ミサトとシンジの逃避行が始まってから三日が経過していた。
使徒迎撃用の要塞都市である第3新東京市では、その仕組み上都市全体がネルフの監視下にあると言っても過言ではない。
だが、総司令だったミサトはそれを逆手に取った。愛車であるアルピーヌや上級職位用携帯電話のGPS機能を都市のでたらめな場所に配置して自分たちの位置を撹乱し、監視カメラの目をかい潜って地下に潜伏したのである。
おそらくは過去の使徒襲来で空き家になったマンションを見つけた時、警戒を続けなければならないとはいえ、二人はようやくアスファルト以外の場所で眠れることに安堵した。
空腹も疲労も限界にきていた。
埃を被ってはいたものの、押し入れには敷布団とタオルケットが大人二人分あり、キッチンの下からは数種類の缶詰と未開封のミネラルウォーターのペットボトルが見つかった。
「なんだか、遠足みたいですね」
「そうね……」
電気は望むべくもなく、暗いリビングの壁に二人並んで腰掛けながら、二人は携行ライトの明かりを頼りに缶詰とミネラルウォーターを喉に流し込んだ。
食事の間も、ミサトは虚空を見つめたままほとんど何も話さなかった。
ー今は、そっとしておいてあげた方がいい。
シンジは状況の整理に集中する。
冬月コウゾウが、自分とアスカの世界で父・碇ゲンドウと共に世界を破壊した人物と同一だというなら、この世界での目的は人類補完計画の発動によるゲンドウ・ユイとの邂逅だろう。
辻褄は合う。
しかしシンジは、ミサトに自分とアスカが別の時間軸の人間であることは伝えなかった。代わりに、ゼーレが人類補完計画発動のために、幾許の猶予もなく戦略自衛隊と量産型エヴァがネルフ本部決戦に投入することを加持から聞かされたと伝えるに留めた。
アスカの救出。
シンジの目的はひとつだけだ。彼女がインパクトの儀式の生贄にされる前に、なんとしても助け出さなければならない。
弍号機が四肢を引き裂かれている記憶が甦る。シンジの瞳の奥が漆黒に淀み、深淵へと堕ちていく。
ーもし、あれが繰り返されるなら、僕は……。
「……ひ……く」
「ミサトさん……?」
うとうととまどろみかけていた時、ミサトがすすり泣く声に、シンジは弾かれたように顔を上げた。
「シンジ君……」
ミサトは俯いたまま、シンジの手を取った。
それもまた、この世界の碇シンジの記憶。男女のにおいを感じとったシンジは体を硬直させる。
「しっかり……しっかりしてくださいよ、ミサトさん」
そう言いながら、しかしシンジはミサトの手を振りほどけなかった。顔を上げた彼女の双眸が、あまりにも悲しく歪んでいたから。
ミサトがシンジの胸に両手を添えて抱きつく。
ーごめん、アスカ。
シンジは祈るように両目を閉じた。
やさしく、抱きすくめる。
それ以上を、する気はなかった。
ミサトは嗚咽をもらして泣きじゃくった。
大人でも、泣くのだ。
やがてミサトが泣き疲れて眠ってしまっても、シンジは子供のように縮こまる彼女を抱き締め続けた。
※
さて、どうしたものか。
アスカは簡易ベッドの端に腰掛けながら思案する。
ネルフ本部の尋問室。つまりは牢屋の代わりである。
倉庫街で拘束され、アスカはこの場所に軟禁されていた。
室内には最低限のものしかなく、窓すらなかった。当然、唯一の出入り口には電子ロックがかかっており、食事もスタッフが運んでくる。手術衣のようなルームウェアが支給されたが、可愛くないのでアスカは制服を着続けている。もちろんランドリーは細かくケチをつけて本部スタッフに毎日依頼していた。
尋問ではふさげた態度で黙秘を続けたが、軟禁以外のお咎めがなかったのは、アスカが弍号機パイロットというただそれだけの理由だろう。この数日間、シンクロテストまで通常通り受けさせられたのには、アスカ自身も驚いていた。
隙をついて逃げる機会は何度かあった。それをしなかったのは、アスカの首に付けられた件の装置があるからだ。
ーまさかこれが出てくるとはね。
DSSチョーカー。
以前は装着していても、大して気にしたことはなかったのだが。
シンジと添い遂げた今となっては、すぐにでも外したい代物だった。
外から銃撃音や叫び声、悲鳴が聞こえるようになってから五分ほどが経過していた。シンジから聞かされていた通り、戦自の突入が始まっているのだろう。
アスカは腕と足を組んだまま、じっと堪えている。
あいつが何をさせようとしているのかーアスカはもう、ほとんど真実を掴んでいる。
もはやアスカにとって、シンジ以外の何者も信じることはできなかった。あとひとつ、確証が欲しいが、これから加速する混乱の中で、果たしてそれに辿り着けるだろうか?
その時、連絡通路をこちらへ駆けてくるスタッフの足音が響いた。
「非常事態よ! すぐに出なさい」
入口が開いて、息を切らした女性職員が叫んだ。
だが、その職員は突然ビクンと小さく跳ねた後、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。
ーいた、もう一人。
シンジ以外にも信頼できるやつが。
「早く、出て」
倒れた女性スタッフの向こう側に、テーザー銃を手にした制服姿の綾波レイが立っていた。