キーストン   作:If_i_were_you

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ウマ娘 プリティーダービーの二次創作です。

皐月賞の後のキーストンの話

◎作中の『ソロナ家』とは
アイルランド生まれのウマ娘のソロナウェーを現在は中心とする一族。
一族にはヤマピット(姪にイットー)も属し、あの『華麗なる一族』とも関わりがあるという。
この話の流れだとヤマピットは恐らく華麗なる一族からソロナ家に嫁いだのではないでしょうか(拡大解釈)
ソロナ家からは気が強いウマ娘が非常に多く輩出される。

ふわっとした設定ですが、作中でソロナウェーの話があるため、踏まえずとも読めるかと存じます。

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「もしも競走馬のキーストンがウマ娘だったら」という空想のもと書かせていただいています。概ね史実準拠となりますが、ソロナウェーの属する家が大きかったり、ソロナウェーをキーストンの母としていたりと、捏造も多分に含まれます。
書きたいシーンだけの書きなぐりです。
空気感をなんとなく感じ取っていただけますと幸いです。

⚠️メインは題材ありのオリジナルウマ娘/オリジナルキャラクターにつき、苦手な方はご注意ください。
⚠️デリケートな題材なため、問題が発生した/発生しそうな空気感を察知した場合、予告無く削除させていただく可能性がございます。
⚠️オリジナルトレーナー、実在の競走馬の系譜を元ネタとした「ソロナ家」というオリジナルの家系などのオリジナルキャラクター/要素も登場いたします。

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皐月賞の後、馬主側から主戦騎手を交代させろという話が出て、それを騎手が過去にお世話になった競馬界の方々になんとか止めてもらい、続投になったという話をベースにしています。
『ソロナ家の紋章』というワードは志摩直人さんの詩の題名より拝借しました。キーストンを思うと美しくも切ない言葉のように感じます。



ソロナの血晶/かの瞳に宿るは

『ゴォォォルイン!! 勝ったのはまさかの八番人気チトセオー!! 迫るダイコーターを凌ぎ切り一冠!! 場内あっとどよめいております! これは大波乱! 大波乱の皐月賞となりました!!』

 

『大波乱』――よく覚えている。驚愕と動揺に満ちたレース直後のターフの上、酷く興奮した場内実況の発したその言葉を。その言い表すところの争いの中に、私は居ることさえできなかったということを、昨日のことのように覚えている。

 どうしてあのような情けない走りを、と自分でも呆れるほどの、あまりの凡走となってしまった。地下バ道の奥で私の帰りを、そして私の一冠を待ってくれているトレーナーさんに、私はどのような顔で会えばいいのだろう。新人の身でありながら『ソロナ家のウマ娘』の担当トレーナーという重圧を偏に背負い、身を粉にしてまで一生懸命に私に寄り添い走らせてくれた優しいトレーナーさん。彼のその努力と献身を、目標としてきた大舞台の上で最悪な形で裏切る走りをした私は、あの人に何をしたらいいのだろう。

 中山レース場にはあと一レース残されているから、私がこの場にいられる時間は決まっている。トレーナーさんに合わせる顔がないからと立ち尽くして再会を渋っていても仕方がない。やがて彼のもとへと続くこの地下道を、今はただ歩くしかないのだ。けれど歩いて行けば、いずれトレーナーさんと顔を合わせる瞬間は訪れてしまう。葛藤が渦巻きどうにも心苦しく重くなる足取りを、まだ公衆の面前だ、ソロナのウマ娘として恥とならぬ振る舞いを、と巻き直すように俯き気味だった顔をあげた、そのとき。

 既に迎えに出て来ていたらしい少し先にいるトレーナーさんと目が合ってしまった。雷撃が走ったかのように彼の歩みが止まる。誰が見てもわかるような茫然とした表情に、ああ、と胸の痛みを覚える間もなく、彼のくちびるが小さく動いた。周囲の喧騒の中で発せられたそのごく僅かな音を、ヒトよりも聴力に優れた耳が捉えてしまった。

「――俺のせいだ」

 懺悔と悲哀、そして何よりも己への強い怒りに満ちた、暗く沈みきったその小さな声と言葉がしずくのようにただ一つ、彼と私の間だけを満たした。

 控室、そして中山レース場を後にし学園に着くまでの間、私は沈痛な面持ちのトレーナーさんの前に結局何もできなかった。互いに涙も出さず、声すら交わさなかった。私も、おそらくはトレーナーさんも、声も涙も出せなかったから。

 そのときにはただ二人、ただ隣同士に座り、深い海の中にも似た同じ気持ちをただ共有し続けることしか、私たちの間にできることはなかった。

 

 ◇

 

『皐月賞』の日が終わってすぐ。叱咤、激励、ソロナ家内外の関係者諸兄姉から様々にたくさんの言葉を貰った頃。私はソロナの実家を会場に一人、夕餉に呼ばれた。家の者より聞かされたこの夕餉の呼び主の名前は、ソロナウェー。‪――‬私のお母様だった。

 

「『皐月賞』を勝てなかった、それも冠争いにすら関与できない大敗。――一体、何があったのかしら」

 キーストン。

 振り子時計の音だけが小さく響く、二人きりのダイニングルーム。向かいに座るお母様の鋭い眼差し、静かな声。気圧されて、私は磔にされたように首一つ動かせなくなる。けれど、それでも私は昔からお母様の娘だ、声量や声色からして隠し事を疑って脅しているわけでもなければ、先日の凡走について謝れと言っているわけでもないことは明白だった。生来の――ソロナ家に産まれるウマ娘のほとんどに共通すると言っても過言ではない程にありふれた――気の強さからか、いつも口調が直球なだけであり、お母様はシンプルに上手く走れなかった理由を問うている。気高きソロナ家を統べる者として、また、指導者として。

 私の生まれる十数年ほど前――現役時代のお母様は、簡単に言えば負け知らずで、他の追随を一切許さない圧倒的なスピードを武器に、祖国アイルランドの短距離・マイル路線を総なめにし時代を築いた実力者であり、引退後の現在は指導者として第一線に立ち続けているウマ娘だ。厳しくも的確なその指導の手腕は、日本に居を据えて活動しているのにも関わらず、祖国のウマ娘レース協会側から帰郷を願われる程。入れ替わりの激しいウマ娘レース界に、引退後の今も尚その名を轟かせ続けている、謂わば『名ウマ娘』だ。

「『スプリングS』であのウマ娘――ダイコーターに負けたから?」

 すごく落ち込んでいたものね。

 ゆっくり、しかし淡々と考えうる原因を述べるお母様。異国の血を引く色素の薄い瞳の向く先、表情は変わらない。

「それとも、あなたには二千は長すぎるということの表れだったのかしら」

 どの言葉にも、否定も肯定もあげることができない。耳を覆う静寂を紛らわしたくてぎゅっと唾を飲み込んだ喉に、吐き戻すときのような嫌な感覚を覚える。祖国から連れてきたというお抱えのシェフの作る、見た目の美しく味付けの優しい慣れ親しんだ夕食はおいしい。おいしいと確かに感じている。なのにどうしてか、既に胃の中に収まったそれが、少しずつ吐き気を誘ってくる。

「……どちらでもないのなら、スプリングSの件も含めて関係の仰る通り、指導する側に問題あり、という結論に――」

 指導する側。お母様のその声を耳が捉えた途端、ズキンと胸に刺し込むような痛みが走る。ビクリと肩が勝手に跳ね上がる。あのレース後、ソロナの諸兄姉の方々からも度々口に出されていた『指導する側』という言葉。言うまでもなく、トレーナーさんのことだった。『問題あり』、皆総じて、そんな言葉と一緒に。そしてこのあと、お母様から示されるだろう『結論』とは、一つだけ。

 ――契約解除

 絶望にも似た四文字が脳裏を過ぎる。白地に黒インクの紙が学園へ一枚提出され、承認、履行されてしまえば、もう二度と。――もう二度とトレーナーさんに、私の勝利に私よりも喜びはしゃいで笑ってくれる彼に、駆けて逢いに行くことができなくなるのだ。その一言は、私と彼を繋ぐたった一つの細い糸をぷつりと断ち切ってしまう。契約解除とはそういうことだ。

 嫌、それだけは嫌だと混迷した思考回路が、あの『皐月賞』で見たトレーナーさんの茫然とした表情を材料に、契約解除後の私のこの先、トレーナーさんのこの先、描きうる限りの最悪のパターンをいくつも弾き出す。私を見つめ続けたままの、表情の変わらないお母様から視線を逸らすこともできず、だんだんと視界が滲みだす。頭の中が砂嵐の映るテレビジョンのようにざわついて、気道が麻紐で締め付けられるような感覚に襲われた、そのとき。

 私はふと気づく。『結論に』から先を告げる声が、一向に聞こえてこないことに。

 お母様が途中で言葉を途切れさせたとわかったのは、一切の静寂がしんとダイニングを支配してから数秒が経過してからだった。言葉は躊躇わず全て言い切るのがお母様の常であるゆえに、まず私の耳がおかしくなったのかと疑ったほど珍しい光景だった。

 混乱し、状況理解が追いつかないままお母様に釘付けになっていると、彼女の耳の先が何かに気づいたようにぴくりと動いて、すぐにまた元に戻る。

「……随分、痩せてしまったのね」

 再び口が開かれると、先程までと全く趣旨の異なる言葉が降ってきた。え、と真意をつかみかねていると、お母様の浅く短いため息とともに、怜悧な双眸を象る目尻がほんの僅かに下がったのが見えた。

「あなたも、……あなたの『パートナー』も、ふたりしてそんなに痩せてしまって」

 ふわり、そんな表現が今は一番的確なくらい、目の前のお母様は僅かに口元を緩めて、眉尻と目尻を下げて微笑んだ。それは私にしか分からないほどの微細な表情の変化。普段の厳粛な、誰にでも勝ってみせるとまるで体現するような凛とした相貌と打って変わってそこにあったのは、小さくて弱い私を心の底から愛し、大切に想い続けてくれた〝大好きな母〟の面影だった。

「『皐月賞』での大敗の理由がそういうことならば、私から直接、あなたとソロナ家に関わる者へよく言い聞かせておくことにします。――だからキーストン、あなたは『今』に集中なさい」

 言い終えると、お母様はまた優雅な手つきでナイフとフォークでオムレットを切り分け始める。完全に食手の止まった私に言外に食べることを勧めるお母様の表情は、もういつもの凛々しいそれへと戻っている。けれどその後すぐに続いた、「にんじんオムレット、好物でしょう?」という声は表情とは裏腹に、私のこわばりをそっと拭い去ってくれるような、優しい温もりが滲んでいた。

「……ッ、ぁりがとう、ございます……っ」

 まだ全てが解決したわけではないのに、もしかしたらと瞼の裏に思い描いてしまった最悪の未来は本当に訪れてしまうかもしれないのに、お母様のかけてくれた言葉の前に視界が滲むのが抑え切れない。こんな心の軟弱さではソロナの一族の、そしてお母様の、あの『ソロナウェー』の実の子として面目がないのに。――ああこれ、あの日にも。地下バ道の途中でトレーナーさんにも思ったことだ。そんなことまで思い出して、涙は引っ込むどころかその逆を行くばかり。

 震える左手でフォークを持ち、食べかけだったオムレットを口に運べば、冷めてしまっているものの、しゅわりと溶けるような軽やかな舌触り。バターの芳醇な香りとにんじんの甘さの中で、塩か涙かわからない僅かに塩辛い味がした。

 

 

 ――「本当に、本当に優しい子。まるでソロナの一族ではないみたい。けれど……『契約解除』。私のたった一言に、それだけは絶対に許さないと訴えた瞳の強さ。懇願ではなく拒絶。あの子がそう意図して私を見ていなくとも間違えるはずがないわ。あれが、あれこそが『ソロナ家の紋章』。気の強さ、気持ちの強さは私たち一族の家紋なの。キーストンはそれが性格に向いたのではなく、自らのパートナーに対して向いただけ。だからあの子は私の娘。そして私と同じ、『ソロナ家のウマ娘』よ」――

 

 ◇

 

 お母様とのあの夕餉のあと、『皐月賞』明けの休養日が終わり、再びトレーニングが始まる日。結局、夕餉にてお母様の仰った『今に集中しなさい』という言葉の本当の意図するところは分からずにこの日を迎えてしまった。言葉の通り今何があっても、考えたくはないがそれこそ例え契約解除という宣告を受けたとしてもきちんと受け止め、不確かな先のことではなく目前のやるべき物事だけに集中しよう、そう覚悟を決めてトレーナー室へ足を運ぼうとしていた私は、遠く、廊下の向こうから自分の名を呼ぶ声を捉えた。何事かと目を向ければ、黒っぽいスーツ姿の男性が私に向かって走ってきていた。時折制服やジャージ姿の生徒や講師陣にあわやぶつかりそうになったり、ぶつかってしまってペコペコと各所に頭を下げながら動きにくそうに、それでも一心不乱に走ってくる。

「キーストン!! キースト――ン!!」

 私のことを見つめ、大声で名前を呼びながら近づいてきた男性の声色には隠しきれない喜びが見える。そう、まるで私がレースで勝って、地下バ道に帰ってきたときのトレーナーさんの第一声みたいな――

「キーストン!! ッはあ…ッは、キーストン!! 俺っ、俺! まだキーストンの担当で居られ……ッいや、居るぞ!! それで、それで君と……『日本ダービー』に! 勝つんだ!!」

 全力疾走直後で息も絶え絶えになりながら、彼は私にたどり着いた瞬間、大声でそう一度に言い切った。途端にその場へ倒れんばかりにズルズルと上半身を萎れさせ、はあはあと膝に手をつき上がりに上がった呼吸を整えようとしている目の前の彼は、紛れもない私の今のトレーナーさんその人だった。

 校舎の廊下の真ん中を人を掻き分け全力で走ってきた、フレッシャーズスーツ姿の新人トレーナー、その喜びはしゃいだ声、担当だのダービーに勝つだのという発言内容になんだなんだと集まりざわつきはじめる周囲、そして状況を飲み込めず困惑する私をなんとか首だけ上げて見上げるトレーナーさんの浮かべたその表情は、自分のせいだと絶望し自責する『皐月賞』のあの日のそれとは一切方向の違う、歓喜とやる気に溢れた朝日のような笑顔だった。

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