「……とまぁ、そんな感じ。
あくまでドローンで見てた映像だし、細部まではわかなんないけど、大体あなたの言ってた通りに事が落ち着いたと思うよ」
がたんごとん、と。
定期的に、小さく体を揺らす、走る電車の揺れ。
それに身を任せながら、オリは対面に座る少女に報告を行い。
その後、小さく微笑みを浮かべて、自らの感想を添える。
「ミカちゃんが報われて良かったよね。
……いや、まだ報われてるとは言えないかな? なにせ、彼女はこれから幸せな日常を送るはずだ。
物質的に言えば、前よりも貧しい生活になるかもしれないけど……今の彼女は、そんな俗物的なところ以外にも幸せを感じられるはずだしね」
失って初めてわかる充足、というものもある。
自分が幸せの中にいる時、人はそれが当然のものであると思い込んでしまう。
だからこそ、それを一度失うことで、改めてそのありがたさを痛感するのだ。
そういう意味で、相対的に考えれば、聖園ミカの人生はこれから明るくなるだろう。
なにせ、彼女は一度ドン底にまで落ちたのだ。
親友と一緒にいられること、話せること、笑い合えること、平穏な時間が過ぎていくこと。
そんなたわいない日常に、これまでの何倍もの幸せを感じられるはずだ。
「これを幸せと呼ぶか、あるいは不幸中の幸いと呼ぶかは人によるかな?
私としては……っ、まぁ、ミカちゃんにとっては良いことだと信じるばかりだけど」
一瞬、何か予期していなかった感情が口を突いて出かけ、咄嗟に耳障りの良い言葉で封をする。
……オリは、おおよそこの世界の誰よりも、「失ってわかる充足」を知っている自負があった。
なにせ彼女は「この世界に生まれるはずのない存在」であり、それを本人も知りえている。
このキヴォトスに生まれたこと自体が、オリにとっては望外の幸運であり、幸福。
息をして、体を動かして、リオやトキと触れ合えて、ミレニアムで暮らせて……このキヴォトスで、生きていられる。
それだけで、オリは「あまりに大きなものをもらっている」と思ってしまうのだ。
だからこそ。
ミカが自分と「同じ」になったことに、オリは少なからず思うところがあった。
それがマイナスの感情であるか、それともプラスの感情であるかは……本人のみが知るところだろうが。
「……ふむ」
十分ほど続いたオリの報告を聞いた、車両の対面に座る少女……。
『あの子』ことオリヒメは、まぶたを閉じ、膝の上に手を重ねて、物思いにふける。
その様子は静かで……けれど独特の、少々機嫌を害されたような雰囲気があり。
それを見たオリは、慌てて言い訳を始めた。
「いやその、わかる、わかってるんだよ、あなたの本心にそぐわないことをしちゃったのは!
ただぁ……やっぱり良い子が目の前でボコられてるのを黙って見てるのはさ、お姉ちゃん的にはちょっと難しいっていうか……」
「ん……ああ、驚かせましたか。大丈夫、あなたに怒っているわけではありませんよ」
オリヒメはぱっとその手を開き、片手をひらひらと振って見せる。
その表情の上には、オリの情緒豊かなそれとも、先程の物思いに耽っていた時とも違い、殆ど感情という感情が浮かんではいなかった。
髪は短く、その瞳も青くはあるが……どちらかと言えばその雰囲気は、オリよりもオリの妹の方に近いように思える。
オリヒメは、基本的にその感情を隠す。
なんでも「感情を露呈することは弱みを晒すことに繋がりますから」とのことで、努めてそうしないように心がけているらしい。
……そう言う割には時々感情を見せてくれるけど、と。オリとしては首を捻るばかりだが。
とにかく、平時の観察力は人並でしかないオリは、感情を隠している時の彼女の心理は勿論、彼女の感情の向く先も窺うことはできず……。
特に色々とやらかした自覚のある今回は、怒られてしまうのではないかとびくびく震えているのだった。
「お、怒ってない? ホントに?
だって……あなたにとって、先生とミカちゃんのお話って、大事なものだったんでしょ?」
「……まぁ、それは否定しませんが」
オリヒメはそう言って、窓の外に目をやる。
そこにあるのは、どこかぼやけた不思議な風景。
そんな中でも、彼女の視線の先、電車の行く末には、ビルなどの建物が並ぶ都市が見えているが……。
彼女がこの電車に乗って15年程、いつまで経ってもあの都市に到着する気配はない。
それは恐らく、自分という不純物のせいなのだろうが、と。
オリヒメはそんなことを思いならが、改めて口を開く。
「聖園ミカと先生の物語。一度は堕ちてしまったはずの少女が聖女へと舞い戻り、救世主に救われる物語。
それは確かに、私にとって特別なものでした。愛していると言ってもよかったかもしれません。
けれど……」
「けれど?」
視線を戻す。
オリヒメの対面に座る少女は、居心地悪そうにちらちらとオリヒメの方を窺ってきていた。
かつてのオリヒメが知っていた、ミレニアムのただ1つの頂、調月リオ。
それと似た姿をし、けれど対極と言っていい精神性を持った少女……。
調月オリ。
自らの命を賭して救った、破綻した神秘。
オリヒメはその瞳に慈愛の情を乗せ、彼女に微笑んだ。
「今の私にとって、最も大切で最も特別なのは……あなたですよ、オリ。
私の物語への思い入れよりも、かつての記憶よりも、何より大事なのは……あなたという限りある命が、あなた自身の選択によって、自らの人生を自由に生きること。
だから、あなたが怒ってほしいと願わない限り、私はあなたの選択に怒ることはありませんよ」
「そ、そうなんだ……?」
かなり直接的な、もはや愛の告白──とは言っても、この場合はどちらかと言えば家族愛に該当するものだろうが──にも等しいセリフ。
そう言われることが恥ずかしいのか、オリはもじもじと身をよじる。
オリの初心な様子に「変わりませんね」と内心で肩をすくめながら、オリヒメは続けた。
「……それで? あなたは、私からも怒られたいのですか?」
「うっ、い、いや、それは勘弁。現実じゃベッドに寝たまま8時間もリオちゃんにお説教されたんだし、夢の中でまで怒られたくはないなぁ」
「でしょうね」
オリの認識を知るため、彼女の口から事件の詳細を聞いたオリヒメだったが……。
根本的に、彼女は彼女で、オリの感覚を通して外の世界の情報を知り得ている。
体を動かす主導権はオリにあるが、彼女の夢と体に住む「同居者」として、彼女はオリと同じように外界を知ることができるのだ。
この情報共有の例外は、オリヒメがオリの体を借りるため、仮死剤を呑んでオリが意識を失っている間くらいであり……。
当然ながら、8時間──正確には8時間11分52秒──、リオによるお説教があったことも知っている。
「あのお説教、当然と言えば当然です。なにせリオちゃんからすれば、オリ、あなたの選択は受け入れがたいものだったでしょうから。
あなたはアリウスに行く前に『ミカちゃんなんかよりリオちゃんの方が大事だ』と語っていましたが、それはリオちゃんとて同じこと。
他自治区のトップであろうと、その性格すらも知りもしないような生徒より、自らの姉妹の方がずっと大切だったはずです。
だからこそ『聖園ミカなんてどうでもいい』と言うあなたに安心し、送り出した。いざという時は切り捨てて逃げられると、そう思ったから。
……それなのにあなたは、そんな相手のために、ボロボロの満身創痍で帰ってきたのです。
再発防止のためにお説教をするのは当然と言えば当然でしょう。そこに感情が挟まっていない、とは言えませんがね」
調月リオ。ミレニアムの
無駄なことを一切しない、すべきことは躊躇わない、合理の化身。
……と、そう思われがちな少女ではあるが。
リオが心の底の底から合理性の奴隷かと言われれば、そうではない。
彼女は常識も道理も倫理も知り、けれどただ、それを無視して合理的に動くことができるだけだ。
自らの目的のため、無理に本心を抑圧して封じ込めるオリとは違い……。
リオは「それが最善である」と判断さえすれば、義務感と責任感に基づいて躊躇いもなく行動を起こすことができる。
勿論、そう行動できるからと言って、彼女は善悪を理解していないわけではない。
ただ良心が行動の妨げにならないというだけで、悪を為しているという自覚、残酷な行為を取っているという自覚と良心の呵責はある。
ただ、大義のためにはそれが必要なのだと自覚している限り、それが彼女の行動を止めるファクターには成り得ない、というだけだ。
……つまるところ、調月リオという少女が、どういった性質を持っているかと言えば。
多数を見殺して少数を生かすか、少数を殺して多数を生かすか、というトロッコ問題を目前にした時、何の迷いもなくレバーを引いて少数を殺せる人間……と。
そう表現するのが正しいだろう。
正しく支配者、あるいは管理者に適した資質。
そして、それを叶えるだけの圧倒的な能力。
それらを同時に持ち合わせるが故にこそ、調月リオはビッグシスターとして、ミレニアム自治区を裏から完全に掌握しているのだった。
……が、同時。
調月リオもまた生徒であり、少女であり、そして人間であり。
理論ではなく感情で動くことも、本当に稀ではあるが、存在する。
その最たる例が、姉たるオリへの対応で……。
つまるところ今回の凄まじい長時間の叱責は、普段表に出て来ない、リオの怒りの噴出。
あまりにも自己を顧みない姉に対して、ついに堪忍袋の緒が切れたのだった。
「うぅ……泣きそうな顔で怒られたら茶化せないじゃんね……」
現在のキヴォトスにおいて、オリはおおよそ、最もリオの性質を理解していると言っていい人物だ。
なにせ生まれた時からずっと隣にいた姉なのだ、当然と言えるだろう。
リオの浮かべた悲しみや怒りは全て、自分への想いが故であると理解しているし。
だからこそ、何一つとして言い返すこともできず、ただただ説教を聞くことしかできなかった。
……とはいえ、それでオリが行動方針を変えるかと言えば、そうでもない。
オリにはまだ、ここで立ち止まれない理由があるのだ。
そしてそのことを、リオも過たず理解している。今何を言おうと、オリは変わらないだろうと。
故にこそ、あの説教は極めて無意味で、リオの怒りの発散以外の意味を持たない。
合理性を何より優勢する調月リオの行動としては、非常に珍しいものと言えるだろう。
……あるいは、彼女たち姉妹のコミュニケーションの時間としては、意味を持っていたのかもしれないが。
そんなこんなで、しょんぼりと落ち込むオリを見て……。
オリヒメは、小さく微笑みを浮かべた。
「……ほら、来なさい、オリ。せめて夢の中でくらい、あなたは癒されてしかるべきでしょう」
「んえ? ……え、いいの!?」
座席に座る膝をポンポンと叩くオリヒメを見て、オリは目を輝かせる。
そして子供のように「わーい」と声を上げて立ち上がり、オリヒメの座る座席の方へと走り寄って……。
彼女の膝に、自分の頭を置いた。
いわゆる、膝枕の状態であった。
「うーん……久しぶりの感覚。何年ぶり?」
「あなたも、もう子供ではありませんからね。恥ずかしがるかと思い、控えていましたが」
「あなたの膝枕なら年中無休で歓迎だよ! 相変わらず柔らかくて落ち着くし、良い匂いもするし。
……まぁ、昔と違って、だいぶ景色が暗くなっちゃったけど」
座席に背を預け、仰向けになったオリの視界は、驚くべきことに半分以上が真っ暗だった。
オリヒメはオリと同じ体を用いている。故に、その身長や体重、スリーサイズもまた同一であり……。
豊満に育ったその胸部もまた、全く同じであった。
「……自分で言うのもなんだけど、あなたも私もリオちゃんも、育ったよねぇ」
「全くです。そのくせ身長はすらっと高いですし、腰はちゃんと内臓が入っているか不安になる程細いですし、どんな遺伝子してるんですかあなたたちは」
「うーん……両親の体型は、普通なんだけどなぁ」
「とすると、これも神秘の影響ですか。なんてドスケベ神秘」
「ドスケベって言うな、ドスケベって……人の体をまるで卑猥なものみたいに……」
「リオちゃんなんか、ドスケベファンアート死ぬ程量産されてましたよ」
「聞きたくなかった、そんな現実……」
それから、話すこと5分程。
「リオちゃん……昔から、あんまり食べ……ん、んん……」
ぼんやりと呟くオリの体からは、徐々に力が抜けていく。
そのまぶたは徐々に下がって行き、吊り上がる頻度も減っていって……。
「もっとさ……食べるべき……ポテチ……」
あるいは、視界を塞がれ、暗くなっていたこともあってか。
オリはすぐ、寝息を立て始めてしまった。
「夢の中で寝る、というのは何とも。
まぁ、ここはただの夢というわけではないですし、妥当と言えば妥当でしょうか」
すやすやと寝息を立てるオリの頭を膝に乗せ、オリヒメは小さな声で呟く。
体勢と体型上の都合で、彼女の顔を見ることも、頭を撫でることもできはしないが……。
「……そもそも、疲れていたのでしょうね。
ここ数日、ずっと無名の守護者の撃破やアビドス遠征などで休む暇がなかったですし、その上であの薬まで使ったのですから。
むしろ、あんなにボロボロの状態でありながら、リオの説教中に意識を保てただけ、凄まじい精神力だと言えるでしょうか。……それとも、愛の力と言いうべきですかね?」
膝の上に確かな温かさと脈動を感じ、オリヒメはまぶたを閉じて薄く微笑む。
「……よく頑張りましたね、オリ。
先生のインパクトが若干薄れたことは、少しだけ残念だとは思いますが……それ以上に、私は彼女が孤独でなかったことが嬉しかった。
だから、ありがとう。ミカちゃんを助けてくれて」
誰にも届かない、届いてはならない、小さな呟き。
それに続けて、オリヒメは……。
口元の笑みを消し、少しだけ眉を寄せて、呟く。
「……おそらくここが、あなたの絶頂期。
後は……時が来れば、転げ落ちるだけでしょう。
これからあなたは、剣山の道を歩くことになる。あの子の負を背負い込むのが……私があなたに押し付けてしまった、姉としての在り方ですもの。
だから今は、今だけは、ゆっくりとお休みなさい。再び歩き出すだけの元気を取り戻す、その日まで」
エデン条約編4章「今を生きる少女のためのキリエ」 fin
次回からは、いよいよ時計仕掛けの花のパヴァーヌ編2章……。
の、前に。デカグラマトン特殊作戦・ミレニアム廃墟編が始まります。