東京 永田町 衆議院第二議員会館
美国織莉子
美国織莉子の叔父である美国公秀は衆議院議員であり多忙を極めていた。そんな中でも、面会の時間を
織莉子と呉キリカは、公秀の執務室の前にある椅子に座らされていた。織莉子は何度か来たことはあるが、初めて訪れたキリカは、物珍しそうにキョロキョロしている。
重厚な造りの執務室のドアが開けられた。
「織莉子さん」
「はい」
公秀の秘書の
「お久しぶりですね。中にどうぞ」
「キリカ、それほど時間はかかりません。ここで待ってくれる?」
「わかったよ」
立ち上がる織莉子に、キリカが手を振っている。
「不自由はないかね? 織莉子君」
公秀は、執務机ではなく、その手前にある質素な応接セットに座っていた。織莉子は、三枝の招きで、公秀の前に座った。
「ええ、様々な御手配感謝しております」
「織莉子君……そんな他人行儀はやめないかね?」
「私は、叔父様も叔母様も嫌いでしたから」
「……まあ、分かってはいたが」
公秀が腕組みをして考え込んでいる。織莉子は、それを見て、手を口に当ててクスクス笑いをした。
「なにかあったのかね? 織莉子君」
「はい?」
「いや……ずいぶんと丸くなったというか。あの時は私を
「お父様の葬儀の時ですね」
「そうだな」
美国久臣の自殺により、織莉子の人生は大きく変わってしまった。その要因の一人である公秀を恨むなと言うほうがおかしい。しかし、要因の一人に自分もいると気付いた時に、公秀への恨みは消えていた。
「お父様は、自分に負けたのです。そこには、私の存在も関与しています」
「……なにを言うんだね?」
「私は、美国久臣の娘としてあるべき姿を演じていました。その逆に、お父様も私の父であることを演じなければならなかった」
「……」
「そう八重樫様から告げられました」
「八重樫にあったのかね」
「はい」
八重樫とは、公秀の政敵で、久臣を利用して公秀を
「織莉子君――」
「私は、もう、叔父様のことが嫌いではありません。“きつね”の目はとても可愛らしいと思います」
「そういう冗談はやめなさい」
「失礼しました」
公秀は打ち解けた笑顔だった。国会議員までになる人物だ。人を見る目は確かなのだろう。織莉子が嘘を言っていないことを見抜いたのだ。
「本題を話しても?」
「そうだったね。というか、おおよその見当はついているが」
「そのとおりです叔父様。御爺様の遺産相続の件です」
公秀の父親の美国修一郎も国会議員だった。彼の死去後に、遺産問題が立ち上がり、織莉子にも相当量の分配が割り当てられていた。
「見滝原の家も、あれがあれば
「私は、まだ中学生なのですよ。そういうことは分かりません。ですから、すべて叔父様に譲渡します」
「いいのかね」
「その代わりですが、今の維持管理の支援をしばらく続けていただけますか?」
「それは問題ないが……重ねて聞くよ、本当に父(修一郎)の遺産を受け取らないのかね」
「はい、私よりも、叔父様のほうが、有益に運用できると思いますので」
「……織莉子君。私も正直に言わせてもらうよ」
公秀が、まるで娘を見るような優しい目で織莉子を見ている。“きつね”の目という呪縛から。解放されたようだ。
「君は、とても扱いづらい姪だったよ。頭が切れて隙が無い。久臣よりも、君の目がとても気になったものだ」
「先ほどの仕返しですか?」
織莉子と公秀は親子のように笑った。互いに目を見ながら、愛想笑いではなく、自然に湧きあがる笑いだ。
「私もね……織莉子君が好きになった」
「ありがとうございます」
その後、しばらく公秀と談笑して、織莉子は執務室を後にした。
「先生のあんな顔を見るのは久しぶりでした」
三枝が笑顔で織莉子に礼をした。
「叔父様は不愛想ですからね」
「先生が車でお送りしろとのことですが」
「キリカ」
「南千住に行ってくれる?」
キリカはこの小旅行に同行する条件に、南千住への訪問を要求していた。理由は、小塚原処刑場を訪れたいとのことだった。
「南千住ですか? 承知しました。運転手に伝えますね」
俗に言う“黒塗り”の公用車はそれなりに高級車ではあったが、決して気取ったものではなかった。織莉子とキリカは後部座席に座り、景色を眺めていた。土曜日の東京はそれほど渋滞しておらず、スムーズに移動している。
「南千住はよく知っているのですか?」
「ボクのお父さんの実家があった場所なんだ」
運転手の質問にキリカが答えた。彼女は子供の頃に親に連れられて来たことがあるので
「
「三ノ輪ですか? そこから南千住だと結構歩きますが?」
「だから歩きたいんだよ」
「なるほど、よく知ってらっしゃる。
「そうだね」
運転手は地下鉄三ノ輪駅の近くで車を止めた。『ここで待っている』とのことだったが、戻る時間が予測できないので断った。
織莉子はこの土地を訪れたことはないので、行先はキリカに頼るしかない。彼女は、細い路地に入り、まっすぐ進んで、やや広い道路に突き当たった。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺……」
吉原遊女の投げ込み寺として有名な浄閑寺は、さほど大きくはなく、改築された近代的な寺だった。
「“円環の理”は、私たちの浄閑寺ということ」
「そうじゃないよ織莉子……ただね、どうしても重ね合わせてしまう」
キリカは、奥へと進み、総霊塔の前で手を合わせる。その気持ち、わかる気もするが、そうではないとも思う。気になるのは、どのような想いでキリカが手を合わせているかだ。
「キリカ……あなた、明日死ぬつもりなの?」
「まさかだよ。ボクは、いつでも織莉子と一緒だよ」
「それでは、どうしてここに?」
「ここはね、お父さんの実家の近くなんだ。だから寄っただけ。行きたいのは延命寺だよ」
「延命寺?」
「
江戸時代の二大刑場、南の鈴ヶ森処刑場、北の小塚原処刑場。何十万もの罪人、もしくはそうではない人間が処刑された場所だ。織莉子は心霊的なものを信じてはいなかったが、怨念が渦巻いていると言えばそうかもしれない。
浄閑寺から10分ほど歩くと。奇妙な地形が現れた。コツ通りと呼ばれる幹線道路は、JR常磐線、地下鉄日比谷線の地上部、隅田川駅貨物線を避けるように地下に潜る、しかし、それは自動車専用であり、歩行者や自転車は貨物線の上に架けられた歩道橋を渡り、日比谷線の高架下に降りる。
その歩道橋の上で、キリカが立ち止まる。
「ボクは、ここから先には行ったことがないんだ」
「どうして?」
「お父さんからここの話を聞いて……きっと思い込んでいたんだよ。怖くて怖くてたまらなくて、一歩も進めなかった」
「今は進めるか……確かめたいの?」
「そうさ。織莉子が一歩踏み出したように、ボクも前に進むんだよ」
成長したキリカが克服という道を歩き出した。やがて、歩道橋は日比谷線に突き当たり、脇の階段でその下に降りる。そこは上空の線路により昼間でも日が差さない湿気の多い空間だった。キリカの言う延命寺は、すぐ左手にあった。三本の鉄道路線は
キリカが一礼して中に入る。境内はそれほど広くはなく、首切り地蔵と呼ばれるやや大きめの地蔵があった。
「ここで沢山の人が死んだんだね」
キリカが地蔵に向き合い、小声でつぶやいた。
「キリカ……怖いの?」
「もう怖くないよ。きっと織莉子のおかげだよ」
「私?」
「ボクを求めてくれたからさ。そうじゃなきゃ、きっとここの人たちがボクを求めていたんじゃないかな」
「キリカ……ここの人たちが分かるの?」
キリカが振り返り、バカにしたような目で見ている。
「そんなの分かるわけないよ。織莉子は幽霊を信じているの?」
「キリカ!」
冗談なのか本気なのか、あいかわらず分からない。まあ、それが呉キリカの魅力でもある。
「ありがとう織莉子。これで……成長できた気がするよ」
「……成長ね」
成長という言葉の前に、わずかな間があった。それを深くは詮索しない。なぜならば、言うまでもないことだからだ。決戦とは勝負を決める戦いのことだ。たとえ、自分が倒れてでも、相手を倒さなければならない。佐倉杏子は戦闘に特化した相手なのだ。キリカも覚悟を決めたのだろう。
「帰ろうか、常磐線で上野に戻ろう」
「キリカ……今日は家に泊まっていきなさい」
「いいの? 悪魔の対策で忙しいんじゃないの」
「もう頭に入っているわ。私をだれだと思っているの」
キリカが左腕に抱きつく。
「嬉しいな。話したいことがいっぱいあるんだ」
「そう、でも寝なければいけませんよ。明日は大事な日なんですから」
「わかってるよ織莉子。でもね……」
「でも?」
「愛は……永遠で、無限だよ」
次話:三国織莉子&呉キリカ(2)