後藤家の面々はしっかり夕食まで食べてから、ひとりちゃんを残して帰っていった。
普段1人しかいない家の中が随分と騒がしかったので、なんだかひどく静かになったように感じる。
ひとりちゃんのこれからの生活についてとかの話し合いをしていた筈なのだが、みんなが楽しそうにしているなか、件のひとりちゃんは部屋の隅でずっと正座をして静かにしていた。
何か意見を求めても「あっ、はい。それで……」と答えるだけ。
本当に話を聞いていたのか少し怪しい。
まぁ親戚の家とはいえどよく知らない家に来て、人見知りを全開で発揮していたのだろうけど。
小さい頃、実家の集まりで会った時は近い歳の人間が俺しかいないこともあってか、よく後をついてきて懐いてくれてたように思うのだが。
あの頃を思い出しても不器用で、誰かと遊ぶということに慣れていないようだった。
元々が年に数回しか会う機会も無かったし、人格形成の上で多感な頃の三年間に会わなかったのだから、彼女の中での俺への距離感がリセットされてしまったのかもしれない。
リセットというか、忘れたというか。
今も俺に対してどう接するのがいいのかわからないのだろう。
俺だって彼女に対して昔のままの扱いでいいのか、計りかねているところもあるし仕方がないのかもしれない。
そんな彼女は今、家族が帰ってからは何故かテレビと壁の間の隙間にジャストフィットして体育座りをしている。
「あー、ひとりちゃんも何か飲む?」
「あっ、はい。あっ、いえ……」
それは飲むのと飲まないのとどっちなんだい?
ひとりちゃんの顔を見ても目が泳いでいて解らない。
再会して既に7時間以上は経過しているのだが、未だにちゃんと目を合わせてくれない。
とりあえずジュースでいいかな、と冷蔵庫に向かう。
冷蔵庫の中を確認すると、半分くらい発泡酒やら酎ハイなんかの缶がならんでいる。
これも間違えて彼女が飲んでしまわないように注意しとかないと、これから俺が保護者の立場だし、間違えて急性アルコール中毒にでもなったらやばいしなぁ……
あー……お茶かコーヒー以外は酒しかない。
もう夜にコーヒー飲んでひとりちゃんが寝られなくなっても困るし、紅茶でいいか。
湯を沸かしている間に安いティーパックの茶葉を用意する。
砂糖よりも蜂蜜を溶かした紅茶の方が落ち着くかも、と思い以前人からもらったまま使っていなかったマヌカハニーを温かい紅茶にスプーンに一杯溶かし入れる。
ほのかに甘い香りがたった。
「おまたせ」
リビングに戻ると、ひとりちゃんはテレビと壁に挟まったままの体勢で白目を剥きながら、苦悶の表情で「ぉぉぉごごぉおぉおぉ……」と変な声を出していた。
あぁ、またなんか変な事考えてるのかね。
「ひとりちゃん、紅茶入れたよ」
「ぉぉごぉうぉっふ……あっ、いいにおい」
顔の前にマグカップを近づけると、鼻をひくつかせながら正気に戻ったようだ。
ほぅらこわくないこわくない、こっち出ておいでーちっちっちっ。
ケージから出てこない小動物を誘導するように、ゆっくりマグカップをちゃぶ台の上に置く。
警戒心を解いてのそのそと這い出てきた彼女は、何というか本当に小動物チックだ。
変顔さえしてなければ可愛いんだけどねぇ。
早く昔のように仲良くできると気も楽なんだが。
「熱いから気をつけてね」
「あ、はい……おいしい」
紅茶の熱さに恐る恐る口を付けてちびちびと飲み出す。
蜂蜜の優しい甘さにへにゃりと表情のゆるむひとりちゃんを見て、幼い頃の彼女を思い出し懐かしい気持ちになる。
「改めて、これからよろしくね。ひとりちゃん」
「よ、Yo、よろしくお願いします」
「敬語なんて使わなくても、昔みたいに話してくれたらいいよ」
「はい……じゃなくて、えっと……うん。よろしくね?……にぃに」
そう呼ばれて、あぁ確かに彼女は幼い頃、俺の事をにぃにと呼んでいたなと思い出す。
「や、やっぱり……お兄ちゃんで……」
口に出してから、流石に高校生にもなってにぃには羞恥心をくすぐられたらしく頬を染めて訂正する姿に、肉体的な成長だけでなく、精神も成長してるんだなぁと微笑ましく思えた。
何だろう、よく大人が親戚の子供に久しぶりに会って成長に驚いたり喜んだりしていたのを、俺自身が大人になって理解できたような気がする。
思わずかつてしたように彼女の頭に手を置いて子供をあやすように撫でた。
もう頭を撫でられて喜ぶような幼い娘ではないだろうが、彼女は「うへへ……」と恥ずかしそうにしながらもほにゃりと緩んだ顔を見せた。
「よし、じゃあ兄ちゃんと明日早速出掛けるか!」
「う、へ……ゔぇひゅ⁉︎」
「ど、どうした……そんな梅干し食った鶏が首絞められたみたいな顔して……そんなに嫌だった?」
流石に妹分に一緒に出掛けるのをここまで嫌がられては傷付くぞ。
俺ってそんなにキモいのか。
頭を撫でても嫌がってないからって、調子に乗ってしまっただろうか?
「やっ、ちゃが、んがっひ、あの……えっとぉぉおぉ、おぇえ」
俺が落ち込みのを見て、彼女なりにフォローをしてくれようとしたのか、言葉につまりながらも手をワタワタと動かして何かを表現しようとしているひとりちゃん。
目が右上を向いては顔が真っ赤になり、目が左上を見れば顔が真っ黄色になり、寄り目になったかと思えば顔が真っ青になって緑色の謎の液体を嘔吐した。
祖母もたまに吐く、謎の緑汁である。
母はこれをケミカルGと呼んでいたっけ。
「あらら、大丈夫ひとりちゃん」
幸い嘔吐量はそれほどでもなく、口元をティッシュで拭ってやると彼女は大人しくされるがままだった。
俺と外泊する事を考えて嘔吐したのは残念だけど、ケミカルGなら俺は嫌われていないってことかな?
昼間に美智代さんから聞いた説明だと、ひとりちゃんはそれなりに吐いてしまうことがあって、吐瀉物が虹色か緑色で内容が違うとか。
虹色の吐瀉物は外的要因から精神的に追い詰められた時に出るもので、他人の視線やら期待なんかのプレッシャーに負けた時に出るらしく、緑色のケミカルGは自分の妄想で自爆した時に出るもの……だったかな。
それを考えると、俺に拒否反応があっての嘔吐ではないと考えられるが、だとしたら外に出るのか嫌だったとか?
「あ、ありがとう……あの、別にお兄ちゃんと、出掛けるのが嫌とかじゃなくて……で、でー……」
「いいよ、気にしなくて。ただこの辺の地理とか解らないだろうから一緒に散歩がてら案内しようと思っただけなんだ。無理はしなくていいよ」
「えっ、あの……案内?」
「うん。駅とかまでの道知らないでしょ?」
これから高校にこの家から通うわけだし、駅までの道とか、ひとりちゃんの利用するような店とか案内しといた方がいいと思ったのだ。
最近はスマホの地図アプリで道を調べられる便利な世の中だけど、自分の生活圏くらいはちゃんと実際に見て確認しておいた方がいい。
「案内……そっか、そうだよね……わたしなんかのクソダサ隠キャが勝手にデートとか思って必要のないプレッシャー感じて何様ですよねごめんなさい」
「えっ、ちょ」
プルプルと小刻みに震えながら、ひとりちゃんは小声で一気にそんな台詞を口にするとドロドロに溶けてピンク色のスライムみたいになった。
あー、何か間違えたか。
祖母もこうなったら30分は元に戻らないし、ひとりちゃんも時間かかるかなぁ。
そういえばもしも何かあった時のひとりちゃんの取り扱い説明書を渡されていたんだった。
家電か何かじゃないんだから説明書って、と渡された時は思ったが、まさか初日から見る事になるとは思わなかった。
ノートに手書きされたそれは、所々に子供の書いたピンクの髪の女の子と思われるキャラクターの絵が描かれているが、これはふたりちゃんが描いたのかな。
何々……あった。スライム状になってこちらの声が届きにくい時の対処法、これだ
えっと、まずは『大きな風呂桶に入れます』ね。
風呂桶ないなぁ、今度買ってこよう。
今回は鍋で代用するか。
それから『お風呂にお湯を沸かします』
ふむふむ。とりあえず風呂を沸かそうか。
『風呂場に連れて行きます。この時まだお湯は入れている最中でもかまいません。湯気が立っていればOK』
つまり風呂場だと意識させるってことかね、ひとりちゃんはお風呂が好きなんだろう。
次は『シチュエーションが準備出来たら、耳元でひとりの好きな漫画の台詞をいいます。耳元で囁くように』……漫画の台詞を囁くねぇ。
本当にこんなので元に戻るのか。
まぁ、モノは試しとも言うしやってみよう。
床に鍋を置いたままではやりづらいので、腕で彼女の入った鍋を抱いた状態で口を近づける。
しかし人間一人分とは思えない程軽いな。
中型犬くらいの重さしか感じない。
えっと……
「男と一緒に風呂に入りたいなんて……いけない娘だ」
「おっほぉ⁉︎」
「おっと」
急に鍋の重量が重くなったと思ったら、元の姿に戻ったひとりちゃんが腕の中にいた。
顔を真っ赤にして形容し難い表情をしている。
急に戻ったから危うく取り落とす所だった。
「あ、あの、えっと」
「元に戻ってよかった。そろそろお風呂にお湯が溜まるから先に入っちゃいな」
「あっ、はい……え?」
彼女を風呂場に残して、先にでる。
後ろで「あれぇ?」と困惑する声が聞こえた。
危ない危ない。咄嗟に抱き抱えたせいで手が一瞬胸に触れてしまったけどバレてはいないようだ。
流石に気まずいしね。
ダボついたジャージを着ていたから解らなかったが、ひとりちゃん着痩せするんだなぁ。
その割に体重かなり軽かったけど。
あっそうだ。
「ひとりちゃんひとりちゃん」
「うひゃ、わ、はい⁉︎」
引き返し、浴室で変な踊りを踊っていたピンクジャージの女の子に声をかける。
この数秒で何がどうして踊っているのかわからないが、思春期なんだろう。そういうもんだ。
「明日、やっぱり出かけようか」
「はい! が、頑張ります!」
「いやまぁ頑張るほどのものじゃあないけどね」
「そ、そうですよね……」
「でもそうだな、案内ついでにいい所連れてってあげるよ」
きっと女子高生とか、ちょっと大人な雰囲気の純喫茶とか好きだよな。
あそこのコーヒー好きなんだよね。
ちなみに、風呂上がりのひとりちゃんは頬もツヤツヤで、風呂上がりに化粧水とかもしないと聞いて驚いた。
前に付き合ってた彼女は、学生の頃から気を使ってそういう肌ケアとかしてたらしいけど、やっぱ人によりけりなんかねぇ。
今回の描写のない裏側……
シャワーの音に紛れて一回。
いい所って何処かなーと布団の中でスマホ検索してたら駅と反対方向にお城を見つけて一回。
まだ気付かれてない。
人物紹介
後藤ふたり
姉とは違い芸術面においては特筆すべき才能はないものの、無邪気でコミュ力高めのフィジカルギフテッド。
「なんでできないの?」と一切の悪意の無い言葉で、姉の心をへし折るのが得意な5歳。
「なんでできないの?」と一切の悪意の無い言葉で、将来は同年代のライバル達の心をへし折り陸上の全競技メダル総なめのアスリートになる。
ジミヘン
人間の言葉を多分理解している後藤家の飼い犬。
五歳児でもふたりだから散歩も可能だが、ひとりだと引きずられて地面ですりおろされる。
母>ふたり>ジミヘン>父>ひとりと格付けしてる。