――さあ、何から語ろうか。
天窓から月明りが差し込む、打ち捨てられた古い魔術工房。しなやかな静寂に包まれた石造りの小さな教会は、普通の魔術師であればきっと歯牙にもかけないであろうことが、一目見て理解できる。強力な封印も貴重な資料もない、役割を無くして死に絶えつつある工房だ。
半壊して横たわっているドアを子どもを抱き上げて跨いだ魔術師は、ぐるりと屋内を見渡した。
魔術の右手には、存外に明るい青白い月光とは真逆の弱々しく揺れる炎を保つ橙色のランプ。そして左手には、きっと右手の蝋燭と同じくらいの仄かな温かさなのであろう、小さな手が握られている。
柔らかな手の平の持ち主はまだ幼い子どもで、ぶかぶかのフードの中にある青い瞳は、好奇心という光がキラキラと照らされていた。
――さすが、未来の大魔術師様。埃塗れの褪せた歴史にも食いつくか。
魔術師はふっと口を綻ばせ、弟子と師匠の関係にも至っていない、その小さな手を強く握った。
それに釣られるように見上げた子どもと、見下ろす魔術師の視線がぶつかり優しく笑う。
きっと、この子はいずれ偉業を為すだろう。いくつもの魔術を知り、師と出会い、同僚と競い、陰謀詭計を図られ、殺されかけて、殺して、いつしか聖杯戦争にだって勝利するかもしれない。
未来とは、可能性とは、そういうものだ。
――だが、はじまりは今しかない。
強力な魔術も、秘匿された伝承も、ドロドロとした人間関係も、ヒリつくような感覚も、魔術師になるのであればそのうち嫌でも体験しなければならない。そんなものをスタートラインに立ってすらいない今、与えたところで意味なんてないだろう。
――で、あるのであれば。きっと伝えるべきは後の「この子」にとって、きっと無価値で無意味でそれでも大切になる『なにか』ではないだろうか。
魔術師はゆっくりと膝を折る。
そしてくりっとした丸い瞳と向き合い、小さく微笑む。
魔術師が『立派な魔術師』になり得るには、残念ながら何もかもが甘すぎた。才能や感性があまりにも属人的すぎたために、まるで大成などし得なかった「負け組」だ。
情けない自分やあまりにも苛烈な環境を恨んだこともあったが、今は違う。おかげで、まだ誰も知らない「ある物語」に出会い、興味を抱き、それを何十年もかけて収集して来られた。それが魔術師にとって誰にも言えない、小さな誇りだった。
サーヴァント――普通であれば出会うことすらままならない、幾十、幾百の英霊たち。彼ら・彼女ら本人や、彼らを召喚した魔術師が語る「ある一人」の人間との交わして、紡いだ言葉である。
それは、英雄譚や冒険譚ではない。起承転結も派手な演出もない。風が吹けば忘却されるような、細く、けれど確かにひと肌のようにほんのりと暖かい糸で編まれたサーヴァントたちの記憶・記録の小片だった。
魔術師は軽く宙で手を払って、コンクリートがむき出しの床に積もった埃を音もなく払った。
そしてどこからともなく取り出した赤いブランケットを敷いて、少女に座るように促す。
対面した二人の間にランプを置き、しばらく壁に伸びる大小二つの影を眺めた後、ゆっくりと口を開いた。
「少しだけ、話をしようか」
「――うん! お話大好き! どんなお話なの?」
予想通り、まっすぐに食いついてきたその子に思わず苦笑する。普通の魔術師であればきっと、そんな反応が返ってくるとは思えなかったからだ。
魔術は逡巡し、たった一人の聴衆(オーディエンス)を惹き込めるような導入部を考え、ゆっくりと口にした。
「まだ、世界がその名を知らない。けれど、きっとどこかにあった物語(ヒストリア)さ」
【まだ、世界がその名を知らないヒストリア】
はじめまして!
マスターとサーヴァントの物語を3000字程度の掌編でゆったりと綴っていきます。
まずは導入部から。次回より、一人ずつご登場いただく予定です。
ちなみに作者のゲーム進捗はまだ二部一章の冒頭部分……。クリスマスネモももらえませんでしたが、これにはまだ入手していない「推し」と絶対に二部を駆け抜けたい!という超わがままががありまして――。
先が知りたい、けれど進めたくない、という悶々とした思いから二次小説を始めた次第です。ぜひぜひよろしくお願いします。