闘と私闘
時は少し遡り、シンデレラは地面に落下痕を作り動けなくなっていた。上昇中のエレベーターから落下したためだ。本来ならシンデレラは一定時間浮遊が可能だが、ターリアに突き落とされた後、無謀にも軌道を追いかけたせいで自由落下するはめになった。
暗に別れを告げるターリアの顔が頭から離れない。どれほど美しく生きれば、あの強さが得られるのか。その過程を想像して胸が苦しくなる。そして彼女の瞳に僅かながら映った赫いノイズに怒りが込み上げてくる。
酷く身体が重い。腕は上がらないし、瞬きすら億劫だった。
落下によるダメージ…否。自身の無力感によって、シンデレラは動けなくなっていたのだ。
空は澄んでいるがエレベーターはもう見えない。幸いラプチャーには気付かれておらず、周りは比較的静かだった。軌道エレベーター内側は外側と比べて警戒が薄く、ほぼラプチャーは存在しないからだ。
その静けさがシンデレラを無意味な思考へ閉じ込める。もしラプチャーに襲われていたならば、その命が尽きるまで戦っていた事は容易に想像つくため、一概に無意味とは断じ難いが。
ふと地面から振動している事に気が付いた。その揺れは段々大きくなっていき、反射に身体を起こす。
誰かが戦っている。そう気付いた瞬間には走り出していた。
「最高の…結末を!」
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相対するは悍ましき巨獣。醜悪に開いた口からは白銀に濁った液体が滴れている。溢れた側から大地が死んでいくのが見えた。近くにいた小型のラプチャーが巻き込まれて、溶解されている。
「うわ!あれ…涎か?ばっちぃな」
「貴様も寝ている時はアレと同じ顔をしている」
「は、はぁ?それはライン超えたぞ!なぁラプンツェル、そんなことないよな?な!」
振り返ると指揮官とスノーホワイトが肩を震わせていた。
「そうですね…レッドフードの涎はもっと綺麗ですよ?」
自身の尊厳を守るため、助けを求めたレッドフードだったが、ラプンツェルの天然発言に3人は噴き出した。
「涎の方は否定してくれないのかよッ!…紅蓮!あとで覚えてろよ‼︎」
「くく…アイスブレイクはこのくらいでいいだろう。改めてよろしく頼む」
「これ、アイスブレイクだったのね…。アットホームな雰囲気で素敵だと思うわ。あと寝る時は口を閉じるのよ、その方が美しいから」
「あぁもう、うるせぇよ!いいからやるぞ‼︎ゴッデス、レディ!」
かつてこれほど締まらないエンカウンターがあっただろうか。レッドフードのヤケクソとも言える号令により、ゴッデスは戦闘状態へと移行した。
「まずは情報がほしい。持てる手段すべて使って攻撃してくれ!ただし、攻撃は跳ね返ってくる可能性がある。全力では叩くな」
「了解!」
ゴッデス各位の声が重なり、ラプンツェルを除いて散開し攻撃を開始する。指揮官はやや距離を取り、グラトニーの巨体を視界に収めた。グラトニーに関するしてわかっていることは2つ。こちらの攻撃を吸込み、吐き出すことが可能なこと。そして攻撃が通る瞬間があることだ。その条件を解明しなければ、勝利は見えてこない。
しかし、指揮官は勝つ必要は無いと考えていた。何故なら
「ガラスの靴、フルコンタクト」
シンデレラから放たれた一筋の光は、"暴食"口内の闇に消えた。そして閉口し咀嚼する様な動作の後で再放出される。比較的近くで無数の触手を捌いていた紅蓮の元へと。
「…む、こちらを狙ってくるのか」
「おい、新入り!全力で叩くなって指示を聞いてなかったのか⁉︎危ないだろ!」
紅蓮は身を翻して躱したが、レッドフードは怒号を飛ばした。彼女も指揮官と同じく、時間を稼ぐことを念頭においていたからだ。ターリアとリリーバイスはもちろんだが、レッドフードに取ってはドロシーの不在が重かった。
ゴッデスにおけるドロシーの役割は、戦場を整えることだった。必要な所に必要な支援を行う。決して派手ではないが、居なくなった時に有難さがわかる。そんな立ち回りが抜群に上手かった。拮抗している地点を支援し、敵の数を減らす。リロードや呼吸を整える時にカバーに入り時間を作る。本人はターリアと連携して動く事を好んでいたが、必要な時は必ず助けに入っていた。
そしていまその役割はレッドフードが担っている。誰に言われたわけでもない。だがドロシーがいなかった事が、何かの理由になるのは許せなかった。
「…新入り…フフ。全力ではないわ。それにここにいるのはゴッデスの精鋭たち、その程度の攻撃に当たる筈もないでしょう?」
少し強く言い過ぎたと悔いたが、シンデレラは特に怯むこと無く応えた。レッドフードからの新入り扱い、そして当然の様に攻撃を回避した紅蓮の身のこなしに悶えていたからだ。端的に言って、シンデレラは憧れのゴッデスに加わり、共に戦うことにテンションが上がっていた。ちなみにシンデレラは儚げな見た目に反して図太いので、平常心でも特に対応は変わらない。
「ハッ生意気な奴だな…ッ!」
レッドフードはふと、自身が部隊に合流したころを思い出した。ニケの運動性能が楽しくて、好きに暴れていた時のことだ。
「大した運動性能ですね。まるで新しいおもちゃを与えられた野犬です。犬なら犬らしく、もう少し利口になっていただけますか?」
「わるかったって!でもドロシーならカバーしてくれるだろ?」
「…はぁ。お気楽で羨ましいです」
諦めたのか、そう言ってドロシーはターリアに頭を撫でられていたっけ。
…あの時のドロシーの気持ちを今になって理解できた。あいつは出来ないとは言わなかったよな。
「デジャブってやつか…全く、新入りは気楽で羨ましいな。好きにやれ!カバーはアタシがするッ!
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リリーバイスが軌道エレベーターへ辿り着いた時、最初に目にしたものは戦闘後を思わせる散らかった部屋と、そこに横たわる2つの人影だった。リリスはその内の一つに近づき抱き抱えた。
「ターリア!」
呼び掛けに反応はない。少女は余りにもボロボロだった。片腕は無く、全身には大小の傷。最後にみた姿とはまるでかけ離れている。眠り姫とはとてもじゃないが形容できない。
震える手でグローブを外し、少女の頬の煤汚れを拭う。その瞬間、感情が追いついたように目の奥が熱くなった。少女の顔に雫が落ちる。その肌からは熱を感じなかった。
再び、今度はより強く少女を抱きしめる。
ーートクンと、弱々しいが心音が聞こえた。生きている。その事実を確かめるためにもう一度耳を澄ませた。過去これほど自分の心音を疎ましく思った事はない。そして今度は確実に鼓動を感じ取れた。
「頑張ったね…ッ!すぐにオルドリンの所に連れて行くから!もう少しだけ頑張って」
まだ繋がっている。灯火はまだ消えていない。目の前にある奇跡に感謝し、繋ぎ止めるためにもリリーバイスは
プシュ
耳元で渇いた音が鳴った。音の方へ目をやると、ターリアの手に握られていた注射針の様なものが自身の首筋に刺さっている。
呆気に取られていると、意識がなかった筈の少女がスルリと腕から抜け出して立ち上がった。
「クク…まさかこんなにも容易いとはな」
「…?……ッ⁉︎」
「妾の一部、ナノデバイスを直接打ち込んだ。これでお前は無力だ。身動きひとつ取れまい?終わって見ればターリアのほうがよっぽど手強かったな」
それは勝ち誇った様に笑った。その笑顔にいつもの愛らしさは微塵もなく、ひたすらに邪悪で不気味だった。徐に転がっていたもう一体のニケ、カグヤヒメのボディを吸収して傷が治っていく。
「…嘘」
「嘘、何がだ?ターリアは妾が殺した。あぁこの姿だから信じられないか?それもそうだ…外面だけは本物だからな!」
この偽物の口を塞がなくてはならない。リリーバイスは怒髪天を衝いていた。上機嫌で小躍りしている醜悪な贋作を目にも止まらぬ速度で締め上げ、拳を硬く握る。
しかしリリスに出来たのはそこまでだった。これはターリアではない、頭では理解しても心が確信していた。目の前にあるのは愛すべき戦友の成れの果てだと。
「は?…ッ‼︎」
カグヤヒメは突然の出来事に困惑した後、硬直しているリリーバイスを蹴り飛ばした。リリーバイス受け身も取らず壁に激突し、無気力に項垂れている。
「デバフが足りなかったか…?まぁ良い…仮にも最強と呼ばれるニケだ。今のは流石に油断が過ぎたな。そうだ、良い事を思いついたぞ。この姿のまま残りのゴッデスを殺してやろう」
ピクっとリリスの指が動いた。カグヤヒメは全く気付かずに近づいていく。
「そしてその次は人間どもだ。ターリアは人気があるそうじゃな?この身体で、人類の勝利などとくだらん夢をみる塵芥を蹂躙するのはさぞ楽しかろう」
次の瞬間、目の前で項垂れていたリリーバイスが消え、視界が白く弾けた。何も見えず、激しい耳鳴りで音も聴こえない中、少し遅れて背中に感じた衝撃で地面を背にしていることに気がつく。
薄く戻ってきた視界には、こちらを睨みつける鬼がいた。馬乗りになり、目を見開き、タガが外れたように呼吸を荒げている。カグヤヒメは生物としての本能が告げる恐怖に支配された。暴力の化身。生物としての格が違う、圧倒的な強者から向けられる殺意。カグヤヒメは理解していなかったのだ。リリーバイスを、そしてその逆鱗に触れることがどのような結果をもたらすのか。
誰かが息を吸い込むような悲鳴を上げた。
「た、助け」
直後握りしめた拳が振り下ろされ、それがカグヤヒメの最後の言葉となった。
世界はゆっくりと時を刻む。その流れは壮大で、小石を投げ込んだ程度では揺るがない。しかしターリアという異物が世界に与えた歪みは強大だった。
本来あるべき物語に戻るために、カグヤヒメが生まれ落ちた。光と闇、敵と味方、笑顔と涙。世界はいつも調和を求めて巡っている。最高のハッピーエンドを迎える為には、それ相応の悲劇と苦難を乗り越える必要がある。
ところで、カグヤヒメはヘレティックではない。あれはあくまで寄生型のラプチャーであり、本質的にはニケと殆ど変わらない。再生能力も弱く、ヘレティックの奥の手である巨大化も不可能だ。
本来であれば、最初のヘレティックはシンデレラだった。研究所から素体となるシンデレラを回収し、クイーンの元でヘレティックとして作り変える。カグヤヒメに与えられた仕事は、それだった。
しかしその悲劇は未然に防がれる。ターリアによって防がれてしまったのだ。
故に世界は代わりの悲劇を用意する。レッドフードの侵食は回復した。紅蓮は薔花を失わなかった。シンデレラの物語も書き直す必要はない。これまでの起こる筈だった悲劇のツケも合わせて取り立てる。
原点にして頂点、最強のニケ リリーバイス。その対となるべく生まれ落ちたのであれば、原初のヘレティックもまた、その名の響きに相応しい最厄の悪夢となる。
「ちょっと、弱いものイジメはやめてくれる?」
鈴を転がすような幼さの残る声に振り返ると、いつからそこに居たのか、漆黒に艶めく髪を手慰みにしながらこちらを覗き込む少女の顔があった。赫く染まった双眸は、ただ悪事を注意する子どものように純粋で、リリーバイスの中で燻っていた怒りは消沈していた。
少女はリリスからカグヤヒメを取り戻すと、そのまま背を向けて優しく語りかける。
「よしよし。もう、頑張り屋さんなんだから。お前は再生に時間が掛かるんだから、怪我には気を付けないとダメだよ?これからはボクの部下としてしっかり教えてあげるからね」
「…おか、あ…さま」
「うん?お母様じゃないよ!んーまぁそれでもいいか。あとはお姉ちゃんに任せなさい!」
小さな体躯にはまるで似合わない、母親のような優しくも強い背中に強い既視感を覚える。
「さて、と」
少女が振り返る。私はドクンと心音が大きく跳ねると同時に、後ろへ飛び退いた。
「
リリーバイスは頭の処理が追いついていなかった。容姿だけではない。人当たりの良い語り口、声音、細かい仕草や立ち振る舞いも含めて瓜二つだった。違いと言えば髪と瞳の色だけである。
「あなた、ターリアよね?」
「…?ボクの事を言ってるのなら人違いだよ。何てったってさっき生まれたばかりだからさ、名前は無いんだ。ああそうだ…君を持って行ったらご褒美に名前でもつけて貰おうかな。うん、そうしよう!」
「私が必要なの?」
「うん。お母様が君の頭と身体が欲しいんだって。ボクじゃダメらしいのはムカつくけど…大人しくするなら痛くないようにしてあげる」
「こっちのセリフよ。元に戻してあげるから大人しくして」
リリーバイスは既に、目の前の少女はターリアであると確信していた。オルドリンが言っていたように、クイーンによる何らかの改造を受けたのだ。だがターリアが死んでしまっているのに比べれば、随分マシな状況に思えるのだから不思議である。
「元に戻す?何の話をしてるのかな?お喋りって難しいね。まぁいいや…面倒だけど、壊してから持っていこう」
「頭をちぎれば動けなくなるよね?」
ぬるりと首元へ伸びてきた手を防ぐ。会話をするには少し遠いくらいの距離があったが、彼女はそれを一歩で潰して肉薄した。
「へぇ、コレを防げるんだ」
「思い出させてあげるわ。あなたの名前と私たちのことをね」
最初のニケと原初のヘレティックによる、頂上決戦が幕を開ける。
リリーバイス感情のジェットコースターで頭おかしくなりそうですね。
ちなみにゴッデスが戦っているのはグラトニーの本体です。
めっちゃデカくて自重を支えきれず地面に埋まっているので、地面を食べながら移動します(勝手な想像)