見滝原中学校
美国織莉子
美国織莉子は水によって流されていた長いショールのついた帽子を拾い上げる。水分を含みかなり重くなっているが、織莉子は構わずそれを被った。呉キリカに
(小糸ちゃん……本当に一筋縄ではいかないわね)
織莉子の予知能力は長いレンジならばランダムに予知可能で、その結果は脳に記憶として格納される。しかし、数秒後、数分後といった予知は、クールタイムを挟んだシリアルにしか予知できなかった。
今現在、織莉子は3分先の30秒間の世界を連続で見ていた。クールタイムの約5秒間は、現実の世界に戻るが、その間に起こった事象は把握できる。
そこまでしても時間停止というほむらの凶悪な能力には力不足だった。そのため、デジタル時計を多数配置して、彼女がいつ時を止めたかが分かるようにした。
(来るわね……)
フリッカーのようなちらつきが織莉子の視界に現れた。それはちょうど3分後に発生する。ほむらが時を止めた証拠だった。
(残り時間が少ないのに慎重ね……私がどの程度先を見ているか探っている)
ほむらが貯水タンクを破壊して“オラクルレイ”のトリックを無効化するのは予知できていた。避けようと思えば、水浸しになるのは避けられたが、ほむらにどのぐらい先を予知しているかを識別させないために、あえて、水の攻撃を受けた。
時間停止には相当な魔力消費を伴うだろう。自分と同様に、長時間になればなるほどその消費量は激しくなるはずだ。だから、ほむらには、
(手札は、可能な限り減らさない。そうでしょう? 暁美さん)
予知の視界に暁美ほむらが映し出されることがあってはならない。それは自分が発見されることを意味しているからだ。正直、織莉子の“オフェンス”のターンは“オラクルレイ”のトリックで終了していた。そこで、ほむらを抹殺することがベストだったのだが、失敗したからには、予知に基づいた“攻撃的ディフェンス”に切り替えるしかない。
足元には、破壊された音楽室から飛散した金属製の大型スピーカーが転がっていた。おあつらえ向きにウーファー部が陥没して中に水が溜まっていた。織莉子は、それを見つめながら独りごちた。
「簡単においでいただいては……あなたに失礼ね」
何度も予知した最終対決までに可能な限りほむらの力を削ぎ落さねばならない。それが“悪魔”に対する礼儀というものだ。
織莉子は、決戦の場である化学室に向かった。
見滝原中学校
暁美ほむら
暁美ほむらは、五階に着地すると同時に時を止めた。これまでの時間軸では、美国織莉子は常に攻撃側だった。しかし、今回は防御側としてほむらを待ち受けている。経験則だけで動いては彼女の罠に
(どこまで読んでいる?)
貯水タンク破壊寸前まで織莉子は攻撃の手を緩めていなかった。単純に考えるのならば、数十秒単位の短い未来を予知し続けていると予測される。だが、それは演技であり、数分、数十分先まで読んでいると考えることもできる。とはいえ、ほむらに残された魔力では、そこまでの時間停止はできない。浅古小糸の策略がツボにはまったということだ。
衣装や頭髪も乾いてきて、動きやすくなった。ほむらは拳銃を構えながら前進する。視聴覚室はもう見たので軽く再確認して素通りする。織莉子がいると思われる化学室までには音楽室や美術室、技術室があるが、詳細に調査する暇はない。数十秒時を止めて、目視確認がせいぜいなところだ。
音楽室は水の被害が大きかった。床や、崩れ落ちた音響設備、楽器等が水に浸かっていた。
(!)
織莉子のオラクルレイが突然現れた。ほむらの動向を予知して、この場に潜伏していたのだろう。ただ、オラクルレイは、ほむらを攻撃するわけではなく、何かを落として、高速で飛び去った。時を止めるべく盾に手をかけていたが、
(美国織莉子がこんな無意味なことをするわけがない)
オラクルレイが落としたもの。それは、スピーカーと思われる残骸に白い塊を入れていた。しかも、それは白い煙を上げて、強烈な刺激臭を発生させている。
(……ナトリウム)
繰り返した数週間の化学の授業で何度も見た光景だった。金属ナトリウムの実験で、神経質そうなやせ型の教師が、灯油漬けになっているレンガ大のナトリウムをカッターで微量を削り、水槽の中に放り込み、水と急激に反応し、白煙を上げて破裂する。まどかは怖がってほむらかさやかにしがみつく。恒例の行事のようなものだった。その中で、教師が必ずこう付け加える。
(『これを全部水槽に入れたら、教室がなくなるよ』)
織莉子が行ったのはそういうことだ。ナトリウムが発光した瞬間に、ほむらは盾を回して時を止めた。残された時間は少ない。爆発からの回避で、美術室の中ほどの廊下まで前進し。それと同時に壁にかけてあるデジタル時計に五分後のアラームを設定した。
時を戻す前に現在時刻を確認し、ほむらは水浸しになるのも構わずに、危険回避のため廊下に伏せて耳を塞ぐ。背後で大爆発が起こり、大音響、振動とともに、音楽室ごと
やがて、振動も収まり、ほむらは立ち上がった。織莉子がいると思われる化学室の前では、オラクルレイがほむらを監視している。
そのオラクルレイが敏感に震え、向きを変えて化学室に戻っていった。現在時刻を確認すると、先ほどから二分経過していた。
(三分……あなたは、三分先を見ているのね)
織莉子は三分後にアラームが鳴ったのを予知したのだ。そして、こちらの意図を察知し、完全な防御態勢に入った。だが、それこそ無意味というものだ。三分以上の時間停止で、美国織莉子は、こちらの動きに対応できない。
(これで決着よ)
見滝原中学校
美国織莉子
暁美ほむらは、まさに百戦錬磨といえた。たとえ最強の能力を持っていたとしても、ここまで臨機応変に対応できるほむらは、敵対するものにとっては“悪魔”そのものだった。
(三分以上時を止めてくる……自分で言うのも何だけど、予知って当たるものね)
化学室の最深部で、織莉子は、自分を中心に、オラクルレイを衛星のように周回させている。確実に敗北する予知に従っての行動だ。ここでいう敗北とは戦闘での敗北だ。織莉子の予知を先行無効化するほむらには、打つ手がない。ただし、自分には記憶として保管されている最終対決の予知があった。
(あなたが、いつ、どこに現れるか……その感覚は、身に沁みついている)
数秒後に、ほむらは、シルエットとして化学室の入り口に現れるはずだ。そして、そのシルエットが出現した。
(そこよ!)
両腕でほむらを指差す。二つのオラクルレイはその動きに追従し、最短距離で対象物を破壊しようと高速移動する。しかし、それは失敗が約束されていた。ほむらは再度時間停止して、織莉子に接近して、心臓に鉛玉をぶち込むはずだ。織莉子は、これまで身体的なダメージを受けたことがなかった。痛みや苦痛への耐性はゼロといってよい。
オラクルレイが無人の壁に突入して新たな瓦礫を作製した。
「……う」
体内に何らかの異物が侵入した。痛いとか苦しいとかの感覚はなかった。ただ、異物侵入による極端な不快感が織莉子を支配していた。
(私は……魔法少女……ソウルジェムを割られない限り……死ぬことはない)
それは、かつて、自分が浅古小巻に言った言葉だ。しかし、小巻ではないが、そんな単純なものではなかった。心臓も肺も人間の生命の根幹になる臓器だ。それが機能不全となっては、魔法少女とはいえ行動不能になってしまう。
暁美ほむらが拳銃を持ったまま近づいてくる。織莉子は、壁に背中を預け座り込んでいた。ほぼ動けない状態だが、かろうじて目と右手が反応している。
ほむらが1mほど手前で停止し、銃口を織莉子の胸元にあるソウルジェムに向けている。
(予知どおり……)
少なくとも動けるようになるまで回復しなければならない。さもなければ、自分はここで無駄死にする。
「殺さないの?」
さも不思議そうにほむらに質問した。彼女は、その真偽を確かめるように、織莉子を観察している。
「殺すわよ……でも、その前に質問に答えて」
織莉子は演技を続けた。なぜ、そんな質問をするのか? そんな表情を浮かべた。
「なぜ、私を殺すの?」
ほむらの冷徹な質問。これでいい。すべて予知済みの展開だ。あとは、仕上げのための行動ができるかどうかだ。
(すべては……この時のために)
停止していた心臓が動き始めている。右腕の感覚も戻っていた。だが、それをほむらに悟られてはならない。織莉子はあえて苦し気に目を閉じた。
ところが、それはうまく行かなかった。無意識に口角が上がってしまい、笑みが隠せなくなった。まあいい。これで“悪魔”を抹殺できる。その喜びとともに織莉子は目を開けた。
「かなめまどかが殺せと命じたからよ」
暁美ほむらの眉が
「まどかが……私を」
ほむらが一歩後退した。
(今よ!)
己の願いのために、愛しい三人の仲間たちは死んだ。その犠牲を無駄にするわけにはいかない。織莉子は自身に残された生命エネルギーをすべて投入し、ほむらに反撃した。
織莉子は死に体同然の身体を無理やり動かし、ほむらが持っていた拳銃を叩き落とし、地面に転がっていたオラクルレイを呼び戻して、“悪魔”の右腕と腹部に強烈な打撃を加えた。たまらずほむらが吐血した。そして、織莉子は馬乗りになり左膝で“悪魔”ソウルジェムを抑えつけた。
「暁美ほむら……死ぬ時が来たのよ」
織莉子の周囲には、怒りによって、青白く輝いているオラクルレイが旋回していた。
次話:対価(5)