公式からの供給に感謝。あと耳郎ちゃんが誕生日でタイムラインが幸せでした……
港を中心に景色が夜へと変わっていく。
上鳴から教わった“帳”を問題なく使えた事に、物間は一先ず安堵した。
──本当に便利だ。便利だけど。
明らかに個性の範疇から逸脱している。
どういう理屈で成立しているのかを、物間自身あまり理解できていない。上鳴から教わった大半の物がそうだ。使えているのはネルが「ひゅーとやってひょい」と感覚で掴んで振り回しているに過ぎない。
「さて……敵はこれだけかい?」
だが、今はそれでいい。四人のヴィランを睥睨しながら物間は仲間に確認を取る。
問いに答えたのは
「
尾白が稼いだ時間を使い、島内の安全と近海の警戒まで済ませる事が出来たのは、索敵係との通信を可能にした彼女に依る所が大きい。足りない物を補うという事に関して、八百万の右に出るものは存在しない。
そして、頼れる仲間は八百万だけではない。
「どれだけ来ようが、全て倒せば問題ない」
『鏖殺ダ』
帳下においてフルパワーを発揮できる
「舐めた真似しやがって……覚悟は出来てンだろうなァッ!!」
チンピラ過ぎる……しかし、その能力は疑いようがない。全てにおいて高い結果を叩き出すこの男──大・爆・殺・神ダイナマイト。
上鳴と緑谷がいない今、最低限の戦力を防衛に割く事を考慮した結果の人選。即ち少数精鋭。轟がこのメンバーに選ばれなかったのは、範囲攻撃の制御力が足りていないのと、万一この戦力が敗北した際の保険だ。最悪、轟なら籠城戦も島ごと敵を吹き飛ばす事も出来るだろうという判断だった。
「ツクヨミさんとダイナマイトさんは離れてくださいね」
期待と責務を背負った八百万だったが、非常に落ち着いている。B組との戦いで敗北した事は精神的な強さに結び付いていた。
「いや、夜間であれば出力の低下よりも回復量が上回る……問題ない」
「ケッ。だったら回復しきれんくらい爆破したるわ」
何で仲間同士で争っているんだい? 物間は訝しんだ。
そして、訝しんだまま、気絶していた尾白を回収した。
「……嘘」
「全く見えん」
スライスとマミーが呟いているのを無視して、一切の動揺を見せないナインとキメラへの警戒を強める。
「物間……」
「すまない。起こしてしまったね」
焦点の定まらない目は、尾白の疲労を端的に表していた。どの様な状況だったのかは、倒壊した倉庫や切り崩されたコンテナ、高熱に晒されて溶けた地面等、港の惨状を見れば察しがつく。
「よく耐えてくれた。君が居なかったら、もっと酷い事になっていたと思う」
素直に称賛する物間に、尾白は目を丸くするが──直ぐに険しい顔に変わった。
「あの白髪の方には……気を、付けろ……」
「勿論だよ! もっとも? 誰に対しても油断や慢心なんてする筈が」
「アイツ……個性を、奪えるのかもしれない」
その瞬間、物間はナインを睨んだ。
爆豪達もそうだ。
「連合か」
それは殺意に近しい怒りだった。ヴィラン連合は何かにつけて自分達の邪魔をし、社会を混乱に陥れ、無辜の民を虐げてきた。許し難い邪悪だ。
脳無の例を見るに、何らかの目的を持ってこの島を訪れたのだとしたら、個性絡みだろうというのも理解できてしまう。
「出久の話だと、個性を奪ってくるのはセブンって奴らしいが」と爆豪。
「後輩なんじゃないかな?」
セブンとナイン。身の毛もよだつ様な非道な何かのナンバリングである事は疑いようもない。
で、あるならば。
「「
物間は爆豪と顔を見合わせた。
「では、俺があの獣の男を」と常闇。
「私が手負いの二人を」八百万がそれに続く。
物間が「待ってくれ」というよりも早く、二人は駆け出してしまった。しかもきっちり分断し、敵を掻っ攫って離れていく。
その場に残ったのは物間と爆豪。そしてナインだけだ。
「はぁ……着いてこれるかい?」
溜息を吐いてから髪を掻き上げ、
「あァ!? テメェの方こそ着いてきやがれ!!」
──共闘が始まった。
人間を形作るのは本人の努力と環境だ。どれだけ人としての才能に恵まれようと、十分な環境と一摘みのセンスを持った者には敵わない。
八百万はこの世界の現実を体現した様な存在と言える。眉目秀麗。家柄も個性も最上。こうなれば、慢心や油断は彼女が生まれ持った性質だと言える。鼠を狩るのに死力を尽くす獅子などいない。それと同じだ。時代が時代なら、王として君臨するに値するだけの物を持って生まれてきた少女。それが、八百万百だった。
「万理解放」
その八百万から驕りを剥ぎ取ればどうなるのか。最早、論ずるに値しない。
「ストライクモード」
彼女は最強に一歩近づいた。
八百万の極致。昆虫の骨格と筋力に着目した外装、それを無数の近代兵器で武装した人型の重戦車が、バーサタイル・ストライクモードだ。
搭載された主な兵装は三つ。
八百万のエネルギーが尽きるまで、供給され続ける熱探知式自動追尾小型ミサイル。
戦闘機に搭載されている物とほぼ同等規格の機関銃。
複数の合金板を重ね合わせて強度を底上げした装甲は、千五百ミリメートルの
その超重装歩兵が
「ふざけんじゃないわよ……!?」
「化物が!!」
ヴィランにとっては悪夢だった。
埠頭を駆けずり回る二人の背中をミサイルが追い、逃げ場を潰す様にゴム弾が置かれている。
誘導されていると分かっていても、打開策がない。回原の旋回で巻き取られ、引き千切られた髪と包帯は、こんな短時間で再生も補充も出来ない。海水を吸って重たくなった衣服も邪魔だった。不快感が集中力を乱してくる。
「逃しませんわ」
傷ついた身体では絶対に覆せない実力差に、心が挫けそうになる。
だが、それでも二人は走った。
「私たちはナインを王にする……!」
「貴様の様な全てを持って生まれた様な者には、我々の苦悩も葛藤も分かるまい!」
虱潰しに倉庫を見て周りながら八百万の攻撃を利用してコンテナを破壊。それを繰り返し、遂に二人は医療用品が積まれたコンテナに行き着いた。
「やりなさい、マミー!」
個性を使えればまだ戦える。特にマミーの個性は対人戦闘において極めて強力だ。人間ならば確実に身につけている衣服を包帯で包み、操る。
八百万を操れば人質も兼ねた破壊兵器として扱える──勝機を見出せる。
「………? 何ですの? これは」
しかし、万理は八百万の体細胞を複製して作り出した肉の鎧。マミーの個性の対象にはならない。
無情にも包帯は引き千切られ、白い布が宙を漂う。
「まだ抵抗なさいますか?」
機関銃の砲身が自分達に向けられて。
「……参りました」
二人は白旗を上げたのだった。
「……八百万が勝ったな」
戦闘音が一つ減った。常闇は八百万が負けるなどと微塵も思わなかった。
あのB組との戦い──敗因は無様に相棒を奪われた自身であると、常闇は理解していた。ダークシャドウが強過ぎて負けたのだ。それは逆説的に常闇自身の弱さを証明していた。
しかし、八百万がその敗北を糧に殻を破ったのとは対照的に、常闇は未だ何の感覚も掴めないでいた。
『集中シロ』
「ああ」
ダークシャドウの制御は完璧だった。
帳の闇を吸収し、最大出力を維持しながら暴走せずに戦えている。勝てない筈がない。
「意思を持ったモンスターを体内に飼う……コミックの主人公みてぇな個性だなぁ、おい」
──そう、思っていた。
「ぐっ……!」
キメラは強い。だが、上鳴や緑谷の様な理不尽さがある訳ではない。熱線はダークシャドウの苦手とする所だが、耐えられない程ではない。
なのに、常闇は押されていた。
「黒いの一人の方が強いんじゃねぇの?」
『黙レ!!』
「おお! いいね。主人思いだな。だが、戦場じゃあそういう奴から死んでいく。何でか分かるか?」
キメラはダークシャドウの猛攻を避け続けるだけだ。ダークシャドウに対しては何もしない。
しかし、咥内に熱を溜め込み、時がくれば。
「こうなるからさッ!!」
『踏陰ッ!?』
熱線を遮る様にダークシャドウが動く。
これの繰り返し。先程、尾白がナインとキメラを相手に行った立ち回りに近い。
そして幾度も繰り返されたこの戦法が効いてきたのか、ダークシャドウの回復力に若干の陰りが生じ始めた。
「ダークシャドウ……!」
その隙をキメラは見逃さない。
「哀れだなァ!! 弱い主人を持つってのは!! 本気も出せず、ただ嬲られるだけの人生だ!!」
ダークシャドウの出力が一時的に下がったのを見計らって、キメラが攻性に出る。
尾白が倒しきれなかったフィジカルと戦闘技巧は、常闇が対応できる範疇を超えていた。萎んだダークシャドウが応戦するが、先程よりも激しい攻撃に防戦一方となってしまう。
また、何も出来ずに負けるのか?
常闇の脳裏を敗北が過ぎった。
走馬灯の如く、雄英に入ってから今日までの出来事がフラッシュバックする。
そこに答えは無い。ある訳がない。
『踏陰ッ!』
その答えは──目の前にあるのだから。
「終わりにしようや」
キメラが筋肉を更に隆起させ、ダークシャドウが力負けし始める程の驚異的な膂力を発揮し始める。
追い詰められていく。しかし、常闇の心は窮地に比例する様に凪ぎ始めていた。
『負ケナイ!!』
「健気だなぁ!! お前は殺さないでやる!! ナインが気に入りそうな個性だ、仲良くしようや!!」
しかし、次の瞬間。
「あ? ……何だ?」
ダークシャドウが急激に萎み始めた。
キメラの顔から笑みが消え、その目が常闇を捉える。
「俺たちは二人で一人……そうだな、ダークシャドウ」
『……! ソウサ! 俺タチガ力ヲ合ワセレバ、誰ニモ負ケナイ!』
確かに常闇のフィジカルは未だ発展途上。
しかし、以前と比べればずっと強くなっていた。
問題はそれに比例する様に、常闇や上鳴の想定さえ超えて、ダークシャドウが強くなっていたことだ。
出力を抑えて戦うダークシャドウと、それが最大出力だと思って戦っていた常闇。認識の差異が生み出す不和があっても尚、十把一絡げの手合いならば粉砕できる。それ故に気付くのが遅れた。
「追いつくぞ」
『応ヨッ』
常闇の身体から滲み出た影が新たな腕を、貌を形造り始める。
二心同体の極致へ──常闇達は足を踏み入れる。
「何だそりゃあ?」
深淵闇躯と緑谷のオーバーレイを組み合わせた様な新形態。因子の深化によって齎された、個性の次なるステージ。常闇とダークシャドウの最高到達点。
もしもこの場に上鳴が居たら、瞬時にキメラとナインを殴り飛ばし、周囲の静止を振り切って常闇と戦おうとしただろう。
「
奇しくもその姿は──“呪いの王”とよく似ていた。
「変身したくらいでいい気になるなよガキが!!」
キメラが熱線を放つ。
確かにそれは常闇の、ダークシャドウの弱点だ。港を探せば幾らでも明かりになる物はあるし、最悪船を投げ付けて爆発させたっていい。弱点を突けば幾らでも勝ち筋を見出せる。
だが、それは雑魚の思考だ。
「効カン」
常闇とダークシャドウの声が重なる。
羽虫を払うように無造作に薙いだ手が、熱線の軌道を捻じ曲げた。明後日の方向に着弾したそれは爆発を巻き起こし、衝撃波が風となって頬を撫でる。
「……は?」
常闇達の力に翳る気配はない。
否、微かに闇は揺らいでいたがそれだけだ。回復が必要になる程のことではないし、弱体化など到底見込めない。
「影ハ」
一歩、常闇が足を前に踏み出す。
それだけでキメラは重力が何十倍にも引き上げられた様に錯覚した。
「光ガ強ケレバ強イ程、濃クナル物ダ」
似た技なら魔獣の森でも試していたが、ダークシャドウの余剰エネルギーで常闇自身を強化していただけだ。本質はまるで違う。
これは闇の中で無尽蔵に膨れ上がるダークシャドウの身体を人型に再定義し、身体を圧縮する事で得た力だ。
「故ニ我ガ身ニ光ハ届カズ……」
極限まで力を圧縮したダークシャドウの本体が、常闇の身体を内側と外側から強化している訳だが、その力の密度は通常の全開放であるラグナロクの数百倍。
光が依然として弱点である事に変わりはない。ただ、ダークシャドウを弱体化させる光量は、身体を構成する影の密度の上昇に比例して跳ね上がっている。
「生半可ナ物ナラ、食ッテシマエル」
そして、一定の光量に満たない物は闇を濃くするだけで終わってしまう。
「じゃあ、さっきのは……!?」
先の揺らぎは弱体化したのではない。
力が増幅したことで、制御の感覚が変わったのだ。
「だったらパワー勝負だ!!」
キメラはコンクリートの地面を踏み破りながら、常闇へ肉薄した。
熱線が効かないなら剛拳で黙らせる。ずっとそうやって生きてきた。弱い者は生きていけない、強き者だけが生き残る世界で──キメラは頂点に立った。ナイン以外に敗北した事などない。己こそが彼の作る新たな世界の象徴なのだと信じて疑わない。
「ぁ?」
その幻想は突き入れた拳と共に砕けた。
常闇はそこに立ったまま小揺るぎもしない。
「何ナンダ。今ノハ」
「馬鹿な、あり得ん……!」
「次ハ此方ノ番ダ」
確かにラグナロクのパワーは呪力強化を使った上鳴や緑谷にはやや劣る。
しかし、影の密度を上げた今の状態であれば、それに限りなく近い膂力・速力を発揮できる。
「深淵闇躯、
瞬きも許さない。意識を飛ばした瞬間すら忘却させる様な音速の四連撃。
打ち込んだ箇所が急所となる膂力で打撃を叩き込まれたキメラは、そのまま呆気なく撃沈した。
「直グニ合流シナクテハ……ム」
ふと、違和感を覚えた。頬を撫でる風が止んでいない。しかし、物間の結界で区切られたこの区画に風など吹くはずがなかった。
物間が暴れているのか、はたまた爆豪の個性が乱れ飛んでいるのかとも考えたが──視界が白く明滅した瞬間に嫌な予感がした。そして、遅れてやってきた雷鳴がそれを確信に変えた。
「風ガ騒ガシイナ……」
言いたい事だけ言ってから、常闇は走り出した。
ナインとの戦いは攻城戦のそれだった。城壁の如く分厚い空気の壁を無数に張り巡らせたナインをどうやって攻略していくのか。それに終始している。
壁を破れるのはネルと爆豪の籠手から放たれる熱線くらいで、尋常な方法では破壊できない。
それに対し、無数の個性を組み合わせて攻略方法を模索する物間とネル。
ナインが物間達を複数個性で妨害する。時折咳き込んでいたものの、守勢に衰える様子はなかった。
状況的にナインが何かを企んでいるのは間違いない。
しかし、帳を維持した状態の物間とネルだけでは、防御に徹したナインを崩せない。全因開放を使えばその限りではないだろうが、使って倒し切れませんでしたでは窮地に陥るだけ。
「……チッ」
攻めあぐねる物間達を見て爆豪は自分の弱さに苛立っていた。
爆豪は未だ、この戦いにほとんど関与出来ていなかったからだ。
──今、置いて行かれているのは俺だ。
物間寧人は強くなった。一度戦って勝ったからこそ爆豪には分かる。今に至るまでに物間が経験した死戦、血の滲むような努力、憧れへの執念。何か一つ欠けていていたら今日の物間は存在しない。
自分に足りない物が何なのかは、自分が一番分かっている。死戦だ。生と死の境界に立つかの様な激戦を、爆豪は未だ経験した事がない。自分の中にある空白を満たせるのはそれしかなく、それ無くして、今以上の成長はあり得ない。
「テメェの殻にドデカい風穴ぶち開けてやる……!」
焦りに背中を押される様に、爆豪は動いた。
那歩島の気候は爆豪とよく合っていたのもある。十分に温まった体。濃縮されて粒だった汗。それらが瞬時に爆豪の最高速力と最大火力を引き出すに至る。
「ハウザーインパクト……!」
物間がネルに乗って後退したのと同時。
「クラスタァァァァアッ!!」
ナインに爆豪が着弾した。転瞬、大気の防壁は瞬く間に焼け落ち、地上を焔と爆風が舐め尽くす。
単純な火力だけなら
「……なるほど。凄まじい火力だ」
だが──それは、まともに受ければの話だ。
「掌から出る汗を凝縮して放出しているのか。バリアを抜き、これまで破壊されかけるとは思わなかった」
とぐろを撒いた龍がナインを守っていた。その身体には無数の亀裂が走っており、爆豪の一撃がどれだけ強かったのかを物語っている。
しかし、ナイン自身はほぼ無傷。
「……マジか」
分厚い壁が見えた。自分と、緑谷達とを隔てる壁だ。ナインはその壁の向こうに居る人間なのだと否が応でも理解させられた。
「爆豪ッ!!」
物間の声を受けてハッとなった。大技の直後で僅かに動きが鈍った上で、無防備な状態を晒していた。
らしからぬ隙。
しかし、それを見過ごすほどナインは愚かでは無かった。
「貰っておこう」
血相を変えた物間がネルを纏いながら駆け出すが間に合わない。
ナインの手が爆豪に触れる方が早い。
「その力、俺がもっと上手く使ってやる」
その瞬間、爆豪の脳内に溢れ出した──雄英での時間。
思い出すのは最近の事ばかり。
戦闘訓練。
放課後の特訓。
上鳴や緑谷との組手。
文化祭や休み時間。
寮でしたクラスメイトとの何気ない談笑。
悪くなかった。否、楽しかったと自信を持って言えた。
苦悩も葛藤も、己がしてきた事への後悔もある。それでも雄英で過ごした時間は本物で、それがあったから前に進めている。
──動け。
個性を奪われれば、過去に散々馬鹿にして、見下してきた無個性になる。因果応報だ。だから、そこに恐怖はなかった。
恐ろしいのは、自分が自分でなくなること。一度負けを認めれば楽になれる。けれどそれは耐え難い屈辱。
『確かに君は嫌なヤツだよ。それでも何も無かった僕にとって! 嫌な部分と同じくらい、君の凄い所が眩しく見えたんだ!』
『ありがとう爆豪──満腹だ』
何より、彼らへの裏切りだった。
「そんなに叫ばなくても」
それだけは許せない。
許容できない。
腑が煮えて気分が悪い。
「聞こえてンだよ……!」
自らへの怒りが爆豪の交感神経を刺激し、発汗を促した。平時であれば単なる生理現象で終わっただろうが、今は違う。
アドレナリンが噴出している戦闘中、かつ絶体絶命の窮地。爆豪の意志に呼応して、個性因子が躍動する。
「無駄だ。何をしようともう遅い」
ナインの指先が爆豪に触れかけた、その時。
掌から放出される筈だった汗が逆流を起こし、爆豪の全身から滝の様に溢れ出した。
刹那、一際眩しい光が埠頭を照らす。爆風と共にナインの手から爆豪は遠ざかり──空へ。
「……心配は要らなそうだね」
天才が今、蛹を破り翼を広げる。
「ははっ」
これにより、本領を発揮し切れていなかった物間と、攻勢に出る為に耐え忍んでいたナインによって作り出されていた均衡が、跡形もなく瓦解する。
「今なら何か……追い越せそうな気がする!」
雷鳴にも似た爆発音の後、再び爆豪がナインに着弾する。
何の変哲もない通常の爆破。しかし、それはナインが咄嗟に作り出した大気の壁を壊して見せた。
「さっきより随分と柔いじゃねぇか!」
壁を張る速度が、爆豪の速力に追い付いていない。中途半端な障壁では爆豪の深化した爆破を止められない。
未来において、復活した魔王にも届いた力を、爆豪は完璧に使いこなしていた。
「こっからだ」
弛まぬ訓練。
肉体は半年で十二分に成長した。
幼馴染との和解。
成長した心は遂に肉体へ追い付いた。
「ここから俺が──」
光が、爆ぜた。
「一番になってやる!!」
爆豪が速度を上げた分、ナインは動きを予測する事で対応。爆炎を大気の壁で阻む。
「……私の勝利は揺るがない」
しかし、その顔に余裕はない。
ナインの眉間に皺が寄った。
「お前がどれだけ素早かろうと、雷からは逃れられないのだから」
個性、天候操作。それはこの世界においても最強格の力と言っていいだろう。暴風雨と稲妻を自在に操る事が出来れば、滅ぼせない国など存在しないのだから。
「落ちろ」
空が裂ける。稲光が目を焼き、耳朶を打つ。その強さを爆豪たちは嫌というほど知っている。
だからこそ。
「君さ、僕らのことあんまり知らないだろ」
爆豪を狙ったそれは、天に向かって人差し指を立てた物間に吸い込まれていった。
「交流戦じゃ使わなかった……というか、彼に対してだけはあんまり意味がないんだよね。これ」
物間は上鳴に拉致されては個性の訓練を施されていた。それ故に唯一、クラスが違えども上鳴の個性だけは──“コピー”のストックがあった。
「彼の力は僕の個性でもコピーし切れない。複数因子が絡まってるからね。それぞれを限定的にしか再現出来ないんだ。しかも、同等の力にはならないから……彼の力は相殺できない。だけど」
上鳴電気の個性の本質は電気エネルギーを纏うこと。従来の力は失われていない。
「避雷針くらいにはなれる」
ナインは切札を失った。否、最初から無かったに等しい。暴風雨は物間のストレス強化過剰変容ポルターガイストで相殺でき、背中から伸びる龍も爪から放たれる弾丸も必殺たり得ない。
「で、吸収したこれは僕らの力になる訳で」
その上で敵に塩を送った形になる。
「全因開放──嵌合異相」
物間が異形の戦士へと姿を変えた。
その最大のメリットは敵に合わせて縛りの内容を変更し、的確に潰せる点だろう。上鳴の様な全てが纏まった弱点の少ない相手ならともかく、ナインの様な中遠距離に特化したタイプなら、違った装いで戦えばいい。
つまり。
「今の僕が使える個性を最大限に掛け合わせて……君を殴る」
ストレス、筋力増強、過剰変容、獣化、スティール、ツインインパクト、旋回、大拳だけを使う。使用する個性を縛ることで制御力と出力を底上げする算段だ。
「テメェの出番なんざねぇよ」
爆豪が空を翔る。
負けじと物間も地を駆る。
それを見たナインの中に生まれたのは絶望だ。
ここから覇道を歩む筈だった。
しかし、彼我の戦力差は致命的。
逆転の芽はほぼなく、長きに渡る人体実験の苦痛も徒労に終わる。
「……そうか」
絶望が反転する。最早、未来など興味がなく。今はただ、このやり場のない怒りを発散するために。
「殺すッ!!」
爆豪の覚醒。物間の本気。
それがナインから余力を残すという選択肢を剥ぎ取ってしまった。
背中に付けた装置から因子活性剤が注入され、肉体が死へ向かいながらその本領を発揮し始める。
「吹き飛べ!!」
瓦礫を乗せた暴風が横合いから殴りつけてくる中、爆豪は身体を捻ってバレルロールしながら加速。瞬く間に死の嵐を掻い潜る。
同時に、八頭の龍に襲われていた物間も、その悉くを黒金の大拳で叩き落としていた。打撃の後に奔った衝撃は、その龍の身体に致命的な亀裂を生み出しており、今度こそ機能停止へと追い込んでいく。
「……ッ!」
未来を捨てても、二人には決して届かない。
「まだだァッ!!」
ナインが爆豪の放った熱を暴風に乗せる。それは瞬く間にコンテナや倉庫を飲み込み、周囲の物体を吸い寄せながら巨大化する炎の竜巻へと変化した。
止めるには相応のエネルギーをぶつける必要があるが、爆豪では溜めている間に返り討ちにされる。
「仕方ない──今回は譲るよ」
物間は全因開放の個性を切り替えた。頭部から突き出た二本の角の先に
「悪ぃな」
「後でカキ氷でも奢ってくれ」
呪力が爆ぜる。
一直線に伸びた極光と火焔竜巻がぶつかり合う。膨大なエネルギーの衝突に伴って押し除けられた大気が、衝撃波へと姿を変えた。
瓦礫を砕き、弾き飛ばしながら拡散するそれを突き破って──爆豪が征く。
全身から漏れ出た汗が障害となり得る物を蹴散らす。それは単なる防御として機能するだけでなく、加速させる為の役割も担っていた。
「これでしまいだ、白髪頭!!」
──ナインは強い。
正史において、その攻略には二つのワンフォーオールが必要だった。しかし、それはまだ緑谷と爆豪の身体が力に耐え切れない未熟な物であったからこそ。
帳で空間が仕切られていたのも、ナインに不利に働いていた。天候を自由自在に制御できる状況であれば、話は変わっただろう。
「私は新たな世界を作るのだ……! こんな所で終われるものかッ」
しかし、物間は現時点で最も個性特異点に近い人間の一人であり、全因開放を使えば単独であってもナインを倒し得る。
そこに覚醒した爆豪が加わった以上、ナインがどれだけ強い個性を複数持っていようと関係ない。その程度では埋め切れない差が、両陣営の間には存在していた。
「テメェに拘ってられるほど、こっちも暇じゃないんでな……!」
無防備なナインの眼前に、爆豪が立つ。
全身から流れ出した汗が誘爆を繰り返しながら火力を上げ続け、ナインの鼓膜を突き破りながら爆炎を広げていく。
後に残ったのは変わり果てた港と、大の字になって倒れたナイン。
「俺たちの勝ちだッ!!」
爆豪が右腕を突き上げると、空間を仕切っていた帳が溶け──青空が顔を見せた。
次回で駆け足のライジング編を終えて、ミッション編を再開します。