見滝原中学校近郊
浅古小糸
酷い
(わざと
再起不能レベルにするのなら、確実に大腿骨を損傷させるはずだ。しかし、ほむらは、狙ってそれを避けていた。本当に悪魔の気まぐれなのかもしれないが、その代償は高くつくことになる。浅古小糸は激痛に苦しみながらも、
(織莉子さんに……情報を伝えなければ)
動くことができないので、直接美国織莉子を助けることはできない。ただ、これまでの駆け引きで得られた情報は伝えられる。小糸のテレパシー能力は高度なものであり、魔力を消耗していても、この程度の距離ならば問題はない。
「ひどくやられたようだね」
「……」
精神集中中にキュウベえからの邪魔が入った。小糸は、それを中断して、不機嫌な顔を向けた。
「なにしに来たの……クソ猫」
「おやおや、沙々みたいなことを言うね。まあ、好かれているなんて思ってはいないけどね」
小糸は、キュウベえが嫌いだった。そこだけは、暁美ほむらとシンパシーを感じる。
「なにしに来たのか聞いているのよ」
怒りを隠さないで繰り返した。キュウベえは、そういった責めになれているのか、猫のように、後ろ足で頭を
「キミとの約束のことさ」
「いまさらなにを」
「そう邪険に扱わないでほしいな。ボクたちは譲歩案を提示しに来たのさ」
「言ってみて」
「もしも、君が得た暁美ほむらの情報が有意義なものならば、彼女の生死に関わらず約束は果たされる」
小糸は、この戦いの結末に対して、キュウベえと密約を交わしていた。それは、姉の浅古小巻も美国織莉子も知らないことだ。
「分かった。それじゃあどこかに行ってくれる」
「もう一つ質問があるんだ」
小糸はイライラしていた。可能な限り早く織莉子に情報を伝えなければならない。それなのに、目の前にいる“害獣”は、それを妨害している。
「もしも、織莉子とほむらも相打ちになったら、君はどうするんだい?」
「……」
小糸は、直面している現状とは場違いな情景を脳裏に映し出していた。それは、二日前の金曜日、美国織莉子邸での作戦会議の記憶だった。
二日前 美国織莉子邸
浅古小糸
美国織莉子邸の居間は広いだけではなかった。天井は高く、統一された調度品が揃えられ、中にいる人間が、自然にリラックスできる空間が演出されていた。いわゆる“成金組”である浅古小糸の家にも大きな居間はあったが、ただ広いだけの雑然とした空間だった。“良家組”との差はこのような日常から生まれるのかなと思った。
とはいえ、小糸はこの空間が好きだった。厳密に言えば、仲間たちといるこの空間が好きだった。しかも、今日は五人全員が集まっている貴重な日だ。それもそのはず、二日後に迫った“悪魔”との戦いへの最終会議の場であるからだ。
「私たちはあの盾が動くところを見たわけじゃない。だから、あの砂時計は暁美ほむらが止められる時間と考えておいた方がいい」
五人で集まる場合の席順はほぼ決まっている。暖炉近くの上座には当主である織莉子が座り、その隣は呉キリカで、大きなテーブルを挟んで、優木沙々、浅古小巻、そして小糸だった。それは、織莉子は自分たちを客人ではなく家族として捉えていることを意味していた。
「砂時計は砂が落ちている時だけ時計として機能しているよ。だから、逆じゃないかな」
小巻の意見へのキリカの対抗意見だ。見かけとは裏腹に、キリカは実に論理的な考えかたをする。今の意見にも小糸ははっとさせられた。確かにそうだ、横向きに置かれた砂時計は、ただのオブジェでしかない。
「キリカもたまにはいいことを言う……」
「たまには?」
「すまない。聞かなかったことにしてくれ。……沙々はどう思う」
「小巻……無理して落ち着きを見せようとするからそうなるのですよ」
見かけとは裏腹な人間はもう一人いた。優木沙々は普段は非常に上品で、話し方もとても丁寧だ。ところが、何かのきっかけで、信じられないほど態度も口も悪くなる。姉にどちらが本当の沙々なのか聞いてみたが、『答えるまでもない』との回答だった。
「なんだって?」
「私は織莉子さんを怒鳴り散らかしているあなたをよく知っていますからね」
織莉子とキリカが笑っている。それは二人も共通意見のようだ。
「あんたこそ、その上品ぶった演技は止めたらどうなの」
「はっ、ゴリラのあんたには言われたくねーですよ」
「……ゴリラって言ったな? 私は晶にも美幸にも、それを言ったら殴りに行くと警告していた。だから、お前にもそうする……」
「映画になりそうだよなあ。『浅古“ゴリラ”小巻。いま、殴りにゆきます』」
小巻と沙々は仲が悪いわけではなかった。織莉子が言うには、それぞれが無理をして仮の人格を形成しているので、ここでは、安心して本来の姿が出てしまうらしい。分かるような気がする。ここには、学校にも家にもない安らぎがあった。きっと、それが美国織莉子の魅力なのだなと思う。
その織莉子が微笑みながらキリカに目で指示を出している。そろそろ、止めろということだろう。
「本当に“黒”沙々は口が悪いよね」
キリカがやや腰を浮かせて沙々をなだめている。
「半狂人のあんたには言われたくねーんだよ」
「ささささ……キミは、一度死んだ方がいいと思うんだ……」
織莉子が音を立ててティーカップを持ち上げて、飲み干した。そして空になったティーカップを揺らしている。
「キリカ、紅茶のお代わりをお願い」
「分かったよ織莉子。ささささは? 白いやつ?」
「はい、それでお願いします」
「ゴリラは?」
「私にも変身させるつもりなのか?」
「冗談だよ。それじゃあいつものやつね。妹ちゃんもそれでいい?」
「はい」
キリカが変身を解いてキッチンに向かった。恐ろしいまでの
「小糸ちゃんなら、砂時計の謎は解ける?」
解けないなどとは言いたくもなかった。織莉子の期待にはなにがなんでも応えたいとは思う。だが、暁美ほむらは一筋縄で対応できる相手ではない。
「織莉子さんの推測どおり、暁美さんは私の力を知っていました。だから、こちらの弱みを見せながら、侵入する必要があります」
「恐ろしいわね」
「あの人は……記憶として私たちの力の知識を持っています。どうして、そんなことができるのか……」
「小糸ちゃん……暁美さんのすべての謎は、あの盾にあるのよ」
「……そうですね。その情報は、必ず織莉子さんに届けます」
「ええ」
キリカが純銀のプレートに五人分の紅茶を載せて戻ってきた。全員でそれを受け取り、キリカの腕前を
「少なくとも……私よりは腕が上だよ。美国には及ばないけどね」
姉の小巻は、織莉子に影響されて、美味しい紅茶をいれるトレーニングをしていたが、どうしても近づけないと
(ほんとうだ……お姉ちゃんのより美味しい……)
キリカと目が合った。表情でこちらの感想が伝わった様子だ。彼女は嬉しそうに笑った。
「私には違いが判りませんけどね」
「あたりまえだよ、そんなにミルクを入れたら、紅茶でもコーヒーでも一緒だよ」
「ドロドロになるまでジャムを入れても、あなたは違いが分かるのですか?」
「ボクにとって、紅茶はフレーバーだからね」
織莉子が笑っている。
「紅茶がフレーバー? そんなの初めて聞いたわ」
「紅茶は好きなんだけどね。でも甘いものはもっと好きだよ」
「キリカらしいわね。でも、小巻さんは正しいわ。とても美味しい紅茶よ」
呉キリカの最大の喜びは、織莉子に褒められることなのだ。
「良かった。織莉子に教わった通りに入れてみたんだ」
「キリカは織莉子さんのためなら努力を惜しまないのね」
「そうさ。ささささだってそうでしょう?」
「……」
アウトローとして生きてきた沙々が小糸につぶやいたことがあった。
『自分の居場所を見つけたような気がする』
それは沙々の本心だったと思う。しかし、彼女はキリカの質問には答えない。これまでの優木沙々という生き様を考えるのならば当然ともいえた。でも、言葉にしなくとも、皆、それを知っている。そういう意味では、自分たち五人は家族以上の絆で結ばれていた。
優しい空気が小糸の周囲に
「戦術的には愚策だと思う。でも、私は自分の予知を信じるわ」
「美国……お前は、まだあの予知を見るのか?」
織莉子の予知には矛盾があった。彼女の予知した最終到達点が二つあることだ。一つは、崩壊した見滝原中学校で暁美ほむらと一対一で戦うもの。もう一つは、最初に見た予知であるビルの屋上で暗黒にのまれて消滅する予知だ。未来は変えられる。だとするのなら、暗黒にのまれる予知は上書き消去されるはずだ。しかしながら、彼女はいまだにその予知を見るのだと言う。
「頻度は高くない。けれど、まだ存在しているの」
「どういうことだろうな?」
小糸にもその答えはわからない。しかし、謎を解く提案はできる。
「私が確認してみます。きっと、答えは暁美さんしか知りえないことだと思います」
「……小糸ちゃん」
「はい?」
「あなたは絶対に死んではなりませんよ」
「……何を言うんですか?」
不満を織莉子にぶつける小糸の頭を姉が撫でる。
「美国の言うことを聞くんだ。それは、私の願いでもあるからね」
「……」
まるで母親のように言い聞かせる姉の言葉に、小糸の反抗心が和らいでいった。
「妹ちゃんには、ボクたちの戦いを見届けてほしいんだ」
決して楽しい話ではないはずだ。それなのにキリカは、普段と同じ笑顔で小糸に言った。沙々も、体を乗り出して小巻を指さしながら続けた。
「こいつの言うことは聞いた方がいいですよ。なにしろゴリラですから」
「あんたは……どうしても私に殴ってもらいたいようね」
小巻が指をポキポキ鳴らして
それは、死神に
見滝原中学校近郊
浅古小糸
キュウベえの言葉には、すでに織莉子以外の全員が相打ちになり、円環の理に導かれたことを
「織莉子さんは負けないよ」
「君は、ほむらに負けず劣らず不思議な少女だよ」
「どういう意味?」
「肉親である小巻が死んだんだよ。大抵はボクに
「大泣きするわよ! でも、人の心の解らない“害獣”の前ではいやなだけよ!」
「わけがわからないけど、君の意見は尊重するよ。僕たちは約束を守るし、ここからも立ち去る。だから、思う存分泣いても結構だよ」
キュウベえが物陰に消えた。目障りな“害獣”が消えた途端に、姉や仲間を失った寂しさがこみ上げてきた。
(だめよ……まだ泣いちゃだめ。織莉子さんに……報告しなきゃ)
見滝原中学校
美国織莉子
美国織莉子は中学校の最上階にいた。予知で見た戦闘の最終舞台は、この階にある化学室だと分かった。完全に廃墟化しており、
(オラクルレイが割られた……これでいいわ)
織莉子の武器である“オラクルレイ”は、四肢の延長であり、目の役割も持っていた。それを自在に操り、見滝原中学校の現状と、暁美ほむらの現在地を割り出した。彼女は、二階で、“オラクルレイ”二個を破壊した。予知通りの展開だ。時間を操作する“悪魔”には、短い予知を繰り返して対抗するしかない。
(織莉子さん……)
浅古小糸からのテレパシーが届いた。あまり強くはないので、どこか身体にダメージを負い、動けない状態であることが推測される。
(小糸ちゃん……大丈夫)
(……)
小糸の
(お姉さんが行ってしまったのね)
(はい……キリカさんも……沙々さんも……)
(……)
容易に予測できたことだ。この戦いではだれも生き残らない。それを自分は強行した。すべての責任は、この美国織莉子にある。
(あの人は……仲間の死に対して感情を動かしませんでした。悪魔です。本当に暁美ほむらは悪魔です)
(私だってそうよ……)
(違います! 織莉子さんは違う! ……だから倒して下さい。暁美ほむらを倒して!)
そう言って泣き続ける小糸に、織莉子は気休めの言葉を贈った。
(悪魔に好き勝手はさせません。私が倒します。だから安心して休んで
その気休めが効いたのか、小糸は泣き止んで、冷静さを取り戻した。
(……砂時計は……常に流れ続けています。そのリミットは長くはありません。悪魔は短期決戦を挑みます)
(そう)
(それともう一点……悪魔は改変という言葉を用いていました)
(改変……なにを改変するの?)
(わかりません……ただ、悪魔のヴィジョンとして見えたものは……)
(……)
(世界……でした)
織莉子は
(改変させてはならない……キュウベえ、あなたとの約束は破るしかない。暁美ほむらを生存させると、あの予知が現実化する。それは……断じて許されない)
次話:対価(3)