トイレのエルフ様~狭魔という土地におけるトイレと異世界の関係について~ 作:ナルミユズル
涼子さんとの協力関係が結べてから数日が経ち、週末。
あの日、カリーナをトイレに突っ込もうとした件については、結局、凄まじい腕力によって、ギリギリのところで回避されてしまい何の結果を得ることも出来ずに終わった。
それ以後、以前にも増して必死に調べるようになったカリーナだが、目ぼしい情報はなかった。
その代わり、大学で涼子さんから一つだけ面白い話が聞けた。
それは狭魔市の由来についてのことだった。
というのも、この街に残る妖怪や神関連の伝承は、他の場所に比べると圧倒的に多いのだそうな。
昔から、そう言った類の存在の話が多いことから、あちらとこちらの狭間となっているのだろうと考えた当時の人々が「狭魔」とこの一帯を呼び始めたのが、この街の名前の最初らしい。
あちらとこちらの狭間。だから、狭魔。
今回の件と、関りがありそうだな、と思いながらも、トンネルで梯子を外されたので、この「関係してそう」という感覚もイマイチ信用ならない現状に、今は頭を悩ませていた。
そう「いた」のだ。つい数分前までは。
「りゅーくーん、コーヒーってこのカップでいいんだっけ~?」
緩い声が居間に響く。絶妙に頭の悪そうな、ふわふわとした声だ。
その声に、俺は何とも言えない気持ちで返事を返す。
「俺がやるから座っててくれないか」
高い位置にある戸棚から、カップを取ろうとして長い茶髪を揺らし、ふらつく彼女に代わり、俺がカップを二つ取って、コーヒーメーカーからポットを外し、すでに淹れてある
コーヒーをその中に注ぐ。
「これでいいか?」
「うん、ありがと~」
そう言って受け取ると彼女はふーふーとコーヒーを冷ましながら、一口啜った。
「やっぱり、りゅーくんの淹れたコーヒーは美味しいなあ」
「機械で淹れてるんだから、誰でも味は同じだろ」
「え~、同じじゃないよ~。機械でも淹れる人で変わるんだって~」
ふわふわと馬鹿なことを言う彼女に、ため息を吐きつつ、その様子に少し安堵する。変わる人が多い世の中で、極まれに変わらない人というのも存在する。
本当に、この人は変わらない。
それだけに、この人の突然の来訪には面食らった。
「で、何の用だよ姉さん」
家室久遠。俺の実の姉。歳は俺の四つ上で、実家暮らしの声優兼フリーター。趣味はゲームで、最近は狸にイラつきがちなスローライフゲームに嵌っているらしく、そのハマり様と言えば、わざわざ俺にゲームのカセットを送りつけて、一緒にやろうとするレベルである。
その他、動画投稿サイトによくわからん動画を投稿したりしているが、登録者は二十人前後だとか、餃子に眼がないだとか、割とお互いのことを知っている程度には仲が良好だ。
ただ、どうやったらそこまでそれっぽい事が出来るのだろうかというのが、俺の人生における至上の謎であった。が、解く気はない。なかなか闇が深かそうなので、出来る限り触れたくない。
猫を飼い始めたら、いよいよだと思うことにしている。
ともかく、彼女の突然の襲来によって、頭痛のタネが二つに増え、カリーナは、押入の中に俺が押し込んだことによって、カリえもんと化している。彼女の存在は、あまり人目に触れるべきではないので、仕方がなかった。
そんなこんなで、現在の我が家の状況は緩い雰囲気の割に切迫していた。
「んー? 用なんて特にないよ。ほら、元気にしてるかなって」
「元気にはしてる。で、それだけか?」
してるが、近況を聞きに来たという意味であれば、それはもう色々あったので、聞かないで欲しい。
「もー、違うよ。お姉ちゃんは、りゅーくんの近況を聞きに来たのです!」
神は死んだ。
恨むぞ。この俺が、姉さんに嘘を吐くなどという大罪を犯させたこと。
普段から割と噓吐いてからかっているので、今更と言えば今更だった。ワザップみたいなゲームの裏技教えると、面白いぐらい食いつくのだから、仕方がない。
「いや、特に話すことなんてないぞ」
「えぇ~⁉そんなことないでしょ? 大学生なんだから、ほら、彼女とか!」
「世の中の彼女がいない大学生に謝れ。つーか、それを言うなら姉さんだって、学生時代含めて今まで浮いた話なんてないだろ」
「うぐッ…… 相変わらずの切れ味…… 」
「いやそれ、自爆しただけだから。自分で自分の腹かっさばいただけだから」
人を毒舌みたいに言うんじゃない。
うぐぐと唸る姉に、苦笑しつつ、折角来たのだからと、こちらも向こうの近況について聞くことにした。
「最近、仕事の方はどうなんだ?」
「あ、えーっと…… あはは、それは今はちょっと微妙と言いますか、何とも言えない状況でございまして…… 」
要するに上手くいってないってことだな、とその返答の意味を汲みつつコーヒーを啜る。
「もう少しだと思うんだけどね…… ごめんね、お姉ちゃんがこんなんじゃ、りゅーくんも心配だよね」
「そりゃあ、心配は心配だが…… 」
姉さんのことだし、何だかんだ上手くやるだろうとは思っている。
昔から、対人関係全般や生きることに関しては俺よりもずっと上手くやっているから、そこまで気苦労があるとかではない。
ただ、幸せになって欲しいとは思っているし、そうなるように祈っているのだ。
しばらく、そんな調子で話をしていると、
「ねえ、りゅーくんは今、幸せ?」
「どうした急に」
脈絡のない問いに首を傾げる。
「なんとなく、聞きたくなってさ。ほら、おばあちゃんが死んじゃってからずっと落ち込
んでたでしょ?」
「ん、まあな…… 」
婆さんが死んだのは今から二年前の冬だった。
当時、大学受験を控えていた俺だったが、婆さんの体調が悪化してからは実家からこの家へと頻繁に通っていたように思う。
あのクソババアは、鬱陶しそうにしていたが、それでも。
怖かったのだろう。
ふとした瞬間に、あの人が消えてしまうことが。
だから、父や母の反対を押し切って、親戚一同がやりたがらない婆さんの身の回りの世話をした。成績が下がるだのなんだの言われたが、その程度じゃ俺の成績なんて下がりはしない。結果、両親を黙らせることは出来た。
自分で言うのもなんだが、これでもそれなりに優秀だったのだ。俺は。
婆さんが死んだ時、その死に目に会えたこと以外のこと全てが、俺にとっては悲しかった。
しかし、アレはもう二年も前のことだ。気にしてないってことはないが、それでどうこう思う時期はとっくに過ぎている。
それでも今が幸せかと言えば、疑問の余地が残る。
「最近、色々とあり過ぎてわからん」
エルフが現れたこととか、意味わからんことが多すぎて、自分の幸せとか考える余裕はなかった。
「そっか~、わからんかあ~」
「わからんなあ」
だらっと雰囲気が弛緩して、ただでさえ緩い空気がさらに緩くなる。
そんな空気の中で、姉さんはぽつりと呟いた。
「けどね、きっとりゅーくんは大丈夫だよ」
「そりゃ大丈夫だろ。俺だぞ」
「ううん、そうじゃなくてさ。りゅーくんはね、ヒーローだから」
そう言って、ふと姉さんは微笑んだ。
「ヒーローだからね、何だって出来るんだよ」
「なんだそれ」
意味不明な言葉に思わず笑いながら、そう返事をすると姉さんも合わせるようにして笑った。
それから少しだけ話をして、姉さんは「じゃあそろそろ帰るね」と言って席を立つ。
「またな」
「うん。また、何か役が決まったら連絡するからね」
玄関でいつものやり取りをして、帰っていく姉さんを見送る。
それからしばらくして、大きくため息を吐いた。
「ようやく帰ったか」
別に、邪魔だとか来るなとか言うつもりはないが、せめて連絡を入れて欲しかった
と思いながら、玄関先で項垂れていると、背後から足音が聞こえた。
「もういいか?」
「ああ、悪いな。押し込んじまって」
「まったくだ…… 収納魔法でしまわれる魔法生物ってああいう感覚だったんだな…… 」
しみじみと初出の単語で呟くのやめて貰えるだろうか。気になるだろうが。
「まあ、今日来たってことはしばらくは来ないと思うから、押入にお前をしまうのはこれが最後かもな」
「ああ、それだと助か…… 」
る、とそうカリーナが言い切ろうとした時だった。
横開きの玄関扉がばすんと大きな音を立てて開かれ、そこから先ほど家から出て行ったはずの人物が顔を見せる。
「りゅーくん!やっぱしばらく泊め…… て…… 」
「あっ」
そう声を漏らしたのは俺とカリーナのどちらだったろうか。
是非とも一度しっかりと考えてみたい事ではあったが、それを気にしている余裕は残念ながらなかった。