決戦の日曜日午前10時。まとまった雨が降っており、少々肌寒い。美樹さやかは、ジーンズにベージュのショートコートを合わせ、お気に入りの青色の傘をさして、見滝原駅に向かっていた。路面にはあちこちに水たまりができていて、普通のスニーカーのさやかは、それを避けるように歩いていた。
魔法少女に変身すれば、天候は無視できる。実空間が台風だろうが、火災が起こっていようが、結界内には影響しない。にもかかわらず、さやかは、人間として天覧山までの移動を選択していた。
駅に来たのは電車を利用するためではない。近接するバスターミナルから出発する“天覧山行き”のバスに乗るためだ。雨なのでピクニックなどの需要はない様子だ。バスを待っているのは、さやかを含めて4人しかいなかった。
昨日、上条恭介には別れの挨拶をしたつもりだが、彼は納得がいかないらしく、何度か電話をしてきた。当然、さやかは受けはしない。話せば決意が揺らぐ。今日は彼のために、暁美ほむらのために、命を賭けた戦いをしなければならないのだ。
バスが到着し、さやかは、傘をたたんで乗り込む。優木沙々の奇襲を警戒し、最後部の座席に座った。落ち着かないながらも、さやかは、窓の外の風景を楽しんでいた。通ったことのある道、訪れたことのある店など、過去の情景と現在が重なって見えた。
(なにを考えているの……)
さやかは我に返った。死を意識するのは決戦ならば間違いではない。ただ、絶対に無駄死にだけは避けなければならない。沙々を生存させては、仲間の戦いに重大な影響を与えてしまう。なによりも、恭介の左手が再び使えなくなる。それは、さやかの魔法少女としてのアイデンティティ崩壊を意味する。
(優木さん……本気で戦えってことだよね)
佐倉杏子とは違い。さやかは沙々を
昨日、恭介を人質にして戦いを挑まれ、さやかはなにもできなかった。それなのに沙々は、二人を解放し、さやかに戦うモチベーションを与えた。無論、行為自体は憎むべきことだが、なぜかそこに優しさを感じてしまった。
バスは山間部に入り、終点の天覧山が近くなった。さやかは、その一つ前の停留所で下車した。
人気がなく。周辺には営業しているかが怪しい釣り堀があるだけだ。さやかは、そこで魔法少女に変身して徒歩で決戦の場に向かった。
なぜそんな面倒なことをするのか? それは上条恭介が来ている可能性があるからだ。さやかが、いつ、どこで、なにをするかを恭介は知っている。
(やっぱり……)
魔法少女が変身すると、その空間内は、元のいた場所の地形が
上条恭介は昨日と同じ場所で待っていた。さやかは彼に歩み寄る。心配そうにバスの到着を待っていた。さやかは、その実態のない恭介に唇を合わせた。無論、残像として残っているだけなので、空気のようなものだ。だが、それでもよかった。これで戦う理由を再確認できた。
「恭介……私を信じて」
実体のない恭介が答えるわけがない。その表情もまったく変わらず、心配そうなままだった。
「そんな顔しないでよ……大丈夫だから」
天覧山登山口上空に強烈な瘴気が漏れ出す裂け目があった。通常の魔獣の瘴気とはレベルが桁違いだった。それは間違いなく“魔獣使い”優木沙々が造りだしたものだ。
「行ってくる」
背中越しの恭介への報告だ。はたして帰れるかどうかは不明だが、そう言うしかなかった。
さやかは膝を大きく曲げて、大跳躍をした。速度だけなら最強のさやかは、青い閃光と化し、罠の待ち受ける沙々の異空間に飛び込んだ。
「!!」
その瞬間、裂け目は完全に閉じられた。そういうことだ。ここから脱出するには、沙々を倒す以外は無いのだ。
「外では彼があなたを止めようと待っていた。なのに、なぜ、あなたはここに来たのですか?」
意外だった。沙々の周りには人型の変異魔獣が四体いるだけだった。さやかは周囲を見渡した。いるはずだ。どこかに隠れた魔獣がいるはずだ。
「優木さん。わかりきったことは聞かないでください」
「偉そうに。彼の本心も聞けない小心者が……」
「……」
図星だった。もしも、恭介に『手はこのままでいいから戦いをやめろ』と言われたら自分は迷っていいたかもしれない。だからこそ、電話を無視し、先ほども会話を拒否したのだ。
(そんなことはわかっている……でもね、私の選択は間違っちゃいないんだよ)
さやかは、剣を静かに抜いた。
「優木さん。四体じゃ守り切れませんよ」
「暁美ほむらの後遺症を利用させてもらう。この四体を倒せたら……私も本気を出す」
沙々は手に持っていた杖を高く上げた。?マークの上端部分から目を開けていられないほどの光が放たれた。
(こんな力もあるの……)
目を開けると、さやかは三体の魔獣に包囲されていた。
(違う……これは現実じゃない)
正面には得物をかまえた佐倉杏子がいた。左手には、マスケット銃を持った巴マミが、右手には矢をつがえた状態の暁美ほむらがいた。
杏子が槍をさやかの腹部に目がけて突き出す。それを避けて、偽物と思われる杏子に左側から接近する。マミの射線に杏子が重なるような位置で、ほむらからには死角になっている。
「バカさやか! 坊やはあんたを選んだんだぞ!」
自分の間合いに入ったさやかは、中段に剣を構えて杏子に振りぬいた。槍を引いた杏子が柄の部分でそれを止める。
「記憶って厄介だけど便利な部分もあるわ」
「なにを言っている?」
「まったく記憶通りだもの。この攻撃もあんたの受け方も……私の記憶と完全一致する」
「……」
杏子が柄を押し込んでさやかとの距離を確保し、穂先をさやかに向ける。だが、それは遅すぎる。その動きをすることはわかっていた。なぜならば、さやかの記憶がそれを教えていたからだ。
さやかは、槍をすり抜け、杏子の胸にあるソウルジェムに剣を突き刺す。
「正体を現したね」
「……」
外観は杏子によく似ているが、目や口は人形のように空洞だ。人型変異魔獣に違いなかった。浅古小巻から教えられた記憶の暴走を、さやかは実体験していた。
「杏子なら! そんなことは言わない!」
さやかは絶叫し、変異魔獣を袈裟切りで葬った。
「美樹さん! なんてことをするの」
巴マミがさやかに銃口を向ける。さやかは、かまわずマミに足を向ける。
「私はマミさんに撃たれたことがない。だからお前も撃てない」
「そうかしら」
マミがさやかの右足に向けて発砲した。肉をえぐられ、強い痛みがあった。ただし、さやかはこの痛みを知っていた。
(魔獣からの攻撃の痛み……これで、この偽物を殺すことができる)
マミは発射したマスケット銃を放り投げ、次の銃を出現させた。本当によく似ている。銃の出し方や表情までそっくりだ。
治癒能力が
「そこまでよ美樹さん。そこで止まりなさい」
さやかはそれを無視して、持っていた剣をマミに
「マミさんなら……こんな攻撃を受けたりはしない」
さやかは偽物のマミにとどめを刺し、暁美ほむらと対峙する。
「あんたも……偽物なんでしょ」
「美樹さやか……あなたは、優木沙々に騙されているわ」
「まったく……いやになるほどそっくりね」
「
ほむらは、つがえていた矢を放った。それは無数に分裂したように見えた。
(魔獣がほむらの技を使えるはずがない。実態は一つ)
さやかは、ソウルジェムに向かってくる矢が本物と考え、ほかのものは無視して避けながらほむらに突進する。案の定、偽物の矢はさやかを通過して、たやすく剣の間合いに接近できた。
ほむらが再度矢をセットしようとするが、さやかはそれを許さない。
「そんなにのろまじゃないはずよ! 転校生!」
さやかは怒りに任せて偽ほむらを両断し、ブロックノイズに変えた。偽物とはいえ、仲間を殺害させたことへの怒り。それは激しく燃えさかり、さやかから冷静な判断力を奪っていた。
「恭介! だめだよこんなところにいちゃ」
迷って紛れ込んでしまったのか、上条恭介が異空間に侵入していた。さやかは救出しようとして彼に駆け寄った。
(四体目は?)
腹部に強烈な痛みを感じた。恭介の持っていたサバイバルナイフがさやかのソウルジェムのすぐ脇をえぐっていた。さやかはそのまま恭介に抱きついた。
「僕は止めてくれと頼んだはずだよ」
「……恭介」
さらに深くナイフが突き立てられる。内臓を破壊される激痛で、さやかは吐血してしまった。
「ごめんね恭介……あなたを愛してる」
さやかは、震える手で、剣を恭介の肩口に当てる。
「だからね……私は、あなたの偽物を許せない」
さやかは、剣を突き刺した。偽物の上条恭介は苦悶の表情で息絶えた。さやかの怒りは頂点に達し、わなわなと震えた。
「優木沙々! でてきなさい!」
沙々が30mほど離れた場所に現れる。今度はさやかのスピードを考慮しているようだ。
「クソ女が私のことをクズだと言っていなかった?」
「言ってたね……」
「どう思います」
「……」
「友人の言うことは信じたほうがいい」
沙々が杖を突くと、100体近い大型魔獣が所せましと出現した。さやかは体勢を低くして身構える。
「私はクズさ、正真正銘のね」
「……」
「ゲロ吐いて死にな……美樹さやか」
次話:閃光(2)