トイレのエルフ様~狭魔という土地におけるトイレと異世界の関係について~ 作:ナルミユズル
夏は盛り、日光の熱で茹蛸になる時期。
そう夏休みである。
我が家の住人が新しく二人増え、古民家ルームシェアの様相を見せ始めてから早数日。
大学生の季節がやって来た。
ここから九月まで、我々大学生は日々の講義から解き放たれ、自由という名の大海へと泳ぎ出すのである。
まあ、自由と言っても自室に籠ってゲームしたり本読んだりするだけで、いわゆる「大学生らしい夏」を今まで過ごして来たわけではないが。
サークル活動をする奴らを馬鹿にする気はないし、バイトに明け暮れる苦学生は素直に賞賛に値すると思うが、そのどれも俺にはやる気が起きない。人と関わるの嫌い。
そうは言っても、今年の夏は去年の様に家に籠っているわけにはいかない。
カリーナだけではなく、クラウディアも元の世界に帰さなければいけないのだ。
夏休み初日から、人手が増えたこともあり、ここが正念場とばかりに、俺達は書斎に閉じこもり、俺が大学で借りて来たものや、書斎にある資料を手当たり次第に漁っていた。
一人を除いて。
死力を尽くし、目を皿のようにして、資料を千切っては投げ千切っては投げ。あれじゃないこれじゃないと、議論を交わした。一人を除いて。
そうこうしているうちに、すでに夏休みに入り、四日が過ぎ、結果は惨敗。
ここまでほぼ不眠不休で作業をしていた俺達は、干からびたナメクジのように、シナシナになっていた。一人を除……もういいわい。
姉さん以外の三人。俺とカリーナとクラウディアは、もう限界だった。
ちなみに、クラウディアは一日目で知恵熱を出していたため、割と最初から使い物にならなかった。
「ち、魔物学や薬草学なら専門分野なのですが…… 」
ぐったりと倒れながら、そんなことを言っているが、カリーナ曰く、座学の成績はそこそこだったらしい。
問題は、こっちの伝承関連が意味的にこの日本という国の神話やお国柄というやつを知らなければ、理解し難い点にあるのかもしれない。
別の国に旅行に行って文化の側面をなぞるだけならともかく、その細部を理解しようとするのは中々に骨が折れる作業だろうと思う。
「でもそっちの世界もこういう神話とか、あっただろ?」
勇者なんて存在がいるわけだし。
だらりと態勢を緩めながら、そんなことをクラウディアに聞くと「ありましたよ。カリーナ様から聞かされた話は全部覚えています」などと言うこと宣ったので、すごく気持ち悪いな、と俺は思った。
頭回ってねぇなこれ。
ぼんやりとしながら、話しを聞いているとカリーナが言う。
「クラウディアはそういう類の話が苦手だったからな。私が話をしたのは二回ほどで、あとで聞いた話だったり、冒険中のことは頭からすっぽり抜けているはずだぞ」
「…… あー、うん」
カリーナだから、覚えてたってやつか。
それにしても、苦々しく言うことでもないのに、そんなに顔を顰めることはないだろう。
こいつも、疲れてんのかな。疲れてるんだろうな。
無理もない話だ。三日三晩徹夜をして、平気な人間なんて何処にもいないだろう。
少し休憩しよう、とそう提案すると今度はクラウディアが不満そうな顔で言った。
「戦場でそんなことを言っていたら死にますよ」
「一番生気のない顔をしたやつが何言ってんの?」
お前が一番休んだ方が良いって知ってる?
つーか、戦場マウントなんて生まれて初めて取られたわ。
そもそも、マウント取って来るような友達なんていなかったが。
「休むには頃合いだろ。三日やって何もないってことは、調べ方を間違ってるか、そもそも原因なんてないかのどっちかだ」
「まだ、やれます」
ふらふらの癖に何言ってんだ。
「いいから、お前は寝てろ」
体調を崩されても困るので、そう言って姉さんが持って来てくれたタオルケットを投げて渡す。最初はぎゃいぎゃい言っていたが、カリーナに協力させて、無理矢理にでも横にしてやると、ぐっすりと眠ってしまった。
「カリーナはどうする?」
「そうだな、私も一睡するとしよう。龍二は?」
「あー、野暮用があってな。帰ってから寝るわ」
というのも、涼子さんから呼び出されているのだ。
姉さんのライブ配信の件について、涼子さんから来ていた連絡を忘れて、放置していた。
呼び出しはその件についてだ。どやされるかと思っていたのだが、待ち合わせの場所的にそれはないだろう。
「ん、そうか。では、な」
「ああ」
限界が来たのだろう。力が抜けたように眠ったカリーナに背を向けて、書斎を後にすると真っ直ぐ、洗面所に向かう。お湯を浴びると体力を奪われるので、頭だけ冷水で洗ってから、水タオルを作って体を拭く。
髪を乾かし終えて、スッキリした状態で洗面所を出ると、自室に戻って服を着替えた。
三日間同じ服だったから、自分でもわかるほど臭いがよろしくない。夏場にこういうことするべきじゃないな。
そんなことを思いながら、三日ぶりの居間。
ある程度スッキリしてわかったのだが、食事も忘れて作業に没頭していたせいで、腹が減っている。一応、カロリーバーっぽいものを食ってはいたんだが、それでは足りなかったらしい。
何か食おうか、と冷蔵庫を開いた時だ。
「あ、りゅーくんだ。おはよー」
「おはよう。もう昼だけどな」
「うー、だってだって! 昨日も遅くまで起きてたし!」
いや、そうじゃなくても寝れるときは昼まで寝るだろあんた。
俺が呆れていると、寝坊を誤魔化そうとしたのだろう、姉さんは「あ、コーヒー!コーヒー淹れたげるね!」と言う。
「あー、頼む。朝飯、つーか、昼飯だけど、トーストでいいか?」
「うん」
コーヒーを淹れる準備をしている姉さんを見守りながら、俺は俺で食パンをトースター ― にセットする。
冷蔵庫からバターとジャムを取り出して、パンが焼けるのを待っているとマシンのセットが終わった姉さんが、とてとてとこっちに寄って来る。
「カリーナさんとクラウディアちゃんは?」
「寝てる。疲れてたんだろうな、ぐっすりだったぞ」
「そっかあ、頑張ってたもんねぇ」
しみじみとそう言った姉さんに「そうだな」と返事を返す。
「りゅーくんは寝ないの?」
「涼子さんに呼び出されてな。そんなに時間かからないだろうから、帰ったら寝る」
「そっか。大変だ」
「ああ、大変だ」
大変過ぎて、もういっそぶっちしてやりたい。
昨日、急にメールで「明日、駅前の喫茶店に十四時に来て下さい。来なかったら、わかってますね?」などと、脅し口調で連絡してくんだもん。
こっちが徹夜だと向こうは知らないだろうが、少しは前置きをおいてくれてもいいんじゃないかろうか。
どうしてこうなったのか、なんて考えるまでもない。カリーナがやって来たせいだ。
「でも、りゅーくん大変なのに楽しそう」
「は?」
意味が分からず聞き返すようにそう言った時、トースターの音が鳴った。
姉さんは「あ、出来た出来た。パン~」などと言いながら、皿の上にパンを取っていく。
俺はその様子をただただ眺めていた。
さきほど放たれた言葉が、考えもしなかった言葉で、自分の中でも上手く整理が出来ていないのだ。
「ね、りゅーくん。食べよ?」
しかし、両親の過度な甘やかしが生んだ、稀代のマイペースアホアホモンスターたる姉さんは、そんな俺の動揺なんて知らん様子で、そんなことを言う。
もう聞き返すのも馬鹿らしくなって、その言葉に素直に頷いた。
すでに仕事終えたコーヒーメーカーからポットを外し、二つのカップに注いで、トーストを持って行った姉さんを追いかけるようにして、食卓へと運ぶ。
さしたる会話もなく、食事を終えて、時計を見ると時刻は十三時。あと三十分ほどしたら、家を出なければならなかった。
「ねえ、りゅーくん」
面倒くせえなあ、と思いながら時計を睨んでいると、姉さんが声をかけてきた。
「りゅーくんはさ、どうしてそんなに頑張ってるの?」
「どうして、ってそりゃあ、あいつら元の世界に帰さないとだからな」
むしろそれ以外に理由はない。
「あのアホエルフだってささと帰りたいだろうしな」
俺がそう言うと、神妙な顔をして姉さんが何事かを呟いた。
「…… 本当にそうなのかな?」
「まあ、やる気は無さそうだが帰りたいは帰りたいんじゃねえかな」
特に何を思うでもなく、そう言うと姉さんは誤魔化すように「そっか、そうだよね。変なこと言っちゃったね」と言って笑った。
まあ、当人がどう思っていようが帰って貰わなければ困るしな。そこは今考えるべきではないのだと思う。つーか、帰れと思っているのは俺だし。
それに、楽しそうなどと姉さんは言ったが、あいつらさえいなければ、今頃は本にゲームにアニメに映画三昧立たはずだ。
物語の世界にどっぷりと浸かって、あわや溺死寸前といったところだったはずなんだ。
だから、やはり楽しくなんてない。ないったらない。
「さっさと帰って欲しいもんだ」
「お姉ちゃんは素直じゃないのは良くないと思うんだけどなあ」
「だから素直に言ってるだろ」
「うーん、そうかなあ」
そう言いながら、姉さんは苦笑する。
「りゅーくんさ、お料理すっごく上手になったよね」
急だな、おい。
「一人暮らしなんだから、当然だろ」
「そうかな? 私、一人暮らししてても全然だったよ?」
ウーバ― とか頼んでた、とそう姉さんは言った。
「それは姉さんがだらしないだけだろ…… 」
「それもそうだけど! そうじゃなくて、ね? 二月のお休みの時に来た時と比べてさ、
なんかすっごく美味しいんだもん」
「そうか?」
そう言われると悪い気はしないが、手際は良くなっても別に作り方を変えたわけでもなければ、見た目も前と変わってないと思うんだけどな。
「特にカレーライス! お母さんのカレーより美味しかったもん!」
「別にあの人元々料理しないし、当然だろ」
つーか、母さんカレーなんて作ってくれたことあったか?
「最近ね、お母さんも料理始めたんだよ?」
「ほーん」
至極どうでもいいな、と思いながらもとりあえず話を聞く姿勢を取る。
「りゅーくんが出て行ってからかな。私が家に居るのもあると思うんだけど、毎日頑張って作ってて、お父さんも嬉しそうで…… 」
「そうかい」
暖かい家族の風景ってやつだろうか。生憎と、俺の記憶と一致しない。
「お母さんは料理、まだあんまり上手じゃないけど、作ってくれたものは全部美味しくてね。これが世界で一番美味しい! って思ってたんだけど、りゅーくんとだとうーん、悩みますなあ」
悩むのかよ。いや、別にいいけど。
「でね、下手くそでも思いってあると思うんだあ。誰かに美味しく食べて欲しいって、思ったら、美味しくなるんじゃないかなって」
「そんなことあるわけねぇだろ…… 」
それはつまり、俺が誰かに食べさせるために料理を作っているということになるだろう。
「俺は自分が食べるついでに、カリーナにも作ってただけだ」
そう言うと、姉さんはニヤァと気色の悪い笑みを浮かべた。
「あれれぇ? お姉ちゃん、カリーナさんだなんて言ってないんだけどなあ」
「…… 」
こいつ…… ずる賢い手を使いやがって…… 。
この純粋生物に、そんなこと誰が教えた。ちょっとお話をしようじゃないか。
「えへへ~、中学生の頃、りゅーくんにやられたのの仕返し~」
俺だった。過去に戻れたら、姉さんはアホだからとからかってはいけない。むしろ、アホだからこそのその純粋さを保護しなくてはいけないのだと、説教せねばならないだろう。
「りゅーくんはカリーナさんに、美味しくご飯を食べて欲しかったんだねえ」
「違うし、からかうなよ」
「からかってないよぅ。もうお姉ちゃんも卒業かなーって思っただけだよぅ」
「弟離れ出来てないのはそっちだろ」
「…… そうともゆう」
けどね、と姉さんは続けて、
「卒業しちゃっても、お姉ちゃんのこともたまに構ってくれると嬉しいなぁ」
少し寂しそうな声でそんなことを言った。