貴方・・・図書部二年生。彼女が出来てからはそちらにかかりきり。辞めてはいないが、顔を出すこともなくなった。
「俺、彼女ができたんだ!」
なんて、嬉しそうに笑う貴方を見たのは、一体どれほど前のことだっただろうか。思い出したくもない。けれど、忌々しくも刻み込まれた記憶は正確に答えを教えてくれる。
四ヶ月と十五日。
貴方がこの小さな部室を訪れなくなって、それだけの月日が経った。
「……寒いなぁ」
貴方に薦めようと持ってきた本は積まれていくばかりで、一向に消化される気配はなく。瞼を下ろせばいつもの場所に座る貴方がいるというのに、事実としてそこに貴方はいない。貴方がいつもギシギシとならしていたパイプ椅子も、こっそりと持ち込んでアイスを入れていた小型冷蔵庫も。そこに映るのは貴方の影ばかりで。
二人の部室はいつしか、私一人のものとなっていた。
一人きりの部屋は、ひどく寒々しくて。電気ストーブをつけたところで、温もりなど感じられようはずもない。やはり貴方が。貴方の温もりが、私には必要だ。
貴方のことを想えば想うほど、さらに想いは募るばかりで。けれどこの想いを曝け出すわけにもいかず、ただ胸の裡に押し込める。迷惑だ、こんなもの。今更想いを伝えたころで、何の意味もないのだから。
「んぅ……」
読みかけの本に貴方から貰った栞を挟み込み、伸びを一つ。そろそろ太陽は地平線に差し掛かり、帷が降りてくる頃合いだ。
「……かえろ」
このままここで過ごしたとて、何が起こるわけでもなし。本はどこでも読めるのだから、日が暮れる前に帰ろう。
立ち上がってマフラーを巻き、スクールバッグを肩に引っ掛ける。貴方と交換したストラップが音を立て、未だ褪せる様子のない未練に思わず笑ってしまう。こんなもの、さっさと外してしまえばいいのに。まあ、それができないのが私なんだけど。
なんとはなしに、窓から外を見やる。
「───あ」
そして、後悔。見なきゃ良かった。
そこにいたのは、少し背の高い男の子と、少し背の低い女の子。お揃いのマフラーをつけて、その手を繋いで。楽しげな雰囲気が、見ているだけで伝わってくる。
この部屋は裏門に面していて、裏門を使うのは自転車か歩きで通う人だけだ。確かお相手さんは電車通学だったはず。方向的には真反対だ。
と、いうことは。
「いいなぁ」
思わず、呟く。
きっと二人は、貴方の家に行くのだろう。今日は金曜日。泊まりかな。嫌だな。よく見てみれば、お相手さんの荷物が明らかに多い。やめてよ。そのまま見つめていると、二人は少し辺りを見渡してからキスをした。それも多分、深いやつ。周りに誰もいないと思ったのだろう。馬鹿なやつら。私が見てるのに。
幸せそうな貴方。楽しそうな貴方。ひたむきな貴方。悔しそうな貴方。泣いてる貴方。知ってる。全部知ってる。見てきたから。貴方の隣で、ずっと。過ごした時間ならば、誰よりも長いという確信がある。それこそ、貴方のご両親よりも。
でも。
恋に時間は、関係ないらしい。
今更、当然のことではあるのだけれど。何を当たり前のことを笑われるかもしれないけれど。そんな誰もが気付いていた当たり前に、私はようやく気付いたのだ。
貴方のほとんどを知っていたとて、私は恋焦がれる貴方を知らない。恥ずかしそうにデートに誘う貴方を知らない。キスをせがむ貴方を知らない。
けれど、それを知っている人が、一人いる。
その人は、貴方が実は怖がりなことを知らないだろう。見栄っ張りの貴方のことだから、隠しているはず。涙もろいことには気づいているかもしれない。感動系の映画でも観に行けば、貴方は必ず泣いてしまうから。本を読む姿は、知っているだろうか。流石に貴方も彼女の前で本を読むことはないはずだから、きっと知らないだろう。あの姿は、私だけのものであって欲しい。
でも、いつか必ず。きっと、そう遠くない未来に。その人が知る貴方は、私が知る貴方よりも多くなるのだろう。私が知る貴方は、きっと変わっていくのだろう。
それを考えただけで、吐き気がする。どうしようもなく泣き叫びたくなる。怖い。貴方の中で、私がただの他人になるのが怖い。私の特別は貴方。それが揺らぐことはない。
じゃあ、貴方の特別は?
多分、一番目にはあの人がくるのだろう。次にご両親で、その次に貴方の親友くん。そしてようやく私かな。貴方から見た私は、ただの幼馴染。高校に入ってできた友達よりは大事だし一緒に過ごした時間は長いけれど、特筆すべきことはそれだけ。
行動しなかったのが悪いと言われれば、言い返すことなんてできやしないのだけれど。私とて彼と十六年過ごしてきたのだ。私に特別な感情を抱いているのかどうかなんて、とっくに分かっている。好きでもない相手からのアプローチほど冷めるものはないでしょ?
つまるところ、私は満足したのだ、ただの幼馴染で。なんというか……貴方は少し変わっているから、誰かを好きになることなんてないと思って。勝ち目のない賭けで、二人きりの温かな空間を壊したくはなかった。
言い訳だ。彼に恋人ができた以上、私の言葉はすべて負け犬の遠吠えに過ぎない。
全ては、そう。ひどく惨めなたわごとなのだ。