失恋少女のたわごと   作:心太者

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少女・・・十のときに身体が水棲のものへと近づく病に罹患し、エラができ、鱗が少しずつ広がり、歯が尖っていった。そのことで街で迫害された。
男・・・その類稀な善性で、少女を愛し、慈しんだ。

絶望とは、死に至る病の名である。
     ───セーレン・オービェ・キルケゴール



ばけもの少女の絶望

 私のようなバケモノを真っ直ぐに見つめてくれる、貴方が好きだ。

 ヒトの姿を捨て、醜く堕ちた私を射抜く、その穏やかな瞳が好きだ。鱗に覆われて冷たく湿った私の体をかき抱く、その温かな腕が好きだ。名前さえなかった私に名前を付けて呼んでくれる、その柔らかな声が好きだ。

 

 貴方の好きなところは、それこそ腐るほどあって。今挙げたのだって、そのほんの一部でしかない。貴方の側で日々を過ごせば過ごすほどに、新たな貴方を知って。更に貴方に心惹かれて。引かれて、惹かれて、引き摺り込まれて。底なし沼みたいな貴方に、もはや私は、抜け出せなくなってしまった。

 こんなことを言えば、貴方は笑ってしまうかもしれないけれど、それでも、私は。

 

───貴方に救われ、恋をしたのだ。

 

 ああ、けれど。

 それがいわゆる恋であれたのは、一体いつまでだっただろうか。

 

 重なり、積もりゆく貴方との記憶。ただただ美しい、私の人生。貴方との人生。世界はこんなにも美しいのだと、世界はこんなにも色鮮やかなのだと教えてくれた、何より尊い貴方。温かだった。心地よかった。

 ただ貴方から与えられる愛を、雛鳥のように(くちばし)を伸ばして享受するだけの日々は、あまりに穏やかで。こんな日々が永遠に続くと無邪気に信じられたのは、いまだ私が幼かったからか。

 

 ある日、貴方が消えた。しばらく出かけると書き置きを残して。初めてのことだった。貴方が私の感じ取れる範囲にいなかったことなんて、一度もなかった。ただただ、恐ろしかった。貴方がいない世界など、考えたこともなかった。

 屋敷中全て、屋根裏から地下まで、あらゆるものをひっくり返して探し回った。貴方がこの屋敷にいないことはとうに感じ取っていたけれど、それを咀嚼することが怖かった。

 屋敷の外には出なかった。出るなと固く言いつけられていたから。約束を違えばお前を放り出すと言われていたから、まずその考えさえ思い浮かばなかった。

 探す場所もなくなってしまえば、もはや現実を受け入れる他に道はなかった。貴方は消えた。けれど、書き置きを信じるならば、貴方はすぐに帰ってくるはずだ、そう思い込んだ。

 

 三日が経った。貴方はまだ帰ってこない。食料はかなり多くあるようで、数ヶ月分はありそうだった。作らないといけないのはいつもと違って一人分でいいことにすら、胸が刺されるような痛みを感じる。早く帰ってきて、“おいおい、俺の分は?”なんて嘯いて。お願いだから。

 五日が経った。まだ帰ってこない。書斎にあった本を読んでみるけれど、正直あまり面白くはない。けれど、頑張ってこれを読めば貴方の役に立てるようになるのだろうか。貴方も帰ってくるだろうか。

 一週間が経った。まだ帰ってこない。読書にも飽きた。貴方が欲しい。

 二週間が経った。嫌な考えが頭をよぎってしまった。そんなことありえはしないというのに。まさか、貴方が私を置いていくなんて、そんなことは。

 三週間。一度思いついたことが頭にこびりついて離れない。何を食べても味がしない。何を見ても色の違いが分からない。分からない。何も。

 四週間。何も考えないことが一番の解決策であるようだ。柔らかなソファに寝転びながらただ徒に一日を終える、これがこの四週間で導き出した最善策だ。何かを考えようとすれば、気が狂ってしまいそう。

 五週間。食事も、止めてしまった。食事は嫌いだった。泥と砂利の味を思い返して。ただ、そうした方が楽しいと言われていたから。貴方と二人だと本当に楽しかったから。そうしていたら、空腹も感じなくなってきた。このまま、貴方を求める、暴力的なまでの飢えも消えてしまうのだろうか。そうなってしまうのは、ひどく厭わしくて。けれど私にはもはや、そうなることを座して待つ以外の道はなかった。貴方なしで生きていく方が、貴方を想って朽ちていくことよりも遙かに耐えがたかった。

 

 六週間───貴方が帰ってきた。薄汚れて、けれど眩く美しい少女を連れて。

 そして同時に理解した。私の恋心はとうに、もっと醜く、おぞましい何かに変質していることを。

 

 私もお父さんに救われたんです、先輩もですか、なんて。敵意のかけらもなく、私と話せることが一番の幸せかのように楽しげに、少女は問いかけてきた。

 貴方が娘だといって紹介してきたこの少女は、なるほど確かに、貴方の子だった。優しくて。世界を愛していて。世界に愛されていて───そしてなにより、貴方に愛されている。

 私の知るどの貴方よりも優しげに。私の知るどの貴方よりも温かく。私の知るどの貴方よりも愛しげに。あの子を見つめる貴方は、どれも初めて見るもので。

 

 私を愛してはいなかったのですか───喉まで出かかった言葉を飲み込む。貴方を困らせたいわけではないのだ。貴方が私を愛してくれていたことなど、いくら私でも理解している。ただ、きっと。それよりずっと、あの子の方が愛しいだけなのだ。優先順位をつけているわけではない。ただ、違うのだ。私と、あの子が。

 

 喜ばしいことのはずだった。私の知らない貴方を垣間見れたことは、何より素晴らしいことなのに。

 あの子を見つめるその瞳を見るだけで、その瞳を抉り出したくなる。あの子を撫で、抱きしめるその腕を見るだけで、その肩から先を千切り取りたくなる。あの子を呼ぶその声を聞くだけで、その声帯を噛みちぎりたくなる。

 私の両の手で貴方の首を絞め、貴方の人生最期を私にしたい。私を見て、私を聞いて、私を嗅いで、私に触れて、私を味わって、私を感じて。そして、永遠となってほしい。私の中で。私とともに。

 そんなひどく暴力的な欲求を知って、抱えて、懐いて。そうしてようやく、気付いたのだ。

 

───私は、患っている。

 

 貴方という病を。

 それはきっと、死に至る病だ。私を殺す病だ。貴方を殺す病だ。

 それはきっと、絶望だった。

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