目の留まらない日々 作:未開放書庫
後編は明日の20時に投稿予定です。
ここはモンド城の片隅にある寂れた酒場、私はそんな場末の酒場のマスターだ。
モンドには言わずと知れたエンジェルズシェアやキャッツテールをはじめ数多くの酒場が溢れかえっているが、こんな名も無き木っ端酒場であってもお客は来る。
今日もまた一人、片手の指で足りる常連客の一人が来店した。
澄んだ湖のような髪色。怜悧な眼差し。
西風騎士団の遊撃小隊隊長を務めるエウルア・ローレンスだ。
「いらっしゃい」
「いつものを一つ」
「はいよ」
慣れ親しんだ会話。カウンターに立つ自分の後ろにある棚の右端、一番取り出しやすい位置に置いてある熟成された蒲公英酒を取り、カウンター下の収納からは銀製の盃を出す。
酒はまだ注がず、カウンター上に置いておく。
「お先にこちらを」
「えぇ」
グラスだけをエウルアに渡した。普通ならこんなことはしないが彼女には酒を飲む上でのこだわりがあり、それが彼女の楽しみでもあるので常温のまま渡すようにしている。
「ん……」
グラスを緩く握った彼女の手から氷元素の力が溢れ、グラス全体が急速に冷やされていく。
冷たいものを好む彼女だが、酒を飲む際はお好みの温度にこだわりがあるため氷はまだ入れない方が良い。
それに気づいたのも最近のことだ。
エウルアがグラスを冷やしている間に小さな保温用の箱からドラゴンスパイン産の氷を取り出し、四角いそれをなるべく丸くなるようにナイフで慎重に削っていく。
転がる程度に丸くなったら次に取り掛かる。迅速に、だが焦らず丁寧に。
「ふぅ……」
しばらくグラスを冷やしていたが、満足のいく温度になったのか手を放したタイミングで小皿に乗せた氷を差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう。相変わらず手際がいいわね」
「この注文は一番慣れてるからね」
「……ふーん。そう……」
そっけない返事。愛想のない表情。人によっては不機嫌であると感じてもおかしくはないが、それなりに長い付き合いの私はそれが彼女の普通であると知っている。
もっとも、出会った当初は私も多くの人と同じ印象を彼女に抱いていたのだが。
「綺麗……」
氷を透過した光が彼女の白い貌を彩る。未だ水滴も滴ることのない氷を持ち上げる長い指に震えは見られない。
彼女が冷気に耐性を持っていることも理由の一つだろうが、何気ない仕草の一つ一つにも気品が溢れる彼女の姿はこんな寂れた酒場に一人きりでもひどく絵になっている。
それが彼女の出自ではなく彼女自身の矜持に由来するものであると、より多くの人々に知って欲しいと思う。
「……なにかしら?」
「え? あぁ、いや、なんでもないよ」
「ふーん、そう」
先ほどと同じで、少し違う答え。そこに込められた意味を読み解くことはまだできなくて、それが少し歯痒い。
そんなつもりはなかったが、ジロジロと不躾だっただろうか。
エウルアは人一倍視線に敏感で特に悪意や害意に対しては驚くほど詳細に察知できるから、私の視線がそういった類のものではないと理解しているだろうし、咎めるときは誰が相手でも物怖じしないので責められているわけではないようだが。
カランカランと音を立て、氷がグラスの中に滑り込んだ。続けて蒲公英酒がゆっくりと注がれていく。トクトクと優しい音だけがして、氷のひび割れる音は聞こえない。
グラスを見つめ真剣な表情をしているエウルア。そうしているとただでさえ端麗な容姿の美しさが一層際立ってみえる。
酒瓶を置き、グラスを目線の高さにまで持ち上げた彼女は一つ満足そうに頷くと、わずかに霜が降りたグラスに優しく口をつけた。
……まぁ、彼女がどう思っていようと女性を無言で凝視するのは失礼だろう。それがどれほど美しい人でも。
瞼が閉じられているとなおのこと強調される長い睫毛、グラスを受け止める桜色の唇からこくりと鳴る細い喉へと吸い寄せられる視線を剥がし、誤魔化すようにカウンターを出て入り口のドアに向かう。
(うん……?)
何か背中に圧のようなものが……。気のせいか……?
ちらと振り返ると、エウルアはカウンターに片肘をつきながらグラスを傾けている。
こちらからではその顔色を窺うことはできないが、別におかしな点もない。
(何だったんだろう……?)
疑問に思いつつも、いったん外に出て店先に置かれた小さなメニューボードをたたみ、小脇に抱え持ち上げる。
ふぅ、と吐き出した息が白く染まった。空を見上げてみれば、分厚い雲がだんだんと月を覆い隠しつつある。
「今夜は雪かなぁ……」
逆巻くような音を立て、呟きと白い息を寒風が連れ去っていった。
「うぅ、寒い寒い」
肩を竦め、扉に掛けられた看板を裏返しながら店内に戻る。
こんな日は他の客も来ないだろうし、今日はもう閉めてしまってもいいだろう。
扉を閉じると、本日たった一人のお客様が目ざとく気づいて言った。
「あら、もう閉めちゃうの」
「まぁね、開けてても誰も来ないし」
「私の他にも常連はいるでしょう」
「ガイアさんなら今夜はエンジェルズシェアに行くって言ってたし、ロサリアさんは今日みたいな日には来ないからね。大丈夫だよ」
「……勝手なマスターね」
「個人経営の酒場なんてどこもこんなもんだよ」
メニューボードを片付けながら身も蓋もないことを言う私に、エウルアは少し意地悪に微笑んで続ける。
「こんな罪人に対して店を貸し切りにする酒場なんて、ここくらいのものよ? 個人経営ならなおさら、門前払いされてもおかしくないわ」
「それこそ店主の勝手だろう。君を門前払いする人もいれば、貴重な常連客としてサービスする人もいる」
「…………あら、どんなサービスかしら」
「……貸し切りだけじゃご不満ですか?」
「もう一声ってところね」
さて、困ったぞ。いったいなんだろうか、未だ掴み切れない彼女の心を満足させられるサービスとは。
単純な無料サービスや、本来店では出さない料理系のメニューを振舞うだけではご満足いただけなさそうだ。
本職ほどではないが腕には自信があるものの、お酒以外の彼女の好みはまだ知らない。
(冷製肉盛り合わせとかだろうか? いや、遊撃小隊の任務では野外で活動することが多いことを考えるともっと携帯性に優れる料理か……? うーん、しかしそれだと腹持ちしなそうだが……、いや待て、もしかしてしない方が良い……のか……? どっちだこれは?)
あーでもない、こーでもないと、つらつらと思考を回しながら店内最奥の暖炉のそばに置いてある薪棚から新しい薪を三つ四つと掴み投げ入れる。私を流し目で見つめてくる常連様は気温も寒いほうがお好みだが、これくらいは許していただこう。
だんだんと勢いを増していく火を見守りつつ、後で棚に置く薪も補充しておかなくてはと片隅で考える頭がふと思い出す。
「あ、そういえば昨日……」
「なっ、なに?」
「ちょっと待ってて」
「え? えぇ……」
カウンターに戻り、バックヤードという名の玄関に通じるドアを開ける。二階に上がる階段の下のスペースには大小さまざまな箱が規則正しく積まれている。
「確かこの辺りに……と、あった!」
昨日仕入れた酒が入った木箱、その隣にある小振りで瀟洒な箱を手にカウンターに戻る。
「その箱は?」
「霧氷花を粉末にしたものだよ。前に言ってたよね、欲しいけど数が少なくてなかなか手に入りづらいって」
「…………憶えてたの」
霧氷花の花から作られる粉末。それは彼女の二つ名にある「浪花」の由来にもなった骨笛、その音色をより透き通るようにする効果があるのだという。
これは新しく開発している酒の材料を探しているときに偶然見つけ、つい衝動買いしたものだ。
その時はすでに多くの商品を注文した後だったので持ち帰ることができず、他の荷物と共に送り届けてもらうよう手配したのが昨日ようやく届いたのだが、色々あってすっかり忘れていた。
元々そのつもりで買った物だし、今渡すとしよう。
「これの一部を使ってお酒を作るってのはどうかな。残った分の粉末もプレゼントするよ」
「…………」
「……えっと、エウルア……?」
「へっ!? あ、コホン! そ、それでいいわ」
「う、うん。じゃあ……すぐ作るから」
「えぇ…………、あ、ありがと」
「どういたしまして」
どうやら喜んでもらえたらしい。早速作るとしよう。
(さて、どんな風に作ろうか。カクテルが良いかな?)
霧氷花の粉末を入れれば先ほどの蒲公英酒よりさらに冷たくなるだろうから、そこまで冷えてしまうとワインは風味が失われてしまうし、エウルアは酒を喉よりも舌で味わうタイプだ。やはりカクテルが良いだろう。
(材料は……生と果汁のラズベリーにミントベースのが有るな。うん、せっかく霧氷花を使うことだし他の材料はシンプルでいこう。)
シェイカーに材料を入れ、混ざり合う液体に霧氷花の粉末を加える。
よく振って溶け合ったらグラスに注ぎ、最後にカットしたラズベリーを添えれば完成だ。
「どうぞ」
「ラズベリーのミントカクテル……誰かから聞いたの?」
「え? なにを?」
「……いえ、なんでもないわ」
見開いた眼でカクテルを見ながら尋ねるエウルア。
何のことだろう。もしかして苦手だったりするのだろうか……。
俯く彼女に少し不安になってしまう。え、まさか本当に……?
「ねぇ」
「な、なに?」
「残りの粉末だけど、マスターが持っていてくれない?」
「え…………?」
「あ、いや違」
プ、プレゼント拒否!? そんなに苦手なカクテルだったのか!? マズイ失敗した! 思い返せばさっきからなんか態度悪くないか私!? ど、どうしよ「そうじゃなくて!」う……?
「えっと、このカクテルに合うお菓子があるのよ。それで……その、明日そのお菓子を作って持ってくるから、そのときまたこのお酒を作ってほしいの」
「…………え?」
聞き間違いか? 今お菓子って言った?
「な、なによ」
「お菓子……作れたの……?」
「……馬鹿にしてるわけ?」
「あ、いやそういうことじゃなくて、ちょっと意外だったというか」
「貴族にとっては料理の腕も義務の一つよ。当然、お菓子だって作れるわ」
腕を組んで胸を張るエウルアを思わずまじまじと見つめる。
「なによその顔は」
「え? えっと……」
「どうせ口だけで実際には焦げてたり、味が変だったりするんだろうって考えてるでしょ」
「いや、そんなことは」
「顔にそう書いてあるわよ」
いつになく饒舌で押しの強い彼女にたじろいでしまう。
意外ではあったけど、別に疑っているわけではない。彼女は必要のない嘘など吐かないし、見栄を張るような人物でもない。
だから私が変な顔になったのには別の理由があった。だって――
「この恨み、覚えておくわ!」
――そう言ったエウルアの顔が、今まで見たことがないほど、とても楽しそうに見えたから。
モンドは酒造業が盛んな国だから、こんな酒場があってもいいでしょう?