登校する生徒たちで賑わいを見せる朝の
その屋上に異形の影が一つ。
頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇。
「ヒュイィィ……」
怪物の口から鵺の名の元になったトラツグミのような細い声が漏れる。
同時に足元からは灰色の霧が溢れだし、周囲へと広がっていく。
それは
この世の法則を捻じ曲げ、因果さえも操る力。
灰色の霧は二呼吸もする間に、学校の敷地全体へと広がる。
───とその時、ドンっ!! と言う音と共に屋上の扉が勢いよく開けられた。
同時にそこから何本もの鎖が伸びる。
それは金属ではなく透き通るような水で構成された鎖だった。
水の鎖はまるで意思を持つかのように両刃のついた穂先を向けて怪物に襲い掛かるが、それが怪物を捕える事は無い。
怪物はそれを予測していたかのように全ての鎖を避けて見せたのだ。
鎖の方も一度怪物を取り逃すと、それ以上の深追いはせずに持ち主の元へ戻ってくる。
その持ち主──開かれた扉の先に居たのは小柄な少女だった。
「……奇襲……失敗した」
蒼き衣と幾重にも取り巻いた鎖を纏い、少女は扉の奥から屋上へと歩み出る。
異形の存在に臆すことなく向かってくる少女に対し、怪物は咆哮を上げた。
「キュイイイィィィィッ!!」
先ほどよりも更に鋭い声が、大音量で響き渡る。
それは衝撃波となり、コンクリートの床を砕きながら少女に襲い掛かった。
だが、その咆哮は少女に届く前に消失する。
少女の眼前で交差した二本の鎖。
それが不可視の障壁を生み出し、咆哮を打ち消していた。
「……この程度なら……私だけで十分」
少女はそう呟くと、ゆっくりと片手を上げる。
「……
同時に少女の周囲に水が生成され、槍を形作る。
その数、十と二。
全ての槍がその矛先を怪物へと向け、ただ『敵を討て』と言う主人の一言を待っている。
しかし、その時既に怪物はコンクリートの床を疾走し、少女に迫っていた。
恐るべき瞬発力によって両者の距離が一瞬で無くなり、少女の眼前に爪を振り上げた怪物が襲いかかる。
少女が水の槍を放つより、怪物の爪が少女に届く方が早い。
触れれば鋼鉄でさえ引き裂かれる必殺の爪は、容赦なく振り下ろされ────
────少女を引き裂くその直前で止まった。
いや、止められたのだ。
止めたのは少女の纏った水の鎖。
空中を自在に
爪だけでは無い。
合わせて八本の鎖が四肢や胴に絡みつき、その動きを拘束する。
「……捕まえた」
少女は鎖に囚われた怪物を見据えると───
「……
───号令と共に、水の槍が怪物を目掛けて一斉に放たれた。
至近距離から弾丸のごとく放たれた水の槍は、十二本全てが怪物の体に突き刺さる。
同時に少女は次なる一手を打った。
「っ!」
己の鎖に命を下す。
鎖は怪物を拘束したまま、弾かれたように空中に飛び出していった。
同時に少女は構成する水を増やす事で鎖を伸ばし、怪物との間に確かな距離を作り出す。
「……蒸気爆破!」
その瞬間、水の槍と鎖が爆発した。
両者を構成していた水が一瞬で気化し、発生した強大な圧力が怪物の内外で炸裂する。
それは怪物の体を容易く蹂躙し、顔を、胴を、四肢を粉砕した。
「ヒョオオォォォゥゥゥゥ!」
頭が半分以上潰れ、全身を砕かれた怪物の叫びが響く
だが、これで終わりでは無い。
この程度では、この怪物は倒せない。
「……失敗……核を外した……再生する」
失われた鎖を再構築し、怪物を観察していた少女は小さく呟いた。
その言葉通り怪物の周囲の黒い霧が濃く集まり、それが実体となって怪物の体が再生されていく。
怪物の本体は体内を自由に移動するこぶし大の核であり、それを壊さない限り倒すことはできない。
体を粉々にした程度では駄目なのだ。
さらに悪いことに、威力を高めるために水の鎖も蒸気爆発に使用した結果、怪物は拘束から抜け出した状態だった。
少女は再び怪物を捕えようと鎖を操るが、自由を取り戻した怪物はその機動力を駆使して回避する。
先ほどのカウンター紛いの捕縛ならともかく、正面から捕えるには鎖の速度が足りていない。
「……なら……
そう言って少女は再び片手を上げた。
先ほどと同じ水の槍が十六。
槍の倍の質量を持った大剣が八。
生み出されたそれらの水の武器は、鎖の合間を縫うように避ける怪物の方へ向けられる。
「……
四本の槍に二本の大剣。
それを四セット、半秒の時間差で放たれる。
同時に襲い掛かる鎖と水の武器を前に二度までは避けた怪物だったが、三度目で足に二本の槍が突き刺さり、一瞬機動力が奪われる。
そこに四度目が殺到し、その全てが怪物の全身に突き刺さった。
「……蒸気……っ!?」
そのまま蒸気爆発を起こそうとした少女だったが、その言葉が途中で止まる。
そして己の直感に従い、近くに留めていた防御用の鎖で障壁を作り出す。
その瞬間、視界が黒く染まり、衝撃が少女を襲った。
「……くぅっ」
鎖の障壁に守られながら、少女は闇の中に目を凝らす。
少女を襲った衝撃の正体。
それは黒い爆風だった。
怪物は自身を構成しているものを気化させ、蒸気爆発と同じ現象を引き起こしたのだ。
つまり怪物は自爆したのである。
「……やられた」
されど、少女の眉間には皺がよる。
先も言った通り、怪物の本体はその核だ。
例え自爆しようが、核さえ無事ならすぐに再生してしまう。
しかし周囲に怪物が再生する気配は無い。
ここで核は自爆に巻き込まれたと考えるのは楽観が過ぎるだろう。
おそらくは爆発に紛れて何処かへ消えたと見るべきだ。
要するに──
「……逃げられた」
それでも奇襲の可能性も考え、残心したまま周囲の気配を探り続けるが、やがて諦めたように肩の力を抜いた。
「……
軽く腕を振るうと、立ち込めていた灰色の霧がたちまち溶けるように消えていく。
学校中を覆っていた灰色の霧は瞬く間に消え去り、何の変哲も無い朝の風景が戻ってきた。
「……
少女がそう呟くと、纏っていた鎖も蒼い衣も光の粒子になって消え去り、紺色のブレザー姿になる。
そしてポケットから
数コールもしないうちに出た相手が本人である事を符丁で確認すると、手短に要件を伝える。
「……ごめん……
それだけ言って了解の返事を貰うと、少女は電話を切った。
「……次は逃さない」
呟いて、自身の
風に、長い紺碧の髪が揺れていた。
これは、異形の怪物『
日常に在って、されど誰の記憶にも残らない──
知られざる戦いの物語──
そして、彼らの物語に迷い込み、非日常の世界を知った──
──── 一人の青年の物語。
なお、彼女は主人公ではない。