調月オリにとって最も大切な存在の1人である、『あの子』。
眠ると行き着く不思議な電車の中にいる彼女に、幼い頃のオリは、常々「お話」をせがんだ。
先生を主人公とする冒険活劇は、幼い彼女の心を惹き付けた。
ある時は砂漠の帝国で少女たちの手助けをし、ある時は最新の都で不思議な少女と出会い、ある時は2つの自治区にまたがる問題へとぶつかり、ある時は正義の何たるかを教え、ある時には嘘と真実の意味を考える。
そんな勧善懲悪の物語に……まだ妹にも構われなかった頃のオリは、救いを見出していた。
だからこそ、オリは『あの子』の語る物語が、大好きで……。
……しかし、実のところ。
その全てに納得がいっていたかと言えば、そうではなかった。
オリには、その話の内いくつか、どうしても納得がいかない部分があった。
その内の1つが……より正確に言うのなら、彼女が自分とよく似て、けれど正反対な妹との関係を深める内に納得がいかなくなったのが、「時計じかけの花のパヴァーヌ2章」と呼ばれていた物語、その結末。
ミレニアムの未来を、そこに住む生徒たちの安寧を想って行動した少女が、「魔王」と呼ばれる終わり方。
オリは、それを認められなかった。
可愛くて偉くて真面目で天才で愛おしく健気で不器用で……。
けれど自分と違って、ミレニアムに住む皆のことを心底愛し、その身を挺してでも尽くそうとする少女。
『自分のために誰かを呪うのが魔女なら、誰かのために自分から祈る少女は、聖女と呼べるでしょう』。
『あの子』の、その言葉が正しいのなら……。
調月リオは、間違いなく聖女と呼ばれ、皆に愛されるべき存在だ。
そんな子が……自分の最愛の妹が、悪者になっていいわけがない。
あまりに強い自責の念から失踪し、誰からも認められることのない時間を過ごすなど、許されることじゃない。
どれだけ遠くない未来で彼女が救われると、そう分かっていても……。
オリはどうしても、その過程に、一旦の物語の結末に、納得がいかなかった。
だからこそ。
上手くいくはずだった計画が次々と瓦解し、ジリジリと追い詰められる苛立ちの中で聞いたそれ……。
『てめぇは魔王ってタチじゃねぇだろうが! リオとはちげぇんだよ、てめぇは!!』
……ネルの、悪意を偽ったのであろう煽りに。
蓄積してきたフラストレーションが、爆発した。
「お前にッ! お前なんかに、あの子の何がわかるッ!!
見たいものしか見ない、知りたいものしか知ろうとしないお前らが! 見たくないものを見て、知りたくないものを知ってきたあの子を否定するなッッ!!!」
今オリを燃やすのは、世界の理不尽への怒り。
皆のことを想う良い子が「魔王」と断じられ、多くの人間に責められ、自責し、涙を流すことへの怒り。
もはやそれは、吹き荒れる嵐のように、相手を選ぶことがない。
ネルだけではない。今のオリを邪魔するのなら、相手が誰であろうとオリの暴力の矛先になる可能性があり。
だからこそ、ネルを除いたアリス奪還チームの生徒たちは、先生を守ることに苦心するばかりで、オリに手を出すことはない。
……ない、はずだった。
ドォンッ、と。
不意に、ハンドガンやサブマシンガンとは比べ物にならない、重い発砲音がオリの耳に届く。
「ッ!」
それは、ネルに向かって拳を振り上げていたオリにとっても聞き馴染みのある、迫撃砲の音で。
彼女は咄嗟に、それを鳴らし、自分を攻撃したのであろうヒビキの方へと振り向く。
怒りに染まった彼女の思考は非常に短絡的で、それが罠である可能性など考えもせず……。
その結果。
「お受け取り、くださいっ!!」
……意識を失っていたはずのC&Cのアカネが、いつの間にか起き上がり、自分の目の前に何かを投げていたことを悟った。
それは、極限に研ぎ澄まされたオリをして反応を取る猶予のない、完璧なタイミングでのピン抜き、投擲で。
オリの目線の2メートル前方で、フラッシュグレネードが炸裂する。
咄嗟に視線を逸らしたり、まぶたを閉じるという対策すらできる余裕はなく……。
まるでいつかの再現のように、オリの視界は真っ白に染まった。
「がッ、クソ!!」
反射的に顔を背け、手で覆ったが……もう遅い。
オリの視界は焼け付き、しばらくの間戻ることはない。
五感の封鎖。それは、調月オリに残された数少ない弱点の1つ。
半年程前のミレニアムでは、これによって、アカネに危うく一本取られそうになり。
数か月前の廃墟で、不明な敵によって気絶まで追い詰められた要因でもあった。
二度あることは三度ある、と言うべきか。
彼女の脅威を最もよく知るアカネが伝えた対抗策は、確かにオリにダメージを与えた。
……が、しかし。
それだけで封殺できるのなら、彼女は不条理などと呼ばれてはいない。
オリは瞬間的に転移し、床を踏み砕くことによって音を立て、その反響で空間を把握し直す。
調月オリは視覚だけでなく、聴覚や嗅覚にも優れる。特に神秘が解放されつつある今は、それら全てが潰されない限り、何ら支障もなく戦闘続行が可能な程だ。
その上……強烈な光に目を焼かれたとはいえ、それだって10秒弱で治り切るだろう。
故にオリは、再び転移を使い、ネルからの追撃から逃げ始めた。
不完全な状態で戦う必要はない。完治してから戦えばいい。
先程フラッシュグレネードを受けたのは、視線を誘導された末の不意打ちによるもの。……もう二度と、受けはしない。
沸騰する思考の元でなお、オリの戦術眼は鈍らない。
いいや……むしろ、短絡的になりこそすれ、瞬間的に正しい解法を導く思考の速度は上がっている。
それもあって、現在の調月オリを戦闘続行不能に追い込むのは、極めて難しいと言えるだろう。
並大抵の攻撃は転移によって躱されて反撃され、今のように不意打ちで状態異常を与えても高速で治り、それまでの間はひたすらに逃げられ、更にはその度に瓦礫やパラライズグレネードを投擲されることになる。
その速度に追いつける者がキヴォトスに存在しない以上、彼女を倒す方法は、2通りだけ。
1つは、数か月前に廃墟で彼女が不覚を取った時のように、超高圧電流を一挙に流し込むような、強い
しかし、それはこの場では不可能だろう。
あれは廃墟という管轄の曖昧な場所で、入念な準備と設備があったからこそできたこと。
エリドゥこの中央タワーは、調月姉妹の領域。先生たちは、その神秘を貫いてオリを失神させることができる程の設備を備えていない。
……だからこそ。
彼女たちが今取るべきは、もう1つの道だった。
「……いきますっ!」
不意に叫んだのは、ゲーム開発部の部長、ユズ。
彼女は躊躇うことなく……先程エンジニア部から手渡されたコントローラーを、まるで体の延長線であるかのように操り始める。
どうすればどう動くかは聞いている。
後は、彼女のセンスに全てが懸かっていたのだが……。
ユズの類稀なる指捌きは、AIによって制御する以上の、いっそ変態的な挙動をそれに可能とさせた。
中央タワーの外壁が、まるで紙切れのように破られる。
ユズの意思に従い、強引に突入して来たのは……。
「なっ……この大きさ、アバンギャルド君!?」
「いいや! これはアバンギャルド君Mk.2……を越えた、アバンギャルド君Mk.3さ!!」
ただでさえ混沌としていた見た目の、リオの手ずからの兵器、アバンギャルド君。
しかしそれは、先生がオリに連れ去られてから合流するまでの片手間に、エンジニア部の手によって改造されてしまっていた。
腕の内の一本の武装は小型レールガンに換装、一本はマシンガンのままに、残る二本には用途不明のドリルを装備し……。
そして何より、こういった類のコントローラー捌きに抜群のセンスを持つユズによって操られるように。
リオの配下であり、オリと同一の陣営だったはずのアバンギャルド君が今、彼女に牙を剥く。
「邪魔!!」
オリはそれの不意の登場に怯むことなく、ハンドガンをホルダーに戻し、迫るキャタピラの音を頼りにその装甲を掴もうと手を伸ばすが……。
その手は、ほんの紙一重手前で、空を切る。
咄嗟に後ろへとブースターを噴かせたユズは、必死の形相でコントローラーを操り、レールガンをチャージしながらマシンガンを乱射。
その音に応じて転移し、アバンギャルド君の後方空中に現れたオリが頭を掴もうとして……それも、躱された。
咄嗟の判断、ではない。それでは、間に合うはずもない。
「オリ先輩の動きは……ずっと、見て来たんです」
ユズは、跳び回るオリに目を向けたまま、呟く。
今年の頭、オリに助けてもらってからずっと……。
勿論、先程ネルと戦っている時だってそうだった。
だから、ユズにはわかる。
オリが今、何をしたいか。どこに現れるか。何を選ぶか。
それは咄嗟の判断ではなく、先読み。
何がどう来るかを理解しているが故の、常に一手先を抑える行動だ。
いつもなら、そんな先読みは意味がない。
どう来るかを読めたところで、オリの戦闘に対応できる程、ユズの身体能力は高くはないからだ。
しかし、オリの視界が潰れ、彼女の反応速度に付いて来られるだけの義体を手に入れた、今なら……。
オリに抗することも、できるはずだった。
「だから……ここで止め、」
「黙れッ!!!」
……そう。できるはずだったのだ。
いつもの、理性の働いたオリに対してなら。
次の瞬間にユズが見たのは、咄嗟に彼女を突き飛ばしたアカネが、何メートルも吹き飛んで壁に衝突し……赤い痕を残して、その場に崩れ落ちる光景で。
彼女が見上げた先には、ユズに向かって脚を振りかぶる……ユズの知らないオリがいた。
いつもの、非力な者にその力を振るわない、強者との戦いを望むオリなら、むしろ笑顔でアバンギャルド君に張り合っただろう。
けれど、今の彼女には余裕もなく、平常な思考も残されてはいない。
面倒な相手と戦うより、非力な操縦者を潰す方が早いと、そう判断するまでは刹那の間すらかからず。
「お前も! リオちゃんの敵は、死ね!!」
もはや、相手が誰なのかすら、彼女には見えてはいない。
区別は……自らの大切な人にとっての敵か、否か。それだけ。
故に、相手がユズであろうと、一切容赦のない全力の脚が振るわれ……。
しかし。
“駄目だよ、オリ!”
その声は。
……少女が恋した、英雄のもの。
彼女が唯一人信じることのできる大人であり……。
そして、これからのミレニアムを、勇者たちを、そして大切な妹を託そうとした相手の声。
だからこそ。
全ての理性を蒸発させるような怒りの上からでなお、オリの思考にはその言葉が届き。
ピタリと、ユズの頭の真横で、脚は止まった。
結局のところ。
彼女の中に残された理性。
あるいは……ワカモのように、大切なものを1つに絞り切れない、甘さ。
それこそが、この勝負を分かったのだろう。
「…………せん、」
「オ、ラァッ!!」
横合いから飛んで来たショルダーチャージ。
これまでなら至極当然に回避できたそれを、しかし未だ盲目で、なおかつ別のことに思考を囚われていたオリは回避できず、吹き飛ばされ。
しかし、体を捻って壁に着地し、すぐさまどこかへと消える。
「戦いの最中だぞ後輩! 譲れねぇモンがあるっつうんなら気ィ抜いてんじゃねぇ!!」
「っ、……ほんっと死ねお前!!」
罵倒を投げ返しながらしかし、オリは未だ逃げに徹する。
視界が復旧するまで、あと4秒程。
いくら聴覚と嗅覚で十全に戦えるとはいえ、収集できる情報が減り、パワーダウンしていることは否めない。
万全に、十全の状態で、目の前の妹の敵を殺す。
そのために、彼女は全力を尽くそうとし……。
「だから、邪魔だっつってんでしょ!!」
けたたましくキャタピラを鳴らしながら突っ込んで来たアバンギャルド君に、苛立ち交じりに手を伸ばし……その外装甲を掴む。
確かな金属の感触を感じるとすぐ、彼女は腕ごと振り払うように勢いを付け、それを放り投げた。
総重量30トン程の質量はしかし、不条理な腕力によって宙を舞い、壁に叩き付けられて轟音を立てながら、おおよそ半壊。
それを聞きながら……。
しかしオリは、一拍遅れ、気付く。
何故、掴めた?
先程やり合った時、アバンギャルド君を操作していたユズは、オリの攻撃を避けていた。
常に先を読み、オリの一歩上を行って、だから即座には破壊できなかった。
それなのに今回は、ユズは愚直に突っ込んで来て、見事なくらいに撃退された。
……罠?
普段のオリであれば、すぐさま気付けたようなそれ。
けれど、先生の声に多少は冷えたとはいえ、未だ怒りに支配されたオリの頭は、その疑いを持つのが遅れてしまい……。
「……今のあたしじゃまだ、本気のてめぇには勝てなかったかもしれねぇな」
遠くから聞こえたネルの声に、オリは直感する。
ネルが勝利を確信していること。
そして……やはり、自分が今、罠を踏み抜いたのだろうことを。
「だがなぁ……あたし
白ばみ、ぼんやりとしていたオリの視界が、ようやく意味ある像を結び……。
けれど、その光景を、オリが理解することはなかった。
それ以前に、彼女の全身を、電流が焼いたからだ。
「な、っあ、……が!?」
まともに力の入らなくなった体に鞭を打ち、頭から斃れないよう膝を突く。
今のオリには、それで精一杯だった。
足元に転がっていた、6つのパラライズグレネードによる一斉放電は、優に彼女の体を麻痺させしめていた。
思考まで麻痺しているオリは、理解できなかった。
何が起こったのか……彼女が何を見落としていたのか。
元より床下や
オリが目を潰されているのを良いことに、ユズが操作するアバンギャルド君がオリを引き付けている間に、ネルがそれらを回収していたことも。
最後にアバンギャルド君が突撃し投げ飛ばされた際、壁に激突する轟音に合わせ、ネルがオリの足元に向かってそれらを投擲していたことも。
……ヒビキの迫撃砲も、アカネの閃光手榴弾も含め。
その全てを、先生が、インカムを通して指示していたことも。
思考が過熱していたオリは、察することができなかったのだ。
先述の通り、結局のところ、今の調月オリを止める方法は2通りしかない。
その一方は、オリの意識を即座に奪えるだけの、強力な状態異常を流し込むことであり。
そして、もう一方は……。
どうにかしてその動きを止め、一気に戦闘不能になるだけのダメージを叩き込むこと。
その視界は取り戻したものの、全身を痺れ、行動不能に陥ったオリ。
彼女が動き出せるようになるまで、あと6秒。
その、一瞬で過ぎていくはずの時間は、しかし……。
「あたしたちの勝ちだ」
ぶらりと右腕を垂らす美甘ネルにとっては、十分すぎる程に長い時間だった。
オリは、痙攣する体に鞭を打ち、立ち上がろうとして……。
それが不可能だと悟ると、かくりと、首を下に落とす。
「……ああ。心底、ムカツクけど、それは……そう。
私の……魔王の、負けだね」
麻痺を以てなお手放さなかった得物を、その場に落とし。
カツンという音に、数十発のサブマシンガンの連射音、空薬莢がバラバラと落ちる音が続いて……。
最後に一発、大馬鹿野郎を殴りつける拳が音を立て。
そうして、要塞都市エリドゥにおける、主人公たちと悪役の戦いは、終わりを告げた。
長かった戦いもようやく終結。
勝ったのはやはり、主人公たちでした。
しかし、普通に殴ると全然ダメージが通らず、CCゲージを溜めてスタッガーさせてる数秒の間に瞬間火力を叩き込むのが正攻法……。
総力戦のボスかな?