この抜けるような青空を、二人で。   作:アキみかん

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ほろよいよいよい記

「アスカ! 早く来て! 碇くんが!」

 ヒカリが家の中に駆け込んできたのは、日が暮れてシンジの帰りが遅いのをアスカが心配し始めた直後だった。

「シンジがどうしたの⁉︎」

 ヒカリに手を引かれて、アスカは畦道を走る。

 息が切れるのは、走っているのが原因ではない。

 シンジの身に何かあったのだ。これまでずっと、無茶をしてきたのはわかっていたのに。

 シンジの笑顔が走馬灯のように脳裏を走る。

 まさか、倒れた? いやだ、もう離れるのだけは絶対にいやだ。

 ヒカリとトウジの家に飛び込む。靴を脱ぐのももどかしく、アスカは光がもれている居間へと続くふすまを思い切り開け放った。

「ひっく…うぅ……」

 シンジがいた。

 倒れてはいなかった。ただ、顔を真っ赤にして目尻に涙を溜め、正座をしながら嗚咽をもらしている。

 隣には、酒瓶を携えたマリが座っていた。

 部屋中から、お酒のにおいがした。

「マリさん……申し訳ないんでふけど、僕はアフか以外に興味がないんです。胸だって大きけりゃいいってもんじゃあないんです……ひっく」

 マリがアスカを振り返って苦笑する。シンジに酒を呑ませたのはお前か。

「ヒカ、リ……式波も……」なぜか部屋の隅で倒れ伏していたトウジが、憔悴しきった顔を上げて叫んだ。

「逃げるんや……シンジは日頃のうっぷんが爆発して、暴走しとる!」

 シンジは一転、眠そうな目をこすりながら、マリから一升瓶を取り上げてグビグビと飲み下した。

 そのまますっくと立ち上がり、部屋の奥で尻餅をつくような形で退避していた相田ケンスケへゆっくりと近づいていく。

「い、碇……」

「ケンスケえぇぇーッ!」

 突如、シンジが咆哮した。怒髪天を突くような叫び声だった。

「は、はい……?」

「お前はケンスケか⁉︎ ケンケンか⁉︎」

「ケンスケ、です」

「そうだよなぁ、ケンケンじゃにゃいよなぁ。うぃっく……お前、まさか、ケンケンなんてペットみたいな呼ばれ方して、よろこんでたりなんかしてないよね……?」

 ケンスケがコクコクと頷く。

 シンジはふしゅーと口の間から白い息を吐き出した。目は完全に据わっている。

「ほら……」シンジは右手をケンスケの前に差し出した。

「え……?」

「出してよ、ほら。アスカ動画撮影してたやつ。生きて帰ってきたんだあら、いらないでしょ?」

「いや、だから、あれはもうずいぶん前に碇に渡したじゃな……」

 ドゴッ、という鈍い音がした。ケンスケの真横の壁に、シンジの拳がめり込んでいた。

「ホントに、もう、ないんだな……?」

「ないよ。ないない」

「いいあ⁉︎ アスカの笑顔は! 全部僕のもんなんあからな! うぷ……僕の嫁にちょっかい出したら魂だけルフランでフルボッコでLCLの海に沈めてやっからなこのあろぉー!」

 ケンスケが神妙な顔で頷くと、シンジは突然ぼろぼろ泣き出して、三角座りで明後日の方向を向いてしまった。

「うぅ、ごめんよゲンスゲ……僕、ぎもぢ悪いよね、アスかにもそう言われたもんね。でも、だがあってみんな先に大人になっでるなんであんまりだ。みんな僕がぎらいなんだそーなんだ」

 しくしく泣き始める。

「トウジぃ、アシなぐなっでなぐてよがったねぇ……」

 トウジはひきつった笑顔を浮かべた。「バルディエル!」と叫んでトウジを壁際に投げ飛ばしたのはシンジだったからだ。

 完全に制御不能だった。

 ケンスケが慰めようと手を伸ばしたところで、ふらつきながらシンジは立ち上がった。

 そこでようやく、シンジはアスカに気がついた。

「アスカ!」

 子供のように無邪気な笑顔を向けた後、シンジはアスカに駆け寄って彼女の首にしがみついた。

「ちょっ……シンジ」

「うぅ……アスカぁ〜」

 だめだ、酒くさい。いったい、マリはシンジにどれだけの量を呑ませたんだ。

「アスカだけだょぉ、僕の目を見て話をしてくれるのは」

 アスカは少し途方に暮れた。叱りつけて連れ帰るべきだったが、トウジが先ほど言った「日頃のうっぷんが爆発した」という言葉がひっかかっていた。

 シンジの潤んだ瞳がアスカを見据える。

「シンジ……」

「逃げちゃダメだ」

「……?」

「逃げちゃダメだ」

 そう呟いた後、シンジはアスカを思いきり抱きすくめると、いきなり深い角度でアスカの唇にキスをした。

「んっ……!」

 おぉっ! というマリの声が聞こえた。

 次の瞬間、顔面が真っ赤に沸騰したアスカは、シンジを俊速の背負い投げで地面に叩きつけていた。

「このエッチ! 変態っ! 信じらんないッ!」

 アスカの叫び声と、シンジが受け身も取れずに背中から地面に倒れ伏したのはほぼ同時だった。

 こんなところで……っ! アスカは自分の顔が熱くなるのをはっきり自覚した。

「だって、帰ったらキスしてほしいって、前に…言ってた、から……」

 アスカの顔がマグマと化した。

 ゆらりと立ち上がったシンジは、唇をキスの形にしてゾンビのようにジリジリとアスカににじり寄っていく。

「こんなところで」

 アスカの音速の左ジャブがシンジの顎先を射抜く。

「バラすな! バカぁーッ!」

 右ストレート、捻りを効かせた左のショートフック。

 それらが頬と顎に的確にヒットすると、アスカは勢い余ってシンジにとどめのハイキックを放ってしまった。腰が入って充分な加速を得たアスカの右足がシンジの側頭部にめり込み、死に体となったシンジはトウジの側まで吹き飛ぶと、壁にめりこむように激突してずるずると地面に崩れ落ちた。

ーしまった、やりすぎた。

 その場の視線がアスカに集中する。

 アスカは咳払いをひとつすると、ぴくりとも動かなくなったシンジに肩を貸す形で起き上がらせた。

「ごめん、ヒカリ。部屋の壊れたところは今度シンジになおさせる」

 

 結局、アスカは気絶しているシンジを一人で運ぶことができず、マリに手伝ってもらってどうにか家の中にシンジを放り込んだ。

「ずいぶん飲ませてくれたわね」

 玄関からマリを見送る時、アスカはマリを睨めつけて言った。シンジがお酒を呑んでいるところなど見たことがなかった。そそのかされない限りは、あの真面目なシンジがへべれけになるまで呑むとは思えない。

「最初は一杯だけだったのよ? でも、呑むごとに姫のことばっかり話し出すから、面白くって、つい」

 言葉とは裏腹に、マリはまったく反省していない様子で舌を出す。

「水、たくさん飲ませてね、姫。泥酔して飲まないようだったら、口移しもいいかもよ?」

 マリのささやきに、アスカの顔は途端にまた赤くなる。

 ばぁーい、とマリが去っていく。

 ため息を残して部屋に戻る。質素な部屋の真ん中で、シンジは横向きに丸まって寝息を立てていた。

「なにやってんのよ、バカシンジ」

 アスカはシンジのそばに座ると、自分の膝にシンジの頭を抱き寄せ、招き入れた。ヒカリに持たせてもらったポットの水を脇に置いておく。

 少しお酒が抜けたのか、シンジの寝顔は安らかだった。アスカが叩き込んだコンビネーションで顔に赤みがさしている箇所があったが、覚えていなければいいなとアスカは思う。

「シンジ、がんばってるもんね」

 アスカはシンジの額をやさしくなでた。

 シンジが還ってきた後、彼が実行した努力の数は筆舌に尽くし難い。

 アスカと同じように二十八歳の肉体に戻ったシンジだったが、それに精神面や知識が都合良く追いつくわけではなかった。ヴィレや村の仕事を積極的に手伝う一方で、独学で勉強にも精を出し、家事全般までこなしていた。

 毎日朝の五時に起床して活動を始めるのは、ある種の対抗心からくるものだろうが、シンジがここで生活を営むようになってから現在まで、休みと決めた日……つまり、アスカとゆっくりする日以外は一度もその生活サイクルを破ったことはない。

 自分も含めてだが、特にヴィレのクルーには、辛く当たられていたシンジだ。いつも笑顔で人当たりがいいからといって、ストレスを感じていないはずはなかったのに……。

 愛おしい、という感情がある。アスカは、シンジの愚痴のはけ口が自分ではなかったことに、少しの不安と申し訳なさとショックを覚えていた。

「お酒なら、私が一緒に呑むから」

 ポットの水をコップに移す。アスカはシンジの頭を持ち上げて、口からこぼれないようにそっと少量を流し込んだ。

 少しは飲み込んだようだったが、口の端から溢れた水が、シンジの耳から顎にかけて筋をつくってこぼれ落ちるのが見えた。

ー口移しもいいかもよ?

 マリの言葉がよみがえる。

「……………」

 顔をそっとシンジに近づける。

 アスカはシンジの口から溢れた水を舌で舐めとり、そのままシンジの唇に自分の唇を重ねた。お酒とシンジのにおいが混ざって、少し頭がくらくらする。

「アス、カ……?」

 シンジが薄く目を開いたので、アスカは慌てて顔を離す。

 やはり酔っ払っているのか、シンジはゆっくり身体を起こすと、絡みつくようにアスカに抱きついた。

「シンジ……」

「ごめんね、アスカ……。僕には、アスカを、こ、殺すなんて……できなかった……できなかったんだ」

 シンジがすすり泣いていることがわかったので、アスカはそっとシンジの背中に手を回した。

「そんな昔の話、忘れたわよ、もう」

 もう一度唇をあわせたのは、どちらからだっただろう。

 お互いの舌を絡めたところで、アスカはピクンと身体を震えさせた。

「こ、こら、シンジ。お風呂、まだ……」

 素面なのか酔っているのか、シンジはアスカのシャツの裾野から右手を潜り込ませ、キスを繰り返しながらアスカをその場に組み敷いた。

ーこういうところだけ子供じゃないのは、ずるい。

 シンジをやさしく抱き寄せる。

 抵抗しないのは、自分もシンジのキスで酔っているからだと、アスカは自身に言い聞かせた。

 

 ヒカリが訪ねてきたのは、翌日早朝のことだった。

「あ、ごめん……寝てた?」

 背中のツバメをあやしながら、ヒカリは申し訳なさそうにアスカの寝癖のついた前髪を指差した。

「ううん、大丈夫」

「碇くんも大丈夫だったかな? どうも、お酒を最初に呑ませたのはトウジとマリさんみたい。うちの人には、今度から呑ませないように言っておくから」

「え? あ〜、そぉ?」

 アスカは歯切れの悪い返事をした。

「まぁ、たまにならいいんじゃない? もう子供じゃないんだし」

「……?」ヒカリはアスカの着ているシャツが昨日のシンジのものだと気づいたが、目を泳がせていたアスカはそれを見逃した。

 ヒカリを見送ってから、アスカは家の中に入る。部屋の中央では、シンジが背中を丸めてすうすうと寝息を立てていた。昨日と違うのは、シンジが服を着ていないということだろう。

“今日もお疲れ様、アスカ”

 ふと、晩酌をする自分とシンジを想像して、アスカはふふっと笑顔になる。

 夜、虫の音色を聞きながら、シンジと二人で小さな乾杯をする。その時、シンジが自分に向けてくれる笑顔を、アスカは容易に想像できた。

ーお酒、今度マリにでも分けてもらおうかな。

 酔って激しいシンジもよかった……とは、恥ずかしいからシンジが起きても言わないでおこうと思うアスカだった。

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