右肩下がりだからね。
ミレニアムのいちばん暗い日
天童アリスの暴走と暴動。
これはミレニアムにおいて生徒会の役割を担うセミナーによって、一般には秘匿された。
ヴェリタスの部室の崩壊は、部員の持ち込んだジャンクパーツの自然発火に由来する事故として処理され……。
オリがその場を去った後に到着し事態を収拾したC&C、当事者である先生にヴェリタス、ゲーム開発部の面々、それから調月姉妹のみが事の顛末を知ることとなった。
不幸中の幸いと言うべきだろう。
もしもこの情報が他の生徒たちにまで伝わっていれば、まず間違いなく大きな混乱が起こっていた。
アリスの天真爛漫さは、この数か月でミレニアムに知れ渡っている。そんな彼女が事もあろうに友達に手を上げたとなれば、仰天して事情を知りたがる生徒たちが押し寄せていたはずだ。
そうなれば当然、事態を鎮静化するためにC&Cなりセミナーなりが動くことになり、あるいは天童アリスの身柄自体をどこかへ動かすことになったかもしれない。
勿論、こんなことは起こるべきではなかったが……それでも、最悪の展開にまでは波及しなかった。
あるいは、「今はアリスをあなたに預ける」と語ったオリの言葉通りになった、と見てもいいだろうが。
とにかく、今回のアリスの不明な暴走については、発生した被害の絶対量に対してその後の混乱は比較的小さく済んだのだった。
……とはいえ。
調月オリが残した不穏な言葉が、いつかその実態を見せることも予期できたし。
更に言えば、生じた被害の中に、当事者たちが許容し難いものも含まれている。
この事件は、ただ一時の小さな事件とするには、あまりにも大きな波紋を生んでしまったのだが。
* * *
キヴォトスの生徒たちにとって、死はとても縁遠いものだ。
その皮膚は銃弾を弾き、筋肉は爆風にも痛まず、骨にヒビを入れることすら真っ当な手段では困難だ。
命は旧くから続く神秘によって保護され、彼女たちは箱庭の楽園でその青春を謳歌する。
そんな生徒たちから命を奪う……その神秘の表象たるヘイローを破壊しようと思えば、真っ当以上の手段を以て行う他ない。
例えばそれは、とあるゲマトリアによって作られた、『
あるいは、外の人間が命を喪うような負荷を何十倍と与えたり、あるいは短期間の内に何十回と繰り返すことであったりする。
……とはいえ、両者共に生中に手を出せる手段ではない。
個人が持つ兵器が銃やグレネード程度で停滞しているキヴォトスにおいて、これらの条件が偶然に満ちることはおおよそないと言っていい。
彼女たちが如何に暴れようとも、取り返しようのない致命的な問題は生じることがないのだ。
故に彼女たちは、キヴォトスの外にいる人々と比べれば武力を振るい相手を傷つけることを恐れず……。
……いざそれが起こってしまった時に、とても、脆いのだろう。
先生が薄々勘付いていた問題に、今まさに、ゲーム開発部が直面していた。
「先生……」
震える声を上げ、先生へ揺れる視線を投げかけたのは、才羽ミドリ。
ゲーム開発部に所属する才羽姉妹の妹の方。
そして、同じように先生を見つめているのが、花岡ユズ。
こちらもゲーム開発部所属、部長である少女。
……普段ならばそこに、あと2人の少女が続くはずだったのだが。
今、ここにいるのは、2人だけだった。
「お姉ちゃん……起きて、くれますよね?」
あの事件。
天童アリスの暴走によって、才羽姉妹の姉、才羽モモイは、意識不明の重体に陥った。
キヴォトスにおいて、このような乱闘が始まるケースは、決して多くない。
先にも挙げた通り、彼女たちは彼女たち自身の神秘によって守られている。そう簡単にその核にまで被害が及ぼされるわけもない。
……けれど。
今回はいくつかの悪条件が重なった。
才羽姉妹の力は、双子が完璧に息の合ったコンビネーションを繰り広げることによるもの。相互に補い合って補完する二つの力。
つまるところ、彼女たちはコンビとして見れば強力であれど、個として見た場合には決して強い神秘を持つわけではなく。
その上で、今回の戦場で乱れ飛ぶ暴力は、普段とは比にもならないもので。
天童アリスの持つ、規格外のレールガンによる一撃。
建物の崩落、瓦解による瓦礫の落下。
そして無名の守護者たちによる無差別な攻撃。
それらが合わさり、消耗が集中してしまえば……。
万が一、ということも起こり得る。
起こり得て、しまったのだ。
意識を取り戻さないモモイは、現在集中治療室の中にいる。
負傷に関しては、運び込んだ先、ミレニアムの医療部の生徒たちが総力を決して治療してくれた。
神秘による不可思議な修復も手伝い、今はもう、モモイの体に大きな負傷は残っていない。
けれど、目を覚まさない。
いつ目覚めてもおかしくない状態でありながら……まるでそれが自然な状態であるかのように、寝たきりになってしまっている。
そして、ゲーム開発部……というよりキヴォトスの生徒は、そういった状況に耐性がないのだ。
どれだけ銃撃を受けようと、爆撃を受けようと、叩きのめされようと、高所から落下しようと、しばらく呼吸ができずとも、頭を打っても、炎に巻かれても。
キヴォトスの生徒は死なないし、たとえ気絶したってすぐに意識を取り戻す。
だからこそ、「
大切な人がいなくなること。
話すことも、笑うことも、二度とできなくなること。
その感覚と感情を多くの生徒が知らず、知らないが故に、いざその恐れを抱いた時に対処できない。
故に、ゲーム開発部の2人は現状に困惑し……そして恐怖することしかできなかった。
先生はそんな2人の頭を撫で、安心させるように撫でる。
“大丈夫だよ。モモイなら、すぐに元気な顔を見せてくれる”
今必要なのは、理屈でなく感情。
ほんの少しでも明るい未来を信じられる根拠。
けれど、モモイが目覚めるという確かな根拠はどこにもない。証明することも不可能だ。
であれば、自分の言葉を信じてもらえばいい。
根拠などどこにもなくとも、「先生が言っていたんだから」という安心材料があれば多少は心も安らぐはずだ。
故に先生は、まるで確信があるかのように、確かな口調でそう言った。
2人はそれに、少しだけ表情を緩め……。
しかし、ミドリはすぐに眉をひそめて、俯いてしまった。
「アリスちゃん……」
そう。
彼女たちが懸念しているのは、ただ1人ではない。
天童アリス。
彼女たちの友達であり、仲間であるはずの少女。
彼女はあれから間もなく、目を覚ました。
そして、自身がいつの間にか気を失っていたことに驚き……。
その場に、ミドリとユズ、先生のみがいて、モモイがいないことに気付き。
最初は疑問に思い、首を傾げて。
……アリスがやったことを、説明されて。
そうして、彼女はゲーム開発部の部室に引きこもってしまった。
どうやら彼女は、天童アリスとしての精神を取り戻せたらしい。
だが、だからこそ。暴走中にあったことを聞いて、その精神は大きくかき乱された。
自分が仲間たちを攻撃し、モモイに至っては……そのヘイローすらも危うい状態に追い込んだ。
その事実が、彼女の心に深い傷と動揺を与えている。
すぐさま話をするのは酷だろう。
そう判断し、これまで時間を置いていたが……。
そろそろ、ある程度精神的にも落ち着いた頃だろう。
そう判断し、先生は事態を一歩前に進める決断を下した。
“……大丈夫。ちゃんと、話を聞いてみるよ”
* * *
“入るよ”
そう言って、先生はゲーム開発部のドアを開く。
鍵は、かかっていなかった。
これまで自発的にドアを開こうとした者がいなかっただけで、アリスは部室に逃げ込んだ後も、鍵をかけるようなことはしていなかったのだろう。
……ある意味では、当然のことかもしれない。
ゲーム開発部は、アリスだけのものではない。
ユズと、モモイにミドリ、そしてアリス。彼女たち全員の「ゲーム開発部」だ。
だからこそ、その部室を、アリス一人が占有することなど許されない。
先生は、アリスにその考えが確かに残っていることに心の奥で安堵しながら、電気の点いていない暗い室内に目をやった。
部屋の左側面に収められている、皆で作ったゲーム開発のための雑多な資料。
モモイのシナリオプロットの殴り書きに、ミドリのラフスケッチ、ユズが着想を纏めたファイル、アリスのゲームプレイ感想集。
そんな、温かで賑やかな日々を思わせる想い出の品の下で……。
アリスは一人、その長い髪を床に広げ、冷たい床の上で膝を抱えていた。
“アリス”
先生に名を呼ばれ、彼女はビクリとその身を震わせた。
……天童アリスという少女の感性や常識は、ゲームによって培われた部分が大きい。
まだ彼女が真っ新で何者でもなかった頃、モモイたちに連れられてこの部室にやってきて、わけもわからないままにいくつものゲームをプレイさせられ……。
彼女はそこで、ゲームの楽しさと同時、この世界の常識や善悪の観念、そして悪たる者に訪れる破滅を学んだ。
人を苦しめる悪、その頂点たる魔王は、いつか善なる勇者に打ち倒される定め。
だからこそ、人は善くあらねばならない。
悪に堕ちた時、人を害した時。それは必ず、その人自身を苛む運命に繋がる、と。
単純無比な善悪二元論。
けれどだからこそ、真の意味で幼く頑是ない彼女に、その常識は深く沁み込んだ。
……そして、今。
天童アリスは、如何なる事情があったにしろ、人を……友達を、傷つけてしまった。
故に、恐れたのだろう。
怒られることを。責められることを。罰を受けることを。
大好きな先生から、それを受けることを。
……けれど、先生はそうはしなかった。
“大丈夫? ご飯も食べずにずっと篭ってるって聞いたよ”
普段と変わらない、穏やかな口調。
アリスを敵であると攻撃するのではなく、だからと言って過度に慰めるでもない。
ただ先生は先生として、いつも通りそこにいて……。
だからこそ、アリスはそれに、一番安心できたのだろう。
彼女はゆっくりと、乾いた口を開いた。
「せ、先生……」
震え、裏返る声は、そのまま彼女の心情を表している。
その痛ましい響きに心を痛めながらも、先生は表情を崩さず、アリスに語りかける。
“みんな心配してるよ。行こう……?”
けれど、その気遣いの言葉に、むしろアリスは再び表情を曇らせる。
「アリスには……できません」
“……どうしてかな?”
「アリスは……だって、アリスの、せいで……、モモイが怪我を……」
“アリス……”
天童アリスは、人生経験が乏しい。
彼女にとっての「これまで」は、ゲーム開発部にやってきてからの毎日。
その中で、ここまで誰かを傷つけ、迷惑をかけたことはなかった。
こういった事態に経験も耐性もないのは、ゲーム開発部もアリスも変わらないのだ。
……そして、何よりも事態を複雑化させている事情が。
アリス自身、何故こんなことになってしまったのか、理解できていないことだ。
「全部、アリスが……やったことです。
どうして、こうなってるのか……アリスにも、わかりません。
けど、あの時……何かが……まるで、アリスの中に、アリスの知らないセーブデータがあるような……」
先生の脳裏に過ったのは、いつかのアリス。
ゲーム開発部やオリと共に廃墟を探索していた際、彼女は「自分に記憶はないけれど、身体が憶えている」と言って、皆を先導してくれた。
恐らくそれは、アリスの失われた記憶に関係することなのだろう。
なんとなく事情を知っている風だったオリは、けれどそれについて、先生には語ろうとしなかった。
恐らくはゲマトリアの一員であるオリヒメに教えられたそれがどこまで正しいのかはわからないが、今となっては少し無理を言ってでも訊くべきだったかもしれない。
……と、そこまで考えて、先生は僅かに視線を落とす。
違う。
オリは必要な情報は落とす生徒だ。
あの時急に連邦生徒会長について語ったように、デカグラマトン特殊作戦の際にも情報を出し渋らないように、必要な情報は盤面に落としてくれる。
その上で、彼女はアリスのことを多く語ろうとはしなかった。
それはつまり……先生が彼女の正体を知っても意味がない、ということ。
その事実を知っても、先生はなんら行動を変えないだろうと、そう思われたのだろう。
実際、それはその通り。
天童アリスがどのような出生を持つ何者であろうと、先生にとっては何も変わらない。
彼女は、思い悩みながらも成長せんとする、1人の生徒でしかないのだから。
「あの時、アリスが何をしたのか……何も、思い出せません。
それでも、ひとつ、確かなのは……アリスが……アリスが、モモイを……っ!」
きゅっ、と。
彼女が身に纏うミレニアム指定のパーカーが、強く握られる。
かつてはミドリから貸し与えられ、今は正規に彼女のものになった、ミレニアムの制服。
彼女がミレニアムサイエンススクールの一人の生徒であると証明する、確かな証。
その大事な証に皺が寄り……けれどあるいは、彼女はまるで、それに縋り付いているようでもあり。
先生は、そんなアリスに声をかけようとして……。
……けれど、それより、ずっと速く。
「そうだね、あなたが怪我をさせたんだよ、AL-1S。
そして、私が止めなかったら、他のメンバーも、ヴェリタスも、先生も、あなたが怪我させるところだったんだ。……先生は、怪我じゃ済まなかったかもしれないけどね」
その言葉に、機先を制された。
耳馴染みのある声だった。
けれど、聞いたことのない声音だった。
先生は、ゆっくりと振り返る。
声が聞こえてきたのは、自分の後方。この部室の入り口。
そこには、いつものように唐突に現れた、1人の少女が立っていた。
美しく滑らかな、けれど肩辺りまでで切り揃えられた黒い髪。
年齢とは不釣り合いに大きく豊かに育った体躯。
黒と青によって彩られた、後頭部に浮かぶヘイロー。
そんな容姿を持つ生徒を、先生は、良く知っている。
“オリ……やめて”
彼女は、調月オリ。
一番最初に、シャーレの部員として応募してくれた少女。
この1年弱で、なんども作戦を共にし、おおよそ最も長い時間を共に過ごした生徒。
先生からすれば、確かに、間違いなく、見慣れているはずの相手であり……。
……けれど、その装備は、いつも身に着けている物とは大きく異なっていた。
いつものミレニアム指定のセーターとスカートの、カジュアルな恰好ではない。
どうやら機械仕掛けらしい、チェストプレートとミニスカート状の鎧。それから各関節を守り補助するサポーター。
その他には一切の防具を身に纏っておらず、露出する肌面積はむしろ普段よりもずっと増えている。
けれど、それこそが彼女にとっての最適な武装。
彼女の持つ極端な程のスピードに依存した、敵の攻撃に当たらないことを前提とし、その行動を一切阻害せずむしろ早めることに重きを置いた、最新鋭の装備群だ。
そして、普段の彼女との、何よりの違いは……。
頭部に装着した、大きなサイバーバイザー。
それが今、彼女の特徴の1つであった青い両目を、完全に覆い隠してしまっていること。
もはやその輝きも色も、先生からは窺えない。
いつも先生の隣に、あるいは一歩後ろにいた彼女は。
今、先生の知らない装い、先生の知らない雰囲気で……。
「余計な問答をする暇はない。先生、
真正面から向き合うように……明確な「敵」として、先生の前に立ち塞がっていた。
ブルアカ名物、本気を出した時のエ駄死なバトルドレス。
トキがドスケベインナーなのに対し、オリはドスケベビキニアーマーです。いやあくまでチェストプレートだからビキニではないんですが、肌面積的にね。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!