人外魔境新宿決戦について若干の捏造(独自)設定があります。
──時は少し遡り、上鳴と緑谷が運んでいた保護対象の交換*1をして、クレイドに向かっていた時だった。
「スンスン……なんだ? 汗くさいぞヒーロー!?」
緑谷が滝の様な汗を流し始めた事に、ロディが気付いた。
「何かあったんですか?」
上鳴の首筋に顔を埋めていたミコトが、目線だけを緑谷達の方に向けてそう言った。
「おい……さっきから首筋に息が掛かってこしょばいんだよ……離れろ」
「はぁい」
「何あれ。セックスした後の男女?」
「セッッッ!!?」
「ソウル、デクは初心なんだ。揶揄うのはよせ」
話が脱線し始めたので「で、どうしたんだよ」と上鳴は緑谷に尋ねた。
「いや……このままだと僕ら、密入国になるんじゃないかなって……」
「「「……あ」」」
密入国は濡れ衣ではない。つまり、前科者になるという事だ。流石にそれは避けたい。上鳴も思わず飛行を中断し、その場で静止した。
「ど、どうしよう……?」緑谷が顔を青くする。
上鳴は暫し考え込み、一つの結論へと至った。
「俺たちを此処に送り込んだ奴らに責任を取らせよう」
そして、コガネを使って衛星通信を開始。
電話を掛ける相手は現在の日本ヒーロー界において二番目の実績を持つ、早過ぎる男だ。
「あ、もしもし? ホークスさんか?」
『ミカヅチか!! なにしよーと!!? 今どうなっとるか分かっ』
上鳴は一旦電話を切った。
緑谷達は沈黙した。
「ダメそう」
「あ、諦めんなよ!!」とロディ。
「そうだよ!! 諦めるなんて君から最も遠い概念じゃ無いか!!」
緑谷が声を張り上げる一方で、ミコトが上鳴の耳元で甘く囁いた。
「密入国でもいいんじゃないですかぁ?」
「こんなしょうもない理由で犯罪者にゃなりたかねーよ……っと、折り返し来たな。もしもし?」
『いきなり切るのは止めてくれ』
上鳴が電話に出ると、ホークスの声は幾分落ち着きを取り戻していた。
「悪りぃな、ホークスさん。本題から入るけどいいか?」
『待て待て……今、どういう状況か分かってる?』
「東京湾の水全部吸った様な濡れ衣着せられてることか?」
『誰も君が一般人を殺したなんて思っちゃいないよ……ヒューマライズの方だ。さっき犯行声明が出た。これから二時間後、世界各地に設置した個性因子誘発爆弾を起動するってね』
「それ、何時間前?」
『ざっと一時間前……タイムリミットは半分。それでドカンさ』
ホークスの話に上鳴は眉を顰めた。
「だから潰しに行こうって最初に言ったんだよ、俺は」
研究者が二重スパイだった場合や、泳がされている事まで考慮するなら、完成図が流出した段階で爆弾その物の開発が終わっている事は想定できていた。
送付されていた情報の内、ヒューマライズの施設に関する物の裏を取り次第、隠された本拠地の場所を割り出して叩き潰すのが最善・最速だったのだ。
──まあ、そん時は研究者が死んでたかもしれんが。
人命最優先。ヒーロー故の縛り。呪術師ならば、ここまでの事態にはならなかったのかもしれない。だが、少なからず人命が失われていた可能性は高い。それだって可能性の範疇を出ないが、結局のところ“たられば”で「どちらもありうる」という話にしかならない。
上鳴は舌打ちを一つして、切り替えた。
「こっちにもヒューマライズの追加情報がある……本拠地も多分分かるけど、現状オセオンでそれを調べるのは無理。クレイドなら出来るだろうが、今のままだと密入国になっちまう。だから」
『オッケー、分かった。五分だ。五分でウチから
「了解」
通信を終え、緑谷達にサムズアップする。
「多分大丈夫だ」
「「「多分なんだ……」」」
三人は口を揃えてそう言った。
そんなこんなで一抹の不安はあったものの、ホークスが上手くやったのか、四人はクレイドへの入国が認められた。
直ぐに近場のネットカフェへ入り、ミコトが持ってきた知育玩具の攻略に取り掛かる。
「ダメだ。俺やっぱ向いてねぇよ」
「うーん……難しいね、これ」
「専門外なのです」
上鳴、緑谷、ミコトがギブアップする中、ロディが言う。
「俺がやるよ。似た様な作りのヤツ、やったことがあるんだ」
正しくそれは導きだった。いや、データの作成者がエディ・ソウルである事を考えれば、運命だったと言えるのかもしれない。
ロディの手によって道は開かれ、そこから一枚のデータチップとUSBメモリが姿を見せた。
「中身を見るぞ」
内容は動画ファイル、爆弾の位置情報、データチップの詳細の三つだ。だが、それぞれをゆっくり精査している時間はない。
「コガネ、やれるな?」
『Yes. master』
上鳴は動画ファイルを開いて垂れ流しにしつつ、爆弾の位置情報とデータチップの詳細をコガネに読み取らせる。
『個性因子誘発爆弾を制御しているメインコンピュータの位置を特定。データチップはメインコンピュータに差し込む事で爆弾の解除キーとして成立するようにプログラムが組み込まれています……複製しますか?』
「やってくれ。いざという時に必要だろ」
そこで漸く、上鳴は動画の方に意識を向けた。
内容は保護対象であるアラン・ケイの独白。ヒューマライズの悪行、自分達がなぜ兵器の開発に携わったのか、そして一部不完全な情報を密告したのか。
『日本という国の新世代のヒーロー達が鎬を削る動画を見た』
交流戦の話だろう。
上鳴と緑谷は顔を見合わせた。
『拉致された多くの研究者達の子供と、彼らは似た様な年齢だった。そして、我々が作ってしまった兵器は……彼らの様な人を救える才能を持った人々を殺す為にデザインされた』
アランが目元を手で押さえ、嗚咽を漏らしながら語る。
『耐えられなかった……! 自分達の子供が、苦痛に喘いで死んでいく光景が想像できた──そんな未来が見たくて、私たちは技術者を志したんじゃあない!!』
『どうか……どうか! この映像を見た人が善良であったなら……! 世界を守る為に、正しい事の為に力を振るわんとする者達に、この情報を渡して欲しい……それが私と、解除キーを作り出した親友エディ・ソウルの願いだ』
動画はそこで終わった。
二人の研究者が無事かどうかは分からないが、想いが正しき者に伝わったという事だけは間違いない。
「行こう、上鳴くん」
緑谷の目が、答えだった。
「……ったく。茶をしばく時間も無いってのはどうにかなんねーかな」
問題は現在地から敵拠点までの距離だ。
クレイドとオセオンの国境付近にあるこの街から、目的地まで直線距離で四百キロメートル以上離れている。上鳴と緑谷なら、今から向かえば間に合いはするだろう。しかし、消耗を抑える余裕までは無い。人質や何らかの対抗手段を繰り出された場合、分の悪い勝負になる可能性が高い。
「コガネ、ナイトアイに連絡しろ。向こうは向こうでアジトの位置を割り出してる筈だ」
『了解しました』
準備運動を始めた緑谷に合流しようとした所で「なあ」と声を投げられた。
「なんだ? ソウル」
「間に合ったらよ……勝てるんだよな?」
灰色の双眸に火傷しそうなくらいの熱が込められていた。それは、先日まで人生のドン底に居ると自虐していた少年の眼差しではなく、覚悟を決めた男の目だった。
「ああ──勝つさ」
枕詞は不要。上鳴は真っ直ぐにそう答えた。
「信じるぞ、ヒーロー」
そう言ってロディは身支度を始めた。
上鳴は首を傾げ、言う。
「お前とミコトは連れて行かないぞ」
ミコトが「ええっ!?」と驚くのを無視し、ロディは言う。
「足がいるんだろ? それに……お前ら昨日からまともに寝れてねーだろ。寝不足で負けました〜なんて、そんな言い訳絶対に聞きたくないね」
そして、ロディはパソコン上に表示されたマップを指差して言った。
「ここに空港がある。ヒーロー権限でセスナをチャーターしてくれ……俺が運転して、お前らを本拠地まで送ってやる」
願ってもない申し出だった。
緑谷は一般人に協力を頼む事に難色を示したが、上鳴は違った。
「とーちゃんが命張って頑張ったんだもんな。黙って見過ごせねぇか、息子ならよ」
「そゆこと」
ロディの頭上で小鳥が踊る。
愉快な絵面に緑谷も思わずフッと笑みを溢し、肩から力を抜いた。
「お願いするよ、ロディ」
「おう。任せとけ」
拳をぶつけ合う二人を尻目に、上鳴は次の一手を打つ事にした。
「もしもし、今大丈夫?」
『また面白い事になってるじゃないか、
電話を掛けた相手はスターアンドストライプ。現行秩序側に対し、オールマイトに次ぐ発言力を有する個人だ。
しかし、上鳴が欲したのは発言力ではない。
「だろ? 巻き込んで悪いんだけどさ……今からコガネ経由でトリガーボムの情報を送るから、協力してくんねぇかな?」
上鳴の目論見はただ一つ。スターの“新秩序”によるトリガーボムの強制停止である。彼女ならば爆弾に触れただけでその全てを封殺できる。
『言われずともだな。情報は助かる──で? 君はどうするんだい?』
上鳴は牙を剥く様に笑い、言った。
「スターなら、俺が出した情報を元に爆速で事件を解決してくれんだろ? 俺らがわざわざ敵の本拠地に乗り込む必要なんかない……ホテルのラウンジでアンタが仕事を終えるまで、茶でもしばいてりゃいい」
だが。
「それは、雑魚の思考だ」
他人任せな生き方に興味など無い。
「アンタは保険!! 世界最強のヒーローが爆弾を止めるよりも速く、俺たちがイカれた宗教団体を叩き潰す!!」
上鳴の言葉に緑谷とロディが親指を立てた。
それと同時に、スターの大笑いが聞こえてくる。
『パーフェクトだ!! 健闘を祈るよ、ミカヅチ!!』
「そっちもな!! しくじんじゃねぇぞ、スターアンドストライプ!!」
かくして、世界各地でパニックが発生する中、スターアンドストライプが現場で飛びながら緊急会見を開いた。
「全て問題なし。私の可愛い教え子たちが今、ヒューマライズの息の根を止めるべく動いている。そう──ミカヅチとイヤホン=ジャックがね」
大国の最強のヒーローが、上鳴に掛けられていた容疑は濡れ衣であると発信した様な物だ。当然、世間は騒ついた。
しかし、それを好機と見たのがオセオンヒーロー協会の会長であるギャリーだ。
ギャリーはこの数日で突き止めた警察庁長官の汚職と、ヒューマライズへの内通を公表。上鳴達に被せられた全ての罪が出鱈目な物であるとし、指名手配を撤回した。
「彼らは私たちの助けを求める声に応え、行動していたに過ぎない!」
長官を生贄に捧げて外交問題を解消しよう。そんな魂胆があったのかもしれない。
「……ま、何でもいいけどさ」
上鳴からすればどうでもいい話だった。結局はスターアンドストライプが言ったことが全てなのだから。
セスナの中で軽く身体をほぐしながら、上鳴は緊張した面持ちでハンドルを握るロディに告げた。
「問題なし、だ」
装備こそ万全ではないが、それだけだ。
武器や防具の有無で上鳴達の戦闘力は変動しない。
「そうかい。そりゃ安心だ……っと、見えてきたぞ。敵さんの本拠地が」
フライトは約一時間半。爆弾の起爆まで残り半刻。スターアンドストライプが爆弾を止めたという報告はまだない中、遂に上鳴達はヒューマライズの本拠地を視界に捉えた。
「着陸するぞ、用意してくれ!」
機体を動かし始めたロディに緑谷と上鳴が言う。
「もう大丈夫だよ、ロディ。ここまでありがとう」
「俺らはここで降りるわ。後は上手いこと引き返してくれ」
緑谷がハッチを開けて真っ先に飛び出していく。上鳴も後に続くが「あ、そうそう」と言って立ち止まった。
「運転上手かったぜ。多分才能あるよ、ロディ」
「……へへっ。そうかい。じゃあ、後は任せたぜ。ヒーロー!」
「おうよ」
緑谷の後を追う。イオノクラフトで風を生み出し、気流に乗って空を舞う。
眼下に広がる森の先。切り立った岩山を削って作ったのだろう敵地の入口を見て、上鳴は目尻から電光を迸らせた。
「耳郎達はまだ入ってない……いや、ヘリの音が近いな」
辺りを見渡せば直ぐに分かった。上鳴達が飛んできた方向とは逆の方角から、一機のヘリが近付いてきていた。
「おーい! じろー! はがく」
刹那、目の前でヘリが爆発四散した。
脳味噌が事態を理解するよりも速く、上鳴は大気を蹴り上げて加速した。
「何で前触れもなくヘリが爆裂すんだよクソッ!?」
上鳴の目にはヘリに乗っていた人間の無事が映っている。音を置き去りにして空を駆け、宙に放り出された人影へ体当たりする様にして受け止めた。
「あぶねーなぁもう!!」
葉隠と耳郎を両脇に抱え、ヘリの操縦者を足で挟む様にして掴む。最後はサーナイトアイのネクタイを口で咥えて救出。
反転術式で作り出した血球を使って飛行の補助を行いつつ、個性で救助対象のバイタルを確認。無事を確かめてホッと胸を撫で下ろした。
「か、上鳴くん……あの……手が、胸に!」
「ちょっと! どこ触っ……ヤバいってサーの首絞まってる!?」
「オ、オールマイト……私はまだ……」
三人が何か言っているが、上鳴だって慌てて駆け付けたのだ。贅沢を言わないで欲しいというのが本音だった。
「イヤホン=ジャック、飛べるな?」
だからこそ、上鳴は瞬時に切り替えた。
「……やれるよ」
三種類の身体強化を使えば宙空での移動も難しく無い。足のサポートアイテムを併用すれば尚更だ。
葉隠のフィジカルは空を自由に飛ぶには若干心許ないが、サラリーマンとパイロットよりかは無茶が効く。上鳴は葉隠を耳郎に任せ、ナイトアイとパイロットを脇に抱えた。
「デクが先行してる──追いつくぞ」
上鳴と耳郎が本拠地へ向かって一気に加速した。
入口では既に緑谷が戦闘を開始しており、鬼神の如き膂力とタフネスで、機関銃の掃射を真正面から打ち砕いている。
「音量上げろ!! 生前葬だ!!」
「ハートビートサラウンド!!」
そこへ、上鳴達は合流する。耳郎と上鳴が奇襲として放った音撃が雑兵を纏めて蹴散らし、奥まで続く道を開ける。
示し合わせた様に緑谷が飛び込むのを見て、上鳴は着地するや否や、手元の二人を手放しながら追走した。
「入口付近の雑魚とパイロットの護衛は任せるぞ!」
「了解!」
「行ってらっしゃい!」
「健闘を祈る!」
仲間の声を背に受けた上鳴は、緑谷に追い付いて言う。
「競争しようぜ!! 勝った方がアイス奢りな!!」
「今!? 負けないよ!!」
拳を突き合わせた二人が全力で大地を蹴った。疾走と共に大気が押し除けられ、衝撃波となって拡散する。それだけでヒューマライズの雑兵は轢き倒せる。瞬き程の間に内部へ侵入。足は緩めず、ただ目的地に向かって爆走を続ける。
最早、二人を押し留められる敵は存在しないかの様に見えた──壁を突き破って、巨大百足の群れが襲いかかって来るまでは。
「
更に、壁に開いた大穴から、槍の様に尖ったイカの化物が弾雨となって飛来する。
「キッショ。何でお前が居んだよ」
何処の誰かを隠そうともしない大技の連続だが、対処はそう難しくない。
「上鳴くん、先に行っ……てぇ!!?」
上鳴は緑谷の背中を蹴り上げて怪物達へ肉薄。
「無差別放電──百億ボルト」
『
そして、全身から迸らせた落雷級の放電で怪物を一匹残らず焼き殺した。
「行け。どうせ出てくんのは複製だ……お前が心を砕くまでもねぇよ」
緑谷が頷いたのを見てから上鳴は視線を大穴の先へと向ける。
嫌みったらしい拍手と共に、額に縫い目を付けた袈裟の女が姿を見せた。
「実に良い友情だね。アオハルってやつかい?」
「友達いなさそうなテメェにゃあ、一生縁のない話だろうな。キショトンボ」
上鳴は瓦礫に呪力を纏わせながら蹴り上げ、袈裟の女──セブンに向かって弾き飛ばした。
セブンは飛礫を呪力強化した拳で叩き落として、腹を揺すって笑う。
「キショトンボか。いいね! そのワードチョイスは好きだ……胴体が千切れても動く虫の生命力と、こんな身体でも意識を保っている志村菜奈のしぶとさをかけているんだろう? 上手上手」
相変わらずの鬱陶しさに上鳴は思わず眉間へ皺を寄せた。
そして、全身に呪力を纏って言う。
「お前に拘ってる暇は無いんだ──速攻でケリつけてやる」
「いやいや困るよ。もう少しお喋りをしよう? 例えば……恋バナなんかどうだい?」
刹那、セブンの足元から洪水の如く百足が湧き出した。
「時間稼ぎか」
“怪物召喚”
それはかつて、ゴリーニ・ファミリーの幹部が持っていた個性だ。何の強化もされていない本来の力では、小さなモンスターを数体呼び出すのが精々だった。
しかし、セブンによって引き抜かれた時点で、怪物召喚はアンナ・シェルビーノの“過剰変容”で変異していた。
オールフォーワンによる個性の引き抜きはその時点での性能を引き継ぐ。
例えば、薬物によってブーストされた因子を引き抜けば、強化された因子としてオールフォーワンの中で定着する。その一方で、因子その物が傷付いた状態なら再生する事はできない。
変異した因子を呪力で強化した場合、それは本来の物とは別次元の異能へと変貌する。物間とネルが見せた可能性はセブンの可能性でもあった。
「見せてくれ。この力の骨と髄を!」
セブンが新たに巨大な鮫の怪物を呼び出し、百足の荒波に乗って肉薄してくる。
心の弱い人間なら生理的な嫌悪で半狂乱になって背を向けるような光景だった。
しかし、上鳴は怯まない。
練り上げた呪力を保ったまま──怪物の波に自ら飲まれた。
「……何を企んでいる?」
訝しむセブンの前で上鳴は欠伸をしてみせた。その五体を貪り尽くさんとした百足の全てが、電雷によって焼き殺されていた。
「見て覚えられるなら、覚えてもいいぞ」
荒波を掻き分ける様な真似はしない。
上鳴がそこに居るだけで、百足が死に絶える。
「呪力が半自動的に百足を焼いている……?」
“落花の情”という呪術がある。
御三家に伝わる秘伝であり、全身に纏った呪力で領域の必中効果を相殺するという物だ。
使えるのは御三家に縁がある術師だけ。しかし、幻獣琥珀の術師はそうではなかった。
では何故、上鳴が落花の情を扱えるのか。
それは復活した両面宿儺の討伐にあたり、戦う順番をどうするのかという話を纏める会議で、幻獣琥珀の術師、翁が駄々をこねたのがキッカケだった。
翁の要求は単純明快。
「最初に宿儺と戦わせろ」
これに尽きる。
しかし、高専側としては素直に頷けなかった。
翁が両面宿儺を倒せるかどうかはさておき、その器となっている伏黒恵へのダメージや、宿儺が呼び出して来るであろう魔虚羅への対応など、問題が山積みだった為だ。
五条悟を初手でぶつけるというのが戦力運用として最も損耗が少なく、それでいて勝ち筋がハッキリしていた。
どうやって丸め込もうかと高専側が頭を悩ませる間もなく、現代最強はこう言い放った。
「僕に勝てたら先に宿儺とやってもいいよ」と。
五条は翁に文句を言わせない為に無下限呪術による防御を解いた状態で戦った。いや、術式を使おうとしない翁に合わせたのかもしれない。
何にせよ、五条は落花の情を使って翁の呪力特性と誘導雷撃を弾いた。その後も攻防はあったが、翁は素直に敗北を認め、決戦時には現代最強の死後に戦場へ投入されることになるのだが──これはまた別の話だ。
翁の呪術センスは極めて高く、その経験値を吸い上げていた鹿紫雲一のセンスも仕上がっていた。実戦を通して学んだ技であれば、時間さえあれば再現できる程に。
そうして鹿紫雲が上鳴の中で長い年月を掛けて磨き上げた物を、今、ブラッシュアップして使っているのだ。
「これは俺たちの呪力と特に相性が良くてな」
電気エネルギーと同質の特性を持った呪力だ。単なる落花の情よりも、速度と殺傷力に長けている。
「飛んで火に入る夏の虫ってなァ!」
足止めが意味を成さない──セブンが後退しようとする。それを見逃すほど、上鳴は甘くない。
「穿雷・赩御雷!!」
指先に作り出した血球を荷電粒子砲の弾頭に変える。
赤い軌跡が百足の波を突き抜けてセブンへ到達するまで、瞬きほどの時間も必要なかった。
「あららら。今回はここまでだね」
セブンの胴体に風穴が空く。血は溢れず、代わりに泥が溢れ出した。セブンが呼び出した怪異も塵となって消え始めたが、それでも上鳴は警戒を解かなかった。
「嘘つけ。どうせ増やしてんだろ……お前は偽物の偽物ってとこか」
「バレるの早っ」
間髪入れずに二撃目を頭部へ叩き込み、セブンを沈黙させる。話をした所で不快な思いをするだけなのが目に見えていたからだった。
「さて……」
早く緑谷と合流したい。
上鳴が走り出そうとした、その時だ。
「待ってください。デンキくん!」
ここまで来た道から、顔を青ざめさせたロディの手を引いて、白衣の女が姿を見せた。
ミコトだ。
「……何があった?」
ロディの頭上で小鳥が力なく横たえている。
「セスナが撃ち落とされたんです! その時にロディくんが怪我を! デンキくんなら治せると思って、連れてきました!」
「そうか」
「早く手当を──」
上鳴は無言で拳を振り抜いた。何の強化もされていないそれを、ミコトは猫の様な身のこなしでひらりと躱した。
「もう気付いちゃってます?」
「……血の匂いがするからな」
知らない仲でもない上、ここまで自分達を運んでくれた少年を無碍にできるほど、上鳴も人間性を捨ててはいない。
「要件を聞いてやるよ。渡我被身子」
「あはっ」
ミコトの顔が崩れた。肉体と服が液状化してポタポタと床に滴り落ち、小さな水溜りを作り出す。
生まれたままの姿を晒した渡我が、頬を上気させながら身をくねらせた。
だが、上鳴には通じない。
ロディのバイタルを確認しながら隙を伺う。
「ふふっ……えっち。あんまり見ないでください」
「目を瞑って戦えってか」
──さて、どうする。
最優先はロディ・ソウルの身柄の保護。
渡我被身子は“二倍”で作られた偽物である可能性が高く、破壊は二の次で構わない。潰した所でまた増やされるだけだからだ。
「話をしましょう。ロディくんが生きて帰れるかは……デンキくん次第ですね」
渡我がロディの左胸に刃物を突きつけた。
彼我の距離、刃がロディの命を断つまでの時間、それらを加味しても放電すれば容易く止められる。
──無理だな。ロディが今感電したら死ぬ可能性がある。
物理的に割って入る事も出来なくはない。だが、万が一にでも接触するまでの僅かな時間に、ロディの心臓に刃を突き破られた場合。その傷を反転術式で確実に治療できる保証はない。
「私、人のクセを見抜くのが得意なんです」
予測、直感、観察によって成り立つ異次元の瞬発力。渡我のそれは爆豪の物に近い。
そして、実戦の中で磨き上げた他人の意識の外側を歩く様な技術は、上鳴に対しても有効だ。
だからこそ、上鳴は楽しそうに笑う渡我を見て、この一瞬だけは自分よりも速く動いて来ると直感した。
「最初に言ったろ。要件を話せってな」
「せっかちさんは女の子に嫌われちゃいますよ?」
不思議と渡我の言葉には敵意や害意が感じられない。セブンとは真逆。まるでクラスメイトに話しかけられているような、変な親しみを覚えてしまう。
「別に好かれたいとは思わねぇよ」
「えー? ほんと? 響香ちゃんと透ちゃんにも?」
「何でそんな馴れ馴れしいんだお前。敵だろ」
「そうですねぇ。私はヴィラン。敵です。でも、好きなモノは沢山あります。好きな人とは仲良くなりたいのです……デンキくんとかね」
あまりにも自然に間合いを詰められて上鳴は困惑した。それと同時に思う。今なら殺れると。
「どうしました?」
渡我が小首を傾げ、上鳴を見上げた。
──やりにくい。
興が乗らないのは当然だった。渡我被身子には戦意も悪意も存在しない。それ故に、上鳴の食指は伸びなかった。つまるところ、上鳴にとって渡我被身子は一般人と同じで。
「……アホくさ」
敵対しようとしていることが面倒になるくらい、普通の少女だったのだ。
「リラックスしてくれて嬉しいのです。お礼に交渉してあげます」
「そりゃどうも」
上鳴が受け入れる姿勢を見せたことで、渡我は牙を剥き出しにして言った。
「ロディくんの身柄は引き渡します。その代わり、デンキくんの血を吸わせてください。そして、私が血を吸っている間は攻撃しないで欲しいのです」
「いいぜ。でも、先にロディを」
「縛りを結んでください」
思わず溜息が出た。上鳴は呪術に関して隠していたつもりこそないが、誰彼構わず教えてきた訳ではない。
お喋りな奴がいるな。自分の事を棚に上げて、上鳴は憤った。
「縛りを結ばないならこの話はなしです。デンキくんが私を壊すよりも速く、ロディくんの心臓をこれでブスッとします」
「……先にロディの治療をさせろ。認めるなら、縛りを結んでやる」
「交渉成立です」
──後は緑谷に任せりゃいいか。
上鳴はヒューマライズとの決着を緑谷に投げて、ロディの治療を開始した。
服を捲り上げると、脇腹の辺りに太い血管を避ける様にして刃物を突き立てられた跡があった。
「災難だったな」
「ほんとだよ……普通に死ぬかと思ったぜ……」
反転術式による治療は直ぐに終わった。
穏やかな寝息を立て始めたロディをそっと寝かし、渡我へと身体を向ける。
「じゃあ、そこに座ってください」
言われるがままに、上鳴は指で指された場所に座った。そうすると、渡我が正面から抱きつく様な形で上鳴の膝の上に乗った。
「抱きしめてください」
「要望が多い」
そこまでは縛りに含まれていない。
嫌な顔をする上鳴に、渡我は頬を膨らませた。
「ケチ」
「ケチ、じゃねぇよ。縛りに盛り込まないお前が悪い」
「むぅ……もういいです。私が引っ付く分には問題ないですし」
渡我はそう言って上鳴の首筋をハンカチで拭き、恍惚とした表情を浮かべた。
「いただきます」
そうして、上鳴に僅かな痛みを与えながら、牙は突き立てられた。
何もなしにカッシーが一番槍を五条先生に譲るとは思えんし、ちゃんとタイマンして欲しいな、という妄想で設定を捏造しました。「術式を使わないカッシーに五条先生が術式使うわけないだろ!!」とか「落花の情なら雷撃弾けんじゃね!?」とかで妄想が捗る……捗る……
そろそろ映画編も終わります。もう少しだけお付き合いください。