初号機と一体になる意識を強く持つ。
力まずに、それが自然であるように。
「ダミーシステムとの接続、急いでください!」
それでも、3号機が接触まで残り一キロの距離で動きをストップさせた瞬間、グリップを握るシンジの両手に力がこもった。
「くる……!」
わずかに前屈みになった直後、ほとんどノーモーションで3号機は跳躍した。蹴り上げた地面が放射状に激しく陥没し、使徒の膂力の凄まじさを物語った。
前方に一回転しながら中空を突進してくる3号機に、しかしシンジは冷静に照準をロックしてパレットライフルの引き金を弾く。
短く速射された弾丸は空中でATフィールドに弾き飛ばされるが、反動で3号機の勢いがわずかにぶれる。それはシンジも折り込み済みで、3号機が足先から地面へ着弾する瞬間、初号機は右サイドへ転がるように回避した。
「フィールド全開!」
置き去りにされたライフルが押し潰され、爆散する。数メートルの土煙と地鳴りで全天周囲のモニターが激しく揺れる中、初号機は回避中に肩部のウェポンラックから抜き取っておいたプログレッシブナイフを両手で低く構え、タックルをするように3号機の右脇からぶつかった。
ー片腕だけでも!
二機のエヴァのフィールドがぶつかり合い、突貫するシンジの意志の方がわずかに勝る。3号機のATフィールドを斬り裂き、中和して、内側に入り込んだ初号機のプログレッシブナイフが3号機の右脇の下から深く喰い込んだ。
「ああァァァーッ!」
シンジは刃渡りを捻るように、百八十度上向きに回転させた。ぶしゅり、と肉が裂ける感触がダイレクトにシンジの手元に響き、3号機の右脇から大量の鮮血が噴出する。
それ以上の接触を嫌った3号機が、咆哮を上げながら左腕を無造作に薙ぎ払った。
「ぐ……ッ!」
使徒の侵食で増幅されたエヴァの腕力は、通常時のそれとは比べものにならない。側面から頭部を殴打された初号機は易々と田畑の上を滑空し、百メートル後方の小高い丘に爆音と共に激突し、停止した。
「がは……!」
視界がぐらりと歪む。巨大な鉄球をフルスイングで頭にぶつけられたような衝撃だった。
それでも、シンジはプログレッシブナイフを離してはいなかった。
「どうだ……!」
乱れる息を整えながら、シンジは前方を睨みつける。
吹き飛ばされる瞬間、反動を利用してシンジはナイフを下から上へ斬り上げた。脇からナイフを突撃させたのはこのためだ。
果たして、狙い通りの効果はあった。削ぎ落とされた3号機の右腕は、血飛沫を垂れ流しながら地面に転がっていた。
《いけるぞ、シンジ君!》
ダメだー。
シンジは思う。
パイロットへのダメージの差は大きい。この立ち回りではいずれやられる。アンビリカルケーブルもいつまでもつかわからない。
危惧していた通りだった。
たとえまともに戦っても、このままではアスカを救えない。
「ミサトさん!」
《マヤ!》
《は、はい!》
エマージェンシーのコールがけたたましく鳴り、シンジは操縦桿をきつく握り締めた。
ー来い……!
後方から覆い被さったヘッドギアが視界を覆う。
ダミーシステムが起動した瞬間、シンジの全身のあらゆる神経から、蟻が体内に入り込んでくるような不快感を伴ってノイズが走った。
「ぐ、ぁ……!」自分以外の何者かが内側に染み込んでくる。アスカ以外の存在が自分の核に触れる恐怖に、シンジは絶叫した。
「ああぁァァーッ!」
《やはり、ダメです! 司令!》
「やめてよッ! マヤさん!」
そう叫んだのは、シンジ本人だった。
「大丈夫、だから……! これくらい……ッ!」
マヤは怯えたように動けない。殺意を宿らせた双眸を3号機に向けながら、シンジの口元から大量の唾液が滴り、LCLに溶ける光景を見たからだ。
それはもう、まともではなかった。
痛い。
痒い。好きだ。殺したい。愛してる。食べたい。ひとつになりたい。
サビシイ
ー……⁉︎
シンジが拾い上げた奇妙な言葉の片鱗は、すぐに溶けて見えなくなった。
他者の痛みは、やがて自身とシンクロして快楽へと変化していく。
奇妙な確信があった。
父・碇ゲンドウがいないように、母もまた、この初号機の中にはいなかった。自分自身の中にも。
なら、なぜ動く?
思考が内側へと落ちていく。果てしなく暗い奈落の底へ、落ちて自分が見えなくなる。
乗っ取られる。
シンジは下唇をガリリと噛んだ。
血の味と痛みをコンパスに、薄まっていく自我へシンジは命令を試みる。
食べなきゃ。
ちぎって、食べて、ひとつにならなきゃ。
違う……!
アスカを……!
「助けるぞ、初号機ッ!」
初号機の口角が開口する。
暴走が始まった。
3号機が獣のような雄叫びを上げながら、頭上に掲げた左腕を振り下ろした。鞭の如くしなりが効いた腕は蛇のように伸び、離れた初号機に直線的に襲いかかる。
「そんなものでえぇぇーッ!」
3号機を上回る咆哮とともに、初号機の薙ぎ払った右腕に乗ったATフィールドの強固な膜が3号機の伸びきった腕部を上空へ跳ね上げた。
地面を抉るほどの前屈姿勢で、初号機が3号機の懐へ駆ける。3号機の左腕が戻るよりも先に、初号機は3号機の頭部に五指をめり込ませながら押し飛ばし、地震を思わせるほどの爆発力で地面に叩きつけた。
固いはずの地面が砂のように跳ねる。悲鳴のような鳴き声を使徒は発した。
3号機の頭部を引きちぎろうとするダミープラグの意志に、シンジは必死で抵抗する。
「まだ……だ! アスカがまだ!」
瞬間静止した初号機の隙を、使徒は見逃さなかった。手元に戻りきった左腕で側面から掌打を見舞い、強烈な勢いはそのままに、逆に初号機の頭部を地面に押しつけた。
「くそ……ッ!」
シンジにとっては、二体の敵に挟撃されているに等しい。
死に物狂いで意識を自分の中心に固定しながら、シンジは一瞬、強烈な違和感に襲われた。
3号機の背面から二本の腕が伸び、自分の首を絞めたように見えた。
それは錯覚だった。実際には、3号機は左手一本で初号機の首元を絞め上げているだけだった。
位相がずれる。
視界が二重にぶれた後、また重なった。
なぜ背中の腕を使ってこない?
3号機の咆哮が牙のように初号機の胸元を抉る。
「ぎ……ッ! あ、ぁ……ッ!」
胸部の激痛は痛みを通り過ぎ、シンジは一瞬、自分の肺や心臓が食いちぎられたように錯覚した。
3号機は初号機の拘束具をたやすく噛みちぎり、口元から溢れた侵食液が初号機のコアとその奥のエントリープラグへ瞬く間に同化を始めた。
「う……あ……がぁッ!」
シンジとダミープラグの意識の狭間に、使徒の意志までもが侵入してくる。
《ふたつの意識体に身体中の細胞が汚染されてます! このままじゃ……シンジ君の脳が、死ぬ!》
マヤの悲鳴をミサトは静止した。
《まだよ! あと少し》
そうだ。ミサトさんの言う通りだ。
シンジの狙いは、最初からこれだった。
自らを侵食させ、宿主をアスカからこちらへ移動させる。
「うわあぁぁァァァーッ!」
コンソールを目一杯押し込む。上体を起こした初号機は、3号機の背面上部ーエントリープラグに絡みつく使徒の糸状の粘膜に喰らいついた。
ープラグは潰すな! アスカだけは……絶対に傷つけるな!
身体中の血管が浮き上がる。
ダミーシステムと使徒が絡み合うように身体と精神の自由を奪っていく中、シンジはそれだけを強く願った。
「アスカを……返せッ!」
初号機は噛みついた粘膜を機体とは逆方向へと強く引っ張った。初号機の強烈なバイティングは、3号機のエントリープラグを覆うように張りついていた菌糸状の系をぶちぶちと音を立てて引き離した。
エントリープラグの挿入部に初号機の両腕を回し、全ての指を差し込んで背面の装甲を目一杯左右に押し開く。
「ミサトさんッ!」
初号機の咆哮と、懇願するようなシンジの叫び声がシンクロした。
使徒の侵食はすでに初号機の全身に回り、3号機から初号機へ宿主を移しつつあった。
《マヤ! 緊急射出!》
《了解!》
3号機の背面からエントリープラグが排出され、放物線を描いて五百メートル先の田んぼに突き刺さった。
「汚染は⁉︎ パイロットは生きてますか⁉︎」
自分の生命汚染を放置して、シンジはなおも叫んだ。シンジの自我を繋ぎ止めているものは、アスカだけだった。
《プラグ内にパイロットの生体反応あり!》
安堵と崩壊は同時に起こった。
ダミープラグと使徒の思考が脳内の奥深くに到達した感覚がある。
「は……あ……!」
ーここまで、か……。
シンジの誤算は、暴走後の初号機の出力が想定していたレベルまで達しなかったことだった。それは、初号機のコアーあるいは自分自身の中にー母を感じないことに起因しているように思われた。使徒の侵入に、ダミープラグの凶暴性をうまく対抗させられなかった。
それでも、アスカだけは助けることができた。悔いはない。
シンジは最期の意志で、初号機に肩部ラックの予備のプログレッシブナイフを両手で内向きに握らせた。使徒の侵食が3号機から初号機へ完全に移った瞬間にコアを破壊すれば、この悲劇は幕を閉じる。
「………ッ!」
三つの意識が重なった。
刹那ー。
シンジは白い閃光の向こうに、ある景色を見た。
それは、世界の終わりで、父・ゲンドウと対峙した、あのー。
《なにやってんのよ! バカシンジ!》
「ッ!」
大事な人のその声が確かに響いて、溶け合い消えかかっていたシンジの自我がマグマのように噴出した。
「うおッ! あぁぁッ!」
それは心の壁。ATフィールド。
シンジは拒絶した。
初号機を支配しかけていた使徒は、怯えたように3号機へと侵食を逆行させる。
3号機が再起動するよりも先に、ナイフを捨てた初号機の両手が3号機の口内に入り込み、上顎と下顎を指でマウントする。
「図に乗りやがって……!」
本能的な破壊衝動がシンジを突き動かした。
壊さなければ。
こいつは僕の心に触れた。
僕の魂を犯していいのは、アスカだけだ。
「ふ、はは……!」
嘲笑と共に、シンジは両手で3号機の顎を上下に引き裂いた。3号機は初号機の指を噛みちぎることでそれを阻止しようとしたが、ダミープラグの力で数倍に膨れ上がった初号機の握力に抗うことはできず、3号機の頭部は紙切れのように口元からふたつに分断された。
使徒の悲鳴が聞こえた気がした。
裂けた口角から鮮血が湯水のように溢れて初号機の頭部に降り注ぎ、プラグ内のインターフェイスが赤黒く染まっていく。
シンジは、気分がよかった。
3号機の腹部を乱雑に蹴り飛ばす。上体を起こした初号機は、力なく横たわった3号機の上へ馬乗りになった。
「アスカの仇ぃ……!」
3号機の残った左腕を持ち上げ、無造作に引きちぎる。少し力を加えただけで、左腕はブチブチと肉が裂ける心地良い音を響かせた後、胴体から分離した。
《もういいわ、シンジ君! 参号機は機能を停止している》
ミサトの静止を、シンジは無視した。倒せと言ったりやめろと言ったり、大人は忙しいな。
ーやめろ……!
誰かがどこかで叫んでいる。
シンジの意識は分離しかかっていた。このまま進めば、今度は使徒ではなく、ダミープラグに精神を乗っ取られる。
本当は両脚をもいで、胴体だけになった人造人間がどんな動きをするのか見てみたかったのだが、外野の大人たちがうるさいので、さっさとコアを破壊することにした。
壊して、食べなきゃ。
食べてひとつにならなきゃ。
「お前さえいなければ……!」
狂気じみた笑顔を浮かべながら、シンジは初号機の腕を駄々っ子のように目一杯振り上げ、握り込んだ拳の底を3号機の胸部に叩きつけた。
すでに死に体となった3号機に初号機の直線的で幼稚な攻撃が直撃した瞬間、しかしその威力は凄まじく、大地が揺れ、胸部装甲は破壊され、コアが露出した。
今の初号機の戦闘力なら、あと一撃加えれば確実にコアを破壊できるだろう。そして、同時にシンジの精神も壊れて人に戻れなくなる。
ーやめろ!
叫びながら、シンジは見た。
小さなモニターウィンドウの中。
発令所の誰かが。
笑っていた。
だが、それが誰なのか、シンジにはわからなかった。
発令所のモニターに、アスカが映っていたからである。
《シンジッ!》
シンジの瞳から、涙が溢れた。
十四歳のアスカだった。
守りたかった人。
守れなかった人。
それでも自分を待っていてくれた人。
アスカはミドルデッキから身を乗り出して、声を限りにシンジの名前を叫んでいた。
「アス、カ……? どうして、そこに……?」
アスカの叫びは、シンジの意識を心の中の正しい位置に呼び戻した。
振り上げられた初号機の腕が停止する。ダミープラグは、完全にシンジの制御下に置かれていた。
《
青葉シゲルの報告に、シンジは3号機から射出されたエントリープラグに視線をやった。
《初号機と参号機パイロットの回収、急いで》
「ミサトさん」声を絞り出しながら、シンジは自分の鼓動が速くなるのがわかった。
「3号機のパイロットは……アスカじゃ、ないんですか?」
《何を言っているの?》
発令所のオペレーターたちが顔を見合わせる。
《参号機のパイロットは、鈴原トウジ君よ》
ーここはいったい……?
狂ったように心臓が早鐘を打つ。
モニターの向こうで心配そうにこちらを見ているアスカ以外の全てから、色が消えた気がした。
ー誰の世界なんだ……?