リリーバイスと並び、決して揺るがないものと考えていたターリアの敗北、そしてその消息が不明であること。その事実はゴッデスにとって痛恨であり、故にラプチャー陣営には会心の一撃であった。ターリアの存在は戦力としてのみならず、精神的支柱としても大きな影響力を持っていたのだ。来たる軌道エレベーター強襲作戦、誰もがその成功を確信していたが、その支柱が崩れた今、彼女たちは人類が存亡の危機にあることを思い出した。
オルドリンは一部始終を語った後、唇を噛んだ。あの状況下で人の身である彼女に出来ることは何もなかったが、それでも自分を責めずにはいられなかった。
「よくわかった。お前たち、すぐに準備しろ」
「待て、一体何をする気だ?」
「決まってるだろう。ターリアを奪還する」
皆が絶望し下を向く中、指揮官は行動を開始しようとする。彼にとって、消息不明とは可能性がゼロでは無いと言う意味で朗報だった。
「………ダメだ」
しかし、オルドリンはそれを是としない。
「私の話を聞いていなかったのか?無駄な希望は捨てろ。碌なことにはなっていない。例え生きていたとしても攫われる際に侵食を受けている。……もう助からん」
「侵食なら問題ない」
「何だと?」
「そうです!侵食ならアンチェインドを使えば助けられます。ですよね、指揮官!」
スノーホワイトと指揮官、顔を見合わせた2人は、希望を見つけ少し頬を緩ませる。しかし、アンチェインドのことを知らないオルドリンではない。アンチェインドでは希望になりえないのだ。
「まさか何も聞いていないのか?…あぁそうか、…チッ アイツなら言わないだろうな」
呆れを通り越して困惑したオルドリンだったが、すぐに勝手に納得したように呟いた。続けて指揮官に、彼に取っては受け入れ難い事実を話し始める。
「結論から言うと、ターリアにアンチェインドは使えない」
アンチェインドは侵食の治療薬ではない。あくまで副作用的に侵食状態から回復するだけであり、本質はNIMPHを破壊することにある。そしてNIMPHの破壊はニケの不死性を失わさせる、明確なデメリットが存在する。通常のニケであれば、短期的なデメリットは存在しないがターリアに限っては致命的だった。
「ターリアは力を制御するために、通常のニケとは比較にならないほどNIMPHを酷使している。もしNIMPHを失うことになれば、アイツのコアは暴走して……死ぬ」
希望と見つけたものがまやかしだった事を理解し、再び議論は振り出しに戻る。その落差でして余計に空気が悪くなった。
「…ただでさえターリアはもう限界だ。私の元に来た時には既に、まともに戦えるような状態じゃなかった。無理をしての戦闘、その上に侵食まで受けたとあっては、あのまま一生目覚めなくとも不思議ではない」
「ちょっと待って、限界ってどう言う事?ターリアに何があったの⁉︎」
「変わった事は何もないさ。ただアイツがそういう性格だっただけだ」
フェアリーテイルモデルの第一世代は厳密には前期と後期の二つに分けられる。短期決戦を前提として、結果的に高い出力を誇る前期型。出力が劣るが、継戦能力に特化した後期型だ。ターリアは前者の筈だったが、そのどちらにも切り替えが可能なハイブリッドとなっている。これは開発者であるオルドリンも予期していなかった偶然の産物であった。
これによりターリアは小規模な戦闘行為であれば、ノーリスクで後期型を凌駕するパフォーマンスを発揮する事ができた。
しかしリリーバイスに迫る出力を出すとなれば、話は別である。高速道路を一定速度で巡行している車と急発進と急停止を繰り返す車では、エンジンにかかる負荷は当然後者の方が高い。負荷がリリーバイス以上となるのは当然だった。
「あのバカが自分の命惜しさに、手を抜く訳がなかった。お前も上手く騙されていたようだな」
諭すようなオルドリンに、リリーバイスは言葉がでなかった。ターリアが強くなるために訓練を欠かさないことは周知の事実だったが、まさか命を削っていたなどとは思いもしなかったのだ。
知っていれば、命を削るような真似を許すわけがない。だからこそターリアは誰にも話していなかったのだが。
「…ターリアは今どこにいる?」
「軌道エレベーターだ。ほぼ間違いない。あそこなら守りも厚いし、ターリアに何かするとしたらあそこしかないだろう」
「何かって…なんだよ」
「態々ターリアを持ち帰った以上、目的があると考えるべきだ。察するにラプチャーとの融合実験…つまりヘレティックへの改造だ」
「…なッ」
「もう十分理解できただろう。…カグヤヒメとシンデレラ、カタログスペックで言えば、リリーバイスが2人居ると考えて良い。この中でリリスに勝つイメージができるものがいるか?その上場合によっては、ターリアも相手にすることになるかも知れんのだ。そんな状況下でターリアを無力化して回収できるとでも?あぁ、その前に無限に等しいラプチャーを抜けなければならなかったな」
手元にある全ての情報が、ターリアが無事であること、そして救い出せる可能性を否定していた。
「話が随分と回りくどいな。何が言いたい」
「……この戦争は人類の負けだ。もう取り返しのつかないところまで来ている。ターリアを失ったことが決定打となった。それならば無駄な消耗は避けて次の戦いに備えるべきだとは思わないか?」
「ターリアを見捨てろと?」
「…時期にお前たちの最終作戦は撤回され、敗戦処理の任務が回ってくるだろう。人類がアークに逃げ込むための時間を稼ぎだ。お前たちはただ役目を果たせばいい」
「確かにそうなるかもね。でもまだ本部はターリアの事を知らない。今動けば、間に合うわ」
「……知らなければな」
オルドリンの意味深な発言に、リリスの目の色が変わる。
「まさかあなた…ッ!」
「あぁそうだ、
掴み掛からんとするリリスに対して、オルドリンは毅然として言い放った。否、その物言いと乖離する本心は隠しきれない。
リリーバイスも、これがただの八つ当たりであることはわかっていたが、彼女の感情を鎮めたのは、オルドリンの覚悟でも信念でもなく、悲痛に歪んだ表情だった。
「そう思うならどうして、そんな顔してるのよ…!」
「……ターリアから自分の身に何かあった時、お前たちを止めるように頼まれている。アイツの為にも無謀な作戦を実行させる訳にはいかない」
リリーバイスはあの夜のターリアとの会話を思い出した。オルドリンの言葉が自身がターリアに話した内容と重なったからだ。
【あなたには言うまでもないと思うけど…万が一。私に何かあったときは、みんなをよろしくね】
あの時はターリアがわかりやすくテンパったため曖昧になったが、あの時既に自分の限界を悟っていて、オルドリンへ託していたとしたら…?私に自分を重ねていたのだとすれば、あの慌てようにも納得がいく。
だとしたら私は……
『人類解放軍本部からゴッデス部隊へ。応答せよ。繰り返す。人類解放軍本部からゴッデス部隊へ。応答せよ』
無感情な機械越しの音声が鳴る。あまりにもタイミングの良い入電に嫌な予感を覚えたが、無視する訳にもいかず、指揮官が躊躇いながらも応答した。
「…こちらゴッデス」
「ゴッデスへ告ぐ、総員直ちに帰投せよ。並びに最終作戦"軌道エレベーター強襲"の永久凍結を言い渡す」
無線の内容は"戦闘状態を速やかに解除し、現場を離脱。その後次の指令があるまで本部で待機せよ"といったものであり、まさしくオルドリンの話した通りになった。そしてこの命令はターリアを諦めることに他ならない。
「そんな…」
ゴッデスは軍属である。軍人にとって命令は絶対であり、ニケとなれば尚更だ。スノーホワイトは崩れ落ち、レッドフードは壁を打った。
「相変わらず損切りの判断だけは早いようだな…だが好都合だ。私に時間をくれ。次の戦争では必ず勝たせてみせる」
『ゴッデス部隊、作戦受領のコールを求める』
ノイズ混じりの音声は応答を急かす。返事は"はい"か"イエス"だからだ。
いつものゴッデス部隊なら、文句を言いながらも迅速に行動を開始していただろう。しかし今回に限っては、足が床に引っ付いたかのように誰も動かなかった。
それはリリーバイスも例外ではなかった。思考も責任も捨て、感情のままに動けたなら、迷いなくターリアを助けに行っただろう。しかし、オルドリンの言うように、勝算がほとんどゼロに近いことは理解しているし、ターリアが助けを求めていないこともわかる。彼女も同じ立場なら、同じことを考えるからだ。
大局をみるならここで退くのが正解だということはわかりきっている。人類の為に命を捧げたニケを助けるために、人類滅亡のリスクを負うなど本末顛倒もいいところだ。ターリアの犠牲の上に人類は存続し、英雄は死して伝説となるのだ。
しかしリリーバイスにとっては違う。優秀な部下であり、背を預けるに足る強いニケであることは疑いようのない事実だ。しかし人の第一印象は簡単には変わらない。リリーバイスにとってのターリアは、どこまで行っても戦火に巻き込まれた子どもなのだ。
対立する理性と感情の狭間で、リリーバイスは揺れていた。
「……よし」
部屋全体が失意に沈む中、指揮官が徐に言葉を紡ぐ。リリスは思わず、ビクりと肩を振るわせた。
独り言のようなそれは、確固たる決意を滲ませていたからだ。
「本部へ帰投する前に、寄りたいところがあるんだが歩いて行くには遠くてな。私に付いてくる者は挙手してくれ」
聴こえなかった訳ではないが、挙手するものはいなかった。だがそれは拒絶ではなく、無気力によるものだ。暗い絶望の感情に塗りつぶされた頭では、彼の婉曲な表現は理解し難かった。
この場において、指揮官の意図を理解したのはわずか2人。
「ふざけるなよ貴様ッ‼︎死にたいなら一人で死ね!ゴッデスを巻き込むな!」
我慢の限界が来たとばかりに、オルドリンが指揮官へ殴りかかった。しかし、喧嘩どころかまともな運動もしてこなかった彼女だ。あまりに弱々しい打撃音が鳴る。指揮官は受け身も取らなかったが、びくともしなかった。
「不可能な理由なら十分に並べただろう?諦める必要性も説いた!いい加減お前も諦めろ!!」
「……私はもう諦めたんだ。頼むから、私に希望をみせないでくれ…」
慣れない大声を出した喉は、簡単に枯れた。絞り出した言葉は彼女の胸中を如実に表していた。合理主義を掲げ、その為に必要なことに全力を尽くす。自身の心を焼き殺しながらだとしても。
「それはできない。人類の希望であることもゴッデスの役割だからな」
オルドリンは力なく座り込んだ。諦めないことは美談になることが多いが、行き過ぎたそれは時に残酷だ。だが、一本筋の通ったブレない姿勢は回りに影響を与えるのも確かである。
「ありがとうございます、指揮官」
指揮官の本意を汲んだもう1人、その音にすらならない小さな声は、誰にも届かずに霧散する。オルドリンとは対照的に、リリーバイスの迷いは晴れた。
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指揮官の言葉に水を掛けられたような錯覚に陥る。頭をぐるぐると滞っていた思考が流れ始め、張り詰めた空気と強張った身体がほぐれていく。
なぜこんな簡単な事に気付かなかったのだろう。誰よりもゴッデスの在り方にこだわっていたのはターリアだ。その名に恥じないように、誇れるようにと行動する様は、いつでもみんなの模範だった。
先ほど私があの子の立場ならと考えたが、そうじゃない。逆を考えるべきだったのだ。
もし攫われたのが私やゴッデスの誰かだったのなら、ターリアが助けに来ない訳がないのだから。
「盛り上がってるところ悪いけど、指揮官。カッコつけすぎよ。みんながポカンとしてるのに気付いてる?もっとわかりやすくお願いします」
見兼ねた私が助け舟を出すと、彼は羞恥を隠すかのように帽子を目深に被り直した。
そして軍帽のつばに手を当て、咳払いをしてから話し始める。それはゴッデスの指揮官として話す時の彼の癖だった。
「これより、私の独断で軌道エレベーターへ向かう!作戦目標は2つ…ターリアの救出とクイーンの撃破だ。これまでが天国だったと思うほど激しい戦いになるだろう。作戦の参加は任意だ。参加の意思がある者は部屋に残ってくれ」
1人、2人と項垂れていたニケたちが再び前を向く。
変わらず部屋を後にする者はいない。しかし先ほどとは違い、彼女たちの心には火がつき、目には光が宿っていた。
指揮官はそれを見て、通信を再開する。
「本部、こちらゴッデス部隊指揮官のアンダーソンだ。先程の指令だが、承服できない。我々はこれからターリアを救出し、クイーン討伐へ向かう」
「…これは指令ではなく命令です。ゴッデスのニケは我々にとって最重要戦力であり、それを個人的に動かす事など許されません。その意味がわからないあなたではないでしょう。仮にゴッデスを失うような事があれば、それは利敵行為に他なりません。来たる次の戦いの為にもゴッデスは不可欠です、もちろんあなたも。……今なら聞かなかった事にできます。作戦受領のコールを」
「気遣い痛み入る。だがゴッデスに敗北は似合わない。
返答を待たず無線を切った指揮官は、どこか満足気だった。
「これで後戻りはできなくなったな」
「あなたはね。私たちは反逆者に逆らえない哀れなニケだから」
「よく言う、メカゴリラが」
「は?反逆者に相応しい見た目にしてあげましょうか?」
ヨヨヨと弱者を演じるリリスは、指揮官の軽口で鬼の形相へと変貌する。いつものゴッデスの空気感が戻ってきていた。
「さて、ゆっくりしている時間はない。作戦は現場に急行しながら説明する。手早く装備を整えて、ブリーフィングルームに集まってくれ。総員行動開始!」
「「はい!」」
指揮官の号令の下、各自が出撃準備に取り掛かる。気持ちと同じ方向を向いた彼女たちの足取りは軽かった。
「いつまでそうしているつもりだ?」
部屋に残ったのはアンダーソン、リリーバイス、オルドリンの三名だ。依然力なく座り込んでいるオルドリンにリリスが手を差し伸べる。
「ターリアに文句を言いに行きましょう。あなたの力が必要よ」
「お前には覚悟があるのか…?ターリアに銃を向ける覚悟だ」
「無いわよ。そもそも私は銃を使わないし……って冗談よ。その顔やめて」
リリーバイスの空気を読まない発言に、鋭い冷めた視線が突き刺さる。
「…まぁそれでいい。そういうのは俺の役割だ。そもそもお前は悪い方に考えすぎなんだよ。あの働き者が大人しく敵に捕まっていると思うか?お前はターリアの何を見てきたんだ。アイツは絶対にタダではやられん。寧ろアイツが敵陣にいる今こそが勝機、確実に攻めやすくなっている筈だ。俺を信じられないなら、ターリアを信じろ」
「…そうかもな」
全く論理的で無い希望的観測。しかし、不思議と否定することはできなかった。オルドリンは自分には出来ない選択をして欲しかったのだ。
「私をその気にさせた責任は取ってもらうぞ」
オルドリンがリリスの手を取って立ち上がった。ゴッデスの最後の戦いが幕を上げる。