先生が、アビドスから帰って来て数日。
「せんせー、聞いたよ! アビドスの子たちの助けになってあげたんだって?」
シャーレに当番に来たオリの第一声が、それだった。
たったったと部室へ駆け込んできた彼女は、ガンラックに愛銃を収め、手持ちのバッグをソファに投げ出して……。
カタカタとキーボードを叩く先生の椅子の横にしゃがみこみ、そのひじ掛けにちょこんと手を乗せる。
まるで懐いた大型犬のようにキラキラとした瞳でこちらを見上げて来るオリに、先生は込み上げる苦笑と共に挨拶の声をかけた。
“こんにちは、オリ。今日も元気だね”
「こんにちは先生! 今日もイケメンだねぇ! ……と、そうじゃなくて!
初めてのキヴォトス遠征だったでしょ? 当番する前に、その感想聞いてみたくて。ちょっと時間もらっていいかな」
私の仕事の話なんて、変なことを気にするな、と先生は目を瞬かせたが……。
思えば、オリは前から少し変わったところのある生徒だった。
興味を持つところも、普通の生徒からズレているのかもしれない。
まぁ何にしろ、生徒に尋ねられれば、先生としては答えないわけにはいかない。
“もちろん。私に答えられることなら、なんでも聞いて欲しい”
「やった、ありがとね! ……それで、改めてアビドスはどうだった? 先生」
“えっと、そうだね……”
先生は彼女の問いに答えるべく、手を止めてオリの方に振り向く。
“今回は、アビドス高等学校の子たちの、学校の存続についての相談に乗りに行ったんだけど……”
「うん」
“まず最初の感想は、思ったより過酷な環境だった、かな”
「まずはやっぱりそこだよねぇ」
先生の素直な一言に、オリはため息を吐く。
「アビドス自治区は砂漠化が進んで、今もどんどん不毛の地が増えていってる。広大な土地があるとは言っても、活かせないんじゃ人は減る一方だ。
その上、土地の価値が暴落したのをいいことに、クs……カイザーコーポレーションの系列企業がどんどん買収を進めていってる。あのままじゃ、学園自治区から企業自治区になる日も遠くない」
淡々と語るオリに、先生は思わずぱちぱちと目を瞬かせてしまう。
“……詳しいんだね、オリ。私はみんなに聞いたり現地で調べて、初めて知ったことばかりなんだけど”
「そりゃあそうだよ! 私の妹はあのミレニアムのビッグシスターだよ? キヴォトスの情報はどこよりも集まって来ると言ってもいい。
……って、そっか、先生ってリオちゃんのことあんまり知らないんだっけ」
“一応、ミレニアムの生徒会長ってことくらいは知ってるんだけど……”
「それじゃ、詳しくはいつか先生の目で確かめてもらうとして、ちょっとだけ教えてあげるね!」
オリはピンと指を立てて語る。
調月リオ。ミレニアムの
天才的と言う他ない頭脳を持ち、ミレニアムを徹底した管理の下治めている
そんなリオは少し過剰なくらいの心配性で、ミレニアムに降りかかる脅威に対策すべく、大小問わず常にキヴォトス中の情報を集めている。
アビドス自治区で発生している事態も、その情報群の中に入っていた、と。
「リオちゃん、私には結構甘いからね。色々教えたりもしてくれるんだ。
だから今回だって私のこと呼んでくれれば、こそっとその辺の事情を教えることもできたんだけど……呼ばれなかったからなぁ。
それにさ、先生、アビドスで迷ったりしなかった? あそこ、広い上に入り組んでたでしょ」
“あ、バレた? ちょっと下調べ不足で……”
「もうっ、案内人兼ボディガードくらい付けようよ、先生。ただでさえ先生は体よわよわなんだから」
“ごめんごめん、今度からはオリのことを頼るからさ”
「うん、それでヨシ!」
オリはにこっと微笑み、話を戻した。
「で、先生、アビドスの問題は解決できたの? オールライト?」
“いや”
先生は首を振り、オリの言葉を否定する。
“アビドスを取り巻く問題は、対策委員会の……今のアビドス高等学校生徒会の子たちが解決していくべきものだからね。一朝一夕には片付かないよ。
私がしたのは、彼女たちが活動しやすいように状況を整えたことと、彼女たちが背負うものの大きさが正当になるよう、リンちゃんにお願いすることだけ”
それを聞いて、オリは何度か瞬きをした後……。
頷きながら、立ち上がった。
「……なるほどね。先生は生徒の味方だけど、だからといってズルはしないしさせない、と」
現在アビドス高等学校が抱える借金は、9億円余り。
過疎化が進んだあの高校の在校生はたったの5人で、9億円という借金は、彼女たちだけで抱えるにはあまりにも重いものだ。
シャーレの先生は、このキヴォトスにおいて、かなり強い権力を持つ。
やろうとすればこの莫大な借金を肩代わりもできるだろうし、他の高校と合併して抜本的解決を図ることもできたはずだ。
ただ、それをしなかったのは……。
「その代わり、彼女たち自身の意志をどこまでも尊重して、その行動を支える。
それが大人としての、あなたと生徒との距離感なんだね、先生」
“うん。私は先生だからね”
彼女たちが……アビドス対策委員会が、彼女たち自身での解決を望んだからだ。
9億円という莫大な借金はしかし、多少の買い叩きはあったとはいえ、両者合意の下正規のやり取りと売買の結果生まれたもの。
邪な意思による誘導があったとはいえ、それでもこの借金は「アビドス高等学校」が背負い、解決していくべき問題だ。
故に、先生はそこに手を出さない。
もしも彼女たちの方から「どうしようもないかもしれない、助けてほしい」と言って来れば話は別になるかもしれないが……。
良い意味で誇り高く、互いに頼り合うことを覚えた彼女たちなら、きっとなんとかやっていけるだろうと、先生は確信していた。
当然ながら、定期的に様子を見に行くつもりではあるし、そこで邪な大人の意思が絡んでいるようであればそれ相応の対応をするつもりではいるが……。
それ以外の場合は、先生は基本的に静観の姿勢を取るつもりでいた。
それが、生徒の自主性と未来を育てる、先生の在り方なのだ。
「……勝手で一方的な救済者でもなく、誰が善で誰が悪かを定める審判者でもなく、寄り添って生き方を教える『先生』……か」
珍しく表情を削ぎ落して呟いたオリに対し、それを聞きとれなかった先生は首を傾げる。
“オリ?”
「ん、ああごめんごめん! ちょっと考え事!」
振り返った先生が見たのは、いつも通りの笑顔を浮かべたオリの顔だった。
「まぁでも、良かったよ。先生のおかげでアビドスの子たちは生活がしやすくなるだろうし、先生も初の大規模なお仕事を無事に終えられたわけだし。
改めてお疲れ様、先生。彼女たちのために頑張ってくれてありがとね」
オリはそう言って微笑み、「取り敢えずコーヒー淹れるね」とその場を去ろうとして……。
その直前、最後に1つ。
何気ないことのように、尋ねた。
「……あ、そうだ、先生。
ちょっと心配だったんだけど……生徒さんを丸め込まれて、あっちに身柄取られたりしなかった?」
そう訊かれた先生は……。
不思議そうに、その首を傾けた。
“いや、特にそういうことはなかったけど……どうして?”
* * *
ミレニアム自治区、「廃墟」。
それは、このキヴォトスにおける一般的な廃墟とは異なる意味合いを持つ場所だ。
俗に「忘れられたものが集まる場所」などとも言われるそこは、ミレニアムサイエンススクールが放棄した都市区画である。
既に人の手による管理が行き届かなくなって久しいそこは、今やまさしく「廃墟」という言葉の似あう外観となってしまっている。
そしてここは、誰が作ったかもわからないロボットやドローン、時には大型の戦車が、まるで巡回するようにうろついている危険地帯でもある。
老朽化した建物の崩落の可能性や、生産元も目的もハッキリしないロボット群、そしてこの廃墟から稀に見つかる危険なオーバーテクノロジー。
それらを危険視した連邦生徒会は、この区画への一般人の立ち入りを禁止しているのだった。
無論、「廃墟」への侵入を許されないのは、調月オリと言えども例外ではない。
如何にこのミレニアムを支配する生徒会長の姉であれど、連邦生徒会の決定を覆すことなどできないのだから。
しかし……。
「……はぁ」
シャーレの当番を終えたオリは、まさしくその廃墟の奥地にいた。
廃棄されてから長い時間が経過し、塗装が完全に剥げてしまったコンクリート製の殺風景な一室。
彼女はその中で、どこかから持ち込まれたと思しき真新しい椅子に座り、ひじ掛けに頬杖を突いている。
その表情は、いつも彼女が周りに見せていたような整った笑顔ではなく、むしろ酷くつまらなそうなものだった。
そして、そんな彼女に語り掛ける声がある。
「……お待たせしてしまいましたね、オリさん」
まるで、闇そのものが身を起こしたように。
「それ」は、オリからはとても覗けぬ影の中から現れた。
黒のスーツを隙なく身に纏う、恐らくは成人男性であろう人型。
この特徴を並べただけならば、該当する者はこのキヴォトスには無数に存在するだろうが……。
何より異常なのは、その頭部。
ひび割れ、中にあったものが漏れ出しているガラスのような、歪な頭。
それは、とてもではないが、キヴォトスで頻繁に見られるものではない。
「黒服」
オリはソレの名前を呼ぶ。
役職の名前でもなく、立場の名称でもなく、彼がそう名乗っているだけの通り名を。
「ゲマトリアの黒服」。
彼のことを知るごく少数の人間にはそう名乗っている男は、オリが座っているものとは対極に置かれたデスクに腰かけた。
オリはちらりと彼の方を覗き、すぐに視線を逸らして、口を開く。
「まず、感謝しておくよ」
「感謝? 何をでしょう」
「あなたは約束を守って、『暁のホルス』に手を出さなかった。
それは当然のことではあるけど、ある意味では、私の信頼に応える行為でもあったから」
黒服はゆったりと腰を落ち着けた後、デスクの上でその指を組み、彼女の言葉に応えた。
「私たち大人は、約束事を大事にするのです。一度結んだ約束を違えるようなことはありませんよ」
「言うね。あなたたちが大事にしているのは、確かな文言の下締結された契約であって、互いの情の上に成立する約束じゃないでしょ?」
「ええ、まさしくあなたの言う通り。……しかし、情がないと言われるのはやや心外ですね。
私共は両者の信頼の下で契約を果たしているつもりですよ。あなたとの契約も含めてね」
生温い、こちらの心に沁み込んで来るような声に、オリは眉を寄せる。
この声を、こんな声を、彼女はこれまでに何度も聞いて来た。
こちらに取り入り、自らの利を勝ち獲ろうとする時の、大人の気持ちの悪い猫撫で声。
ある時は昔から賢かった彼女の妹を利用しようとして、ある時は昔から強かった彼女のことを利用しようとして、またある時は「セミナーの生徒会長」という地位にあやかろうとして。
大人はいつも、そうやって自分たち姉妹にすり寄って来た。
結局のところ、キヴォトスの中の大人も「外から来た」大人も、そう変わりはしないらしい。
……例外は、やっぱりシャーレの「先生」だけか。
そう思いながら、オリは面倒くさそうにため息を吐いた。
ソファの上で体勢を変えながらも、決してこちらと目を合わせようとしないオリに、黒服は語り掛ける。
「……正直なところ、あなたがこちらに接触してきた時は驚きました。
私はこれでも慎重派でして、自身の痕跡は徹底的に消してきたつもりだったのですが……まさか、あんなにも簡単に発見されるとは」
「昔話がしたいの?」
「ええ、もしもお付き合いいただけるのならば、確認の意味も込めて」
「私は止めないから、勝手にどうぞ」
顔を背け、手鏡を取り出して髪をいじりだしたオリに対し、それでも黒服は話をやめようとはしなかった。
「こう言うと、もしかすれば気分を害されるかもしれませんが、私は当時、あなたにはあまり興味を持っていませんでした。
調月オリ。不条理と混沌、融和の結晶。あなたという神秘は確かに強大ではありましたが、他に2つとない程の特異性を持っているようには思えなかった。
また、あなたは彼女、調月リオと対を為し、互いを補完し合う一対の天。どちらかが欠ければその機能を不全とする相補性の美。
故に、調月オリの崇高を完全な形で掌握するためには、調月リオの崇高もまた利用可能な状態でなくてはならない。
その扱い辛さ故に、私にとってあなたは、有益な研究対象とは思えなかったのです」
「…………」
正直なところ、オリは黒服の話を完全に理解できるわけではなかった。
というのも、根本的な知識が足りていないのだ。
神秘だとか崇高だとか天だとか美だとか、それらの言葉が何を指しているのか、彼女は知らない。
「あの子」は黒服たちゲマトリア関係の話になると「あなたは関わるべきじゃない」と言って口をつぐんでしまうし、妹に聞いても彼女はこの手の話題にはあまり強くないため明確な知識は得られないし……。
だからと言って黒服に直接聞けば、どんな代償を要求されるかわからない。
それにそもそも、彼がする話には、欠片たりとも興味が引かれない。
神秘だとか恐怖だとか崇高だとか、それを確保するだとか所有するだとか、いつもそんなよくわからない言葉を吐き散らかす黒服に、オリは飽き飽きしていた。
多少特殊な部分もあるとはいえ、彼女もまた今を生きるキヴォトスの生徒の1人。
抽象的で小難しい話などより、目の前の日常の方に余程強く興味を惹かれるのだ。
……だが、あまり他人事でもいられないのも事実だった。
なにせ、黒服が話しているのは、オリと「あの子」のことなのだから。
「しかし、あなたから『彼女』の話を聞いて、私は心を入れ替えました」
その言葉に、オリのまぶたがピクリと揺れる。
黒服はそれに気付いているのかそうでないのか、変わらぬ調子で話を続ける。
「あなたの夢の中に現れる『彼女』。
誕生の際に欠損し、この世に生まれ落ることなく消えるはずだった神秘と癒合する形でこのキヴォトスに現れた、我々とはまた異なる『不可解な存在』。
これまでに想定すらしていなかったプロセスによって1つの神秘を、あるいは恐怖を、もしくは崇高さえも掌握した、稀有なる例。
興味深い。非常に興味深い。あるいは、『彼女』は我々の中でも最も崇高というモノの核心に迫っているかもしれない……」
足を組み顎に手を当て、思索の海に浸かりかける黒服に、オリは鋭い視線を向ける。
「人の恩人を研究対象扱いしないでくれるかな。不快だよ」
「おや、失敬。他意はなかったのですが。
……しかしとにかく、『彼女』の存在に私は強く興味を惹かれました。
それこそ、このキヴォトスにおいては他に替えの利く子供たちから、手を引いていいと思える程に」
黒服は組んでいた指を解き、自らの懐に差し込む。
「調月オリさん。あなたがあの日私に求めたのは、『暁のホルス』『狼の神』『名もなき神々の王女』に手を出さないこと……でしたね」
「そうだね」
「そして、あなたが差し出したものは……一時的なあなたの体の自由と、『彼女』との対話の機会」
黒服が懐から取り出したのは、小さなカプセル錠の入った透明なケースだった。
彼はそれを、そっとオリの座る椅子のひじ掛けに置く。
「……これは? 前回のと同じ?」
「ご心配なく、ただの弱い仮死剤です。明日の朝には、まるで深い睡眠を取った後かのように、あなたたちの暮らすセーフルームで目が覚めるでしょう。体の安全は保障します」
「その間、あの子はどうなるの?」
「『彼女』は私共にとっても理解者になってくれるかもしれない存在。丁重に扱わせていただきますよ」
「……一応聞くけど、拒否権は?」
黒服は緩く首を振ることでそれに答える。
私に選択肢はないってことね、と彼女は内心でため息を吐いた。
本当は、オリとてこんな得体のしれない薬は飲みたくはない。
しかし……今、彼女には、ある種の拘束力が発生している。
黒服は、彼女の要求を呑んだ。
先生のアビドスでの物語の中に黒服は現れず、そこには全き青春の物語だけがあった。
それは、「あの子」が心から望んでいたことだ。
オリが、なんとか叶えてあげたいと願ったことだ。
故に、その代償は支払わなければならない。
……ただ、それを支払うのが自分ではなく「あの子」になってしまったのは、少し申し訳ないけれど。
オリは手の中で何度かケースを転がし……。
「……はぁ」
錠剤を取り出して、一息に飲み込んだ。
「それでは、おやすみなさい、調月オリさん」
急速に回らなくなる思考と意識の中で、オリは最後に……。
明日の夜は、あの子にしこたま怒られるのだろうなと、ぼんやりと思った。
黒服さん大興奮でワロタ。
ちなみに黒服はそれはそれとして先生にも大注目してます。
「手を出してない」だけでアビドスのことは観察してましたし、「あの子」が先生を気にかけてるのが明白なので。