この抜けるような青空を、二人で。   作:アキみかん

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バイブレーション

 たとえ安直でも、なんにでも名前は必要だ。

 赤木リツコ博士が「スフィア」と呼称した黒いドーム状の球体を中心に、地表部分にはコア化に似た赤い大地が広がり始めている。

《デットラインが伸びてきているわ。無理はダメよ、マリ》

 エントリープラグのモニターに目もくれず、マリはあかしまが構えたロングライフルの照準に視線を固定していた。

「あと二発……」

 出所不明の暗号コードから得られた情報は〝情報宮〟という技術体系。そのオーバーテクノロジー……あるいはロストテクノロジー……を、あかしまのシステムブロックに組み込み、ユイから受け継いだ肩身のメガネをエントリープラグに持ち込んだところ、発言したのはATフィールドだった。肉眼で視認できるレベルのフィールドが、あかしまの前面を覆い尽くす。

ーおいおい。エヴァが消失したこの世界でも、フィールドの壁が顕現するのか。

「オ・ワ・リくん……いや、エピローグの後の世界だから、一文字ずらしてカヲル君かい?」

 トリガーを絞る。

 マリの性格の影響か、あるいはこれをもたらした人物が技術体系を進化させたのか、兵装に組み込んでいないにもかかわらず、長距離砲の弾丸は機体から受けた侵食型のATフィールドをその身に纏って飛翔した。

 駒ヶ岳の射撃ポストから放たれた弾丸はドームの側面上部に着弾。接触点に確かな衝撃を発し、その点を中心に虹色の放射線を描いた。

 驚くべきことに、全てを呑み込むスフィアの着弾点に弾痕が残っている。

 リツコの仮説によれば、おそらくこれはあのスフィアの内側から持ち出された技術体系。

「あとは真ん中に一発……。何が起こるか、あな恐ろしや伏魔殿ってね」

 この技術体系と共にリークされた〝設計図〟らしきデータ。中心に一点、それを取り囲むように九つの聖痕。

 それはセフィロトの樹か、生命の樹か。

 マリはその設計図通りに、情報宮の弾丸をスフィアへ撃ち込んでいる。

「んにゃ?」

 マリはスコープの照準を微調整している最中に、その異変に気づいた。

 おびただしい数の白い鳥たちの群れがスフィアの中に飛び込んでいく様子が、望遠レンズの向こうに見えた。

 

   ※

 

 綾波レイは、倒れた女性職員を跨いでアスカに近づくと、おもむろにDSSチョーカーに手を伸ばした。

「⁉︎ ちょ……!」

「大丈夫、解除キーは入力しておいた」

 アスカは思わず両目をきつく閉じたが、チョーカーは呆気なく外れ、アスカが目を開いた時には床にカラカラと音を立てて転がっていた。

「マジ……⁉︎」

「たくさん人が死んでる。早く出ないと」

 手を引いて走り出そうとするレイを、アスカは押し留めた。

「待って。アンタ、プラグスーツは?」

「更衣室」

 自分のプラグスーツもそこだ。

「何が起こるかわからない。エヴァに逃げ込めるように、着替えてから行くわよ」

 

 時間は前後する。

「しめた……!」

 地表からのネルフ職員用非常通用口。

 ミサトは思わず声をもらした。

「いけそうなんですか?」

 周囲を警戒していたシンジが声だけ投げかける。警戒といっても、避難勧告が出ている。人の気配はない。

 ジオフロントでは、マギ同士による苛烈な電脳戦の真っ最中だ。今なら、強硬手段で侵入してもすぐにはこちらへ手は回せないだろう。

「悪いけど、借りるわよ」

 ミサトとシンジの認証コードは凍結されている。ミサトは通用口脇のパネルに、日向マコトのパーソナルファイルから盗み出してあったパスコードを入力して、ロックを解除した。

「行くわよ、シンジ君」

 大きく息を吸い込んでから、ミサトは愛銃のUSPを構えた。

 

 プラグスーツ姿のアスカとレイが連絡通路を駆ける。

 ネルフ本部内の緊張感は増していた。職員とすれ違ったわけではない。射殺された死体がそこかしこに転がっていたからだ。

「レイ、あのさ……」

「なに?」

「これ、やめてほしいんだけど」

 アスカは左手に視線を落とした。その指先は、レイの右手にしっかりと握られている。

「やだ」

 懐かれてしまったようだ。どうにも調子が狂う。

ー……ッ!

「レイ、悪いんだけど……!」

 突き当たりにT字路。

 アスカはレイの手を振りほどき、右側の壁に張りついた。レイも即座にそれに習う。

 足音は三つ。ネルフ職員の亡骸から押収した武器はグロック17二丁とカートリッジが四つ。死体の弾痕から見て、戦自の装備はアサルトライフルかサブマシンガン相当。焼き払われたブロックもあったので、火炎放射のような投射兵器まで所持している部隊がある。さらに、ネルフ本部は全体が機能性重視のシンプルな構造で、遮蔽物が少なく、撃ち合いになれば隠れる場所がない。

 まともに遭遇したら、こちらが圧倒的に不利だ。

 三、二、一。振り向き様にアスカが飛び出し、エンカウントの先手をアスカが取った。

「ッ!」

 スリーマンセルの陣形は、前衛一人、後衛二人のトライアングル。逆三角形でなかったことは、アスカにとって幸運だった。前衛が動くよりも速く、アスカは前衛の左肘のショルダーパッドを左手で掴むと、手前に引き込みながら強烈な右ストレートを打ち下ろすように前衛の顎へ見舞った。

 力が抜けた前衛の体はそのまま半回転し、後衛の二人が自動小銃を構えた時には、アスカは死に体となった前衛の背後に身を潜めていた。

「なにッ⁉︎」

ー撃てるものなら……ッ!

 日本人は情に厚くて助かる。

 次の瞬間、アスカに続いて飛び出したレイが後衛二人の天井付近へグロックを二発発砲。事態を想定して、アスカと二人で打ち合わせしておいた行動だ。後衛二人の意識がレイの方へ流れる。それで終わりだった。

 一秒にも満たないその瞬間に、アスカは前衛の肩口にかかったままのG11のグリップを取り、後衛二人の脚部目掛けてトリガーを引いた。右から左へ横一閃、一分間に二千発を発射するアサルトライフルの速射は、悲鳴をかき消しながら戦自隊員二名を行動不能に陥れた。うち一名が無意識的にトリガーに指をかけてライフルを乱射したが、その射線は天井付近の的外れな場所を射抜くに留まった。

「悪いけど……!」

 前衛の背後から抜け出したアスカは、踊るような二連撃のローキックで、倒れ込んだ隊員二人の意識を刈り取った。

「走って、レイ!」

 さらに逆方向から足音が迫る。

 休む暇はない。アスカは前衛からアサルトライフルを取り上げ、地面に片膝をついてニーリングの構えを取る。

ー早く来なさいよ、シンジ……!

 レイが追いついた瞬間、アスカはトリガーを強く引き絞った。

 

「葛城司令⁉︎」

 発令所のミドルデッキから日向マコトが叫ぶ。

 ミサトはアンダーデッキから、日向たちオペレーター陣の中央で指揮を取る冬月コウゾウへ見上げるように拳銃を構える。

「よしたまえ」

 銃口が向けられても、冬月は眉ひとつ動かさなかった。

「まもなくここにも戦自が突入してくるだろう。こんなところでテロ行為を働いても、お互い得になることは何もない」

「アスカは!」シンジが叫び声が、もはや冬月たち数名の職員しかいない発令所中に木霊する。

「アスカはどこなんですか⁉︎」

「バカシンジ!」

 アンダーデッキ奥の死角から、アスカの声が響く。

 プラグスーツ姿のアスカとレイがいた。先に発令所に到達していたのだ。

 数日ぶりに見るアスカの顔に、シンジは涙が込み上げてくるのを抑えられなかった。

 アスカが、こちらに手にした拳銃の銃口を向けてくるまではー。

「アス、カ……?」

「バカシンジ。やっぱり気づいてなかった」

「何を……何を言ってるんだよ、アスカ!」

 どうして。

 アスカはどうして、ミサトさんに銃口を向けているんだ?

「このバカ! お人好し! 裏切ったのは副司令じゃなくて、最初からミサトだったって、いい加減気づきなさいよ!」

 早くこっちに……! 

 アスカの声は間に合わなかった。

 首に触れる違和感に、シンジは後ろを振り返る。

 自身に装着されたそれがDSSチョーカーであることは、今のシンジにはどうでもよかった。背後で冷徹な笑顔を浮かべているミサトの表情が、自身の思考の全てを停止させたからだ。

 見覚えがある。

 凍りつくようなその笑顔は、3号機と戦っている最中に感じた、あのー。

「ありがとう、シンジ君。最後まで、信じてくれて」

 なでるように肩口を拘束してくるミサトの指先は、ゾッとするほど冷たかった。動くことができないシンジのこめかみに、ミサトがUSPの銃口を押しつける。

「全員、銃を下ろしなさい」

 ミサトはアスカだけでなく、ミドルデッキにも聞こえるように言い放った。

 抑揚のないその声に、青葉シゲルとレイは同時に構えていた拳銃を下げる。

「何が狙いだね?」

「お答えする義務はありません。副司令たちは発令所の機能を装甲車に移してください。言う通りにしていただければ、アスカとレイは話が終わり次第エヴァの格納庫へ向かわせますから。MAGIも保全しておきます」

 冬月はしばらくミサトを見下ろしていたが、「ふむ」と一言もらすと撤収の合図を出した。

「どの道、この場の放棄は時間の問題だ。赤木博士に連絡をとれ。引き上げるぞ」

 ミドルデッキから冬月たちの足音が遠ざかっても、アスカはミサトに向けた銃口を下さなかった。

「殺すわよ、シンジ君」

「やってみなさいよ。必要なんでしょ、シンジのこと?」

 まるで何もかもわかっているかのようなアスカの口ぶりに、シンジの視線はようやく像を結び、アスカをはっきりと見据えた。

「アスカ?」

「セントラルドグマ」

 アスカの言葉に、ミサトの眉がピクリと動く。

「確かめたわ、副司令に。この世界に、神はいない」

 自分とシンジの時間軸と、似て非なる世界。

 人はいる。使徒もいる。エヴァもある。

 だが、アダムとリリスはいない。

 所詮、作り物の世界だ。神は模倣できなかったのだろう。

 ならなぜ、この黒い球体はリリスが磔刑にされていた場所へ収束していくのか?

「そうね、アスカ。あなたには銃よりも、こっちの方がいいみたい」

 ミサトは拳銃を下ろすと、おもむろにシンジの唇を自身のくちづけで塞いだ。

「……!」

 瞬間、シンジは何をされたのかわからなかった。

 アスカになめるような視線を送りながら、ミサトは目を見開いているシンジの口内にねっとりと舌を差し込んだ。

「ん……シンジ君……」

 シンジは足元から背中を、耐え難い悪寒が蛇のように這い上がってくるのを感じた。

 アスカを味わい、アスカに感じてもらうための絶対領域が侵されていく。

ー気持ち悪い……。

 押し飛ばそうとするが、尋常ではない力で背後から前へ押さえつけられていて、身動きが取れない。

「やめ、て……ミサ……ん」

 レイは前に出ようとして、足を止めた。アスカが小さく震えながら、両拳をきつく握り締めているのが見えたからだ。

「やめてください、ミサトさん!」

 ようやくシンジがミサトを引き離す。

「つれないのね、シンジ君。昨日まではもっと優しかったのに」

「な……!」

「アスカ、あなたを助けに来るのに、どうしてこんなに時間がかかったか、わかる?」

「違う、アスカ!」

 ミサトはアスカを直視しながら続けた。

「わかるでしょ? 男と女が何日も一緒にいたら、どうなるか。シンジ君の優しさは、アスカが一番よく知ってるものね」

 その時ー。

 俯いたシンジの口元から大量の血が滴り、ワイシャツの前面と地面をボタボタと赤く染め上げた。

「ふ……うぅ……!」

 下唇を噛み切り、流した血液を口に含んだ後、シンジは数回うがいをするように口内をくゆらせ、血の塊を地面に吐き出した。

 鉛を飲み込んだような味がした。その方がよかった。

「大丈夫……だから、アスカ……」

 血で赤く染まった口元で、シンジは笑顔をアスカに見せた。

 アスカもまた、最初からミサトを見てはいなかった。

 怒っていたわけでも、悲しかったわけでもない。

 ただ、自分以外の者に唇を奪われ、傷ついたシンジが心配だっただけだ。

 シンジとアスカは、痴話喧嘩の後に仲直りをする時のように、不敵に笑い合った。

「ち……」

 ミサトの舌打ちが響く。

 刹那。

 連絡通路から発令所へ、戦自の一個小隊が自動小銃で発砲しながら突入してきた。

「マズいッ!」

 アスカがレイもろともタックル気味に飛び退き、先程まで二人がいた場所へライフル弾のラインが縦に走る。

 ミサトは微動だにしなかった。再びシンジを乱暴に抱き寄せると、ただ左手を前方にまっすぐかざして見せた。

 ミサトの前方に黄土色の膜が放射状に顕現し、G11の弾丸は形容し難い接触音と共に速度を失い、地面へ落下した。

「ATフィールド……ッ!」

ーどういうんだ⁉︎

「どっちが敵?」

 レイの抑揚のない声に、わずかに緊張の色がうかがえた。

「シンジ以外全部よ!」

 ミサトはシンジをその場に放り出し、たまらず座り込んだシンジの腹部を一撃蹴り上げた。

「がは……!」呼吸ができず、シンジはその場にうずくまる。

「いい子にしててね、シンちゃん♪」

 ミサトが発令所の入口を占拠した三名の戦自隊員に応戦し始め、アスカもそれに習う。互いの最優先はシンジの安全の確保だ。

 ハンドガンによるアスカの射撃が戦自隊員一名の肩を焼き、ミサトが額への一撃でとどめを刺した。

 レイだけが、左手のグロック17をミサトへ向け、右手のUZIを戦自側へ向けるという器用なことをした。重量で、すでに手が小さく震えている。

 射撃訓練を受けた程度の素人がこれをやってまず目標に当たることはないが、それが思わぬ副作用を生んだ。

「ひゃ……ッ!」

 両指のトリガーを引いた瞬間、ハンドガンとアサルトライフルが同時に跳ねた。

 グロック17の一撃はシンジの耳元を掠めて、そこから僅かな血を流した。暴れ回ったライフルの弾丸は、無軌道に戦自隊員たちを牽制する結果を生み、ミサトに正確な射撃をする時間を許した。

「アスカ、レイ。エヴァに乗りなさい」

 戦自隊員二名が倒れ込む。

「ゼーレのアレが来る。どのみち、あなたたちが迎撃しないと全滅するわよ?」

 アスカはミサトとシンジの間に一発だけ銃弾を撃ち込んだ。もちろん、フィールドに阻まれてそれが通ることはない。

 アスカはシンジを睨みつけながら、口をパクパクと動かした。

〝ツギホカノオンナトキスシタラコロス〟

 この状況でも、アスカは強い。

 シンジは力強く頷いた。

「行くわよ、レイ」

「うん」

 アスカとレイが発令所を飛び出していく。

 首のDSSチョーカーが厄介だ。シンジは歯噛みしながら二人を見送った。

「さぁ、ゆっくり鑑賞しましょう、シンジ君」

 いったい、何が狙いなんだ?

 いや、それよりもー。

「あなたは、本当にミサトさんなんですか?」

 

「弐号機、出るわよ」

「零号機、出ます」

 リフトハンガーからジオフロント内へ射出された二機のエヴァが見たのは、ジオフロントから退避行動を始めている戦自のVTOLや大型爆撃機だった。

「鮮やかね……」

 即時戦闘を予想していたアスカは、拍子抜けではなく、むしろ息を呑んだ。

 つまり、準備が整ったというわけだ。

《アスカ、レイ》

 エントリープラグのモニターから、サウンドオンリーで伊吹マヤの声が響く。

《戦略自衛隊の突入前に、ビゼンオサフネとプログレッシブダガー、それにガンマ線レーザーをジオフロント外周近くに潜伏させてあるわ。ポイントのデータを送るから、すぐに回収して》

「了解」

 ゼーレの妨害で、結局F型装備は三機分の導入が全て間に合わなかった。第2ステージエヴァの装備があるだけで、今はありがたい。

 ジオフロントの全周は、すでにスフィアの収縮に僅かに呑み込まれていたが、各種装備はその境界線のギリギリのところに配置されていた。

ーいい仕事するわね……!

《気をつけろ、二人とも! 第3新東京市上空に、九機の大型貨物輸送機が侵入している。何か仕掛けて……うわッ!》

 ジオフロントの天板から地鳴りが走り、日向マコトからの通信は途絶えた。

「ここは全部が戦場になる! すぐに退避して!」

 モニターからの返答はなかったが、戦自退却後も最後まで残っていた装甲車が本部から離れていくのを、アスカは目視で確認した。その装甲車も、スフィアとの境界線の外へ退避して、見えなくなった。

 N2爆雷で消し飛んだ天板から見えるはずの青空も、スフィアが作り出す黒い膜に覆われている。

 にもかかわらず、九機の白いエヴァンゲリオンは、広げた翼で円を描くように、アスカとレイに目標を定めて、上空から優雅に飛来した。

ー力を貸してね、ママ。

「やるわよ、レイ!」

「了解」

 弐号機と零号機が前傾姿勢をとり、臨戦体勢に入る。

 モニターアイを持たない白いエヴァは、ニタリと不気味に笑っていた。

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