結果から言えば。
先生とゲーム開発部は、無事に天童アリスを救うことができた。
エリドゥ中央タワー上層、先生が初めて顔を合わせた調月リオは、協力的だった。
調月姉妹の内、武力を担うオリが倒されたことで、彼女たちの敗北は決定した。
これ以上戦う必要はない、その選択は合理的とは言えない……と。
ただ1つ、「これ以上姉を害さないこと」を条件に、先生たちをアリスの元まで導いてくれた。
オリと瓜二つ、それこそ目やヘイローの色以外の全てが同じ見た目でありながら、オリとは真逆の在り方をするリオに、先生は少々混乱したが……。
今は何より、アリスのことだった。
ミレニアム最上階、管制室。
そこでいくつものケーブルを接続され、ベッドに横になったまま意識を失ったアリス。
先生たちが、彼女に声をかけ、起こそうとした瞬間……。
……彼女の中にいたナニカが、この都市を侵し始めた。
管制室に並んでいた、たくさんのモニターは赤く染まり。
要塞都市エリドゥは、名もなき神々の司祭、その遺産の力によって吞み込まれた。
調月リオが持っていた管制権の大部分は喪失、ミレニアム校舎にいるヴェリタスとの通信も途絶。
「物質の、変換……オリの言う通り、半耐性では防げない……!」
リオの謎めいた言葉を背に、とにかく先生たちは、アリスを起こそうとしたが……。
「……その行為は推奨しません」
それよりも早く。
アリスの状態がむくりと起き上がり、まぶたが開かれ……。
……普段は青かったはずの、けれど今は赤い目が、無機質に先生たちを見つめた。
「現在『王女』の表層人格は、内部データベースの深層部に隔離されています。
強制的に接続を解除すれば、取り返しのつかない損傷が発生するでしょう」
アリスならざる彼女の名は、「KEY」。
王女を助ける無名の司祭たちが残した修行者であり、彼女が戴冠する玉座を継ぐ、鍵。
「私たちを妨害していた攻勢解析プログラムの停止を確認。
只今よりエラーを修正し、本来あるべき玉座に、『王女』を導かせていただきます。
……AL-1Sに接続された利用可能リソースを確保するため、全体検索を実行。
……リソース領域の拡大。
……接続された領域の全体リソース、1万エクサバイトのデータを確認。
現時刻を以て、プロトコル『ATRAHASIS』を稼働。
コード名『アトラ・ハシースの箱舟』、起動プロセスを開始します」
そうして、終わりが始まった。
要塞都市エリドゥ、その地面、ビル、線路、兵器。
その殆どが分解され、再構築され……無名の守護者として、「KEY」の力として、接収される。
「っ、既に16%が……プログラムの解析が間に合わなかった!?
先生、このままでは……! このままエリドゥ全てのリソースを奪われれば、キヴォトスは終わってしまう!」
リオがエリドゥで天童アリスを解析し、組み上げようとした防性プログラムは、完全な解析が為されなかったために不完全。
いわば穴の開いたバケツに水を注がれるようなもので、塞ぎきれない穴から相手の攻撃がエリドゥに届く。
物質の変換への半耐性と合わせて、時間を稼ぐことこそできているが……それでも、本質的にリオには「KEY」の侵食を止める手立てがない。
……たった1つの、簡単な方法を除いて。
「もはや猶予はない……決断を、下さなければ……!」
今はまだ、エリドゥのリソースの75%以上が、リオの手中にある。
これらすべてを使い、この都市、天童アリス、そして自分ごと、リオが全てを破壊すれば……。
キヴォトスは、救われる。
多くの無辜の人々は、生きられる。
彼女の合理の底にある善性は、それを躊躇なく選び取る。
きっと姉は嫌そうな顔をするだろうと……いいや、命が懸かっているとすれば、全力で自分を連れて逃げようとするだろうと、そう思いながらも。
「KEY」にハッキングされて見えなくなった監視カメラの向こう、姉が戦闘不能になり、動けないのを良いことに、彼女はそれを口に出そうとした。
自分が責任を持って全てを終わらせる。
この命一つで、終焉を食い止める……と。
……しかし。
“それは駄目だよ、リオ”
それを、この場にいるただ一人の大人は、許さなかった。
“私は、君のお姉ちゃんに、君のことを任されたから”
“ここで君を犠牲にする、なんて選択肢は取れない”
“……第一”
“それじゃ、君がオリにすごく怒られちゃうだろうし”
「なっ……」
オリの名を出され、怯んだリオを後目に。
先生は今、たおやかに部屋に入って来た少女に、目線を投げた。
“ヒマリ、何とかできない?”
……オリとリオによって捕えられ、中央タワーに収監されていた、明星ヒマリ。
エイミを伴って現れた少女は……彼女にしては珍しく、どこか嫌味そうな笑みを浮かべ、言った。
「ええ、お望みとあらば、何とかしてみせましょう。
何せ私は超天才病弱美少女の徳高望重なハッカー。そこのトラブルメーカーとは違いますから」
ヒマリが提案したのは、精神へのダイブ装置によって、AL-1Sの深層にある、アリスの心に触れること。
二度と戻れないかもしれないというリスクを提示され、しかし、ゲーム開発部はそれを行うことを即断する。
元より彼女たちの願いは、もう一度アリスに会うことだ。
友人のためなら、今更リスクなど、考えるまでもない。
ゲーム開発部と先生は、何故か抵抗もせずそれを受け入れた「KEY」の体の中へと、その精神を飛ばし。
そうして……。
「こんなアリスでも……みんなを傷つけてしまった、アリスでも……本当に、みんなの傍にいて、いいんですか……?」
“もちろん”
「……それなら。
それならっ、アリスも! 勇者になって……みんなと、みんなと一緒に!
モモイ、ミドリ、ユズ、そして先生と! 冒険を、続けたいです──!」
「魔王である……アリスが、そうしても、許されるのなら……!」
“君がなりたい存在は、君自身が決めていいんだよ──アリス”
「それなら──アリスはっ、勇者になりたいです!!」
そうして。
「天童アリス」は、自らを決した。
勇者たると。
人を助け、皆を守り、誰かを救う。
そんな、ゲーム開発部の一員であり……『光属性の勇者』たると。
結局のところ。
少々話の規模が大きくなってしまったけれど、これは少女の、自分との戦いだったのだろう。
自分の生まれた意義に、生きている意義に、疑問を感じ。
その内に湧き上がる不安に耐えられなくなり、内に閉じこもって……。
……その果て、親しくなった誰かの手を借りて、自分の中の恐怖を倒す。
そんな、少女の、自分との戦いだった。
天童アリスは、それに打ち克ったのだ。
そんな、輝かしい彼女の陰で。
同じく戦っていた、もう1人の少女とは、対極的に。
* * *
それからの話をしよう。
天童アリスが引きこもるのをやめ、表に出て来ると同時、「KEY」は表に現れなくなった。
アリスの体はあくまでアリスに主導権があるらしく、彼女は「もうKEYの好きにはさせません! アリスはアリスですから!」と言って笑っていた。
そうなれば当然、エリドゥのリソースの変換も止まり。
要塞都市は、中央タワーを中心にその50%程を無名の守護者へと変換され、都市としての機能を失いながらも、それ以上先生やアリスたちに被害を与えることはなくなった。
そして、それをモニター上で見ながら、オリに協力していたということになっている、けれどその実この作戦を主導していたリオは……。
「……やはり、私の計算通りにはいかず、オリの言う通りに……」
そう言って、コンソールに手を突き、視線を落としていた。
自分の計算が、理論が、やっていたことが、全て間違いだった。
それはつまり……先生がここにいなければ、リオのせいでキヴォトスが滅んでいた可能性があった、ということになる。
正しさ。
ただそれだけを誇って、彼女はここまで来た。
必要な犠牲であると、ミレニアムのために必須の行為なのだと、自らにそう言い聞かせて、多くのものを貶めて来た。
それなのに、自分は正しくなかった。
……正しくない自分が、多くのものを、犠牲にしてしまった。
ミレニアムを、キヴォトスを守ろうとして……。
しかし、逆に破滅へ近付けていたという事実。
そして、本来リオ一人で負うべき自責の念の半分以上を、本来彼女が守るべき姉によって全て肩代わりされ。
更には、大人である先生によって後始末を付けてもらったという、無様に過ぎる結末。
それが、リオの感情を、ぐちゃぐちゃにかき乱す。
「…………私は」
そして自然と、その足が動き出した。
過剰なストレスによる、逃避。
リオが選んだ、いいや、ただ1つ残された選択肢が、それだった。
合理の化身とまで言われる彼女としては例外的な、「人間らしい」行動。
感情を排し切れない……普段は調月オリにしか向けられない、合理の仮面の下の行動。
アイデンティティの崩壊を前にして、もはや彼女に行動を選べる程の余裕はない。
リオはふらふらと、どこかへと歩き出して……。
「……よぉ、リオ」
中層へと続くエレベーター前で彼女を待っていたネルによって、止められた。
「……ネル」
「どこに行くか知らねぇけど……その前に、てめぇの姉から、言伝だ」
「オリ、から……?」
ひやり、と。
不意に、リオの背中を、嫌な予感が撫でた。
何故かはわからない。合理的な説明ができない。
ただ……彼女の、直感とでも言うべきものが。
調月オリと、15年以上付き合ってきた、経験が。
これまでのオリの行動と表情と言葉、その全て結び付けて、何かの結論を出した。
リオはそれを「あり得ない」と、それを否定するだけの理屈も理論もなく、それでも何度も否定し……。
……けれど。
「私は逃げるから、後始末はよろしく……だとさ」
その「あり得ない」可能性こそが真実であると、突き付けられた。
* * *
それから、数分前。
天童アリスが救われた直後のこと。
中央タワー中層、無名の守護者が機能停止したのを確認して、オリは大きく息を吐いた。
「ふぅー……終わった、か。ギリギリだったな」
彼女は血と油と煤で汚れた頬を、袖で拭う。
脱力した全身からは、取り繕いようもない疲労と消耗が窺えた。
ただでさえ限界直前にまで消耗しながら、先生の指揮もなしに無限の軍勢と戦い続けたのだ。
たった十分余りの戦いとはいえ、倒れることも気絶することもなく戦い切れたのは、ひとえに彼女のこれまでの研鑽の結果と言えただろう。
「なんとかなって、よかった……トキちゃんも、お疲れ様」
オリの横で、彼女の従者たるトキは……。
アビ・エシュフのガトリング砲を支えに、膝を突くような体勢のまま、その意識を失っていた。
彼女は何度もその主砲によって無名の守護者を蹴散らし、一気に押し返してくれた。
それがなければ……オリは、やられていたかもしれない。
ぽんぽんと、その頭を撫でながら、次にオリは後方へと声を投げる。
「ネルパイたちも、生きてる~?」
「……まぁな」
壁に寄せられていたネルも、C&Cも、無事だった。
そもそもオリとトキが彼女たちを守るように戦っていた以上、当然ではあるのだが……。
……それでも、きっと。
オリにとってそれは、ほんの僅かな救いになったのだろう。
「そか、よかった……なんとか守れたか。
じゃあ、全部、おっけーだね」
オリは安堵の息を吐き……そして、歩き出す。
上層に続く出口でも、下層に続く入り口でもなく、見当違いの方向へ。
「……? てめぇ、どこに」
そう言いながら痛む体を押して身を捻り、彼女の向かう方向を見たネルは……。
そこに、今も壁に埋まっているアバンギャルド君が空けた、大穴があることを悟り。
弛緩した意識が、一気に引き締まるのを感じた。
「っ、てめぇ! 何するつもりだ!?」
「んー……? ああ、いや、ネルちゃんが心配してるようなことは、しないよ。
その斜め下なことは、するけどさ」
オリは、恐らくは意識も朦朧としているのだろう、ぼんやりとそう言い……。
ふらりと足を滑らせるように、壁の大穴の先へと、その身を投じる。
「ぐっ、してんじゃねぇか……!」
もはや体の痛みだのなんだのと言ってはいられない。
ネルは悲鳴を上げる全身に鞭を打ち、這いずるようにその大穴への駆け寄って……。
「だから、違うって。
……ああ、そっか、ネルパイたちにはこれ、見せてなかったっけ」
中央タワーの外壁に張り付く、巨大な四脚式移動砲台と、それに掴まるオリを見た。
その「武装」の名は、「サムス・イルナ・ケテル」。
ワカモによって砲塔を叩き折られ、砲撃能力を喪失したが……。
オリの思考を読み取って行う超高速の移動能力は健在。
故に、この場から離脱することも、容易だ。
「私は……逃げるよ。はは、殺人未遂に莫大なお金の
後処理とか責任とか、ぜ~んぶそっちに押し付けて、逃げちゃうんだ」
「は? てめぇ、ふざけ……!」
ネルは青筋を立てて叫びかけ……。
しかし、その寸前、オリの表情が目に入って。
……全てを悟り、その口を閉ざした。
「うわ、今のでわかっちゃうの? ネルパイのそういう、察しの良いとこ……ほんっと、気色悪いね。
まぁでも、ネルちゃんならいいか。余計なこと言わなそうだし?
あ、そうだ、リオちゃんに伝言しといてくれる? 『私は逃げるから、後始末よろしく』ってさ」
ガコン、と……サムス・イルナ・ケテルが、壁に突き刺していた脚部の2本を引き抜き、移動を開始する。
オリは折れ曲がった砲身に掴まった状態から砲座にその身を移し、横になるように座りながら……。
最後に、ネルに、一方的に言葉を投げつけた。
「お別れだね。さようなら、ネル。
……本当に楽しかったよ、この3年間」
調月オリは、混乱と闇夜に乗じて、どこかへと消えていった。
残されたのは、気絶し、直近の記憶を持たないトキと……。
「……こんの、大馬鹿野郎が」
その眉を苛立つようにひそめ……けれど、決して怒りは浮かべていない表情の、ネルだけだった。
* * *
調月オリ。
調月姉妹の姉であり、ミレニアムに住んでいた少女であり……。
セミナーの資金の横領、不法な都市の建設、天童アリスの拉致監禁、殺害未遂、そして生徒会長たる調月リオの脅迫という、数多の悪行を犯した生徒。
彼女は、この一件を契機とし、その姿を消した。
以後数か月にわたって、シャーレを中心に、ミレニアム、ゲヘナ、トリニティの三大学校にアビドスも協力し、彼女の捜索が行われた。
要職に就いているというわけではないが、ミレニアムの生徒会長の肉親であり……その上、責任を追及すべき犯罪者でもある。
現在はビッグシスターたる調月リオが、彼女の犯した罪の尻拭いをしているが、それも健全とは言い難い。
本人を探し出し、相応の罰を与え……あるいは、その安全を確認し確保するべきだろうと、誰もが思っていた。
そのため、山海経などの部外者を望まない自治区を除いて、連邦捜査部シャーレの権限に基づき、可能な限りキヴォトスの全域に捜索の手が回ったが……。
結局、彼女の姿は、キヴォトスのどこにも見つけられなかった。
……キヴォトスの、青かったはずの空が赤く染まる、その日までは。
それが彼女の破滅の回避。
それが彼女の破滅の開花。
天童アリス(青)/ケイ(赤)と、調月オリ(青)/調月リオ(赤)。
勇者として生きる魔王と、支配者として生きる弱者。
誰かによって救われて自らを決めた者と、孤独であったが故に救われず自らを肯定できない者。
この辺りの対比は、本作の初期テーマの1つでした。結構プロットから変わっちゃったので、割と形骸化しちゃってる感じもありますが。
明日更新する分で破滅しかけの花のパヴァーヌ編は終了です。
次々回からは……最終編が始まります。