目の留まらない日々 作:未開放書庫
※1/4 少し修正、本文には変化なし
ここはモンド北東部にある大海に臨む断崖、望風海角の先端。
その崖際に腰を下ろして海を眺める。今日はたった一人の同僚もいないため静かなものだ。
穏やかな風が前髪をやさしく揺らす。
風は良い。嫌なことを全て忘れさせてくれる。
潮騒が耳に心地良い。
海が好きだ。面倒な悩みもまとめて洗い流してくれる。
ほのかに潮の香りを感じた。
こんな崖の上でも風は海を届けてくれる。
そして――
「そこに流し込む酒!カーッ!!たまらんっ!!!」
エンジェルズシェアで買った酒瓶を一気飲みする。真上を向いた酒瓶の底が太陽の光を反射してキラリと光った。
「んぐっ、んぐっ、プハァー。うーん美味い!もう一本!」
「ダメに決まってるでしょ!?」
鞄から取り出した二本目の酒瓶が横から搔っ攫われた。
「なにをする!?ってアンバーかよ。あれ、いつからいたの?」
「今来たところってそうじゃなくて!なんでこんな昼間から酒盛りしてんのよあんた!仕事は!?」
目の前で腰に片手を当てて可愛い顔を怒らせながら、もう片方の手に持った酒瓶を俺に突き付けているこの少女の名前はアンバー。西風騎士団の若き俊英たる偵察騎士であり、押しも押されぬモンドの飛行チャンピオンであり、ついでに俺の幼馴染だ。今は酒泥棒でもある。
そして昼間から飲んだくれている俺の仕事は「風守」と言い、この望風海角から遥かな海を監視し続け、いつか海の向こうから来る暴風の災厄に備えることが役目だ。
まあ実際に最近モンドを襲った災厄は海からではなく城を挟んだ反対方向から来たので、俺たちには特に何をすることもできなかったのだが。
同僚が言うには「私たちは狼煙だ」ということだが、残念ながら俺たちはとうの昔に湿気って使い物にならなくなっている。
なぜならモンドの海は平穏そのもの、我らが風神バルバトス様の加護とやらで守られ、もはや海から嵐がやってくることはないのだから。
それでも燃える日を待ち望んでいる同僚とは違って、俺自身は一族の使命とやらにそれほど興味がない。
わざわざ町から遠く離れたここへ来るのは、ただ居心地が良いからというのが一つ、もう一つは酒を飲んでても誰に何を言われることもないからだ。なにせ誰もいないので。
風守本来の仕事はなかば形骸化して久しく、龍災も終わった今となっては日がな一日中変わり映えのない海を眺めるだけのつまらない仕事だ。
「つまり俺がまともに仕事をしていないのはモンドに危険が迫っていないということであり、喜ばしいことなんだよ。だからそうカッカすんなって。あと酒返して」
「だからってこんな時間から酔っぱらってもいい理由にはならないよね。返さない」
「返せ」
「ダメ」
しばし睨みあい、おもむろに立ち上がる。
自然体の俺と、半歩下がって構えるアンバー。
「どうあっても俺の至福の時間を邪魔すると?」
「お酒が飲みたいなら仕事が終わってからにしなよ」
「……」
「……」
無言の空間を風が通り過ぎる。
俺は腐っても風守だ。わざわざ風上や雲の動きを確認しなくとも、肌で感じる空気の流れから風を予測することくらい朝飯前である。
予測という一点に限って言えば、俺は目の前のモンドで一番風を捕まえることが得意なこの少女を凌駕する。
空中なら手も足も出ないが、地上戦なら負けはない。
2秒後に崖下から強い風が吹き上げる。悟られぬように重心を落とし、つま先に力を込める。
(今だ!)
「……ッ!」
予測通りに吹き上がった風がアンバーの長い前髪を揺らし、わずかに目を眇めたその瞬間。足を踏み出すのではなく体重移動で瞬時に2歩分の距離を詰め、彼女の右手に握られた酒瓶に手を伸ばす。
「獲った!」
「甘い!」
「なにぃ!?」
まさにこの手に幸福を掴み取ろうという刹那、するりと指の隙間を抜けた酒瓶を掲げてアンバーは笑う。
「そう何度も同じ手は食わないよ!」
「小癪なぁ……!」
こやつ、俺が仕掛ける瞬間に反射することに全神経を注いでいたのか。さすがは神の目持ちの現役騎士、所詮一般人の俺ではパワーはともかく瞬発力で劣る。
だからこその不意打ち戦法だったのだが、多用しすぎたせいで完璧に対応されてしまった。
「ふっふーん♪諦めておとなしく仕事に戻ったら?」
余裕綽々である。正面戦闘は不利、奇襲も通じないとなれば状況は非常に劣勢。しかし諦めるわけにはいかない。なにせ酒がかかっているのだから。
仕方がない、かくなるうえは……!
「チッ……、はいはいわかったよ。まったく口煩いったらないねぇ」
「そうそう、わかればいいのy「昔はお兄ちゃんお兄ちゃんってトコトコ付いて来てたくせに」
「いっ、いつの話してんのよ!」
仕事場である高台に戻るフリをして背中を見せた俺の後ろで、何やら俯きもじもじと髪の毛をいじりながら「あれは昔のことで」などとブツブツ言っているアンバー。
完全に隙だらけである。作戦成功だ。アンバーは幼い頃を掘り返されるのがあまり好きではない。
なんとも情けない卑劣な作戦だが、これも全ては今日の幸せのためだ。容赦はしない。
「そこぉ!」
「わひゃあ!」
振り向きざまに足払いを仕掛け転倒させる。とっさに受け身をとっているあたりさすがだが、その代償に酒瓶は宙に放り出されている。
即座に立ち上がったアンバーが伸ばした手よりも、残した軸足で飛び上がる俺の手の方が先に届く。この勝負俺の勝ちだ!
「ひ、卑怯者ー!」
「はーはっはっは!勝てばよかろうなのだァー!」
栓を抜いた酒瓶をまたしても一気飲み。文字通りの勝利の美酒だ。美味すぎる!これぞ生きる意味!
「あーっ!またそんな一気に飲んで!体壊すよ!?」
「んぐっ、ふぅ、大丈夫だよ。午後の死でもないんだ、問題ないって」
実際これは比較的軽めの酒だ。半分ほど一息に飲んだからって気分が悪くなることはない。
さすがに午後の死を一気飲みなどした日には午後に限らず翌日まで死に体になること間違いないが。
あの時は酷かった。一日中ベッドで割れそうな頭と桶を抱えながら二度と酒は飲まんと固く誓ったものだ。まぁ翌日には治ったので普通に飲んだが。
あの時のバーテンダーの驚いた表情は傑作だったな。思わず吹き出してしまった。
「むー。あんたのこと心配して言ってるのに……」
何やらリスのようになった口でボソッと言っているが努めて聞こえないふりをする。
以前午後の死一気飲み事件とは別に、ちょっとした理由から度を越えて飲み過ぎた結果体調を崩し寝込んでしまった時に看病してくれたのだが、それ以来こうして事あるごとに禁酒させようとしてくるのが困りものだ。
俺みたいな人間を気遣ってくれるのは正直ありがたいし嬉しいが、俺はこれが無ければダメなので見逃してほしい。
とは言え、無駄に心配させたいわけでもなく。
「仕事はちゃんとやるから、それで許してくれよ」
「むーん」
「悪かったって。今日はこの一本で終わりにするから」
「そんなこと言って、どうせ夜になったら酒場に行くんでしょ」
「う……、それは……」
す、鋭い……。まずい、このままでは禁酒させられてしまう。なんとか話題を逸らさなくては……。
半目で睨むアンバーから目を逸らしなにかないかと視線を彷徨わせ、ふと高台を見て気づく。どうやらちょうど良く話題も逸らせそうだ。
つい先ほどまではいなかったヒルチャールたちが我が物顔で高台を占拠してくれている。普段なら面倒なだけだが、今だけはありがたい。
「あぁほらアンバー、俺の仕事のためにもあいつらから高台取り返すの手伝ってくれよ」
「え?あ、ホントだいつの間に」
俺たちの見据える先には、斧持ちのヒルチャール暴徒が一体、射手と戦士が三体にシャーマンが一体。シャーマンの元素は風だ。
つまり敵の起こせる元素反応は炎元素の拡散だけ。足元に注意すれば問題なし。
「俺が暴徒たちを引き付けるから、その隙に射手を片付けてくれ!」
「オッケー!シャーマンも任せて!」
「あぁ!頼む!」
打てば響く声を背に、片手剣を構えて疾走する。狙いはこちらに背を向けているヒルチャール・戦士の一体。
近づいたことで俺の存在に気付き振り返るソイツの首を、走ってきた勢いそのままにすれ違いざまに斬り裂いた。力の抜けた体が倒れこむよりも早く二体目の戦士に斬りかかり、こちらの剣を棍棒で受け止めたせいでノーガードの腹を蹴り飛ばして距離をとる。
「次ッ!」
多対一の戦闘で大切なのは敵に囲まれないようにすることと、前衛だけでなく後衛にも注意することだ。
迅速に動いて敵をかく乱し、常に広い視野で戦場を俯瞰する。そうすれば不利な状況下でも生き残ることができるだろう。
幸い今回は頼もしい相棒がいてくれるので前衛に集中できるし、射手は万が一に備えて視界に入れておくだけで十分だ。
蹴り飛ばされ転がる戦士から視線を移し残る一体の戦士と暴徒を視界に収めると、後退りする戦士とは反対に暴徒は怒り狂ったように突進してくる。
まだ斧に炎元素は付与されていない。ならばとこちらからも距離を詰め暴徒の攻撃を誘うと、案の定大振りの一撃を繰り出してきた。
暴徒の攻撃は威力は高くとも攻撃後の隙が大きく、間合い管理ができていれば恐れる必要はない。元素付与がされていないならばなおさらだ。
(ここだ……!)
ギリギリまで近づき、斧の間合いのわずかに外で止まる。素の状態の斧ならばこれで攻撃を受けることはない。
目の前を斧が通過した瞬間、一歩前へ踏み込み懐に入る。腰だめに構えた剣に限界まで力を込めて、二撃目を繰り出そうと斧を頭上で構える暴徒の上半身を斬り上げる。
右脇腹から左肩まで走った刃がついでとばかりに左手を斬り飛ばし、支えを失った斧に引っ張られるようにして倒れ伏した。
(よし、後は……)
最も脅威である暴徒は倒したが、戦いはまだ終わっていない。頽れる暴徒の体の影から戦士が一体、先ほど蹴り飛ばした戦士も背後から向かってきている。加えて、シャーマンが杖を振っている。竜巻を起こして俺が戦っている二体の戦士もろとも吹き飛ばそうというのだろう。
俺一人なら苦しい状況だったかも知れないが、あいにくと今日の俺は一人じゃない。
「ふっ!」
「gyaba!?」
炎元素を纏った矢がシャーマンの仮面に突き刺さった。相変わらず良い腕をしている。
うめき声を出しながら吹っ飛ぶシャーマンを横目に剣を真上に放り投げ、俺から目を離した目の前の戦士の腕を掴んで背後のもう一体の方へと投げ飛ばす。
「「gugya!!」」
カエルが潰れたような悲鳴と共にぶつかり地面に叩きつけられるヒルチャールたち。
真っすぐ降ってきた剣を掴み取り、重なり合って倒れている二体に助走をつけて飛び掛かる。
「はぁっ!」
ドズッ!!と鈍い音を立て、一本の剣が戦士二体を地面に串刺しにした。
「biad……」
(終わったか……)
天に伸ばされたヒルチャールの腕がパタリと落ちた。
少し苦労しつつも剣を引き抜き、アンバーに声をかけようとした次の瞬間。
「お兄ちゃん後ろッ!!」
「え……?しま……ッ!?」
「Guooooo!!!」
油断した。右手だけで斧を振りかぶった暴徒が背後から突っ込んできている。
(避ける!?いや、間に合わない!なら……ッ!)
斜めに振り下ろされる斧の軌道を、割り込ませた剣で少しでも逸らそうと構えた瞬間――
「ウサギ伯爵!」
アンバーの声が響き、目の前に可愛らしいウサギのぬいぐるみが現れた。
突然のことに一瞬動きが鈍る暴徒。僅かに軌道が逸れた斧は俺ではなくウサギ伯爵を打ち据えた。
(最高の援護だアンバー!愛してるぜ!)
脳内で最高の幼馴染に愛を叫びながら、ウサギ伯爵に気を取られている暴徒の脇を滑りぬけ背後に回る。
がら空きの背中に攻撃を叩き込み、手首を返して横薙ぎに一閃。屈強な上半身に対して意外と細身な下半身、その膝裏を切り裂く。
たまらず膝をついた暴徒にとどめを刺すべく素早く横に移動して、顔の横で構えた剣に体重を乗せ大きく踏み込む。突き出された刃がヒルチャールの共通の弱点である頭を貫いた。
「bia……t……」
「ふぅ……」
僅かに震えた暴徒の肉体が黒い煙となって消え去り、割れ砕けた仮面が落ちた。やがて他のヒルチャール達も次々と消滅していく。
相変わらずコイツらの生態は謎だらけだ。
死んでから少し経つと、その場に仮面や角笛を残してまるで煙のように消え去ってしまう。
500年前から急激に世界中に広がったと言われているが、いったいどこから来て、なぜ消えるのか。わからないことが多い生き物だ。
いや、今はそれよりも。
「ありがとうアンバー。助かった」
「貸し一つ、ね」
「……ふっ、了解」
精神的にも肉体的にも、本当に強くなったと思う。神の目を発現させたときにも思ったが、それ以前にもアンバーの中にあった輝き、熱のようなものが最近また強くなっているように感じる。
例の『旅人』なる人物の影響なのだろうか。まだ会ったことはないが、少し興味が出てきた。
「さてと、じゃあそろそろモンド城に帰ろっかな」
「そうだな、腹も減ってきたし俺はなんか買って帰るとするか」
「え?」
「ん?」
なぜそんな驚いた顔をしているんだアンバー?俺何か変なことでも言ったか?
いや、別に普通のはず……、あっ!?まずい!?
「……ねぇ」
「はいなんでございましょうかアンバーさん」
地の底から響くような声でアンバーが問いかける。顔は笑っているのに目が全く笑っていない。
非常にまずい。完全にやらかした。なぜヒルチャールたちと戦っていたのかすっかり忘れていた。
「もしかして今日の仕事って、午前だけだったりする?」
「あっ、そ……うかもしれませんねぇ……」
そうなのだ。今日の仕事はもともと昼前には切り上げて帰る予定だった。
禁酒させられるのが嫌で話を逸らした結果の戦闘だったのだが、完全に頭から抜けていた。
「じゃあ今戦う必要なかったじゃん!なにが仕事のためよ!?」
「いや、違くて!どうせ遅かれ早かれ騎士団に討伐要請出すか冒険者協会に依頼しないといけないし、それなら今倒しちゃったほうが早いだろ!?別に騙したわけじゃないって!」
「それで怪我しかけてたら意味ないじゃない!どうせ禁酒させられるのが嫌だったからでしょ!」
ごもっとも。ぐぅの音も出ないほどに正論だ。そのうえ本音までバレている。
馬鹿な誤魔化しで怪我をするなんて笑い話にもならん。
「ご、ごめん……」
「……はぁ、今日はもうお酒なし。わかった?」
「い、いや、それはちょっと……。せめて一本くらい……」
ドラゴンスパインの氷もかくやという冷たい視線で睨みつけてくるアンバー。
だが酒が手元に無いと落ち着かないのだ俺は。飲まないから持つのは許してほしい。
「ダメに決まってるでしょ」
「うぅ……」
バッサリと切り捨てられてしまった。おかしい、アンバーは弓使いのはず……。
「うーん。あ、そうだ。」
「……?」
「さっきの貸し、さっそくだけど返してもらおうかな」
「……俺にできることで頼むぞ?」
何やら思いついた様子のアンバー。どうしようか、一週間禁酒とか言われたらもうモンドから逃げ出すしかないのだが。
祈るような気持ちでアンバーを見つめると、彼女は優しく微笑んだ。
「いきなりそんな無理は言わないよ。だから、ちゃんと聞いてね……?」
「わ、わかった」
「スー……、フー……、よし。きょ、今日のお昼、鹿狩りでご飯奢って!」
「……え?」
「もちろんお酒は飲ませないからね!」
「お、おう……。それだけでいいのか?」
正直もっとキツイ要求を想定してたんだが、ずいぶんと簡単だ。さすがに一食分程度なら酒も我慢できる。
「今はそれだけで十分だよ。ほら、早く行こう!」
「……あぁ、わかった」
心なしか軽い足取りの幼馴染を追いかける。頭の上でご機嫌に揺れる彼女の耳を見ていると、こちらまで楽しくなってくるのだから不思議だ。
前を行くアンバーの顔は見えない。髪の隙間からわずかに見える彼女の耳が、頭上のそれと同じように真っ赤に染まっていることを、必死に気付かないふりをした。
「そういえば、あの時『お兄ちゃん』って「言ってないっ!!!」