オリ”
けれど、先生は頷かなかった。
シャーレの先生は、どこまでいっても「先生」だ。
自らにもたらされる被害を惜しんで生徒を見捨てることはない。絶対に。
故に、今後生徒たちが物語に反する「反則」によって苦しめられた時、先生は当然のようにそれを取り出すだろう。
それが「先生」という存在の在り方で……。
それ自体は、先生自身にすら、変えることはできない。
オリの心配に、安心させる言葉をかけたいが……。
けれど、だからと言って生徒に嘘を吐くこともできず。
先生は、ただ首を振ることしかできなかった。
……しかし。
それを見て、オリはむしろ、安心したように微笑む。
だって、その受け答えこそ、オリの憧れた「
「そうだよね。先生はそう言うよね。
いいと思うよ、それで、先生は。
……でもさ。少なくとも今は、私がわがままを通させてもらうから」
そう言って、オリは素早く胸元のポケットから何かを取り出して、指で弾き……。
それを、自らの右腕に、勢い良く突き刺す。
“オリ!”
「ちょっと、お姉ちゃん!?」
錯乱したかと声を上げる2人に……。
けれど、オリは、へらりと笑顔を向けた。
「はっ……は、ははは。大丈夫大丈夫、アンプルだよ。
リオちゃんが作ってくれた、止血剤とか鎮痛剤とか興奮剤とか、色々入ったすごいヤツ」
オリの右手に握られていたのは、血に濡れた細い針の付いた注射器と、その中に装填された空のガラスの容器。
その内側に付着した薄い茶色の残滓から、中には何かしらの液体が入っていたであろうことが窺える。
眉をひそめる先生の前で……オリは一度大きく息を吸い、吐いて。
「……うん、よし。意識がしっかりしてきたし、麻痺も取れた。これで……まだまだ戦える」
その薬は、果たしてどれほどの即効性を持っているのか。
オリは先程までの消耗した様子をなくし、その瞳には正気の色が戻った。
……これは、オリの用意していた、今回の事件に向けた切り札の1つ。
凄まじい効果を持つ代わり、後ほど酷い振り返しを受けることになる、禁薬だった。
リオからは緊急時の脱出用として渡されているが、同時に「緊急時以外は絶対に使うな」と念を押して言われている代物だ。
なにせ、以前カイテンジャーとの戦闘で受けた傷などとは比べ物にならない、オリが丸々一晩休んでも治りきらない程の消耗と不調を負ってしまうのだ。
若干シスコン気味なところのあるリオが、軽々と使用を許すわけがない。
あーこりゃ酷いな、本格的に怒られるぞー、しかもまともに動けないから逃げられないぞー、何ならあの子にも一晩中叱られるぞーと、そんなことを思いながら……。
けれど、それでも。
オリは、楽し気に笑い、呆然とするミカに言葉を投げかけた。
「さて……ミカちゃん。そんな訳で、協力してくれるかな。
これが、この事件の最後の戦い。ここさえ切り抜ければ、あなたの切望したハッピーエンドだ。
目標はユスティナ聖徒会……その最も偉大な聖女、バルバラの
私たち二人で、なんとか切り抜けるよ」
「…………」
ミカからすれば、現状はあまりにも不明な点だらけだ。
怪物と言って差し支えない化け物、ユスティナ聖徒会の聖女なのだと言う、バルバラ。
そして何よりも……それらについてやけに詳しすぎる、自らの姉を名乗る特級の問題児。
論理的に考えれば、調月オリという生徒は、信じるには値しないだろう。
明らかに不可解なタイミングで現れ、不可解にものを知りすぎている。
彼女の様々な真相を確かめるまでの間、それを信じようとするのは、ただの妄信に他ならず……。
……けれど、それでも。
「わかったよ。今度こそ足を引っ張らないでね、お姉ちゃん☆」
すべての疑念を呑み込み、忘れ。
ミカはにこやかに笑みを浮かべ、銃を持ち上げる。
そうして彼女は、先生に、困ったような笑顔を見せた。
「先生。私たちみたいな問題児でも、生徒だって言ってくれるんなら……指揮をくれるかな。
私はあの子を信じるし……何より、少しくらいは先生を助けたいんだ。
慈悲をもらうばかりじゃなくて、何かをお返ししたいの」
以前のミカからであればまず出なかっただろう、真摯な台詞。
彼女の成長を嬉しく思うと同時、先生は思わず眉を寄せてしまう。
“危険なことになる……って言っても、聞いてはくれないかな”
「うん、聞かないよ。なにせ不良生徒だからね☆
……よくわかんないけどさ、お姉ちゃんが言うには、先生だって、自分から危険に身を晒すつもりだったんでしょ?
だったら……うん、私たちも同じことをしようかな。
先生のためだもん、できることを、しなきゃいけないことをするよ」
“はは……そう言われると弱いな”
先生はそう呟いて苦笑し……。
改めて、手元のタブレット型アーティファクトを起動した。
“……分かった。ミカ、オリ、申し訳ないけど力を借りるよ”
“これが、最後の戦いだ”
先生の指がその画面に触れ、ポロン、という小さな音と共に……。
シッテムの箱から、青い粒子が溢れた。
オリの相手への呼称は、
まだ知り合いの状態:下の名前に「ちゃん」付け
そこそこ親しくなった:下の名前呼び捨て
ネル:ネルパイ(ネルちゃんパイセン)
リオとトキ:一周回って「ちゃん」付け
となっています。
セミナーとかミレニアムの部長格の相手は大体全員呼び捨て、最近はアリスとミカからちゃん付けが外れました。
ネルにちゃんが付いているのはだいぶ前からの慣習で、「パイセン」付けは単に『あの子』の影響。本来は呼び捨ての関係性です。