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御堂将太(76)
最愛の妻、光江を亡くして以後の御堂将太はもはや抜け殻も同然だった。
生活リズムや立ち居振る舞い、言動に大きな変化があったわけではないものの、光江がいた頃にはそこにたしかに存在していた熱量……すなわち気概が失われていたのだ。
有り体に言えばやる気なく日々を繰り返すだけの、虚ろな状態に陥ってしまったのだ。
これには周囲も困ったし、何より将太本人が困り果ててしまった。
彼とて他人に迷惑をかけたり、不安がらせたり心配させたいわけでは断じてないのだ。それゆえに気力を奮い立たせ、どうにかそれまで以前の暮らしを継続していたのだから。
しかし皮肉にも、それが逆に光江を失う前後の将太の変化を、如実に示すこととなったのは事実だ。
息子どころか孫にさえ配慮されていることに気づき、彼はそこでようやく彼自身のこれからの生き方を改善するようになった。
すなわち"無理をしてかつてと同じように生きない"だ。
どうあれ光江はもういない。将太の胸に空いた空洞はもう、どこの誰にも埋めることはできない。絶対に。
ならばそれはもうそういうものとして受け入れるしかなく、無理矢理に心の虚を誤魔化す必要はないと思い至ったのである。
すなわち──数年前にマリアベールへと宣言した通り、探査者稼業の事実上の引退。
折しも探査者活動60年の節目に、日本が誇るA級探査者である御堂将太は隠居することを宣言したのであった。
日本探査者界の大御所・御堂将太、75歳にして引退を表明す。そのニュースは瞬く間に日本中へと知れ渡った。
各地のマスコミはもちろんのことWSO日本支部、全探組日本支部、果ては時の政府の大臣格までもが京都府は京都市内に構える御堂本邸に詰めかけ、当人から直接話を聞こうと必死に動いたのだ。
探査者となって60年間、探査業に励み続けた正真正銘のプロフェッショナル、それが世間一般における将太への評価だ。
さらに言えば息子の才蔵や孫の博は、将太が一代にて築き上げた財貨を元手に各種探査関連業に着手。ものの見事に成功を収めて御堂家の経済的、社会的基盤を盤石のものとしたこちらも傑物親子である。
後に博の子、つまり才蔵の孫であり将太の曾孫である天才探査者・御堂香苗が弱冠21歳で日本11人目のS級探査者になることまでも踏まえれば、実に親子四代に渡って探査者業界に縁深いなのであるが──
それほどまでに探査者界の大家であるがゆえに、始祖とも言うべき将太の引退表明にはこうして大勢の人が押しかける結果となってしまったのだ。
本家リビングにて、集まる三人、将太と才蔵と博。
マスコミ対応は執事や使用人にさせつつも、彼らは膝を突き合わせてまさかの大騒ぎとなってしまったことに苦笑いするやら仏頂面を浮かべるやらしていた。
「いや、はは……こんな大事になるとは。すまんな才蔵、博」
「俺は別段構いやせん。だが博、お前は母さんを連れてしばらく家から離れておくと良い。マスコミにどうでも良いことを根掘り葉掘り聞かれるのは楽しくなかろう」
「そうだね……折角の機会だ、母さんと温泉旅行にでも行ってくるよ、うん」
もっぱら将太が申しわけなさそうに頭を掻き、それを当時の御堂当主である才蔵が労い、息子にして次期当主たる博に提案する。
才蔵の妻にして博の母、佳織は今回の件でマスコミに注目を浴びた結果、気丈に振る舞ってはいるものの明らかに疲弊した様子が度々見受けられた。
そも三年前に将太の妻、光江が死んだことを受けてずいぶん意気消沈していたのを、ようやく元気に明るく生活できるようになりかけた矢先でのこの騒動だ。
予想外の反響に、引退表明をした当の将太が気まずさを覚えるのも無理からぬ状況ではあるのだった。
「親父も、無理してマスコミの相手なんかしなくていいぞ……どうあれ公式発表はしたんだ、あとはもうのんびり隠居生活してくれていれば良い。連中も音沙汰なけりゃ、半年もせずに次の話題に飛びつくさ」
才蔵が、父のコップにウイスキーを注いだ。どうあれ表が騒がしい以上、しばらくは屋敷に籠もって過ごすしかない。
となれば何をおいても、ついに探査者としての終わりを迎えた将太を労わなければ気がすまない。それは数年前に成人した孫の博も同様の心持ちで、こちらも父と自分のグラスに酒を注いでいる。
息子と孫、二人の心配りが嬉しくて将太は微笑んだ。
光江の死後数年、一気に腑抜けて老けていった自分をそれでも支え続けてくれた彼らには、感謝してもしきれないと心底から思う。
特に息子の才蔵には、御堂の親戚筋──今や分家などと言い出している虫の良い連中だ、今でも将太個人は彼らを認めていない──の相手まで託してしまった。
大層苦労しただろうにそれを表に出さない姿に将太は、自分にはもったいないよくできた息子だ。
思いのまま、口にする。
「ああ、ありがとう才蔵。本当に、立派になってくれたな。お前は私と光江の誇りだよ」
「いや、こちらこそ……親父こそ、今までお疲れ様だったな。本当に」
「お疲れ様、お祖父ちゃん。これからはどうか、ゆっくりのんびり過ごしてね」
「博も、ありがとう……お前も私の自慢の孫だ」
子や孫達からもねぎらいの言葉を受けながら、ウイスキーのグラスを傾ける。
久々に美味い。光江が死んでからは、まるで何を飲んでも美味いとは思えなかった。心が塞ぎ込んでしまってどうしてもまずいと思っていたのだ。
それが、今日に至ってはすっかり美味く感じる。
これが探査者を引退した味か。ひどく清々しく、どこか不安で、けれどそれよりずっと強く重いアルコール。
強い達成感ごと呑み込むようにウイスキーを流し込み──この世に遺された光江とのつながり、最愛の家族との団欒のひとときを味わう将太であった。
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