美樹さやか失踪事件の半年以上前
佐倉杏子
佐倉杏子は、一か月ほど仮住まいしていた風見野の廃墟から出る準備をしていた。とはいえ、私物などほとんどなく、せいぜい着替え数着を、拾ったデイバッグに詰めるぐらいの作業だ。
今は午後8時。3時頃に美緒と別れてからの数時間、杏子はこれからどうすべきかをずっと考えていた。もうここには居られない。少なからず交友のあった人見リナのテリトリーを奪うようなことはしたくない。かといって、巴マミの所に戻るわけにもいかない。
(あたしにはやるべきことがある……考えるのはあとにしよう)
やるべきこととは、見滝原に逃げ込んだ優木沙々を見つけ出し倒すことだ。杏子はデイバッグを背負って、廃墟を後にした。
パーカーのポケットに手を入れて10円玉を数枚取り出した。そして、最近はめったに見なくなった電話ボックスの中に入る。受話器を取り、3枚ほどコインを投入し、記憶にある巴マミの電話番号を入力する。平日なので家にはいるはずだ。ただ、公衆電話からの通話要求に答えるかどうかは分からない。
『……はい』
良かった。マミは電話をとってみようと判断したようだ。
「あたしだよ」
『佐倉さん、今どこにいるの? ちゃんとご飯は食べてるの?』
「あいかわらず心配性だなマミは、それよりも聞きたいことがあるんだ」
『分かった。今行くから場所を教えて』
「電話でいいよ。あのな、あんたのテリトリーからだいぶ離れてるけど、白羽の辺りにはどんな魔法少女がいる?」
『……あまりよくわからいわ。でも、全身黒ずくめの魔法少女の話は聞いたことがある』
「ピエロのような魔法少女は?」
『……聞き覚えがないわ』
「そうか、ありがとな」
電話を切ろうとする杏子を受話器越しにマミが止める。
『佐倉さん、帰ってくるんでしょ』
「……見滝原には戻る。けど、マミの所にはいかないよ」
『あなたの部屋は空けておくから、落ち着いたら戻ってきて』
「……なあマミ。あんた、魔法少女同士で闘うのは無意味だって言ってたよな」
『そうね、決してやってはいけないことよ』
「じゃあなおさらだよ。あたしはあんたの所には戻れない」
『さ――』
杏子は電話を切った。これ以上話すとマミの優しさに甘えたくなってしまう。少し減らず口をたたいて彼女との距離をとる。
(マミも知らないか……なら、自力で探すしかない)
杏子は、とりあえずは、今日の寝床を探すことにした。沙々を探すのは明日からだ。
翌日 午前8時
昨日寝床にした廃ホテルは電気も水も止められており、杏子は近くの公園にある多機能トイレで顔を洗っていた。不便なので新たな仮住まいを見つける必要がある。
杏子は、全家財道具(?)の入ったバッグを木の上に隠して、手ぶらで行動することにした。いつ沙々と出会うかもわからないのだ。身軽にしておいたほうが良い。
人見リナから聞いた優木沙々は見滝原北部にいるという情報と、彼女の親はそれなりに裕福だという情報から。お嬢様学校で名高い白羽女学院に通学しているのではないかと推測していた。
杏子は、その通学路を見張っていた。あからさまにしては不審に思われるので遠距離からの監視だ。すぐにどうこうするつもりはない。沙々がいるかどうかの確認をできたらよい。
(いた……)
どうやら、杏子の読みは的中したようだ。白羽女学院の制服に身を包んだ特徴的な髪型の少女が校門を通過していった。これで沙々の居場所は分かった。あとは下校時に話をつけるだけだ。
杏子は、
(リナ……お前は何を望む。あたしに沙々を殺してほしいのか?)
リンゴを一口かじった。その強い酸味が、家族の死の記憶をフラッシュバックさせる。もう人が死ぬのを見るのはうんざりだという気持ちと、友人を殺害した優木沙々への怒り感情が天秤にかけられた。
(マミ……もう、あんたの所にはもどらない)
おそらく怒りの感情が勝つと思った。そうなると、自分は沙々を殺してしまうだろう。
(あたしは神に見捨てられたんだ。もう、なにも怖くない)
――白羽女学院の下校時間となり、杏子は、再度校門付近で待機する。魔法少女が部活などできるわけがない。優木沙々はまっすぐ家に帰るはずだ。そして、その予想も的中した。
優木沙々は白羽女学院の生徒であるべき姿を演じていた。ゆっくりと
「あんた、優木沙々だろ?」
沙々が首をかしげてこちらを見る。表情がやや
「どちら様ですか?」
「とぼける必要はないさ。あんた魔法少女だろ?」
「なにを言っているんですか? 大声を出しますよ」
「よく考えてくれ。あんたにも準備があるだろうから7時にこの場所じゃどうだ」
「……あなた誰なんです」
「知ってるだろ? 佐倉杏子さ。リナの友人のね」
「……」
「そんじゃ」
別れ際に沙々の本質をみた。歯ぎしりをしながら、杏子を憎悪の目で睨んでいた。いいぞ、これでお前と闘う理由がはっきりした。
(リナ、麻衣、京……この下衆野郎はあたしが片づける)
――午後7時になった。約束の場所に沙々は現れなかった。以外でも何でもないことだ。謀略を得意とする人間が、馬鹿正直に出てくるわけがない。
(どこにいる)
沙々は、どこかで見張っているはずだ。杏子は、周囲を見渡すが、視界に沙々は入らなかった。しかし、必ずどこかにいる。彼女に有利な条件を提示した。杏子を知っているならば、後々面倒になる前に処分しようと考えるだろう。
杏子は魔法少女に変身し、周囲を隔離空間に変貌させた。
「どうした! あたしを殺すんじゃないのか!」
その問いへの答えは、魔獣の異空間の出現だった。
「そんなに殺してほしいのなら、殺してあげますよ」
茶色の道化師のような装束で、クエスチョンマークの杖を持った魔法少女がそこにいた。両サイドに大型の魔獣がいる。おかしい。沙々の洗脳した魔獣は3体のはずだ。
「魔獣使いか。そんな雑魚じゃ、あたしの相手にはならないよ」
「そうですかね?」
杏子は槍を中段に構える。沙々よりも先に魔獣二体を片づけねばならない。そのためには魔獣の弱点である縦の攻撃が有効だ。杏子は跳躍の準備で体を沈める。
「もう一体を探さなくて良いのですか?」
さすがに駆け引きが上手い。機先を制された杏子は、一歩後ずさりして構えを元にもどす。
「……そうだな」
「あそこにいますよ。おやおや、一般人が迷い込んでいますね」
魔獣が作り出した異空間はかなり奥行きがあった。300mほど斜め後ろにやや小型の魔獣がいる。そして、沙々の指摘通り、女性と思しき一般人がとぼとぼと歩いていた。
「どうします? 私の魔獣はあの人を殺しますよ。見捨てても良いのですか?」
「……てめぇ」
この距離ではギリギリだ。すぐに動かなければあの女性の命はない。杏子は振り返って大跳躍する。背後から襲われるのは承知の上だ。要はスピード勝負になるだけだ。魔獣が女性に手をかける寸前に、杏子の穂先が魔獣を真っ二つにした。
「あんた! ここにいちゃだめだ!」
ブロックノイズ化した魔獣を無視して、杏子は女性の救助を試みる。
しかし、そいつは、人間ではなかった。目や口が空洞の外観だけを女性に似せた魔獣だった。
「な……」
言葉を発する暇もなかった。杏子のソウルジェムは魔獣の硬化された腕によって破壊されてしまった。
(そうか……魔獣は……四体だったか)
得物の槍が、杏子の手を離れ、カランと音を立てて地面に転がった。その上にかぶさるように杏子も倒れた。
魔獣二体を引き連れて沙々が近づいてくる。
「そこでおとなしくくたばってろ。クソ女が」
沙々が勝ち誇ったように杖を地面についた。だが、次の瞬間、彼女は慌てることになった。
(久しぶりだけど上手くいったか……)
槍の上に寝そべっていた自分の死体が消えていく。残った槍を“杏子”が拾い上げる。『ロッソファンタズマ』。巴マミはそう名付けたが、自分はただの分身と呼んでいる。沙々のような手段を選ばない相手には効果絶大だ。
杏子はクラウチングスタートのように突進し、沙々の右側の魔獣を薙ぎ払い、そのまま沙々にも攻撃を加える。柄の部分で殴るはずであったが、沙々が杖で防御したため、杏子は槍の連結を外した。
「ぎゃああああ」
鎖で繋がれた穂先が遠心力で回転し、沙々の右目を潰した。けたたましい叫び声を上げて沙々はしゃがみこんだ。とどめを刺そうとするする杏子を、沙々は手で制した。
「待ってください! 私を殺すと、リナたちは永久に行方不明ですよ」
「……」
おびただしい出血の右目を抑えて、沙々が立ち上がる。
「リナたちがいる場所に案内します」
「……まずは魔獣を消しな」
「……承知しました」
沙々が指をパチンと鳴らすと、人間に化けていた人型魔獣が杏子の攻撃範囲外に沙々を移動した。
「脳筋のクソ女が……私はてめえとは違うんだよ」
残り二体だった魔獣が四体に増えた。
「リナたちに会わせる約束は守ってやる。ただし、あの世でだけどね」
なるほど、リナたちが憎む気持ちがよくわかった。杏子も沙々に対して殺意が増幅していた。
「そうか……それじゃあ、あたしも奥の手を見せるよ」
怒りで手が震える。杏子は感情に任せてダッシュした。
「全部まとめて相手してやる!」
杏子の体は五つに分身し、すべての魔獣を一撃で粉砕した。
「わわ……ちょっと待ってください。話合いましょう……」
「優木沙々……」
座り込んでいる沙々のソウルジェムを見つけた。それは帽子の丸い部分にあった。
「死んでリナに詫びろ!」
杏子は、穂先で沙々のソウルジェムを打ち砕いた。
沙々は糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
(また一つ……罪が増えたな……)
すべての魔獣が消滅し、異空間も消えた。杏子は変身を解除した。
ひどくいやな気分だった。杏子はゆく当てもなく見滝原を
「佐倉さん」
巴マミが息を切らしている。まったく。あれほどほっといてくれと言ったのに、彼女は杏子を探していたようだ。
「マミか……」
「どうしたの、顔色が悪いわ」
「まあ……さっきまで闘ってたから」
「……佐倉さん。手が震えてるわよ」
指摘された手をじっと見る。確かに、両手とも
「私は……魔法少女を殺した」
「……」
「殺したんだよ! この手で……」
マミは、なにも言わずに抱擁してくれた。杏子の目から自然に涙が溢れ出た。
(マミ……ごめんな。あたしは悪い子だ……)
杏子にとって巴マミはただの友人ではなかった。自分を知る唯一の人だ。だから、今だけは、母親のように甘えさせてほしい。
次話:「呉キリカ」