このキヴォトスという学園都市において男子生徒というのは極めて稀有な存在だ。
生徒数の約九割以上が女生徒であり、百万を超える生徒数の中で数千人しかいないのが実情でもある。
だが、それはあくまで“男子生徒”というカテゴリを含めた場合の男性の割合で犬や猫、機械の容姿をした“大人”を含めればその割合はほんの少しだけ男性に傾く。
では何故、このキヴォトスにおいて男子生徒が少ないのか。
それは単純な話だ。
生まれた時にヘイローが顕現するかしないかの差でしか無い。
男児の出生率が低いわけでは無いもののヘイローというキヴォトスで生きていく上で必要な要素が存在していないだけでキヴォトス出身の男性というのはそれなりに多いと聞く。
まあつまり、何が言いたいかといえば……
「ミナトくん、なにをボーッとしてるんですか?」
「……ああ、なんでもないよ。ノア」
俺、天音ミナトはキヴォトスでも数少ない男子生徒というだけの話だ。
「それにしても珍しいですね。せっかく淹れたコーヒーも口につけずに考え事なんて」
「俺だってたまには考え事だってするさ。それともそういうのとは無縁のお調子者とでも思ってた?」
「ふふっ、私はそれでも構いませんよ?その分、私がちゃんと見ていてあげます♪」
「それは魅力的な提案だ。いっそのことボケた老人のような振る舞いに変えてみようか?」
「それこそ魅力的な提案ですね。起床から就寝まであの手この手でお世話してあげますよ?」
とある日の週末、他愛のない会話をしながら互いにラフな格好のまま肩が近づきそうな距離に座ってコーヒーを飲みながら午後のゆったりとした時間を楽しんでいた。
「そういえばミナトくん、ユウカちゃんが以前手伝って貰った伝票の整理の感謝をしたいって言ってましたよ?」
「ああ、先週の。あれ本当に俺がやって大丈夫だったの?俺は少なくともミレニアムの生徒じゃないんだけど」
「あの時はユウカちゃんも猫の手でも借りたいと頭を抱えてましたからね。あそこまでの計算は私の得意分野じゃないので助かりました」
「そっか、ならよかった。早瀬さんには気にしないでって伝えておいて」
「それはそれで納得しなさそうですけどね」
ノアは脳裏に浮かんだ自身の親友の姿を思い描いてほんの少し笑った。
早瀬ユウカという自分の親友は受けた恩は絶対に倍以上にして返すような女の子だ。
自身がどんなに多忙で目が周るような状況でも困っている人がいたら放っておけない、規則違反を起こした生徒に罰を与えるにしても必ず更生する機会や挽回するための期間を与える。
そんな底なしの善人だからこそ、ミレニアムにおいて彼女を嫌う生徒は極めて少ないともいえるのだ。
「あの子も少しは休んだほうがいい。どうせ今日だってセミナーのデスクに張り付いて計算に追われてるんだろう?」
「そうですね……私は『ノアも帰って休みなさい』と言われて早朝にセミナーの部室から追い返されちゃいましたし。うーん、後で様子を見にいきましょうか」
「いいんじゃないか。あの子の好きなスイーツでも買っていってやるといい」
あの子の好きなスイーツはなんだったか、なんて考えていると隣にいるノアは至極不思議そうな顔をして首を傾げながら口を開いた。
「何言ってるんですか?ミナトくんも一緒に行くんですよ?」
「……なんで?他校の生徒がセミナーの部室に入るの普通におかしくない?」
「そうでしょうか?私の幼馴染で恋人なんですから信頼の面では問題ないと思いますけど」
「そういう問題じゃなくない?そもそもミレニアムの生徒じゃないのに伝票の整理を手伝った時点でおかしいと思ってるんだけど?」
ほんの僅かな沈黙、顎に手を当てて何やら考え込んだノアは深刻そうな表情のままこちらの顔を覗き込んだ。
「……確かにそうですね。なら、ミレニアムの会計の中身を見てしまった責任を取るために今日は同伴してもらいましょうか♪」
「……その角度できたかぁ。なに?もしかして責任とってミレニアムに転入しろとでもいうつもり?」
「それもいいですね。学校でも一緒にいられますし、なにより登下校が一緒に出来るのは私としても役得です」
「女子校に転校なんて出来るかよ。それにノアは俺が他の女の子と仲良くしてて何とも思わない訳?」
「普通にイヤですね。なので私とユウカちゃん以外の子と仲良くしないでください」
「無茶言うなよ、ここ女生徒九割超のキヴォトスだぞ」
ニコニコと何となく底の見えない笑みを浮かべる我が幼馴染であり恋人でもあるノアだが、それが普通に無茶であることを理解しているから冗談であるのは間違いないのだが。
「ひとまず後1時間くらい休んだらケーキ屋にでも寄って早瀬さんに差し入れでもしにいってやろう。疲れた頭には甘いものが一番だ」
「そうですね。それならユウカちゃんが好きなケーキショップを知ってますからそこに行きましょうか」
「賛成、取り敢えずもう一杯コーヒーでもどう?」
「それじゃあお願いします♪」
2人分のコーヒーカップを手に取って立ち上がる。
愛用のコーヒーメーカーの前に立ち、複数ストックしてあるインスタントの中からモカを選んで淹れ始める。
フルーティーな香りが漂い始めた室内で気がつけばノアが冷蔵庫の中から数日前に作ったオランジェットを取り出して幾つかを皿の上に乗せて持っていく。
「モカにはこれが合うかなと思ったんですけど」
「いいね、俺はこの組み合わせ好きだよ」
「知ってます。私も好きなので」
コーヒーの満たされたカップをそれぞれ持ってさっきと同じように座る。
再び肩に触れそうな距離で、今度はオランジェットを摘みながらモカを口に含めばそのフルーティーな香りが爽やかに鼻から抜けていく。
「落ち着きますね、2人でこうしている時間が一番幸せかもしれないです」
「同感だね、俺もこうしてゆっくりしてる時間が一番落ち着ける」
ゆったりとした午後の時間。
ソファの背に沈み込むように座れば同じように沈み込むように座ったノアは俺の肩にその頭を乗せる。
「この体勢好きだよね」
「ちょうどいい高さなんですよ?私だけが預けられるミナトくんの肩ですし。それに、そのために深く座ってくれてるんですよね?」
「もちろん、ノアなら俺の肩で寝るくらいいつでも」
「それなら毎晩この体勢で寝ましょうか?」
「それは2人とも身体痛めるからやめような」
「ふふっ、そうですね」
2人の息の音とテレビから流れるキヴォトスの情報番組の音だけが室内を満たす。
特に何か話す訳でもなく、偶にコーヒーとオランジェットを口にしながら気がつけば予定していた時間が近づいてきた。
「それじゃあ、制服に着替えてきますね。ミナトくんも学校の制服で出てきてくださいね」
「了解、ノアもそんなに急がなくていいからゆっくり準備しておいで」
「そうさせて貰います」
コーヒーカップと一枚の皿を流し台に置いて行き、お互いの部屋に戻っていく。
軽く顔を洗って髪を整え、制服に着替えてソファで待つこと20分。
いつものミレニアムの制服に着替えたノアが鞄を持ってリビングに戻ってきた。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
「はいはい。お供しますよ」
財布と銃を持って2人で玄関を出る。
ノアが家の鍵をかけて、2人で手を繋いで目的のケーキショップへと向かっていく。
その後、手に持ったケーキをユウカに渡して必ずお返しすると約束を取り付けられて2人はまた帰路へと着いたのだった。