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「この寝坊助! さっさと起きやがれです!」
分厚いカーテンで覆われた薄暗い部屋へと、少女が強引に扉を開けて押し入った。
どんよりとした重たい空気が漂うことを感じた少女は、紙の書類が散らかる床の上を堂々と踏み歩き、分厚いカーテンに潜り込んで窓の錠前に手をかける。
結露のついた窓の先では、朝を告げる白い光が少女とカーテンを照らしていた。ガラスには短めなおさげにしているクリーム色の髪と小さなツノが写る。
あまりの眩しさで目をぎゅっと瞑るも、少女は力任せに埃の被った窓を開ける。ひんやりとした冷たい風が頬を拭い、澱んだ部屋へ新鮮な空気を運ぶ。
「ぴぇっ!」
想像以上の冷たさと、どこからか降り注がれた朝露を浴び、少女は奇声を上げる。少女の背に生える小さな緑色の羽根は縮こまり、緑色のハーフパンツの隙間から覗く根の太い緑色の長い尻尾がピンと立つ。外の空気を吸い、気持ちを落ち着かせたところで彼女はカーテンをくるくると丸め、紐でまとめていく。
朝日が部屋に差し込み、宙に舞う埃がより一層はっきりと見えてきたところで、机にうつ伏せで眠る人物が、うめき声を上げてモゾモゾと動き始めた。
何かが書かれた書類の上に倒れ込んでいたその人物は、身体を起こし手錠のような無骨な金属を手首につけている両手をグッと上げて全身の筋肉を伸ばす。大きな黒いマントに身を包むその人物は、頭をすっぽりと覆うフードから顔を出して強い日差しのする方を見つめる。
よく言えば上下共に動きやすい服装。悪く言えばデザインセンスのない安っぽい服装を着る部屋主は、カーテンを開けている少女を見つけると大きなあくびをした。
「おはよう、イノリちゃん。いい天気だね……」
部屋主は目を瞑りながら部屋にいるであろう少女に向かって手を振る。
再び寝る体勢になろうとしたところで、イノリと呼ばれた少女は、ドンドンとワザと足音を踏み鳴らして机に伏せた部屋主に近づく。
「何呑気にまた寝ようとしているのですか!? まさか、幹部であるこのあたしとの約束……忘れてねえですよね?」
「んっ……イノリちゃんは幹部じゃないでしょ? それじゃ……」
小柄な体格であるイノリと身体の大きさが変わらぬ部屋主の言葉を聞き、ため息をついた彼女はその人物の手首を掴む。
「へっ……?」
「全く、ナズナはこれでもまだ寝る気ですか? さっさと出かけるですよ、お財布係!」
イノリはナズナと呼んだ人物を右腕一本で椅子から引きずりおろし、尻尾で何度も身体を叩く。
「ちょっ、イノリちゃ……痛ッ!」
「話を聞かないで、あたしとの約束の時間を朝にしたお前が悪いです!」
イノリはそのままずるずると、されるがままのナズナを引きずって部屋を後にする。
ここロンクーファミリーの所有するアジトでは、珍しくない朝の行事である。
ナズナは、ギャングであるロンクーファミリーの下っ端構成員として身を寄せている。
育ててくれる親がおらず、冒険者としての才能を持ち合わせていない子供がランドソル王国で生きていくために、ギャングとなる事は決して珍しくなかった。
金と力によって支配された裏社会は、アストライア大陸の最大国家であるランドソル王国の治安維持を行う王宮直属ギルド、
そんな裏社会では比較的新参者であるロンクーファミリーは、色んな意味で注目を集めていた。ある時は、縄張りの割譲を1日もかからずに行い、またある時は古参のギャングを壊滅状態にまで追い込む。その実力は確かなもので、最近ではロンクーファミリーには手を出すな、とまで言われてしまうほど勢力を伸ばしていた。
そのロンクーファミリーは、とある冒険者ギルドの傘下になっており、そのギルドが絶大な力を与えていた。ギルドの名はドラゴンズネスト。ドラゴン族と呼ばれる稀有な種族だけで構成されたギルドで、イノリはそんなドラゴンズネストに所属する一人である。
「もう、出かける時間が遅くなったじゃないですか! また先に買われたらどーするんですか!」
朝一番に、彼らが向かう場所はよく贔屓にしてくれる雑貨屋。そこで今日、ドラゴンズネストのギルドマスター兼ロンクーファミリーのボスが欲しいという魔法具が入荷する情報を入手していた。
「ごめんねイノリちゃん。でも大丈夫! その時にはボクも一緒にボスへ謝るから」
「何でもう諦めているんですか! あたしの
イノリは頬を膨らませ、隣を歩くナズナへ鋭い視線を送る。
ナズナは
そのため、イノリと目立った体格差はなくむしろ、ツノや尻尾があるドラゴン族のイノリの方が、大きく見えるのは自明の理だ。ビックなギャングを夢見るイノリにとって、身体の大きさと偉さは比例するという持論を持っている。立場や実力、体格としても上であるイノリは、ナズナよりも偉いはずなのだ。
ただ、当の本人にはその自覚が芽生えていなかった。
目的の品を購入しようと急いでいるのに、近くの屋台で朝食としてタコスを買う部下は自由そのもの。
上司として部下から崇められたかった彼女にとって、言う事を聞かずに自由奔放に動くナズナが理想とかけ離れた存在である事にガッカリしていた。
イノリの鼻腔をくすぐるほど、芳醇な肉とスパイスの効いたタレの香りを漂わせるタコスを歩きながらガツガツと頬張るナズナは、チラチラとこちらを見つめる彼女の視線に気づくと、食べかけのそれをスッと差し出した。
「イノリちゃんも食べる?」
「……お前の食べかけなんていらねえです! ほら、さっさと行くです!」
彼女はナズナの手を掴み、早歩きで雑貨屋へと向かう。彼女は何としてでも、このシノギを成功させなければならないのだ。
それは、2か月程前。
イノリがギャングのシノギに失敗し、お小遣いの一時停止という非常に厳しい謹慎処分を受けることになった時の事。
もう一つの処分として、2ヶ月間だけボスの部下がイノリへと貸し出されることになった。イノリは上昇志向の強い人物だ。いつかロンクーファミリーのボスに成り上がりたいと周囲に豪語し、また下の人間を顎で使いたいという大きな夢がある。一時的とは言えファミリーの格下の人間を借りたというのは、処分の一環とはいえ待望の部下を持つと言っても差し支えない。さらにボスの口から、その部下を好きに使っていいと許可を得ている。シノギに失敗したにも関わらず、部下を貰えるとはなんて運が良いのだろうか。そのときのイノリは内心ガッツポーズをしていた。
その直後ボスから、部下を好きに使える代わりに条件があると言い渡された。それは、彼女の財布を部下が管理するというものだ。
「親父〜いるですか〜?」
イノリたちが嗜好品の香ばしい香りで充満する店内に入ると、カウンターの先で白髪の老人が気怠そうに新聞を読んでいた。
カランコロンと扉に付けられた鈴の音が煙で覆われた室内に鳴り響く。
「いらっしゃい。って、あんたはドラゴンズネストの……。今日もナズナを連れてくるなんて、ずいぶんと仲が良くなっているじゃないか。イノリちゃんの事だ。仲が悪くなって長続きしないんじゃないかと心配していたが、おじさんは安心したよ」
店主は新聞を畳みながら、仲睦まじく見える小さな客を見て目を細める。ただ当の本人は眉間に皺を寄せ、ムッとした表情を浮かべていた。
「……もうボケ始めているんですかね、このエロジジイは。アホな事を言っていないで、さっさと例のブツを渡しやがれです!」
「はっはっは。そうカッカするんじゃないよ。……ちょっと待ちな」
店主が腰をさすりながら店の奥へと消えた所で、口の周りにソースを付けてタコスを頬張るナズナが口を開く。
『良かったねイノリちゃん。魔法具がまだあったみたいだよ』
口の中にある食べ物を咀嚼しながら喋る行儀の悪い部下を、イノリは形容し難い物体を見かけた表情で見ていた。
今日の依頼を終えれば、長く続くお小遣いの停止処分が終わる事になっている。もしここで失敗をするような事になれば、ボスが何を言い出すか簡単に想像がつく話だ。
特に、ここランドソルには
幸運にも、店内の客は自分たちしかいない。開店と同時に入店出来なかったものの、目的の品は手に入ることが出来ると分かり、イノリは心の中で安堵しつつ、部下を見るなり深いため息を吐いた。
「……お前はいつまでそれを食べているんですか?」
「仕方ないじゃん、あそこのお店量が多いから……」
口を大きく膨らませていたナズナは、喉を鳴らして飲み込み、汚れた口元を手と服の袖で拭う。
「ふぅ、満腹。イノリちゃんが気にいるだけあって、とても美味しいね」
「それは良かったですね。あーあ、自由に自分のお金を使えないなんて、酷い罰を考えたもんですよ。あの腹黒細目ババアは」
イノリは頬を膨らませつつ、ナズナの首から下がる自分自身の財布を羨ましそうに見つめる。
イノリに課せられた罰は、2ヶ月間彼女のお金の管理を全てナズナが行うというもの。
ナズナはボス直々の指名で、ロンクーファミリー及びドラゴンズネストの金銭管理を業務としてこなしている。大抵のファミリーのメンバーは、頭脳が筋肉で出来ているのではないかと思ってしまうほどの肉体派しかいない。その中のメンバーで比較的マシだと判断されたのだ。
その縁もあってか、今回イノリの狂った金銭感覚を矯正してもらうための見本として抜擢されていたのだ。
イノリは金遣いだけはギャングっぽい、とドラゴンズネストのとある幹部から評価されている。自身の欲求に従い、欲しいものがあれば大枚を叩いてでも購入するその姿はギャングの生き様に通じるものがあった。
ただ、
その一方、ナズナは非常に倹約家だ。食事以外でお金を使うことは滅多に見かけないほどで、イノリから見れば非常にケチである。
元々手持ちが少ないということもあったが、よっぽどの理由がない限り食事以外の支払いを拒否する姿勢に、イノリは引いていた。
もちろん、ナズナから財布を奪い取る方法などをイノリは何度も考えた。
ただ、その首にかけられている財布にはボス特製の魔法が仕込まれているらしく、『触ったり部下に手を出したらどうなるかは分からないよ★』と脅されているため、イノリは2か月もの間、お金のありがたみとナズナのケチ具合を骨の髄まで感じられる生活を送っていた。
「ボスをそんな酷い呼び名で言っちゃダメだよ。それにしても、僕がイノリちゃんと仲良くなってから身の丈に合った買い物が出来るようになったんじゃない?」
「ナズナは馬鹿ですか? アンタが財布を握っていたから、ひもじい生活をしていただけですよ! それに、あたしは仲良くなったつもりはねぇです!」
イノリは首を傾げるナズナから目を離し、雑貨屋に鎮座されている商品を眺めていく。
冒険者が多く出入りするランドソル王国らしく、冒険に必要な回復薬などのアイテムが多く並ぶ。そんな中、彼女は新聞や雑誌といった情報誌が多く積まれている場所で視線が止まった。
「はぁ……。本当だったら今頃この写真集を買っていたんですけど」
彼女は陳列棚から大きめの本を取り出し、ため息を吐く。
ナズナが彼女の背後から本の表紙を眺めると、見覚えのある3人の少女達が笑顔で微笑みかける写真が掲載されていた。
「それって確か最近うちのファミリーでも流行っ……」
「……!
イノリは後ろを振り向き、ナズナへ写真集を見せつけながら噛みつくように迫った。
イノリは大のカルミナファンである。
カルミナが歌って戦うアイドルとして人気を博し始める前から、彼女は追っかけをしていた。そんな彼女の熱意、もとい布教活動が功を奏したのか、ロンクーファミリー内でもその人気はじわじわと増えており、隠れファンも少なくないという。ただ、彼女の目の前にいる人物だけは例外である。
「ほんと、ナズナは無関心ですよね。部屋に籠もってずっと仕事をしているから視野が狭くなるんですよ。もっと世間のことを知っておくべきです! いいですか、このセンターに立っているこの子はカルミナリーダーのノゾミンで……」
「ノゾミンはカルミナ結成の立役者で、ダンスや歌はもちろんのこと、作詞作曲も手掛けるほどポテンシャルが高くて、カルミナを引っ張るリーダーに相応しいよね」
「……」
「その隣の緑髪の子がチカちゃん。チカちゃんは唱喚士である事もあって、透き通る歌声が人々を魅了しているみたいだね。前にゲリラライブで見かけたけど、彼女のソロパートには惹かれるものを感じたよ。あとツインテールのピンクの髪の子がツムギちゃん。ツムギちゃんはメンバーの衣装を全部仕立てている凄腕で、店舗も構えているんだよね。元々彼女は裏方仕事志望だったらしいけど、ノゾミンに誘われてメンバー入りしたっていう経緯があるよね。ノゾミンとチカちゃんに追いつくために努力するその姿を見ると応援したくなるね。……で合ってる?」
「はぁ……。ホント記憶力が良いのは癪ですね、まったく」
ナズナはランドソルにいる普通の子供たちが通うような学校にさえ、通えない生活を送っていた。そんなナズナだが、なぜか物覚えだけは良かった。ボスから教わった内容を瞬く間に吸収し、今ではイノリでさえ計算出来ないような金銭の計算を行い、ギルドに関する知識や規則を覚え、ドラゴンズネストがギルド管理協会へ提出しないといけない報告資料の作成から面倒で誰もやりたがらない雑務まで任されている。
隠れファンのギャングの世間話などから得た些細な情報でさえ覚えているほど、ナズナの記憶力には目を見張るものがあった。
部下としては申し分のないほど優秀。ただし自身に対する忠誠心が低く、時折命令を聞かないところが玉に瑕。
他のギャングたちを部下にしても良いのだが、皆イノリよりも年上の人達しかおらず更に言えば、イノリを子供扱いし、むしろイノリが心配される立場になってしまうのが気に入らない。
その点、唯一同年代であるナズナはそのように扱われる心配はない。彼女にとってナズナは、多少問題があっても部下にしやすい存在なのだ。
この
どうにか形だけでもナズナを部下にして、ファミリーで成り上がり自身の威厳を保つことが出来ないか思考を巡らせていると、目の前にいる部下がじっとこちらを見つめる視線を感じた。
「イノリちゃんはその写真集が欲しいの?」
「え……何言ってるんですか。欲しいに決まってるじゃないですか」
もちろん今彼女の胸元に抱いているカルミナの写真集が手に入るのであれば、真っ先に店主へ写真集を渡しているところだ。ただ、お小遣いが停止され、エンゲル係数が爆上がりしているこの現状、写真集を購入できる金額は持ち合わせていなかった。
「でも残りのお金はほとんどないし、買えないか」
「……急に何ですか? あたしが写真集を買えないからって馬鹿にしているですか?」
「そうじゃないよ、イノリちゃんがもし欲しいならぼくが買おうかなって」
「……本当ですか!? 確かに、あたしのお小遣いだったら手に入らないものですけど……って待ってください」
イノリは写真集をぎゅっと抱き寄せ、緑色の羽がしゅんと力をなくしたように垂れ下がる。
「あたしだって写真集に釣られるほど馬鹿じゃないです。ナズナは何を企んでいるのか、あたしにはお見通しですよ!」
「企むなんてひどいよイノリちゃん。大したことじゃないさ。ほら、今朝はイノリちゃんに迷惑をかけちゃったし。そのお礼にって」
「……そうですね、お前を朝に叩き起こすのは本当に大変ですよ。それを自覚しているならさっさと一人で起きてほしいです」
「それに別に今までみたいに貸し付けたりしないよ。ただちょっと、
それ見たことか。
イノリの思っていたことは的中した。ひもじい生活を送る羽目になったイノリは時折、ナズナからルピを借りていた。
お小遣い停止を言い渡されたその場で、もしものことがあればお金はナズナが貸してくれる、と説明を受けていた。
最初の頃は少しだけ、と借りていた金額はいつしか膨れ上がり、いつも貰っている小遣いの数ヶ月分以上まで達していた。我慢が弱く、欲望に忠実なイノリがナズナに手助けを求めるのは、決められた運命だったのかもしれない。
「結局買っちまったです……」
「別に良いじゃないイノリちゃん。ほら後はボクの
「……さっさと終わらせるです」
イノリは写真集を抱えながら、ナズナに背を向けるようにベンチの端に腰掛けた。長い尻尾はベンチの上に置かれ、へにゃりと力を失っている。
頭上高くまで昇っていた陽はいつしか分厚い雲に覆われ、姿を潜めていた。今にも雨が降り出しそうな鼠色の空の下、シノギを終えた二人は休憩のため人気のない公園に立ち寄っていた。
結局誘惑に負けたイノリは、ナズナからの好意を受け取り、カルミナの写真集を購入してもらった。
写真集を買ってもらったとはいえ、今彼女はナズナに対して大きな借金を抱えている。お小遣いを停止されている身とはいえ、貸し付けるナズナにとってみれば、返済能力を持たない彼女がなんの躊躇いもなく借金をしているためこのままではナズナが損するだけである。
そんな返済出来ない程の額を借りている彼女に対して、ナズナはルピを使わないで返済する方法をイノリへと提示していた。
「そんなに焦らなくてもいいよ、この時間帯の公園には誰も近寄らないから」
「そういう問題じゃねぇですよ!」
「じゃあ遠慮なく」
ナズナはイノリの隣に腰掛けると、彼女へと
「だいたいお前はッ!!!!!??」
「うん、やっぱりイノリちゃんの肌はすべすべしていいね」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
ナズナはイノリの長い尾に触れ、何度も緑色の鱗を優しく撫で回した。鱗のザラザラとした心地いい感覚は、他の種族には再現できない肌触りである。
彼女の尻尾はナズナに触れられる度に、何度も左右に揺らし、触り続ける手から逃れようと動かす。
「カルミナの写真集。約束でしょ?」
「……!!」
イノリは顔を赤らめて背後にいるナズナを睨みつけると、暴れていた尻尾がだらんと力を抜いた。
「……薄々気付いていましたが、ナズナって絶対
ルピで返済しない代わりに尻尾を触らせる。
借金が膨れ上がったイノリに対してナズナが提示した代案である。オマケで写真集はタダでプレゼントをされたが、こちらはあくまでも尻尾を触るための担保。彼女に拒否されないようにするための道具である。
写真集を貰えるしいつものように触れられるだけなら、とイノリは安請け合いしたものの、飲み込んだ提案には後悔していた。
尻尾とはいえ自分の体の一部。足や腕を撫でられている事には変わりない。
それに、触れられて何も感じないわけではない。ナズナは緑色の鱗を手のひらで何度も撫でる度に、ピリピリとした感覚が背中を通して全身へと伝わる。普段の手入れのために自分で触れるのとは訳が違う。恥ずかしさとくすぐったさ、微かに感じる心地よさの入り混じった感覚がイノリを更に辱めていた。
「……それで? 今日のあたしはいつまで、お前に触られ続けられればいいんです?」
「写真集代くらいをイノリちゃんが稼ぐまで」
「……ハァ!? お前何馬鹿なことを言っ……ぴぃ!!!?」
「ダメだよ逃げちゃ」
尻尾の付け根へと触れたナズナはベンチに寝転がるように体を横に倒し、尻尾全体を抱え込んだ。鱗で覆われている硬い尻尾の表と柔らかな皮膚で覆われている裏の感触の違いを全身で堪能しつつ、尻尾に顔を近づける。
「すぅ……。ちょっと土臭いけれども、これはこれで落ち着くね。抱き心地も悪くない」
尻尾は身体に近づくほど感度は高まってくる。尻尾の先から付け根までくまなく弄られ、これまでよりもナズナから受ける刺激は増幅し、イノリの全身へと伝わる。
「……訂正……するです。ナズナは単なるへんたいじゃないです。真のへんたいです!」
「いい、イノリちゃん。そもそもイノリちゃんが際限なくボクからルピを借りて返せなくなっているから、その代わりにボクがイノリちゃんの尻尾で我慢しているんだよ?」
「……突然何ですか、酒場でいきなり説教を始めるオッサンみたいですね」
イノリは渋々、背後に視線を移す。
自身の尻尾に抱きつき、愉悦に浸り尻尾を嗅いでいるへんたいをイノリは蔑むような目で見つめた。
へんたいは仰向けになるように尻尾に抱きつきながらクルリと体の向きを変え、尻尾をくんくんと嗅ぎながら真剣な面持ちで彼女を見つめ返した。
「イノリちゃんはそもそも、なぜお小遣いが止められたのか、分かっている?」
「……それは、あたしがファミリーのお金を使ったからです」
「そうだね。魔法具を購入するためのお金をイノリちゃんが使ってしまった。ファミリーのお金はみんながファミリーのために稼いでくれたお金だね。でもそのお金はファミリーを継続していくための資金の一つ。だからボスもイノリちゃんのお金の考え方を改めてもらおうとして、お小遣いが停止されたんだよね」
「……それはもう聞き飽きたです」
「でも無賃のまま過ごしてもらうのも可哀想だからって事で、ボクが代わりに足りないお金を援助するようにボスから言われたんだ。でも、この2か月間のお金の散財っぷりを見ているとどうも反省できていないんじゃって思ってね」
「だから今までこうして、あたしに嫌がらせをしている訳ですか」
「それは違うよイノリちゃん」
ナズナは体を起こすと、膝の上に彼女の尻尾を置き、尻尾の表面に生えている小さなトゲを優しく撫でる。
「お金っていうのはファミリーの皆が汗水流して稼いだものなんだ。ボクたちがこうして生き長らえているのはボスのおかげでもあり、ボクやイノリちゃんを含めたファミリーのおかげでもある。だからイノリちゃんにはもう少しお金の大切さを学んで欲しいってボスが言っていたんだ。だからこれは嫌がらせなんかじゃないよ」
「……じゃあ今の状況は何ですか」
「これはイノリちゃんに労働の大変さを学んでもらうための教育の一環。お金を貰ったからにはきちんと働いてもらわないと。お金を稼いでいるっていう感覚を養ってもらうには、体に覚えてもらうのが一番かなって」
「……これ以上散財すると、今みたいに肉体労働をさせられるって訳ですか」
「そうだよ。色々言ったけど要約すると、組織のお金は使っちゃダメって事。今後同じようなことがあったらイノリちゃんの尻尾をずっとなでなでするからね」
「……わかったですよ、前にも言ったかもしれないですけど、もうギャングの金は使わないです。あたしだってクソババアに叱られるのは嫌ですし。ただ鼻の下を伸ばしている
ニヤけながら尻尾を堪能しているナズナを横目にイノリは、肌に感じた違和感に気づきベンチから立ち上がる。
「雨が降りそうです。さっさと戻るですよ」
「さすがドラゴン族、感覚が鋭いね。でもなぁ……」
いつの間にか空は濃い鼠色の雲が流れており、湿った空気を感じられるほど天候は悪化していた。
イノリは名残惜しそうに尻尾を触り続けるナズナの手を払った。
「雨に降られながら触られ続けるなんてごめんですよ! ふふっ……もしあたしの本当の部下になるなら、あたしの尻尾を触らせてあげてもいいですよ?」
イノリはベンチに座るナズナを見下ろし、したり顔で八重歯をチラつかせた。
タイミングとしては悪くない。イノリは内心素晴らしい判断をしたと褒め称えた。天候が悪化しているのは事実。それを口実にアジトへ戻ること、そして部下になってもらうことを提案し、ナズナの魔の手から尻尾を解放したのだ。
「イノリちゃんには言われたくないけど……。確かに
思っていた反応をしない事に疑問に思うイノリは、荷物を抱えてアジトへと戻っていくナズナを追いかけていくのであった。
「……という事でボクもドラゴンズネストに所属することになりました」
「意味わかんないです。どういう事ですか」
イノリの謹慎期間を終えた数日後。
ナズナの仕事部屋に押しかけたイノリは、埃の被ったソファにちょこんと座り、その正面に位置する作業机で書類に目を通しているナズナに怪訝な視線を向けていた。
新しいギルド仲間を紹介するとボスに言われ、渋々その後をついていけば、そこには見慣れた人物がいつも通りに仕事をしていたのだった。詳しい話は本人に聞いてとだけ言い残し、去っていったボスに代わり、イノリがナズナの仕事部屋に居座っていたのだ。
「ほら、ボクってドラゴンズネストがギルド管理協会に送っている書類作りを肩代わりしているでしょ。あれっていつもボスが書類を届けてくれたんだけど、最近は忙しくてね。それなら影武者をしていたボクが、正式にギルド管理協会とのやりとりを一任すればいいじゃないかってなったんだ。ほらボスって身寄りのない子供たちのお世話をしているから、そこから引き抜きで選んだっていう設定なら納得してくれるってボスも考えているよ」
作業机に置かれたランタンの火に照らされながら、ナズナは紙に筆を走らせる。
「ギルドにドラゴン族じゃないボクが入る事には抵抗があったけれども、ボスが許してくれたから安心していいよ」
「それは別に気にしていないですけど……。じゃあナズナはあたしの部下ってことでいいんですか?」
「……やっぱり気になる?」
「何言ってるんですか、当たり前ですよ」
「大丈夫だよ。ボクは今日ギルドに入ったばかりだから、イノリちゃんによりも立場は下」
ペンを置き、眼鏡を外したナズナは目をキラキラと輝かせている彼女を見てホッとため息を吐いた。
「ふふん、それなら安心したですよ! 遂にこれであたしも正式に部下を持つ立場になったわけですね。さぁて、何から指図して……」
「それじゃあ、イノリちゃんの部下になったから約束は守ってもらうよ、5万ルピ」
「……え?」
「イノリちゃんが謹慎中に借りていたルピの総額。そういえば前に尻尾を触らせてくれたから残り4万5千ルピ。返済してもらうよ」
「いやぁ、さすがに急には返せないですね。ははっ……」
「返せないなら……分かっているよね先輩?」
にっこりと微笑み無言で近づくナズナに、イノリは涙目になりながら部屋を後にするのであった。
書き溜めていたら、気づいたらプリコネは3部に入るし、イノリちゃんは覚醒するので目まぐるしくお話が進んでいますね。