決戦当日 11:55 見滝原ショッピングモール駐車場
佐倉杏子
日曜日の昼時、見滝原ショッピングモール駐車場は車であふれかえっており、佐倉杏子が望んでいた環境が整っていた。
杏子は、その車の海の中を、メインセンターから遠ざかる方向に歩いていた。どこにいるか分からぬ呉キリカの目を避けるように車高の高いミニバンの付近を選びながら、慎重に動いていた。
(ほむら……あいつは結末を予知できないんだったよな)
『未来は自分で決める』という美国織莉子の強い意思が、結果を見ることを拒絶しているのではないかと暁美ほむらは言っていた。その考えには杏子も同感していた。発狂する前の父親からの教えも、織莉子の考えと似ていた。神が定めるのは計画のみ、どのように達成するかは、自分で決めなければならない。それが父の教えだった。
その織莉子によって、こちらの出方は読まれていることが想定される。しかも、速度を遅くするという キリカの能力は最悪の相性でもあった。だから、杏子は“助っ人”を頼むことにした。ただし、その“助っ人”は味方にもなれば敵にもなる者だ。
(頼りにしてるぜ……魔獣の旦那)
このショッピングモールは魔獣が
魔獣は、ほむら側、織莉子側の区別などしない。魔法少女ならば見境なく攻撃をしてくる。杏子もキリカも、魔獣の視界を意識しなければならない。杏子が望んだのは、その条件戦だ。
(あたしを警戒してるのか? それとも乗ったふりか?)
キリカが魔獣を放置しているということは、杏子の分身を見分けるツールとして魔獣を利用する腹積もりだろう。今のところ魔獣になんの動きもない。ということは、キリカも車の海の中に紛れているか、動いていないかだ。
センターの正面入り口にある派手なからくり時計が戦闘開始の正午を知らせていた。結界はまだ発生していなかった。それはキリカがまだ魔法少女に変身していないことを意味していた。その余裕を見せるかのようなキリカの行動に、杏子は、やや、焦りを感じていた。
(分かったよキリカ、あたしから始めろってことだよな)
杏子は両手を組んで魔法少女に変身した。同時に結界が生成され、現実世界から隔離される。ここにはもう、魔法少女か魔獣しか存在できない。
同じ近接戦闘タイプの戦いになるのだ。手合わせ時に有利なポジションにいることが非常に重要になる。杏子は、分身を一体出現させ、ショッピングセンター右側に移動させた。意図的に魔獣の視界を通過させている。魔獣が攻撃しないので、それが分身であることがキリカにも分かったはずだ。
次に杏子自身が、数十メートル後方に下がる動きをする。その際に、魔獣から見える位置を通過し、攻撃を促した。案の定、魔獣からビーム攻撃があり、杏子は素早く移動して避ける。高級そうなセダン車に直撃し、破壊炎上している。
これで、自分の位置がキリカにも特定できただろう。ここで、杏子は二体目の分身を出現させ、その場で待機行動をとらせ、自分は、静粛かつ速やかに一対目の分身の位置に移動して、彼女と入れ替わる。
(子供だましが通用するか……確認だぜ、キリカ)
呉キリカは美国織莉子に依存していると暁美ほむらは言った。だとしたら、なるべく早く、この戦闘を終わらせ、織莉子の援護に向かいたいと考えているかもしれない。そうならば、早期決着を望むはずだ。
キリカの回答は驚くべき手段で実施された。ショッピングセンター二階にいた彼女は、大胆にもそこから跳躍し、杏子の5mほど離れたタクシーの上に着地した。その間、3度、魔獣からの攻撃を受けたが、まるで知っていたかのように無駄のない動きで
キリカは、すぐに車の陰に隠れ、魔獣からの攻撃を回避する。再び隠れながらの戦いになった。だが、これまでと違うのは、それぞれ相手を攻撃可能な距離に近づいていることだ。
「杏子がそんなミスをするわけないよね! お遊びはゲーセンで終わりにしようよ」
大声でのキリカの挑発だ。わざわざ位置を晒すような真似をするということは、杏子の推測は正しいのかもしれない。
(魔眼に捉えられなければ、速度遅延は発生しない)
右目を欠損している優木沙々とは違い、キリカの右目は正常だ。ならば、なぜ隠すのか? 杏子はキリカの右目を魔眼の
(こんな近くに……この動きも予測されている)
杏子が駐車場を戦場に選んだ理由に、自動車のガラスやミラーを利用できることも含まれていた。浅古小巻が断定した“記憶の暴走”にも対応可能で、今のように複雑に屈折した反射でキリカの位置も判明できる。2ブロックほど離れた車の陰から、キリカがこちらに向かってくる。
(この能力は知っているか?)
杏子の分身は音声を出せる。実際は杏子の声の方向を変えているだけだが、陽動には役に立つ。
「ずいぶんと無防備じゃないか? 美国が予知していたってか?」
杏子が分身に話をさせる。キリカはその陽動にも動じなかった。
「そうだよ。だからあんたが偽物だっていうことも知っているさ」
「お遊びは終わりか……そのとおりだぜ!」
分身の杏子が槍をキリカに突き立てようとダッシュした。しかし、その動きは
(なに……分身にも効果があるのか?)
まるで殺してくれと言わんばかりのスローな動きの分身を、キリカが、狂気を含んだ笑顔で、両手の爪で、切り刻んでいる。無論、分身なので空気を切るようなものだが、イメージとして死体が、キリカの足元に転がっていた。
杏子は自身がまともに動けるかを確認した。大丈夫だとは思う。いや、そう思っているだけで、実際は速度低下しているのかもしれない。
(さやか……あんたは正しいよ。あんたやマミじゃあ、こいつは倒せない)
杏子の分身が消えていく。それに伴い、キリカの爪や装束に付着した分身の血液も消える。
「今からそっちに行くよ」
今までの声質とはまったく違う殺気のこもった声だった。車のミラー越しにキリカと目があった。ここは一旦距離を取るべきだ。杏子が移動しようとした瞬間、キリカとの距離がいっきに縮まった。
(これは……遅延されているのか?)
動きを遅くされている自覚はない。ただ、迫りくるキリカのスピードが尋常ではない。彼女の能力を知らなければ、超高速で動いていると判断してしまう。
この速度差では確実に打ち取られる。ここは“助っ人”に頼むしかない。杏子は、後方への跳躍をした。とはいえ、動きが遅くなっているので、足が地面を離れるまでは、キリカの接近を許すことになる。
直接目視できるまでの距離になった。キリカの狂気の笑顔に、杏子はたじろいだ。盲目の愛は、良心の呵責を喪失させる。今の彼女はまさにその状態だ。
杏子の両足が地面から離れた。跳躍という物理運動まではキリカも遅延できない。速度差はなくなり、遅れて跳躍したキリカとの距離は一定に保たれている。正面にいる魔獣から杏子とキリカに攻撃が放たれた。
(まただ……また遅くなっている)
普段なら余裕で回避できる魔獣のビーム攻撃もギリギリの展開になった。杏子は槍の穂先をソウルジェムのある胸の位置に極めてゆっくり移動させた。魔眼の制御下では、予測で行動するしかない。それは的中し、魔獣のビームは、穂先に弾かれ、攻撃対象をキリカに変更した。
「面白いね! 杏子!」
長い袖に隠された、キリカの爪が露出した。そして、その爪を羽のように広げ、二つのビームを打ち消した。
やはり、こんな子供だましは通用しなかった。キリカを倒すには情報が不足している。
「もっと楽しんでくれよ!」
苦し紛れの挑発だった。美国織莉子という悪夢のような存在が杏子を不安にさせる。いや、焦ってはならない。キリカは織莉子が予知した決定的な時を待っているはずだ。その裏をかくしかない。
跳躍が頂点に達し、一瞬速度がゼロになる。そのタイミングで、杏子は、分身を一体キリカの右側に出現させた。キリカはちらりとそれを確認する。
(普通に動ける……そういうことか)
キリカが歯をむき出して笑っている。
「抜け目ないね杏子。ボクの謎が分かったかい?」
「ああ、分かったよ」
眼帯で隠された魔眼に見られることで速度遅延は発生する。推測が確証に変わっただけだが、キリカを倒す手掛かりにはなった。
「こいつは殺してもいいのか?」
キリカが杏子の分身を顎で示した。
「その必要はない」
それは油断だった。杏子は分身を消すためにキリカから視線を外した。降下中の杏子と魔獣の間には、日食の月のようにキリカがいた。その一直線になるタイミングで発射されていた魔獣の攻撃を、キリカはわずかな動きで避けて杏子にビームをスルーパスした。
「!!」
そうだった。あの魔眼で見られているのだ。回避動作は制限される。杏子は、魔獣のビーム攻撃の直撃を受けた。やや角度がずれたため、ソウルジェムは無傷だ。だが、ほぼ無防備だった身体のダメージは大きい。右胸から右腕にかけて、火傷を伴う深い裂傷を負った。
「くそ!」
地面が迫っている。キリカに見られているので、緩慢な動きしかできない。かなりの落下速度で着地することになり、左足首にもダメージを負い、立っていられなくなった。
(追撃されたら終わりだ……)
運よく大型のピックアップトラックの後ろに杏子は落ちた。そこに現在の杏子と同じ状態の分身を置いて、左腕と右脚だけで必死に
(あんたがいないと……こんなに大変なんだな)
これまでも魔獣からの攻撃を受けることはあったが、その都度、美樹さやかの治癒魔法で早急に回復できた。しかし、今は彼女も優木沙々と戦っているはずだ。泣き言を言ってはならない。
魔法少女とはいえ、負傷すると血も流れる。杏子の移動経路はその血をたどれば容易に
身代わりに置いた杏子の分身が一瞬で殺された。もうそこまでキリカが迫っている。杏子は肘をついて上半身を起こし、座ったままキリカを待ち受ける。まだ回復しきっていない右腕を痛みに耐えながら動かし、顔の前で両手を組んだ。
呉キリカが両腕の爪を血に染めて現れる。これまでのように無駄口を叩いたりはしない。完全なる殺意を持って杏子に迫る。
杏子は迷っていた。今がその時だろうかという迷いだ。判断を誤れば、確実に自分はキリカに始末される。序盤でキリカに自由行動を許すわけにはいかない。ただでさえ、ほむらは、織莉子と浅古小糸という危険なタッグと戦わねばならない。そこに、呉キリカが加わると、ほむらには勝ち目がない。
キリカが両腕をヒグマのように広げて攻撃態勢をとった。長い爪の攻撃範囲からは、遅延されている状態では逃れられない。そのまま振り下ろしても良し、
(編み込み結界……)
魔法は遅延できない。瞬時にリリアン編みの結界が出現し、キリカを束縛しようと収縮する。
(!)
キリカは驚くべき速度で両腕を振り回し、彼女を束縛しようとする結界を断ち切っていく。完全に予知されていた。振り上げていた両腕は、その意味もあったのかもしれない。だが、杏子の狙いは、キリカの束縛ではなかった。
「美国は……本当に結果を見れないみたいだな」
「まあね……でも、キミの負けは決まってるよ」
「かもな……試して見るかい?」
杏子の狙った物が手に握られていた。それはキリカの眼帯。巻きつこうとする編み込み結界の脇で、別の結界ラインがキリカの眼帯を奪っていた。キリカの魔眼は隠されていてこそ機能する。そう考えての戦術だった。そしてそれは正しかったようだ。キリカの右目から遅延能力が喪失していた。
だが、回復しきっていない杏子では、キリカには勝てない。それこそ、ほむらが言ったように、相打ちを狙うしかなかった。
杏子は、左手でじりじりと槍を引き寄せた。キリカは興味深そうにそれを見ている。遅延能力が奪われても気にしていない。それはそうだ。ここで決着をつっけるつもりならば能力の有無など無意味なことだ。
「かなりダメージがあるみたいだね」
「そうでもないさ」
杏子には、すべての魔力を使い切る捨て身の技があった。どうやら、それを使わなければ、キリカには勝てそうにない。
「なかなか良い推理だったよ。織莉子が予知したのは、キミがさっきの結界を出すところまでさ」
「……」
「その傷が治るまでどのぐらいかかる?」
「……」
キリカは、ゲーム対戦時の温和な表情に戻っていた。まったく理解できない。二人の殺し合いはすでに始まっており、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
「答えないの? まあいいさ、それまで少し話をしようよ」
キリカはやや離れた場所のスポーツカーのボンネットに座った。
「楽にあたしを殺せるチャンスを逃すのか?」
「ボクをバカにしてるのかな? 今の君はこれまでで一番怖い」
「……」
油断は禁物だ。キリカは変人ではあるが、知能は高いと聞いている。どんな策を考えているか分かったものではない。
足首の激痛が治まってきた。これで立つことはできそうだが、もうしばらく様子を見よう。
「杏子はさやかが好きなのかい?」
「ば、バカ言うなよ!」
「ムキになるのはおかしいよ。ボクは織莉子を愛しているからね」
「あんたとあたしは違う」
「どこが?」
「……」
どこが違うかと問われても、答えに詰まるしかない。正直、自分のさやかに対する愛情がなんであるかが不明なのだ。
「さっき杏子は、愛は永遠に一方通行だと言ったよね」
「ああ」
「それは……キミがそう思っているだけじゃないの?」
「愛は……絶対に見返りを求めちゃいけない。そういうことだよ」
「杏子らしいよ。でもね、ボクは、同じことをもう一度言うよ」
「……」
「愛は、永遠であり、無限なのさ」
杏子は、キリカのことが好きになっていた。人見リナや美樹さやかのように、正しいと思うことを
「キリカ……変なことを言うかと思うが、あたしはあんたが好きになった。でもな……」
「分かってるよ……杏子」
「……」
「もう傷はいいのかな?」
「ぼちぼちかな」
キリカが腰を上げて、手でスパッツの埃を払っている。ああ見えても彼女はお嬢様なのだ。衣服に対するこだわりは強いようだ。
「私たちは決して友人にはなれない。だから……殺し合いを再開しようじゃないか」
杏子は槍を杖にして立ち上がった。まだ、違和感はあるが、戦うには支障のない回復レベルだ。キリカの笑顔につられて、杏子も笑った。
「そうだな……どっちかが死ぬまでだよな」
「忠告しただろう? ゲームで勝つべきだったってね」
「ああ、しくじった」
杏子は、穂先をキリカに突き出し、中段の構えを取る。キリカは、わずかに後方に下がり、膝を曲げて腰を落とす。両腕はだらりと前に下げたままだ。
二人は魔力を無視したフィジカルの強さでの戦いを求めていた。それは、もはや魔法少女の戦いではなかった。互いを認めあった格闘家、剣豪の戦いに近かった。無論、これは競技ではない。結果はどちらかが倒れるか、両者とも倒れるか、その二つしかなかった。
次話:幻影(3)