「失礼──少々遅れました」
そう言葉を発したのは、割れた黒いガラス玉のような頭部を持つ、異形の男性。
ゲマトリアの「黒服」……そう名乗っている男だった。
こつ、こつ、こつ。そう音を響かせて彼が立ち行ったのは、5人が着けるように構成された、大きな円卓。
そこには既に、彼を除く4人──ゲマトリアのメンバーが、揃っていた。
一人は、二つの木偶の頭を具えた奇人、「マエストロ」。
一人は、頭部を持たず、まるでそれを代替するように背後から撮影された胸像の写真を持つ紳士、「デカルコマニー」と「ゴルコンダ」。
一人は、狂い咲く華のようなおぞましい頭部を持つ赤肌の化生、「ベアトリーチェ」。
一人は、唯一人間らしい頭部を持ち、それ故にどこかこの集団からは浮いている女性、「オリヒメ」。
「……皆さん、お集まりのようで」
黒服は一同を見回し、けれど余裕を失うことなく、円卓に着いて。
そして、静かに宣言する。
「それでは、会議を始めましょうか」
ゲマトリア。
このキヴォトスで蠢く、真理の探究者たちを指す名の一つ。
彼らが一堂に会したのは、1つの議題について話すためだった。
「少々前の事になりますが、『無名の司祭』の遺産が観測されました」
黒服が口に出したのは、天童アリス……もとい、AL-1Sの存在だ。
名もなき神々を崇める司祭たちが残したオーパーツ、キヴォトスを終焉に導くモノ。
それが不完全とはいえ起動したことを観測した……と。
対し、疑問を呈したのは、デカルコマニーの持つ胸像、ゴルコンダ。
「不勉強で申し訳ないのですが、『無名の司祭』とは具体的に何を意味するのでしょうか?
ベアトリーチェが保有する、着用者を保護する仮面。そしてかの古聖堂を破壊した巡航ミサイル……アレらは、今のキヴォトスにおいて再現不可能な技術。
それらは無名の司祭の手になる物、その遺産であると解釈しております。
つまるところ、既存技術を凌駕する超科学……その類のもの、という認識で合っていますか?」
「それは『名もなき神々』の技術であって、『無名の司祭』はまた別のものですね」
これに応えたのは、オリヒメだった。
彼女は腕を組み、どこか退屈そうな表情で、淡々と語る。
「無名の司祭……一言で言うのなら、それは旧き世界の主。
現存するキヴォトスというレイヤーが敷かれる前にあった、謂わば生存競争に敗北した者たちです。
『生徒』や『女の子』なんて文脈の乗らない、大自然やそれを象徴する存在……旧いエッセンス、アニミズム的思考に基づく神格『名もなき神々』を崇拝していた、時代遅れの錯誤者共」
「……そして、今なおその文脈を覆し、本来ある形……純粋な「神秘」や「恐怖」へと回帰させようという意志のみがこのキヴォトスに残っている存在でもあります」
オリヒメの言葉を、黒服が補完する。
オリヒメはゲマトリアにおいて、例外的な立場にあたる。
普段接触するのは黒服のみで、他のメンバーと接触するのはこういった会議の場合のみ。
故にこそというか、彼と彼女の間では強い意思疎通が働いている。
そして何より、オリヒメのもたらした
それらを重ねた結果、彼らは他のメンバーより一歩先んじて、いくつかの知識を得ていた。
「『無名の司祭』は、現在のキヴォトスに生きる新人類との決戦のため、いくつかの兵器を生み出した。
それも彼らが崇めていた神格、『名もなき神々』の力を用いた兵器を」
「つまるところ……不純に絡め取られぬ神秘や恐怖を用いた技術、と」
「ええ、その解釈で粗方正しいかと。
……私としては、非常に興味を惹かれる話です。なにせアレらは高値で取引されるので」
クツクツと笑う黒服に、尋ねたゴルコンダは黙り込む。
ゲマトリアのメンバーは、それぞれ求めるものが異なっている。
黒服は、己の利潤の追求を。
マエストロは、信奉する芸術の探求を。
デカルコマニーは、コンテクストへの解釈の真化を。
ベアトリーチェは、自身の存在昇華を。
そしてオリヒメは、至るべき結末の転化を求めている。
故に、彼らは本質的に、同志足り得ない。
ただ協力し合えるだけの互助関係。
それぞれを尊重し、利害が衝突しないよう調整し、このキヴォトスで自らの目的を果たそうとする、個人の集団に過ぎない。
……が、しかし。
だからこそ、彼らが一堂に会することには、重い意味がある。
「……ですが、今回観測されたのは、そんな凡庸なものではありません」
黒服は不意に笑いを止めて、そう話し始めた。
「『箱舟』が観測されたのです。一瞬ではありましたが」
「……『観測』? それは知覚される概念なのか? 物体ではなく、現象であると?」
マエストロが首を傾げる。
箱舟、という言葉からは、何らかの兵器や物体が想起される。
けれど、「一瞬の観測」という言葉から、そうではない可能性に思い至ったのだろう。
そして、黒服はそれを肯定した。
「ええ。オリヒメはそう考察していましたし……プロトコル『ATRAHASIS』、でしたか。どうやら実際に、それは現象であるようで。
私はカイザーグループにアビドス砂漠を調査させておりましたが……全ては無駄骨でした。私は勘違いをしていたのです。
仮に『箱舟』が、全ての神秘を記録する抽象的な概念であるのならば──いえ、これでは論点がずれてしまいますね。本題に戻りましょう」
肩をすくめてみせる黒服の隣で、オリヒメはため息を吐いた。
……上手くごまかしたな、狸が、と。
その実、アビドス砂漠には、名もなき神々の遺産たる「箱舟」こそないが、それに対を為す兵器たる「本船」が存在する。
が、しかし、黒服はオリヒメからそれを聞き出してすぐ、ゲマトリアにこれを隠蔽することを決めた。
『商品は最も価値が高くなった時に売り出すものですよ』……と。
なんとも黒服らしい判断基準だった。
……今回ばかりは、それが裏目に出てしまうと、オリヒメだけは知っているのだが。
「消え行くはずの『無名の司祭』の兵……無名の守護者。そして遺産たる『名もなき神々の王女』。
これらが発生したこと自体が、我々の想定していた仮定とは遠く離れている。
連邦捜査部シャーレの出現、キヴォトス最高の神秘の確保の頓挫、唯一残されたアリウス領の剥奪、デカグラマトンの行動の変化……。
制御不能の変数によって、私たちが迎えた現在は、元の計画から余りにも逸脱してしまいました」
一瞬、黒服の視線が、オリヒメへと向けられる。
5つの変化の内、1つはオリヒメが依り代とする少女によって発生したものだ。
黒服は、しかしより多くの知と利益のためとこれを受け入れ……しかし、修正できるはずだった計画は、他4つの変化によってもはや完全に脱線した。
……そしてそこに、もう1つ、何より致命的な変化が起きた。
「──それだけではない。
『色彩』が、ここを発見してしまった……ベアトリーチェ、貴下が行った儀式のせいでな」
マエストロの言葉に、その場の空気が凍り付く。
「かの儀式は、『色彩』と接触する為のものだった。
……アレが招く狂乱は、理解していたはずだろう?」
「正確には言えば接触ではなく、力を利用するためのものだったかと。
マダムにアレを呼び寄せる意図はありませんでした」
「ああ、そうだとも! 『色彩』の力を利用し、自分を偉大なる者に仕立て上げようとした……そんな低俗な目的の為に、結果としてアレを招いたのだ!」
ゴルコンダの仲裁の言葉はしかし、怒り猛るマエストロには届かない。
彼の求める「芸術」にとって、「色彩」の存在は致命的だ。
色彩豊かでけれど黒一色、光り輝くようでしかし暗い。
それは表すこと叶わぬ観念であり、つまるところ彼の「表現」の天敵であったが故に。
そしてそれは、他の多くのゲマトリアにとっても同じことだ。
利潤を求める黒服にとって、未だ資源の残る世界を終わらせ得る色彩の到来は回避すべきことであったし。
文脈を求めるデカルコマニーにとって、それらを全て覆す色彩の存在は忌避すべきことだった。
唯一、それが近付くことによって発生する「終わり」を必要とするオリヒメも、しかしベアトリーチェを擁護することはなく、興味なさげに沈黙し……。
けれど。
「口の利き方に気を付けなさい、木偶。
芸術家というのは、己の作品は偉大であることを願うというのに、他者の願望は見下すのですね。……あるいは、そのような傲慢さこそが本質なのでしょうか?」
ベアトリーチェは、怯むこともなく切って捨てた。
「マダム、落ち着いてください」
「デカルコマニー、あなたも同じです。あなたのその虚像と非在の隠喩……絵画などに喋らせることで表現しているとでも? それならば、オリヒメの依り代の方が余程体現しているでしょう」
場を取り持とうとしたデカルコマニーすら、一顧だにせず卑下する。
それを眺めていたオリヒメは……。
狂乱、と。
その二文字を頭の内に潜め、退屈そうに欠伸をしていた。
「皆さん、我々は大人です。冷静になりましょう。
ベアトリーチェは色彩を利用しようとしただけであって、キヴォトスへと呼びよせる予定ではなかった。
まだ色彩がこちらを発見できたとは断定できません。アレはあくまで夢の中で起きた出来事ですから」
黒服がそう言って場を取り持つ。
いいや、取り持とうと、するが……。
「ええ、全てはシャーレの先生が現れてから起こった事。
あの存在が全ての元凶であるというのは、皆さんもよく存じているでしょう」
ベアトリーチェのその言葉に。
今度こそ、その場の空気が、完全に死んだ。
この場を保とうとしていた黒服も、先程まで怒り猛っていたマエストロも、中立を保とうとしていたデカルコマニーも、無関心を貫いていたオリヒメも。
全員が、ベアトリーチェに対して、敵意を向ける。
軽口はそこまでにしろ、言うべきことと言わぬべきことは選べ、と。
けれど、ベアトリーチェの口は、まるで熱に浮かされたように止まらない。
「何度も申し上げた通り、あの者は一刻も早く始末すべきでした。
我々ゲマトリアを凌ぎ、目的を妨害する存在など、この世界にあってはならないのです」
「……ここが学園都市という概念で存在する限り、かの存在はわたくしたちの存在を凌駕して当然です。
それこそが、この物語のジャンル……つまり、この世界の
わたくし達がこの世界に留まる限り、この絶対原則に逆らうことなど……」
「物語の作法など、どうでもいいでしょうに!!」
その言葉に。
最後までベアトリーチェに寄り添おうとした、デカルコマニーすら沈黙する。
彼が求めるもの、その完全なる否定。
それはつまり──彼との敵対にも等しいが故に。
けれど、ベアトリーチェは、そんな彼の変化にも気付かずに高らかに告げる。
「分かりました。私が、皆さんに解を示して差し上げます。
『無名の司祭』、『シャーレの先生』、『箱舟』……目の前を塞ぐあらゆる障害を一度に解決することのできる、究極の解を」
そうして、彼女は。
「色彩は、既に此処を発見しております。
ええ……より正確に申し上げるのであれば、私が此処を伝えました。
『色彩』は今、キヴォトスに向かっております」
致命的な言葉を、口にした。
「…………」
「!?」
「……!!」
「……はぁ」
沈黙、驚愕、衝撃、そして嫌悪。
ゲマトリアの反応は、顕著だった。
……ゲマトリアのメンバーにとって、キヴォトスはそれぞれの意味合いを持つ。
黒服にとっては、利益を出す資源の採掘地であり。
マエストロにとっては、希少な素材でできた唯一無二のキャンバスであり。
デカルコマニーにとっては、自らの思考の深度を深めることのできる本であり。
オリヒメにとっては、自らと彼の絶対性を証明する舞台の上である。
それらはバラバラで、統一感のない価値観。
それらに共通することが、しかしただ1つある。
このキヴォトスが、彼らにとって非常に貴重で、そうそう替えの利かない実験場である、ということだ。
今、ベアトリーチェは、それを打ち壊す発言をした。
ゲマトリアの理念に反し、他メンバーの利益を全て無視する利己を見せた。
それはつまり。
ベアトリーチェは今、ゲマトリアを敵に回したことを意味していた。
「……死ね。私の邪魔を、『転換』の邪魔をするのなら……死に腐れ」
オリヒメが小さく小さく漏らした罵倒は、しかし、現在のゲマトリアの総意であり……。
その時点で、ベアトリーチェの運命は、定まったのだろう。
ベアカス、ナレ死!w
まぁコイツに尺取るのもあれなので、ベアおばの無様な退場は原作の方でお楽しみくだされば。