目の留まらない日々 作:未開放書庫
私はこの国では罪人の末裔として嫌われている。
最近では公然と私を敵視する人も少なくなってはきたけれど、完全にいなくなったわけではない。
だから、これは仕方ないことなのだ。
「いやー、申し訳ございませんが本日は予約でいっぱいでして」
「……そう、ならしかたないわ。邪魔したわね」
「いえいえ、それでは」
そう言っていそいそと扉を閉める男を冷ややかな目で見つめる。
そもそも私と目を合わせようともしなかったから、気づいてもいないんでしょうね。
客は居るには居るけど2、3人。それにこんな場末の酒場で満席の予約?
見え透いた嘘、別に今更どうとも思わないけど。
面と向かって入店を拒否されることは減った。けれどその代わり、何のかんのと理由をつけて入店をお断りされることが増えた。
最低限の礼節という体裁を保つ気はあるようだし、この程度のことで恨みを憶えることもないからおとなしく引き下がったけれど、結局は店が見つからないという根本的な問題は解決していないのよね。
もうすっかり夜の帳が降りた街。家々からは暖かな光が溢れ、表の通りからは賑やかな笑い声が聞こえる。
そんな中にわざわざ出ていくのは趣味じゃない。私は喧騒に背を向けて、静かな裏通りに足を進めた。
ぽつぽつと佇む街灯の光がスポットライトのように道を照らして、その下に入るのがなんだか嫌で、道の反対側の端を歩く。
向かいから走って来た幼い少年が光の中で父親を呼んでいる。
「お父さん早く早くー!お母さんもう待ちくたびれてるよ!」
「わかったわかった、今行くよ!」
小走りで追いかける父親と、歓声を上げながら走り出す少年。
明るい大通りへと足早に去っていく親子を横目に、私は街灯の少ない入り組んだ方へと向かう。
「はぁ、どうしようかしらね……」
誰もいなくなった道を歩きながら、独り言ちる。
エンジェルズシェアやキャッツテールは多くの客で溢れ返っており、そんな環境で飲むのは気が進まない。とはいえ先ほどのような小規模な酒場ではやんわりと入店拒否されるのがオチ。
いつものように復讐を宣言すれば入店こそできるでしょうけど、それも結局は同じこと。
(やっぱり、あの店に行くしかないのかしら)
そう、あの店。あの一人称は丁寧なくせに、口調と態度はどこか砕けているおかしなマスターが経営する名前もない酒場。
とても居心地がよくて、それ故にあまり頻繁に行きたくはない場所。
でも……、
「もう常連なのよね……」
そう呼ばれるほど通い詰めているわけでは断じてないわ。ないったらない。
あの店はなぜ営業を続けていられるのかわからないほどに寂れていて、私を含めて常連と呼べる人間がほんの数人しかおらず、その上客入りそのものもはっきり言って悪いのになぜか潰れる気配はない。
だから結果として店側から常連に区分されているだけだ。本当に、それだけ。
だからそう、仕方ないことなのよ。消去法なのだから。うん、仕方ない。
この足がいつの間にかあの店に向いているのも。この心がほんの少し軽くなっているのも。
今夜の店が定まったことに対する安心感なのであって、決して私自身があの店に行くことを望んでいるわけではないの。そんなことはありえないわ、絶対に。
店先に置かれた小さなメニューボードと、古びたドアに掛けられた不格好な手作りの看板。それらが無ければ普通の民家にしか見えない二階建ての建物がその店だ。
一階部分が酒場に、二階部分が店主であるマスターの居住スペースとなっている。
とは言ってもそこまで広くもなく、酒場にはカウンター席が六席分あるだけでテーブルもないし、なんならその席が埋まっている光景も見たことがない。
「だからこそ行きやすいんだけど……」
どうか誰も、叶うならば他の常連もいないで欲しいと願いながらドアベルの無い扉を開いた。
温められた空気が肌を撫でる。他の酒場に比べて薄い酒精の香りと柔らかな光を放つ灯りが優しく店内を包んでいる。
「いらっしゃい」
グラスを磨いていた手を止めなんでもないことのように言う貴方。
それがどれほど有難いことなのか、わかっていない様子なのが少し腹立たしい。
「いつものを一つ」
「はいよ」
こちらもいつもと何も変わらない調子で注文する。
棚から取り出された熟成された蒲公英酒、器はもちろん銀製で、本来なら十二分間冷ます必要があるけどそんな面倒なことは御免よね。
「お先にこちらを」
「えぇ」
だから自分で冷やす。氷元素の力があれば、ほんの数分でグラスはちょうどいい温度まで冷やせるもの。
私がグラスを冷やしている間、マスターは氷を作ってくれる。
以前フォンテーヌに行った際に購入したという内部を低温に保つことが可能な箱、そこから取り出したドラゴンスパインからわざわざ取り寄せている氷のブロック。
お酒本体よりもこちらの方がよほど高額だから、他の酒場ではまず見ないそれら。
初めてこの店に来たとき、さも当然のようにグラスに氷を入れだした彼に呆けた顔をまじまじと見られたのは私の数少ない恥だ。
その意趣返しというわけではないけど、慣れた手つきで四角い氷を丸く削り出していく彼の顔を気づかれないように盗み見る。
真剣な表情、素早く正確なナイフの動き、あっという間に丸い氷が出来上がった。
二つ三つと手品のように次々と生み出される丸氷、こういうのを職人技と呼ぶのかしらね。
彼の視線が動く気配を察して目線を手元に落とすと、グラスの温度もいい塩梅になっていた。
一つ息をついて手を離すと、すぐに氷が差し出される。
「どうぞ」
「ありがとう。相変わらず手際がいいわね」
「この注文は一番慣れてるからね」
「……ふーん。そう……」
一番慣れている、つまり私が一番この店に通って、この人に注文しているということ。
ただそれだけなはずなのに、その事実がなんだか気分を高揚させる。
この氷も、彼が私の注文を受けて初めて作るようになったモノ。
それまではただ四角い氷をそのまま器に入れるだけだったし、わざわざ削るように頼むのも多分私だけ。
摘まみ上げたそれが、とても尊く美しいものに見えた。
ふと気づくと、彼が私の顔を見つめていた。そっと優しく、注がれる視線に暖かさを感じる。
「……なにかしら?」
「え? あぁ、いや、なんでもないよ」
「ふーん、そう」
なんでもないってことはないでしょう。話してくれればいいのに。
変なところで遠慮しがちなその態度が少し気に入らない。
不満を隠すように氷をグラスに入れ、蒲公英酒を氷の六分目のところに来るように調整する。
また感じる視線。気取られぬよう努力しているようだけど、ちょっと判りやす過ぎるわね。
(まぁ……悪い気はしないけれど)
そうして目を閉じ、完成した蒲公英酒を味わう。
よく熟成されたお酒特有の芳醇な香りが心地いい。
キンと冷えたお酒が喉を通り過ぎていく。
(あぁ……美味しい……)
目を閉じたまま味わっていると、マスターが外へ出ていこうとする気配を感じた。
彼は私に悪意を持つような人ではないから、ただちょっと外に出るだけなのは考えずともわかる。だけど、そんなはずはないと理解していても少し嫌な気分にはなってしまう。
席を外すなら一声かけなさいよ。
(客を放り出してどこに行くのかしらねこの男は)
つい行儀悪くカウンターに肘をついたまま、勢いよくグラスを呷る。
少し背中に視線を感じたけれど、結局そのまま出て行ってしまった。
ドアベルが無いから、閉じられた扉のバタンと響くその音がやけに大きく聞こえる。
店のどこにいてもすぐに気付けるからとベルを付けないのは別にいいが、この音を一人の空間で聞くのは嫌いだ。
風に揺れる窓の先、月が雲に隠されていくのが見える。
雪の気配を纏う雲、普段なら好きなそれが今はなんだか鬱陶しい。
「変なの……」
消えない違和感をお酒で流し込む。
いつの間にか酒瓶の底が見え始めていた。
「美味しくないわね…………」
再び扉の開閉音が響いた。
そちらに目を向けると、表に置かれていたメニューボードを抱えている。
空模様が怪しいとはいえ、さすがにまだ閉店には早いんじゃないかしら。
「あら、もう閉めちゃうの」
「まぁね、開けてても誰も来ないし」
「私の他にも常連はいるでしょう」
言ってから後悔した。その先の言葉が容易に想像できたから。
「ガイアさんなら今夜はエンジェルズシェアに行くって言ってたし、ロサリアさんは今日みたいな日には来ないからね。大丈夫だよ」
「……勝手なマスターね」
あぁ、やっぱり。嫌な想像が当たってしまった。
こんなことを考えてるなんて知られたくないから、嫌味な言葉で誤魔化した。
(こんな……子どもみたいな嫉妬なんて……)
マスターだって人間なのだから、私以外の人と関わるのだって当たり前なのに。
(何を考えてるのよ……私は……)
たまに顔を出す、この感覚がどうにも苦手だった。
私が嫌悪するモノに近しいようで、到底受け入れられない
だから……
「個人経営の酒場なんてどこもこんなもんだよ」
そんな言葉を投げかけないでほしい。
当たり前に私を受け入れて、送り出して、そんな『普通』を与えられても、私は。
「こんな罪人に対して店を貸し切りにする酒場なんて、ここくらいのものよ?個人経営ならなおさら、門前払いされてもおかしくないわ」
あぁ……、私は今どんな表情をしているのだろう。
綺麗に笑って、上手く被れているだろうか。この仮面に、罅は入っていない?
窓を見れば確認できるのに、首が岩のように固まって動かせない。
「それこそ店主の勝手だろう。君を門前払いする人もいれば、貴重な常連客としてサービスする人もいる」
僅かにも悩まずに即答するその強さがとても眩しい。
私の数少ない友人たちは皆、元気で、知識で、経験で、私の罪を踏み越える強さを持っている。
だけどマスターはそのどれとも違くて、しかしすべてに通ずる認識で私を見ている。
私を一人の常連客として、酒場の店主として接してくれる。
友人ではないけれど、知り合いというほど遠くはない、そんな距離感。
だからだろうか、少しだけ期待している自分がいる。
もう少しだけ、深く踏み込むことを。
「…………あら、どんなサービスかしら」
「……貸し切りだけじゃご不満ですか?」
「もう一声ってところね」
別に何か希望があるわけではなく、ただ考えてくれるのが嬉しいだけなのだけど。
困らせてしまったかしら。悩んだ表情で暖炉に薪を焚べるマスターの背中を見ながら、少し後悔する。
「あ、そういえば昨日……」
「なっ、なに?」
思わず上擦った声を誤魔化すように問いかけた。
「ちょっと待ってて」
そう言ってバックヤードに下がる彼を見て考える。
何か贈り物をくれるのか、あるいは特別な料理でも作ってくれるのか。
どちらにせよ、私が彼に『復讐』するには十分な理由になってくれるはずだと。
戻って来た彼の手には、綺麗な装飾がなされた箱があった。
「その箱は?」
「霧氷花を粉末にしたものだよ。前に言ってたよね、欲しいけど数が少なくてなかなか手に入りづらいって」
思考が、止まった。
「…………憶えてたの」
どうにか絞り出した言葉はそんなもので、事前に考えていた返答なんてできなかった。
だって仕方ないじゃない。まさかあんな呟きを憶えていて、あまつさえ本当に買ってくるなんて全く想像していなかったんだから。
「これの一部を使ってお酒を作るってのはどうかな。残った分の粉末もプレゼントするよ」
というかどこで見つけたのよコレ。なんだか箱も豪華だし、いかにも高級品って感じじゃない。
こんなサラッと渡していいの? 普通に一杯サービスするとかで良かったのに。
こんな物渡されちゃったらこっちだってなにかお返しを準備しないとじゃないの。
(適当に次回来るための理由を作ろうと思っただけなのに……)
どうしよう……。どう返答したら良い感じにまとめられるの……?
「……えっと、エウルア……?」
「へっ!? あ、コホン! そ、それでいいわ」
「う、うん。じゃあ……すぐ作るから」
い、いけない。冷静にならないと。落ち着くのよエウルア・ローレンス。
いつも通り、そういつも通りでいいの。
「えぇ…………、あ、ありがと」
「どういたしまして」
声がか細くなっちゃったわ……。
(あぁもうっ!なんでこうなるのよ……って、え……?)
マスターがカクテルを作っている。それはいい。問題はそこじゃない。
どうしてラズベリーのミントカクテルを作っているの?
その話をしたことはないはず……。
差し出されたカクテルを見つめながら思わず問いかける。
「ラズベリーのミントカクテル……誰かから聞いたの?」
「え? なにを?」
「……いえ、なんでもないわ」
偶然にしてはできすぎているような気もするけれど、どうやら本当に知らないようね。
なら、これも天啓ということかしら。
一つ息をついて俯いていた顔を上げ、マスターの顔からは少し目を逸らしながら声を出す。
「ねぇ」
「な、なに?」
「残りの粉末だけど、マスターが持っていてくれない?」
「え…………?」
「あ、いや違」
しまった言い方間違えた!? そうよプレゼントしてくれるって言ってたのにこれじゃ要らないって言ってるようなものじゃないの!
目に見えて焦った表情のマスターに慌てて説明する。
「えっと、このカクテルに合うお菓子があるのよ。それで……その、明日そのお菓子を作って持ってくるから、そのときまたこのお酒を作ってほしいの」
「…………え?」
鳩が矢を撃ち込まれたような顔で私を見てくるマスターにこちらも驚く。
私今変なこと言ったかしら。
「な、なによ」
「お菓子……作れたの……?」
「……馬鹿にしてるわけ?」
ちょっとカチンと来たわよ今。いえ、違うのはわかっているけど。
でもこれは好都合ね。利用させてもらうとするわ。
「あ、いやそういうことじゃなくて、ちょっと意外だったというか」
知ってる。でも分かってないふりをして、強引に話を進める。
いい感じに頭が冴えてきたわ。着地点も見えた。
あとは押し切るだけね。
「貴族にとっては料理の腕も義務の一つよ。当然、お菓子だって作れるわ」
相変わらず呆けた顔で見つめてくるマスターに内心ほくそ笑みながら、努めて冷静さを保つ。
「なによその顔は」
「え?えっと……」
「どうせ口だけで実際には焦げてたり、味が変だったりするんだろうって考えてるでしょ」
「いや、そんなことは」
「顔にそう書いてあるわよ」
良し、完璧な流れを作れたわ。このまま決める!
「この恨み、覚えておくわ!」
これで次に私がお菓子を作って持ってきても、なんの問題もないわね!
窓の外は雪が降り始めているけれど、このお店の中はとても暖かい。
まだ夜は長いし、たまにはこんな空間で過ごすのも悪くないわね。