美国織莉子 自宅
美国織莉子は、東京への小旅行を終えて自宅に戻っていた。同行していた呉キリカも一緒だった。彼女は今夜ここに泊まり、一緒に明日という日をむかえることになる。
「織莉子は、これでよかったと思ってるの?」
「これでとは。どういう意味?」
大きなテーブルの片隅に、織莉子とキリカの夕食が準備されていた。織莉子は、給仕に普通のメニューを依頼していた。これは決して最後の
「巻巻もささささも言ってたけど、不意打ち、奇襲だって立派な戦術だよ」
「立派かどうかは、価値観の問題よね」
「正々堂々ってこと?」
「正々堂々ではありません。美樹さんを使って仲間割れを誘ったり、沙々に威力警告をさせたりもしたわ」
「あれは、暁美ほむらが悪魔かどうか確かめるためでしょ?」
「そうね。でも、こちらに有利な条件を造りだそうとした。それは間違いない」
織莉子は会話を中断してメインディッシュの真鯛のポワレを器用にナイフとフォークで切り分け口に運んだ。ワインの香りが鼻腔に広がり、ソースの味を引き立たせる。
「このポワレおいしいわね」
「そうだね。もうちょっと甘くてもいいかな」
「キリカは本当に甘いものが好きね」
「ボクは砂糖依存症なんだよ」
「そんな病気あるの?」
「さあ、でもお医者さんに『君は砂糖依存症だ』って言われたら信じるよ」
話題を変えるつもりはなかった。しかし、織莉子は、キリカや浅古姉妹、優木沙々のわけのわからない話を聞くのが好きだった。幼いころから、自分の周りには結論を前提とした退屈な会話ばかりだった。幼稚さや
「今日は両親と一緒にいなくていいの?」
「どうしてさ?」
これはいささかまずいことを言ったなと思う。つまりは、自分たちは明日死ぬ可能性があることを肯定するからだ。
「そうね。またいつでも会えるからね」
「織莉子……巻巻にも言われたと思うけど、そんな気遣いは無用だよ」
「……」
「またみんなでここに集まる。その約束を守る努力はするよ。だけどさ、努力は報われるとは限らない。そうなったら、ボクは、織莉子のために選択をする」
キリカの“選択”とは、佐倉杏子との相打ちだろう。自らの死を代償として、相手にも同等もしくはそれに近いものを与える。極限状態ならば、その選択は理解できる。だが、自分は、キリカに、小巻に、沙々にそのような戦いを強制してしまった。
「私の予知は……本質的な結果を見ることができない。だから、あなたが佐倉さんに勝つとは言い切れない」
「前にも聞いたよ。いいんだよ。ボクもみんなも、それに納得してるからさ」
「……」
「心配しないでよ。きっと、みんなで集まれるよ」
「……ええ」
それがただの気休めでしかないことは、発言者であるキリカも承知している。希望は、その文字が示すように、
「キリカ、お風呂にしましょうか」
「そうだね。一緒でいい?」
「もちろん」
逆に言えば、一緒に入浴しないことは一度もなかった。これはキリカだけではなく、小巻も沙々もこの家に宿泊する際は、織莉子と一緒に入浴した。特に意味はなかった。広さも十分なので、一緒に入ったほうが効率的と考えただけだ。ただ、裸の付き合いというものもあるのだなと感じた。浴室では、みな、本音に近い部分を話してくれる。そのため、織莉子は、この入浴の時間がとても好きだった。
「そういえば巴マミも胸が大きかったよね。織莉子よりも大きい?」
「私は巴さんには会っていないから」
仲間に裸を見られることを恥ずかしいとは感じないが、今回キリカは、かなり接近して胸を見ながら織莉子の周りを一周した。
「どう?」
「うん。織莉子のほうが大きいよ。だから織莉子の勝ちだ」
「勝ち? 大きいとなにか良いことでもあるの?」
「大は小を兼ねるっていうじゃない? 大きいことは正義だよ」
まったく意味が分からないが、キリカが満足そうなのでそれで良いことにした。これまで意識はしていなかったが、異性にしろ、同性にしろ、性的特徴(女性なら胸や尻)に興味が湧くのだろう。そういえば、自分も入浴時に仲間のそういった部分に目をやることがしばしばあった。
「キリカはさやかさんと同じぐらいね」
「えー。さやかはもっと大きいと思うよ」
「いいえ、私は実際に見ましたから」
「織莉子はだれとでもお風呂に入るよね」
「いけない?」
「いけなくはないけど……ボクにだって独占欲はあるよ」
恥ずかし気に言うキリカの姿に、織莉子は、初めての感情を体験していた。友情とは違うもの、広義で言う愛情とも異なった。なにかこみ上げるような衝動が、織莉子を包んでいた。
「さあ、中に入りましょう」
ごまかすために、織莉子は、キリカの背中を押した。その時も、これまでとは違うなにかを感じた。スキンシップは普通にあったことだ。場合によっては、湯舟で誰かにもたれかかることもあった。しかし、その時もこんな感情は
織莉子は複雑な気持ちで身体を洗い、キリカと共に湯舟に入った。
「ボクが魔法少女になった理由を知ってる?」
「そういえば聞いていないわね」
「違う自分になりたかった。ボクは、子供のころに友達に裏切られてね。それ以降はずっと殻のなかに閉じこもっていた」
「……」
「そこでキュウべえに出会って、魔法少女になったんだよ」
「きっと、キュウべえに目をつけられていたのね」
キリカが接近して、織莉子に背中を預ける。彼女との入浴の際のお約束のようなものだった。織莉子は、キリカ両脇から手をまわし、彼女の腹のうえで手を組む。これはどういうことだろう。心拍数がとんでもないことになっている。
「でもね、違う自分のイメージができなかったんだよ。それで魔法少女に八つ当たりしてた」
「黒い魔法少女?」
「やりすぎてね……織莉子がいなけば、ボクは小巻を殺してした。今でも覚えているよ。ボクの爪に伝わる彼女の心臓の鼓動」
キリカの背中が震えていた。織莉子は少し手に力を加えて、キリカを抱きしめる。
「小巻さんは死んでいないわ」
「……あの時ね、わかったんだよ。違う自分ってなにかをさ」
「……」
「織莉子はボクを求めてくれた。そうだよ、ボクは誰かに求められる人間になりたかったんだ」
キリカが正面を向き、織莉子を抱きしめる。顔は織莉子の脇にあり、胸や腹部は完全に密着していた。織莉子も、キリカを強く抱きしめた。
「だから……ボクの織莉子に対する愛は、永遠で無限なんだ」
織莉子は自分の心を揺さぶっている感情を理解した。それは、性欲、肉欲と呼ばれるものに違いなかった。今自分の胸の中にいるキリカを独占したいという思いが、織莉子の心を支配していた。かろうじてそれを止めているもは、
「あなたの愛は尊いものよ……私には無理ね」
「いいんだ。ボクが決めたことだ。だから、織莉子は織莉子のままでしい」
理性というものはこれほどまでにもろいものかと思った。織莉子は、キリカに口づけをした。キリカは驚く様子もなく、唇を織莉子に重ねなおした。織莉子は、手をキリカの背中に這わせ、軽く引き付ける。乳房や腹、腰がより密着する。性的な刺激とは無縁であった織莉子は、その甘美な感覚に溺れそうになったが、再び、崩れかかった理性が復活した。
「……」
「……」
織莉子とキリカは唇を離し、正面から向き合った。
「キリカ、私の顔を見て。こんなに真っ赤になったのは初めてよ」
「本当だね。でも、織莉子が望むならボクはいいんだ」
「そうね、もしも明日があるのなら……ね」
「うん……きっと大丈夫だよ」
キリカの求めに応じて、もう一度キスをした。今度は少し長めに、互いに身体を絡め合ってのものだ。
(キリカ……ごめんなさい。明日は……もう来ないかも)
自分を愛してくれるキリカという少女の命は、明日終わるかもしれない。そこへ導いたのは自分なのだ。真の“悪魔”とは暁美ほむらではない。美国織莉子こそが、“悪魔”と呼ぶにふさわしい。
(そうね……私こそが悪魔だわ。自分の邪魔をする者は、仲間であっても犠牲にする。嘘で人を惑わす汚らわしい存在。それが私……美国織莉子」
唇を離し、織莉子は、キリカをかかえて立ち上がる。彼女はあまり力が入らないようで、織莉子に倒れこみ、胸にキリカの手や唇が当たり、強烈な刺激が織莉子を襲った。
「ご……ごめんなさい」
「いいのよ、続きは明日ね」
「そうだね」
「もう上がりましょう。あなたに頼みたいことがあるの」
「頼み? いいよ、織莉子の頼みならなんでも聞くよ」
ものすごい身体の
「ごめんね。なんか力が入らなくて。今度はボクが織莉子を拭いてあげるよ」
「そんなことされたら私もだめになるから、早く着替えて」
「……そう」
少し残念そうにキリカが準備されていた替えの下着を着用した。織莉子はホッと小さなため息をついて自分の身体を拭いた。皮膚感覚が敏感になっていた。性欲とは制御が困難であることを理解した。
織莉子とキリカは、パジャマに着替えて居間に移り、紅茶を飲むことにした。
「頼みって?」
キリカが砂糖をたっぷりと入れた紅茶を飲みながら言った。
「長い予知は睡眠の助けがいるの」
「知ってるよ。破滅や“悪魔”との戦いの予知は寝てるときに見たんだよね」
織莉子は自分の使っている睡眠薬をキリカに見せる。
「ベルソムラ……ボクも処方してもらったことがある。怖い夢ばっかりみるんで止めたけどね」
「レム睡眠が増加する。でも、私の予知にとって、それは
「そうだね……脳は動いてるからね。織莉子はそれをいつから使っているの?」
「お父様が亡くなってからね。これの助けがないと眠れなくなった」
「そう……あんなことがあったらそうだね」
「それに……」
「それに?」
「キリカに誘惑されたから、今日は普通だと眠れないわ」
「……」
「冗談よ」
「冗談じゃなくていいよ。ボクは織莉子を愛してるから」
「私もよ……」
織莉子は、異性への恋愛感情を持てなかった。父は尊敬こそしていたが、政治家ならではの損得勘定が目についた。そのため、男性に対する愛情は親子の関係のみであった。同性に対しても同様だった。織莉子の価値は家柄によって決められていた。友人となることでメリットを感じるものはそれを演じる。デメリットならば急速に離れる。そこには愛情など存在しなかった。
「でもね、私は、恋愛なんてしたことが無いの。だからキリカへの愛が本物かどうかは分からない」
「いいんだ……でも、どんなことがあろうとも、ボクの気持ちは変わらない」
織莉子は微笑んだ。おそらく、自分のキリカへの愛は本物だろう。ただ、それを認めるには、あまりにも経験不足だった。そのため、織莉子は『愛している』とは言わなかった。それは、気安く口にして良い言葉ではない。
「これを飲んで、私は睡眠に入ります。たとえ、うなされても、異常な動きをしても、私を起こさないで」
「それが頼み?」
「そうね」
「いいよ。でも、僕にもその薬をくれるかな」
「え? 悪夢を見るからいやだって言ったわよ」
「ボクも織莉子に誘惑されたから……」
織莉子はキリカの手を握った。
「そうね、それじゃあ、一緒に眠りましょう」
「うん」
織莉子とキリカは、睡眠の準備をして、同じベッドに横になった。キリカとはいつもそうしているが、今日は
織莉子は真っ白な天地左右もわからぬ空間に立っていた。服は魔法少女の装束だった。空間の奥行は永遠にも思えるが、数メートルにも感じる。しばらくの間、織莉子は、方向もわからぬ空間を一人で歩いていた。そこに、突然見覚えのある少女が現れた。
「織莉子ちゃん」
鹿目まどかだった。彼女は、前回会った時とは異なり、脚を地面につけて立っていた。
「まどか……」
まどかは、織莉子の呼びかけには答えない。その代わりに。右手を水平に上げて、奥の方向を指差す。
だれかが手を振っている。青い装束の長身の女性だ。あれは浅古小巻に間違いない。
「小巻さん!」
その叫びと同時に、小巻の隣に茶色の魔法少女が現れた。
「沙々!」
そして、黒い魔法少女も出現した。織莉子は走った。三人がいる場所に向けて全速力で走った。
「キリカ!」
三人が笑っている。両腕を広げて織莉子を迎え入れようとしている。織莉子は涙を流していた。信じられないほどの幸福感だった。自分には待ってくれる人がいる。帰るべき場所がある。
織莉子は、自分の生きる意味が何であるかを知ったのだ。
織莉子は目覚めた。この予知はなにを意味しているのか? あるいはただの夢なのか? 結局はこれまでどおり結果には結びつかない。
「おはよう織莉子」
キリカはすでに起きていて、カーテンが閉められた窓の前に立っていた。
「キリカ……私、うなされていた?」
「ごめん、わからない。ボクもさっき起きたばかりだから」
「そう」
「織莉子……こっちに来て」
「……」
誘われるままに、織莉子は。キリカの隣に立った。
「雨だよ」
キリカがカーテンを開けると、かなり強めの雨が降りしきっていた。
「“悪魔”に勝てそう?」
「……」
その質問には答えられない。しかし、織莉子にはキリカに伝えるべきことがあった。
「キリカ……」
「なにさ」
「私は……あなたを愛してる」
次話:閃光