マズい、と。
オリは心中の焦りを噛み潰す。
美甘ネル。
彼女の脅威性を、オリは誰よりもよく知っていた。
なにせ2年前から何度も何度も戦い……戦う度に差を縮められ、ついには得意の近接戦で全く勝てなくなるところまで追い詰められたのだ。
戦えば戦う程に、ネルは強くなっていく。
それは彼女の神秘による力だ。オリはその成長速度に追従できない。
その事実を理解していたからこそ、この作戦における美甘ネルとの戦闘は、迅速に終了せねばならなかった。
なのに……仕留め切れない。
その理由は、ネル曰く、今のオリには感情が乗っていないからだという。
勝ちたいと、勝つべきだと、そう思っていないから動きが鈍いと。
その言葉に感じた苛立ちを踏み潰し、オリは努めて冷静に床の格納からパラライズグレネードを拾い上げてネルに向かって投擲し……。
“ネル、今!”
「いい加減、それにも慣れたっつーの!」
……しかし、ネルは回避を試みない。
むしろ突貫するように、オリに向かって跳んでくる。
「な!?」
その選択肢を取らせないために、リオとオリは布石を撒いて来た。
調月姉妹の妹の方にとっての戦闘は、情報戦・心理戦の比重が強い。
それこそ、直前のワカモとの戦いを見ればそれが顕著だろう。
相手に敢えて情報の一部を流し、それこそが真実の全てだと誤認させ、行動の大部分を抑制して、誤った対策法を相手自身に考案させて実行してもらい……その隙に致命的な一撃を叩き込む。
それがビッグシスター、調月リオの考案する戦法だ。
勿論それは、この美甘ネルとの戦闘においても、変わりなく。
だからこそ、この都市での戦闘が始まる前に、彼女にスタンバトンの脅威を味わわせた。
電撃は脅威だと、パラライズグレネードが一撃で自分を戦闘不能にさせ得るものだと認識させ、精神的に抑圧をかけるために。
……それなのに。
その全ての策略を越えて、ネルは真正面から4つのグレネードに突っ込んだ。
1つは蹴り上げ、1つは愛銃を以て逸らし、1つは鎖で絡め取り……。
しかし、残る1つは対処できず、黒い球体状の特殊手榴弾が彼女の体に直撃。
その衝撃で内部構造が起動し、周囲に爆発的な放電の嵐が吹き荒れた。
解き放たれた過剰なそれは流れる先を探し、ネルの体の中を駆け抜け、その神経と筋肉、そして何より彼女の痛覚を痛烈に焼き……。
「……はっ! この程度か、よッ!!」
しかし、ネルは健在。
勢いは落ちることもなく、オリの元へと迫る。
咄嗟に転移で逃れようとするオリに、しかしその隙すら与えることもなく、サブマシンガンの銃弾の嵐が降り注ぎ……。
そして。
「この距離なら……あたしが勝つッ!!」
オリの直前に降り立ったネルが、渾身の蹴りを見舞った。
「っ、く!」
オリはそれを咄嗟に腕で防ぎ、牽制で反撃しつつ後ろに下がろうとして。
当然、ネルがそれを許すこともなく、オリの後退を読んで更に前に踏み込んだ。
* * *
戦況は、新たな展開へ。
オリによる引き撃ち戦法は崩れ、両者の本領である超至近距離での殴り合いが始まる。
……が。
オリが恐れていたように、彼女はネルに対し、至近距離での戦闘ではおおよそ不利だ。
ネルの中に培われてた戦闘経験は、オリの性格や癖を正確にトレースし、半ば未来視でもしたかのように次に来る攻撃の位置を読み当てるだろう。
いくらネルがかなり弱っているとは言っても、攻撃を読まれ切っていれば対処は容易い。
故に、オリは何度も転移によって距離を離そうとして……しかし。
“ネル、攻め続けて!”
「てめぇのソレ、どうやら場所を変える前に集中しなきゃいけないみてぇだなァ!
あたしがそんなの許すかよ!」
先生の指揮を受けたネルの猛攻の前に、それもできなかった。
ネルの言う通り、オリが先生の指揮もなしにその
先生が指揮をしてなお、挑発によって精神をかき乱されたりすれば使えなくなることもあるのだ。
個人で使うには、ほんの一瞬とはいえ、そちらに強く意識を割く必要があった。
けれど、ネルはそれを許す程甘くはない。
サブマシンガンの連射、リロード中に襲いかかる強烈な拳と蹴り、そして二丁の得物を繋ぐ鎖を利用した死角からの奇襲。
力と速度に長けたオリをしてなお、疑似的に包囲されるようなその攻撃の嵐に対し、意識を割かないわけにはいかなかった。
「ぐっ!」
合計すれば、1マガジンまるごと使った銃撃。
それを受けて、思わずオリは呻いた。
……本当に、マズい。
オリの神秘は力と速度に偏り、耐久力に関してはそこまで秀でているわけではない。
攻撃には当たらない前提で、とにかく速度で相手を攪乱するのが本領だ。
だからこそ、こんな「互角」な戦い方を、ネルの得意とする戦いをしていれば……削り負ける。
……いいや、そもそも、おかしい。
何故、ネルは、こんなにも動ける?
彼女はトキとの戦いで、その体力を大幅に削られたはずだ。
実際ここに来た時は、意識を保つのも限界、という様子だった。
それなのに、今。
彼女は血を散らしながらもその目を見開き、ほぼ全開状態のオリに抗するだけのスピードを以て、こちらを追い詰めてきている。
何故、そこまで動ける?
体はギチギチと悲鳴を上げ、痛覚は今すぐ止まれと懸命に警鐘を鳴らして。
それでもなお、その体に宿る力の全て、あるいはそれを超えるだけの力を振るえる?
……奇しくも、オリの疑問に答えるように。
ネルは絶えることなく攻勢をしかけながら、叫んだ。
「イラつくんだよなァ! てめぇのその、『私が犠牲になれば』みてぇな、顔がよッ!!」
「っ、何を」
「何年の付き合いだと思ってやがる。目ぇ隠そうが取り繕おうが、てめぇの感情くらい見え見えだっつーの!!」
鎖によって回され、後頭部に迫るサブマシンガンのグリップを手で弾き……。
その瞬間、オリはその腹部に、鋭い膝を受ける。
「ぐ、」
「ああ、ずっと苛々してたし……てめぇにこれをぶつけられる瞬間を待ってた! そのスカした顔をぶっ飛ばせる瞬間を!!」
一瞬怯んだ隙に、彼女の言葉通り、顔に拳が突き刺さった。
脳が揺れ、くらりと意識が遠のき。
しかし、続く足の痛みによって、強制的に意識は現実に引き戻される。
「てめぇが! ラスボスなんかやれる器かっつうの!!
ずっとチビ共を見守って! アイツらにあの変な機械が近づかねぇように間引いてた! これまでだって誰かのためにばっか戦って、全部自分のためだとか照れ隠ししてたようなてめぇが!!
魔王なんざっ、名乗ってんじゃねぇ!!!」
……美甘ネルの、戦闘センスと共に持ち合わせる、もう1つの特徴。
もう一方が厄介すぎるが故に忘れられがちなそれは、「彼女が激怒すればする程に、その意識と戦闘能力が研ぎ澄まされる」というもの。
本来なら理性を奪い、判断を安直に落とすはずのそれは、けれどネルにとっては純然たるバフに過ぎず。
……2年来の付き合いを持つ知人の気に入らない暴走というファクターは、彼女に今、これ以上ない程の力を与えていた。
* * *
一度攻撃が直撃すれば、もはや一方的な蹂躙が始まった。
痛みによって抵抗の意思と手段を奪い、続く一撃を防げず、それが更に抵抗の余裕を奪って、一方的に不利になっていく。
……それは、オリにとって最も馴染み深い戦術だ。
ネルが何度も味わったそれを完全にコピーしたもの。
対調月オリを想定した最適解。その不条理なスピードとパワーを活かさせない、一方的なハメ殺し。
まるで意趣返しのように振るわれる攻撃を前に、反撃に転じる隙はない。
いつかの学園交流会の際のヒナもそうであったように、如何なキヴォトス最上級の神秘持ちであろうと、思考を途切れさせるだけの痛撃を受ければ、それで終わりだ。
後はじりじりと戦況は悪化し続け、削られ切るため叩かれるのみである。
……そう。
「てめぇは魔王ってタチじゃねぇだろうが! リオとはちげぇんだよ、てめぇは!!」
彼女が、自らの地雷を踏み抜かれ、対等な条件を満たさない限りは。
唐突に。
オリは、渾身の力で、真下の地面に足を振り下ろす。
銃弾などでは傷1つ付かない強化素材で構築された床は、けれどオリの力を以てすれば踏み抜く程度容易く。
そして、いつでも取り出せるよう保管されていたパラライズグレネードの1つを踏み潰し、その衝撃を以て起動せしめた。
ネルはその優れた直感により、跳び下がり……。
放電の嵐を浴びることとなったオリとの間に、再び数メートルの距離が開く。
ネルはその放電が収まり次第、何を思ったか自爆し、ぶらりと両手を垂らしたオリへと跳ぶ。
それが彼女の直感が導いた最適解だ。
……が、しかし。
「…………お前が」
“ネル、駄目だ、一度戻って!”
切り替わった彼女の直感が、そして跳んでくる先生の指示が、咄嗟の選択が間違いであったことを告げる。
ネルの直感は、ワカモの第六感とも言えるそれと違い、これまでに蓄積してきた戦闘経験によるものだ。
だからこそ……。
「お前が、リオちゃんを語るなぁああッ!!!」
敵意と殺意を自分に叩き付けるオリという、これまでに体験したことのない事態には対応できない。
普段のオリであれば、駆けるネルを待ち構え、先程の反省も加味して攻撃を避け、あるいは距離を取ろうとしただろう。
実際ネルはそれを警戒したからこそ、最速で距離を詰めようとした。
パラライズグレネードは低威力ではあるが、それでも確かに若干のダメージと思考の硬直が発生する。
それを知るネルだからこそ、すぐに攻撃すれば再びスタンとノックバックのループに持ち込めると、そう判断した。してしまった。
だからこそ……。
オリもまたネルに向かって跳び、その拳を叩き付けて来るのは、完全に予想の外にあった。
ネルの顔面に、オリの本気の拳が迫る。
咄嗟に右腕で受けたものの……バキリと嫌な感触がして、あまりに呆気なく、ネルの右腕は凄まじい激痛と共に機能を停止した。
勢いを殺され、それどころかむしろ後ろに押されるネルに、更にオリの拳と言葉が襲い掛かる。
「お前が、お前らが! あの子の頑張りを、あの子の献身を、あの子の苦悩を何も知らないクソ愚民が!!
あの子がお前らのためにどれだけ尽くしたと!? あの子がミレニアムを守るためにどれだけその身を削ったと思ってる!?」
それまでどこか淡々としていたオリの攻撃はしかし、ネルの一言を受けて、急激に加熱していた。
彼女の中で燻っていた、一番の不満。
それは決して、自らのことではなかった。
自分が世界に必要とされないことも、運命を変えられないことも、確かにその根底に根付く程の失意であり事実ではあったが……。
けれどそれでも、オリはそれを諦めることができた。
自分は所詮その程度だと、だからいいんだと、自分のことだからこそ諦めが付いた。
けれど、リオの扱いについては、違う。
自らの妹のことを、誰も理解しない。
彼女がどれだけ頑張っているか、評価する人が誰もいない。
自分以外の誰一人として、あの誰より頑張り屋さんで真面目な彼女を、褒めてあげない。
それは、至極当然の結果であるとも言えただろう。
なにせリオ自身が、自分の努力や献身を誇らない。誰にも知られず、ただミレニアムとそこにいる生徒たちのために、黙ってその心身を擦り減らす、そういう少女なのだ。
けれど、そんなことは関係ない。
頑張っている子が評価されないのは、皆のためを思っているのに責められるのは、理不尽だ。
好きになれ、とは言わない。
認めろと、そこまで言う気もない。
けれど……何故、責める?
何故まともに知ろうともせず、あの子を嫌う?
何故、あんなに優しいリオちゃんが、そんな苦しみを背負わなければならない?
……その理不尽を。
大切な人のことを何も知らず、一方的に貶すような者を。
オリは決して、許さない。
今度は、オリがその怒りを叩き付ける番だった。
「何も知らないくせにあの子を、魔王、魔王だと!? ふざけんな!!!
あの子のやり方が間違ってる!? 悪しきこと!? わかってるよそんなこと! 分かった上で、お前らのためにやるしかないからずっとこうして来たんだ私たちはッ!!
お前たちが毎日を平穏に暮らすために! 大人の悪意とか昔の技術に何もかもを奪われないように!! そのためにあの子が! ここを
トリニティみたいに悪意に塗れた権力闘争もない! ゲヘナみたいに弱者が一方的に食われることもない! 誰でも生きて行けて、誰でも自分の探求ができる平和な自治区に!!
それを! それなのに! お前らはリオちゃんのことを悪者だって言うのかッッ!!!」
これまでにない程直情的で、害意と殺意の籠った拳。
それは彼女の感情を乗せて、ネルの守りを容易く突き破る。
ネルは咄嗟に回避に重きを置いたが……。
それでも、当初の目的もネルとの友情も、その全てが頭から蒸発する程に怒髪天を突いたオリ。
その勢いを、いなし切ることは、できない。
「ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんな!
ただ守られるばかりのお前らが! あの子の重しになるばかりのお前らが!!
……リオちゃんの大事な青春を奪ってる、お前らがッ!!!
あの子を、私の妹を貶すんじゃない!!!」
もはやそれは獣の咆哮、獣の攻勢。
ただ自らの家族を守るために怒り猛るだけの、恐るべき獣のそれ。
理性など遥か彼方、ただ怒りの限りにその不条理な力を振るうオリは、正しく暴力の化身だった。
そして、それを受けて、ネルは……。
……むしろ、これ以上なく嬉しそうに、笑う。
「ああ……ようやく、てめぇの底が覗けた」
かつてC&Cでさえ止められなかった、圧倒的な不条理。
いつかぶっ倒すと決めていた、綺麗な笑顔の仮面をはぎ取った、調月オリの本性。
それが今目の前にいて。
視線が自分に向いている。
これ以上ない程、舞台が整った。
「上等だ。てめぇのその顔、今まで見た中で一番好きだぜ、あたしは。
てめぇが妹のためなら、あたしはチビのため。互いに譲れねぇものがあるんだ、本気でやろうやァ!」
アカネの回想でもチラッと出て来たブチギレオリ。
大事な人を貶されたり害されたりすると理性蒸発、バイオレンスな不条理モードに突入します。
とはいえ、今回はフラストレーション溜まり過ぎて爆発の勢いがすごいことになってるだけで、いつもはもうちょい冷静にブチギレてますけども。
実は結構前にヒマリが『あの子』を責めた時も、友達だし悪意がなかったから踏みとどまったけど、結構危なかったりした。
次回、暴虐無尽。