主人公は殺せない   作:林太郎

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綾辻優希は『眠りの小五郎、またもや鮮やかな推理』という見出しのネットニュースを、冷ややかな目で読み終えた。

 

異常な睡魔に前触れもなく襲われる生活をしているのに、どうして病院にいかないんだろう。まともな人間ならまず自分の健康が心配になるはずだ。娘は受診を勧めないのだろうか。

 

主人公は他の登場人物より賢く設計されている。これはミステリ作品における鉄則のひとつだ。

 

反対に、主人公以外の多くのキャラクターは無能になるよう作られている。主人公をヒロイックに描くためには不可避なことなのかもしれない。

 

子供を事件現場から隔離しない警部。

 

情報漏洩を平然と行う刑事と鑑識官。

 

公道で改造スケートボードに乗る人間を取り締まらない警察。

 

意味不明な動機で人を殺した犯人。

 

自殺に見せかけるわけでも、死体発見までの時間を稼ぐわけでもなく、とりあえず密室を作る殺人犯。

 

いくらでも言い逃れ可能なのに、早々に諦めて自供をする犯人。

 

本名で活動するFBI捜査官。

 

敵から隠れているときに通話をするFBI捜査官。

 

頭脳的なことは推理作家に任せるFBI。

 

逃げていく背中へ至近距離から銃を打ち、一発も当たらない敵サイドのスナイパー。

 

イレギュラーが何度も起きているのに、死んだはずの人間が生きている可能性を検討すらしない悪役。

 

やたらと目を引く格好をして、個性的な車に乗り続ける悪役。

 

それなのにアジトすら未だ見つけられないFBI。

 

あげればキリがない。これらは全て、物語だから仕方なく許されていることである。創作世界にイチャモンをつけるつもりは無い。そういうものだからだ。しかしこれが現実となると、少なくとも捜査機関が馬鹿なのは問題だと思う。

 

名探偵コナンで有能なキャラとして描かれているのは、数人だ。

 

主人公とその父親。ライバルの関西人と窃盗犯。FBIのスナイパーと公安の刑事。あとは黒の組織のトップ数名。

 

彼らが有能なキャラとして動いているというよりは、世界の方が動いていって彼らが有能になっていると表現した方がいい。例えば、彼らの立てた仮説のうち九割は真実になる。他の可能性がいくらでもあるのに、必ず彼らの仮説が正しくなる。

 

彼らのために他の全人類が馬鹿になるよう設計された世界ならば、その世界の外からやってきた私は相対的に有能なキャラクターになるのだろうか。

 

そこまで考えて優希は思考を打ち切りコーヒーを啜った。考えても無駄なことだったからだ。ここは喫茶ポアロ……ではなく、よくあるチェーン店のカフェだ。裏通りにあるためか、いつも人が少ない。今日も優希の他に三人しか入っておらず、小さな店舗なのにガランとしていた。

 

その三人は優希の後方、テーブルを二つまたいだ席に座って談笑をしていた。静かなBGMを貫いて聞こえてくる会話の内容から、カップルとその友人らしい。

同じシチュエーションをアニメで見た気がする。何回かあったはずだ。もしここが米花町ならば、人が死ぬんだろうと思う。

 

彼女の転生先は名探偵コナンの劇中世界。精神の器は前世のものと同じ。しかし自分は奇跡的に九州に住むOLだった。言うまでもなく、米花町からは遥か遠くの地。

事件に巻き込まれる可能性、さらに言えば、物語に巻き込まれる可能性は低い。

 

どうせ生きるのならば、これが物語の世界なのだということを忘れ、普通に生きてみたい。これが彼女の願望だった。

 

都合のいいことに、彼女がこの間初めて会った長年付き合いのある同僚、友人達は普通だった。つまり、馬鹿ではなかったという意味だ。

 

簡単な推理クイズを出せば、その境界条件で挙げられる複数の正解を並べてくれた。エンジン付きスケボーで公道を走ることの違法性も認識していた。普通である。

 

優希は青山剛昌先生のプロットに組み込まれた場合、有能キャラ以外は馬鹿になるという仮説を立てていた。組み込まれた場合、おそらくは普通の思考をしてくれた友人達も馬鹿になる。ある日突然周りの人間が痴呆になるようなものだ。

 

その状況は自分の望む普通のセカンドライフとはかけ離れているし、そもそも殺人事件に巻き込まれること自体も嫌だ。

 

彼女がコナン達メインキャラクターを避けているのは、そのような理由からだった。例えば、米花町のある東京都や鈴木財閥関係の施設には立ち入らないようにしている。

 

と、優希は自分の置かれている状況、達成目標を振り返った。

 

どうして?

 

彼女の頭脳に何か電光のような発想が降る。

 

どうしてこれまでの生活を、私はいま順に思考した?

 

物語の冒頭における鉄則。

 

主人公の置かれた状況と世界観、目的と動機を説明し、読者が物語を楽しむための土台を作ること。

 

嫌な予感がする。まだカップを半分満たしたコーヒーを一気に飲み下した。レシートを掴み取り席を立とうとした瞬間、鈴の音と共にカフェの扉が開く。

 

入ってきた客の姿を見て落胆、そして次に驚愕した。なんだその髪型は。

 

角を生やした毛利蘭が主人公を連れて入ってくる。あとから毛利小五郎が続いた。観光で訪れたのだろうか。名所のない場所へわざわざ引っ越して通勤時間を増やしたというのに。店員が彼らに寄っていき、声をかける。

 

早く、早くしないと。立ち上がった彼女はジャケットを羽織りながらレジへと向かう。途中、このうちの誰かが死ぬであろう三人グループの横を通った。

 

内心、間に合うわけがないと思っていた。カップルプラス一人のグループ客。そしてコナン。何かが起こらない方が不自然ですらある。

 

店員に案内されるメインキャラ御一行を視界の端で捉えながら、レシートをカウンターへ置いた。

 

「お会計を」

 

その瞬間、悲鳴が聞こえた。青ざめながら振り返れば、カップルの男の方が机に伏して倒れている。

 

あまりにも早い。優希はそう思った。

 

そう思いながらコナンが遺体へ駆け寄るのを見ていた。

 

「全員、その場を動くな!」

 

毛利小五郎が叫んだ。

 

 

 

 

通報から十五分後、見たことがない刑事二人と鑑識数名が現場へ派遣されてきた。

 

「被害者は齋藤タカシ、21歳大学生。毒殺ですね。劇物を経口摂取したものと考えられます。薬物の種類までは現段階ではわかりませんが」

 

現場の写真を撮影するカメラの音の前で、刑事が状況を眠りの小五郎へ説明する。横でコナンが顎に手を当て盗み聞きしていた。

 

なるほどよく出来ていると優希は思った。名探偵毛利小五郎は、コナンの活躍を隠すためのスケープゴートてしてだけでなく、コナンが事件概要を知るための舞台装置としての役割も持っているのだ。

 

彼女はコナンをチラリと見た。駆け寄って口元の匂いを嗅いでいた彼が言い出さないということは、アーモンド臭はしなかったということ。つまり劇物は青酸カリ以外らしい。

 

「なるほど。それで容疑者がこちらの五名ですか」

 

死んだ男の交際相手。被害者の友人である男。店員二名。そして自分だった。

 

順に名を名乗っていくが全て聞き流した。この四人のうち誰かが犯人なのはコナンがここにいるため確定。あとは定められた推理を披露し、犯人が涙ながらに罪を告白するだろう。

 

「綾辻優希。近くのコンサル会社で働いています」

 

順が来て優希は短く名乗った。それから休日はよくここに来ること、今日はもう帰ろうとしていたことなどを話す。

 

小五郎と刑事の興味は死んだ男の恋人へ集中し、優希は先程自分が感じた違和感について掘り下げる。

 

コナンが店に入ってきてから人が死ぬまであまりにも早かった。シナリオにおいて事件が起こるのはフラグを立ててからだ。

 

殺人と同時に開幕する物語もあるが、その場合は少しややこしい条件分けが必要になる。しかし名探偵コナンにおいて、コナンが現場にいる状態で1ページ目に死体を作ることは記憶している限りない。

 

つまり、おそらくはもうフラグが立っている。どこで立ったのか。フラグとは事件が起こりそうな雰囲気を匂わせるシーンか、事件によって読者の感情を反転させるための前座となるシーンである。

 

前者は例えば孤島だとか山荘だとかであり、後者は「俺、帰ったら結婚するんだ」というセリフなどだ。

 

今回は前者のフラグが立っていたように思えた。カップルを見て、米花町なら誰か死ぬなという感想を抱いたのがフラグだったのではないかと思う。

 

しかしだ、たかが一般人、モブキャラが感じたことがコナンにおいてフラグになるだろうか。

 

コナンが冒頭で違和感を感じて、しばらくすると事件が起きる。よくある流れだ。コナンクラスのメインキャラでないと、フラグは作れない。

 

ここは事実ベースで考えるべきだと彼女は判断し、速やかに出された結論にため息をついた。フラグは作られ、事件は起きた。作ったのは私。

 

どうやら自分はコナンと同等のメインキャラらしい。名探偵コナンという作品を知っていること、物語のパラドクスに気がついていることを含めると、彼を越える有能キャラの可能性さえある。

 

この事件が解決したとして、だ。優希は考えを青山剛昌先生へ向ける。こんなに有能なキャラクターを彼は一回の事件だけで使い切るだろうか?

 

彼女の直感は自問を直感で否定した。今後もコナンと事件に関わって生きていくことになる予感がする。

 

そうすると、自分の望む普通のセカンドライフが送れなくなる。私立探偵へ情報を漏らし続ける中年の刑事を見て思う。こういう、馬鹿に囲まれて生きていきたくはない。

 

コナンと関わることなく生きることができたら、さらに言えば、青山剛昌先生のプロットから逃れることが出来たら、私は私の望む人生を送れる。

 

彼女はさらに深く考える。殺人事件が身近で起こり、自分だって容疑者であることは、とうにどうでも良くなっていた。

 

ひとつだけ方法がある。物語を終わらせてしまうことだ。どうすれば終わるのか。それは二つ候補がある。

 

一つ目は黒の組織を壊滅させること。主人公の目的が叶い、あとはエンディングだけになる。しかし、そのエンディングがいつまで続くかわからない。

 

これは名探偵コナンなのだ。おそらくは金のためにもう随分引き伸ばされ、とうにミステリではなくただのエンタメ作品になっている。黒の組織壊滅後、高校生編があるとは思えないが、ないとも言いきれないのだ。不確定要素が多すぎるので却下。

 

二つ目はコナンを殺してしまうこと。

これは名探偵コナンである。主人公が死ねば、流石に終わるだろう。

 

すごいな、と自分に対して思う。ここまで人の命や倫理を無視できる人間だったのだと気づいた。

けれどきっと自分が人の生死へ無関心になれるのは、これが物語の中だからだ。

 

結局、この世界で私が会う全ての人間は青山剛昌先生によって設計された作り物。本当の意味で人間ではない。紙とインクで定義された無機物だ。

 

長く息を吐く。江戸川コナンを殺して、そのあとはまた目の前の世界が現実なのだと信じてしまえばいい。人間はいつだって自分で自分を騙す生き物なのだから、故意にだってできなくもないはずだ。

 

目の前では小五郎が的外れな推理を大袈裟な身振りと共に語り、コナンは呆れた表情を浮かべている。

 

「刑事さん」

 

優希は年上の方の刑事へ話しかけた。彼が彼女を見る。

 

「今日のところはもういいんじゃないですか?明日、仕事なんで早く家帰ってリフレッシュしたいんですが」

 

横から会話へ小五郎が割り込む。

 

「まぁ気持ちはわかりますがね、もう少し、もう少しでこの毛利小五郎がトリックを解いて事件解決……」

 

「トリックを解く必要がどうしてあるんですか?」

 

「はい?」

 

話の腰を折られた小五郎が目を丸くして優希を見る。

 

「警察は明日までには毒薬の種類を同定するでしょう。入手経路もそのうち分かります。最新の捜査技術や組織の連携力、自白を促すメソッドの前では簡単なことでしょう?」

 

優希は鑑識と刑事を見た。彼らは照れたように笑う。小五郎が困惑しながら反論した。

 

「いやいや、猶予を与えたら証拠が……」

 

「では全ての事件が即日解決だとでも?そもそもサーバーや監視カメラに残ったデータを犯人がどう消すというのですか?」

 

「それは……」

 

彼は口ごもった。いまは2023年である。警察が踊る捜査線に、アナログな探偵の居場所はない。

 

コナンにも聞こえるようにハッキリと言う。

 

「探偵の灰色の頭脳なんて時代遅れです。もう必要ないんですよ。不倫調査だけやっておけばいいんじゃないですか?」

 

そしてとびきりの笑顔を作った。あまりの言い様に名探偵御一行は絶句する。コナンは怒りを孕んだ目線で優希を睨んだ。探偵という職に強い憧れとプライドを持った人種だ。無理もない。

 

彼らから目線を切り、刑事へ電話番号の記された名刺を渡しながら言う。

 

「刑事さん、もう帰っていいですか?」

 

彼らは快諾し、優希は現場を後にする。

 

コナンを殺さなくてはならない。そのための計画を練る前に、彼女はスーパーで安い焼き鳥を2パック購入した。

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