ゼルエルによるジオフロント侵攻から、時間は少し遡るー。
※
「えぇぇーっ⁉︎」
ミサトから説明を受けたシンジとアスカは同時に抗議の悲鳴を上げた。
「ちょっと、どういうことよ、ミサト!」
「だから、二人でこの部屋で一週間過ごすのが任務よって。情報宮の追加については急ピッチで進めるから、二人には二十四時間体制で製造過程を見てもらうことで、弾薬その他の威力向上に貢献してもらいます」
アスカはブンブンと首を横に振った。
それについてはウェルカムだからどうでもいいのだ。
「そこじゃなくて、なんで部屋中に監視カメラなんかつくのかって訊いてんの!」
「あら、お手洗いとお風呂、脱衣所にはつかないわよ?」
「そんなの当たり前じゃない!」
「あのね、このプロジェクトは今後の研究目的も兼ねてるの。パイロットの思想を乗せるとエヴァがパワーアップするだなんて、許可はしたけど不確定要素が多すぎわ。何が有力な結果に結びついたのか、研鑽するためにデータとるのは当然です」
中学生の男女二人だけで一週間もひとつの部屋で過ごすなんて、何か間違いが起こったら大変ですーというミサトの本音は最後に出た。
以上のようなやりとりを経て、シンジとアスカは一週間の特殊な同棲生活をスタートさせた。
格納庫に急造されたプレハブのような1DKだったが、防音設備は整っており、大きく縁取りされた窓際にシングルベッドが離れて二つ、それを差し引いてもダイニング部分が六畳はあり、オール電化のキッチン完備、トイレと浴室はユニットバスではなく別々というしっかりとした作りだった。
中学生が暮らすにはいささか整いすぎたワンルームである。室内の四隅に設置された複数の監視カメラがなければ、の話だが。
「いい部屋だね」
シンジは着替えを詰め込んだボストンバックをふかふかのカーペットの上に置くと、満足そうな顔でシングルベッドに腰掛けた。
「納得いかないわ」
「まぁまぁ」
シンジは苦笑すると、鼻息荒く腕組みをしているアスカを手招きした。
シンジのやさしい笑顔に、アスカは吊り上がった眉を少し下げて、シンジの隣に腰を下ろす。
「アスカとゆっくり過ごせるから、僕はうれしいよ」
「そりゃあ、私だってそうだけど……」
「食材はリクエストしたら用意してくれるってマヤさんが言ってたから、アスカの好きなものもたくさん作ってあげられるし」
「ん……まぁ、それなら、いいかな」
アスカの機嫌が少し直って、シンジはそっと安堵のため息を吐き出した。
「アスカが言ってた〝見えない壁〟なんだけど……」
シンジは、窓の外側で組み立てられているレールガンーパワードエイトのバレル部分を眺めながら言った。
「うん」
「僕らがここに来てからの日数と、半分飲み込まれてたっていうジープの侵食具合から黒いドームの収縮速度を計算してみたけど、中心点でゼロになるまで、多分あと一ヶ月と半月くらいだと思う」
シンジの予測は、アスカの計算とも合致している。
黒い半球の中心点は、おそらくジオフロントの地下にあるセントラルドグマだ。そして、全てが収縮するXデイは、白い量産型が上空から飛来する、この世界の人類補完計画が発動される日で間違いなさそうだった。
「ゼロになったら、どうなると思う?」
「さぁ、わっかんない。わかってるのは、多分この世界には終わりがあるってことと、日を追う毎に私たちの行動範囲が狭くなるってことくらいね。そもそも、縮む速度が一定とも限らないじゃない。もし急に加速し出したら、戦自の突入と量産型エヴァってやつが来る前に、ゲームオーバーになっちゃうかも」
問題は、見えない壁が今現在どの程度までこの世界を呑み込んでいるのか、確認する方法がないということだ。唯一の手段は、アスカがジープから持ち出した〝外世界〟の石を投げつけてみること以外にない。もし目の前に断絶の境界線があれば、石はそれを飛び越えた瞬間に姿を消すだろう。
「加速することはないと思う。なんとなくだけど……」
「根拠は?」
「ただの勘なんだけど。この世界を望んだ犯人の目的が、人類補完計画の発動のその瞬間にある気がするから……かな」
「全然論理的じゃない」
「僕もそう思う」
だが、アスカはシンジのそのセンスを信じた。この世界自体が合理的ではないのだ。わけがわからない状況なら、自分の大事な人の言葉を、アスカは大切にする。
アスカがベッドに両手をついていると、シンジの左手の小指がアスカの右手の小指に触れた。離すのかと思ったら、シンジは素知らぬ顔で窓の外に視線をやりながら、そのまま他の指先も重ねた。
「……手つなぐくらいなら、できるかも」
「うん……」
シンジが還ってきてから、これまで何度体を重ねたかしれない。貪欲にお互いを求め続けた。それなのに、どうして手をつなぐというだけの幼稚な行為が、今さらこんなに恥ずかしく感じるのだろう。
シンジはやさしく、けれど力強く、アスカの右手を握りしめた。二人の体に隠れて、お互いの指先が絡んでいる様子は監視カメラには映らない。
ーあぁ、もう……!
アスカは心の中で盛大に嘆いた。
誰にも邪魔されずに、シンジとキスがしたい。
アスカが執念で監視カメラの死角を見つけたのは、二日目の夕方のことだった。
脱衣所とシングルベッドの間にL字型のコーナーがあり、そこに体を入れると窓の外からも天井に設置された監視カメラからも見えないことがわかったのだ。先日、発令所にそれとなく侵入して全監視カメラの画角を確認しておいたのが功を奏した。
「ちょ、ちょっと待って、アスカ」
アスカにその死角部分の壁へ背中を押しつけられ、シンジは一瞬目を泳がせた。
「無理。もう我慢できない」
「ホントにここ、カメラに映らないの? 確かに外からは見えないみたいだけ……」アスカが乱暴にシンジの唇を奪ったので、シンジは最後まで言葉を紡げなかった。「……ど」
「ん……」
アスカの舌先がシンジの口内を貪った。シンジの口の端から溢れた唾液を舐めとると、なおもアスカはシンジを深いくちづけで弄ぶ。
アスカがシンジの首に両手を回す。
シンジがアスカの腰を抱き寄せるまで、そこまで時間はかからなかった。
その時を境に、二人は隠れてするキスの味に夢中になった。
午前中はシュミレーターを使用したエヴァ同士およびデータ出力による仮想使徒の模擬戦をこなし、正午に部屋へ戻って兵器改装の工程を眺めながら支給された昼食をとる。夕方にはドレッドミルを使った有酸素運動で一汗かき、交代でシャワーを浴び、秘密の場所でたっぷりキスを楽しんでから、夕食作りに取り掛かる日々がしばらく続いた。
「碇君……?」
二人のお楽しみの時間が妨害されたのは、四日目の夜のことだった。
ふいに玄関のドアが開いて、シンジとアスカは慌てて部屋の隅で密着させていた身体を離した。だが、すぐにその場所から動くことはできなかった。
靴を脱ぎ、室内に踏み込んだ綾波レイが部屋の角を覗き込んだ時、シンジとアスカはそれぞれズボンとホットパンツに手を当てている最中だった。慌てて服を着たような仕草に、レイは小首を傾げる。
「……?」
「ど、どうしたの、綾波?」
「葛城司令から、夕ご飯の食材を持っていくように頼まれたから」
レイの左手には、豚肉のパックやレタスなどの野菜が詰め込まれたスーパーのレジ袋が握られていた。
「ありがとう、綾波」
「それと、もうひとつ」
レイは右肩にかけてあるボストンバックに視線をやった。
「今日から私もここで寝泊まりするから」
「えぇッ!」
悲鳴を上げたのはアスカである。
「な、なんで⁉︎」
「今日の夜から零号機用装備の作業だから、碇君たちと見なさいって、赤木博士が」
「そんな……」アスカはガックリとその場に両膝をつくと、監視カメラを見上げて忌々しそうに睨みつけた。
「ま……まぁまぁ、アスカ」
「ベッドは後で技術部が運び込むから」
「わかった。綾波、晩御飯はまだ?」
レイはコクコクと頷く。
「今から作るところだから、ちょうどよかった。しょうが焼きは……綾波はお肉ダメだったよね? パスタにサラダと、味噌汁くらいなら昨日の材料で作れるから、それでどうかな?」
コクコク、とほんの少しうれしそうに頷くレイ。
なおも口をへの字に曲げているアスカへ、シンジはごにょごにょと耳打ちした。
(家に帰ったら……その……いっぱい、サービスするから)
(でも……)
(あ……朝まで、がんばるから)
アスカの頬がポッと赤く染まり、交渉は成立した。
「そういえば、レイって普段はどういう服着てるの?」
シンジがキッチンに立つ間、アスカとレイはテーブルを挟んで向かい合っていた。
切り替えが早いのは、アスカの良いところのひとつである。
「制服か、ワイシャツ」
「なにそれ? ホントに? ……って、変な想像してんじゃないわよ、シンジ!」
何かを感知したアスカが、キッチンのシンジを振り返って怒号を飛ばした。
シンジはビクリと震えてから、振り返らずに首だけをブンブンと横に振った。以前、シンジは裸にバスタオル姿のレイに遭遇したことがある。あのまま白いシャツを着るのか……などという想像を働かせたことは、口が裂けてもアスカには言えなかった。
「しょうがないわねぇ」アスカは足組みをしたまま、テーブルに頬杖をついた。
「今度時間できたら、服買うのつきあってあげるわ」
えー? と、レイがアスカの双眸を覗き込む。
「私が選んであげるって言ってんの。シンジに荷物持ちさせるから。楽しいわよ、ショッピング」
「ありが、と……」
シンジの料理ができるまで、二人の会話は続いた。ほとんどアスカが一方的に話し、それにレイが相槌を打つだけのチグハグなトークだったが、アスカは楽しそうだった。心なしか、レイもー。
シンジはパスタを茹でながら、ほんの少し振り返って、ふっとやさしい笑顔を浮かべた。
「おいしい」
食卓に夕食が並び、味噌汁に口をつけたレイがぽつりと感嘆の声をもらした。
「どうよ、シンジの料理は」
「なんでアスカが偉そうなの?」
「うっさいわね。褒めてるんだから、いいでしょ」
それは奇妙な光景だった。
アスカが饒舌に話を続け、シンジが合いの手を入れて、レイがうんうんと頷きながら話を聞いている。
パイロット三人で食事をとる機会が、これまでなかった。学校生活と同じように、これもまたどこかに置き忘れてきた風景なのだということに、シンジもアスカも気づいている。
「手つないで、寝たい」
就寝時にレイがそう言い出した時は、さすがにアスカが反対した。
シングルベッドが一台追加で運び込まれて、今は狭い窓際に三台がつながった巨大なトリプルベッドになっていた。アスカは、レイが真ん中に寝かせたシンジと手をつなぐつもりなのだと思ったのだ。
「ダメよ。それは絶対ダメ!」
「違う」
室内灯を消した時、トリプルベッドの中央にはレイが横たわり、その両サイドにシンジとアスカが横になっていた。両手をそれぞれシンジとアスカにつなぎながら、レイは穏やかな寝息を立てている。
これでは結局シンジと自分が一緒に寝ることができないとアスカは思ったが、レイの寝顔があまりにも安らかだったので、アスカは結局怒るタイミングを逃してしまった。
顔を上げると、やはりまだ起きていたシンジと目が合う。暗がりの中でも、困り顔で苦笑しているのがわかる。
アスカは顔の位置を枕に戻すと、眉根を寄せて目を閉じた。
ーどういう状況、これ?
「どういう状況、これ?」
アスカは玄関のドアを開けて呆けた様子で口を開いた。
シンジとアスカにレイが加わった簡易宿泊施設の外、格納庫の作業スペースに折り畳み式のテーブルとイスが所狭しと並べられている。そこにネルフ本部の職員たちが思い思いの場所に腰掛けていた。
人の密集具合が食堂を思わせたが、今は夜なので、大衆居酒屋といった方がその雰囲気にはよく似合っている。
「なんか、綾波が僕たちの料理が美味しいってマヤさんとか日向さんに言っちゃったみたいで、それならみんなで食べようってことになったんだ」
合宿最終日、夕方に新武装と情報宮のセットアップが終わり、ロールアウトの報告が赤木博士から入った時、食事会の提案をしたのはシンジだった。
「整備の人たちも一週間不眠不休でがんばってくれたんだし、本部の人たちへお礼に何かできないかなと思ったんだけど……ダメかな?」
自分の恋人がお人好しなことを、アスカは充分わかっている。子犬のように上目遣いで見つめてくるシンジに、アスカは「しょうがないわねぇ」と返した。
シンジに頼られるのは、悪い気分ではない。
メニューはカレーと豚汁になった。一品大量の料理ならこの二品に限るというのがシンジの見解である。
とはいえ、三十人前を超える大量の食材を下ごしらえするのはそれだけで大仕事である。仕込みは伊吹マヤや日向マコトを始めとしたオペレーター陣が、外の作業スペースに包丁などの災害用炊き出しキットを用意して手伝ってくれることになった。
「ほら、見て見て、シンジ」
パイロット三人組は室内のキッチンで野菜の皮剥きとカットに勤しむ。
アスカはじゃがいもへ包丁を入れる前に、シンジへ絆創膏だらけの両手を見せびらかした。レイが加わってから、アスカとレイは暇つぶしと称してシンジから料理を教わっていたのだ。
「包丁の練習、がんばったもんね、アスカ」
へへ〜と笑みを浮かべながら、アスカは玉ねぎをカットしているレイの手元に視線を走らせた。レイの指先の絆創膏は、アスカのそれよりも少ない。
「リベンジ達成ね」
「? なんの話?」
シンジはアスカの頭をなでようとして、ふと持ち上げた右手の動きを止めた。
自分がなでるのは、彼女の頭じゃない。
「アスカのそういうところ、尊敬する」
シンジはそっと、アスカの頬にくすぐるように指先を走らせた。
途端に、アスカの頬が赤く染まって、彼女は目を伏せる。
レイは手元に視線を落としたまま、玉ねぎの飛沫に涙を浮かべていた。
「悪いわね、三人とも」
葛城ミサトが業務を終えて顔を出したのは、完成したカレーと豚汁の配膳が参加者全員へ行き渡った時だった。
「ハロー、ミサト」
「お疲れさまです、ミサトさん」
すでに職員たちは、格納庫のそこかしこに腰掛けて食事と談笑を楽しんでいる。その人波を抜けてきたミサトを、アスカとシンジは手招きした。
「ミサトさんは中で食べてください」
「あら、いいのかしら?」
室内へ招待されたミサトは目を丸くした。狭いリビングの食卓で、加持リョウジがイスに腰掛けて手を振っていたからである。
「よっ、葛城。お疲れさん」
「加持君……」
「ほら、ミサト。みそスープに合うかどうかは知らないけど」
アスカは冷蔵庫から取り出した缶ビールを手渡すと、ミサトの背中を押してリョウジの対面に座らせた。
「退勤してるけど、司令官が職場でお酒はさすがにマズイんじゃ……」
「リツコが、一杯だけなら許可するってさ」
ありがとう、アスカ。
横目に受けたシンジのやさしい視線に、アスカはふんと鼻を鳴らした。
「僕らは外で食べよう」
玄関から出る時、シンジは少しだけミサトの方を振り返った。
ミサトはリョウジと会話を弾ませながら、早速プルタブを全開にした缶ビールをあおり、カレーをどしどし頬張っている。
「かあぁぁーッ! うまい! シンちゃん、アスカ、レイ。すっっごく美味しいっ!」
ミサトがこちらへ親指を立ててグットサインを送った。
十四年前ー自分が奪い去ってしまった光景が、またひとつ。
胸の奥が、刃物で切りつけられたようにズキズキと痛む。
ーこれがたとえ、幻でも……。
加持リョウジの前で満面の笑顔を見せるミサトの姿を瞳の裏へ焼きつけて、シンジはそっと扉を閉めた。