そこは、薄暗い部屋だった。灰色のコンクリート壁には窓がなく、4メートルほど上の天井に電灯が一つあるのみ。教室ほどの広さがあるその部屋には光量がまるで不足していた。
「ぅう、う…」
「起きたか」
目を覚ますなりかけられた見知らぬ声にビクッとして飛び上がろうとして、恵は派手に転んだ。見ると、手足は何重にも縄で巻かれていて、上から何らかの文字が書かれた札が貼ってあるようだった。ならば、と呪力で身体強化を試みるも、発動しない。
「無駄だ。何のために札があると思ってる」
「…誰だよお前。見てないでさっさとほどけよ」
目の前の男が少なくとも自分を利する存在ではない、ということぐらいは感づいていたが、他に言うこともなし。相手が会話に付き合って情報を落とすならば、そのほうがいい。
「俺?見ての通り、お前を誘拐した犯人だよ。呪詛師A、とでも呼んでくれ。同業者以外に本名なんて教える気にはならないからね」
「ほどけよ。五条悟が怖くねえのか」
ようやく焦点の定まってきた視界で、男を観察する。上下共に緊張感のないジャージ姿だが、どうやって留めたのか腰には刀を佩いていた。中肉中背で顔立ちも際立ったものがなく、まさに普通、といった風貌で、刀の存在だけが浮いていた。
「そりゃあ怖いに決まってるだろう。呪詛師はみーんなそうだ。ここまで生き残ってるやつでそうじゃない奴はいない…そんな奴は全滅したからなあ。だけど、最強は万能とは違うんだ。奴にここを突き止める能力は、ない」
「知りもしないのによく断言できるな」
「いや、よーく知ってるとも。何せ奴は…チッ、忌々しい。とにかく、六眼でここは見つけられねえ。残穢を残すようなへまはしてねえからな。そして、監視カメラから割り出されることもねえ」
「なんでだよ」
「そりゃ、総監部の協力が必要だからだよ。あいつのことが大っ嫌いな、呪術総監部のな!五条悟の弟子がさらわれた、なーんて知ったら大喜びするだろうよ」
(しばらく観察すればわかる五条悟との師弟関係はともかくとして、六眼や、総監部との関係に至るまで知っているだと!?)
恵は驚いた。目の前の男の術式はなんだ?少し五条がしゃべっただけのことまで知っているなら、聴力強化か?それとも、誰かの行動を追いかけ続ける式神か?あるいは、過去の出来事を知る方法を持っているのか?考えておいて、二番目はありえない、と即座に否定した。ほかならぬ五条相手に気づかれずにそれができる人物はいない。せいぜい眉唾物の”天元様”とやらがどうか、という程度だろう。
(そのレベルの奴には見えない。すると、過去視の類?)
「なんかまるっきり的外れな推理を立ててるみたいだな、とだけ言っておくぞ」
まさか、心を読む能力か。それで自分から情報を抜き出したのか?マズイ、もしそうなら自分は明確に五条悟の足を引っ張っている。
「まあお前がどんな推理をしようが別にいい。それを心の内にとどめてる間は、とやかくは言わないさ。ただ、こっちも用もなしにお前を攫ったわけじゃねえ。話は聞いてもらうぞ」
「身代金目的じゃねえのか?」
「バッカお前そんなことしたら最強サマがやってきて逃げる間もなく殺されるだろうが。あいつの前じゃ俺はお前の首元にナイフ突きつけてても安心できねえぞ」
急に早口になった男に少々面食らったものの、言ってることは一理ある、と恵は思った。相当強い(五条談)術式を持っているはずなのに、将来どれだけ強くなっても勝てる気がしないのだ。どうやらだいぶ詳しいらしい目の前の男が警戒するのは当然だろう。
落ち着きを取り戻した様子で男が続けた。
「というわけで、だ。そろそろ本題に入るぞ。拒否権はねえ」