蒼の忘録   作:鹿鳴弥

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 ようこそ。いらっしゃいませ。


 


第一話 「夜の消えた世界」

 

 

 

 

 

 

 

 ──明日世界が終わるんだって。

 

 ──キミにはもう会えないんだ。

 

 ──澱んだ明けの世界が終わるなら。

 

 ──せめて、僕を知れる君の手で――。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 齧る/呑み込む。

 殴る/ちぎり取る。

 齧る/呑み込む。

 

 人だったモノを、生き物だったモノを使い慣れた五指で引きちぎり、血肉と泥をすする。

 

 俺だけ知ってる、人の味。

 

 きゅうきゅうと鳴く胃袋へ、仕留めた獲物の血肉を流し込む。

 

 ふと顔を上げる。視線を持ち上げる。

 

「放てぇぇぇ!!!」

 

 決死を絞り出したような覚悟の声。人の声。

 骨髄の奥まで響くような魔法の轟音。炸裂音。衝撃音。

 

 凄惨な戦場。

 視線をあげたところで日常は変わってない。

 命のたたき売り。トウトイって言われてる物を肉へと変えている、賢し気で愚かな狂気。

 

 ──<魔人戦線>。

 

 ずっと昔からしている、人と魔族の全面戦争。

 生きて帰れる人が一握の砂よりも少ない、大仰な名がついた共同墓地の名前。

 

 相対している人共に襲い掛かっているのはたくさんの異形。

 肌が青白く、人型からは遠い赤い目の何かの群れ。

 

 魔族。

 魔物。

 魔獣。

 

 狂乱した獣の群れ。知識ある獣(ヒト)の天敵。

 格調高いくろい戦闘服に身を包んだ人の軍へ魔法の砲撃を逃れた/物ともしなかったやつらが爪を振り下ろす。牙を剥く。魔法を叩きつける。

 

 人の軍勢はとめどなく押し寄せる獣の群れに一瞬で貪られ、総崩れになっていく。

 

 総崩れになっても人は諦めない。

 狂笑をあげる魔族どもを少しでも多く殺そうと立ち止まって、自分の命一つで何体もの魔族の息の根を止めていく。

 

 そうやって死んでいくのをこの崖の上から見下ろしている。

 

 かりかり。

 

 頬を掻く。

 

 大体三十分くらいの時間がたった。

 良い感じに人も、魔族も死んでいった頃だ。

 

 こきり、こきり。

 首に手を当て、ぐりんと回して乾いてしまった目に物言わぬ肉となった彼らを見下ろして立ちあがる。

 

 ──今日は夕飯に困ることは無いだろう。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 ざざ――ッ。

 

 崖を滑り降りていく。ただの足で、底が抜けた靴を履いてまずい御馳走へと駆けだしていく。

 

 一応魔族と人の状況を見ておく。

 無傷のやつはひとりもいない。弱っているのが魔族も人もたくさん。

 

「ひっ――。おま」

 

 一人。

 喉仏を指で抉りちぎる。

 

「出たぞおおッ! あいつだ――ッ」

 

 二人。

 眼球を指で突いて潰し、眼孔の先の頭蓋骨を割って脳みそを掻き潰す。

 

「──《紅指》のフレドリクス・アイネイアスだぁっ」

 

 三人。

 魔法で仲間を蘇らせようとしている魔法使いの無防備な腹に紅くなった指を突き立て、抉りぬいて殺す。

 

「っなんだ、人が人を殺して――」

 

 一匹。

 困惑している蒼白い肌の魔族ののど元に飛びつき、噛み切って殺す。

 

「くそお……っ、リヴェータ卿を、アイネイアス卿を呼んで――っ」

 

 四人。

 知人の、大叔母の名前を呼んでいた偉そうなやつの頭に両手を組んだ握りこぶしを振り下ろし、叩き潰す。

 

「――ええい、ここは俺が抑える! 派閥が違うが、【月睨派】の【勇者】様を! トワ様を呼んで来い!」

 

 一番強そうなやつが魔法を使って魔物や魔族を皆殺しにし、俺の前に立ち塞がる。

 

 仲間を守っているんだろうな。

 こいつがいるせいで他の奴らを襲えない。

 

 ほかの人間が遠ざかっていく。

 

 横目で見ながらふっ、と息を切る。

 吐き出した息の時の肺の感覚から残りの体力を探る。

 

 目を凝らし、相手の魔力の練度、武装から彼我の戦闘力差を鑑みる。

 

 こいつを倒したら体力的にも厳しい。深入りしすぎて飯を逃すのもよろしくない、か。

   

 仕方がない――。

 

「こいっ! 《紅指》のフレドリクス・アイネイアスッ! 私はまだ若輩の身。我ら【叡神派】が誇る《屍記録(デッド・レコード)》のリデレ教授や《神学者》のロプトゥル博士にはおよばずとも、私がここで貴様を仕留めるッ!」

 

 今日は、こいつで終わりだ。

 

 そいつは腰から剣を抜き、俺に突き付けてくる。

 

 名のある魔剣なんだろうな。青い月光を思わせる魔力が刃に宿らせると、静かに剣を構える。

 

「来いッ、人食いの化物がぁっっ!」

 

 赤い液体でぬかるんだ大地を互いに蹴り、間合いへとお互いに入り、命のやり取りが始まった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 齧る/呑み込む。

 殴る/ちぎり取る。

 齧る/呑み込む。

 

 人だったモノを、生き物だったモノを使い慣れた五指で引きちぎり、血肉と泥をすする。

 

 さっきまで威勢よく剣を振っていた男のあばらを開き、心臓を引きちぎって口に含む。

 

 びくん、と体が震える。

 

 震える原因は痛み。

 

 そっと肩に走った赤い線をなぞる。

 

 強敵だった。

 打ち込んでくる剣閃と魔法のキレは確かに強くて、今迄狩ってきた中でもかなりの強さだった。

 

 狂的だった。

 何があっても俺を止めるという執念を、執着を感じた。

 

 命を落としてでも俺を足止めするという強い意志があった。

 

 ──そこまでしなくても俺はお前だけで腹を満たすのは終わらせるつもりだったし、そう命がけにならなくてもいいのに――。

 

 思考を軽く回しながら息絶えた魔族の角を持ち、勢いよく横に割いて頭蓋骨を開く。

 

 脳みそをむしり取りながらついた脳漿を魔族の服で拭きながら、さっきの戦士の無駄な行動を考える。

 

 何故? 何故? 何故? 何故? 何故──?

 

 そう考えていた時だった。

 

 

「──間に合わなかった」

 

 

 ぶわり、と鳥肌が立つ。

 

 ──死を幻視。

 

 振るわれた金色の剣をかがんで躱し、大きく後ろへ跳んで回避する。

 

 さっきまでいなかった。気配もなかった。死肉以外の匂いもしなかった。

 

 一体どこから。

 一体何が──。

 

「《紅指》のフレドリクス・アイネイアス」

 

 透き通る鈴のような女の声。

 

 18歳くらいだろうか。

 俺より背丈が大きいが、腰が細くて引き締まった筋肉を持つ少女。しかし背丈がちんまい。

 

 肩口で切り揃えた金色の髪──。稲穂のような金色。

 戦場なのに汚れを知らない金髪は、不可侵の存在なのではないかと錯覚してしまう。

 

 青い瞳。俺と同じ、湖の水面のような瞳。

 

 何よりこいつは──。

 

「戦地に捨てられて、這う這うの体で人の肉に手を出した。悲しい子、フレドリクス・アイネイアス。貴方に恨みはないけれど――」

 

 ──俺より強い。

 

 震える手で剣を俺に向け、毅然とした目でこちらを見てくる。

 

「これ以上みんなを殺させないために」

 

 ぼう、と魔力が陽炎のように立ち上る。

 間欠泉から熱泉が噴き出るように魔力が、殺意が膨れ上がっていく。

 

「貴方はココで倒す」

 

 うまく合わない歯を何とかかみ合わせ、見知らぬ恐怖に震える身体を押して目の前の女に立ち向かう。

 

「聖教国【月睨派】が筆頭騎士【勇者】トワ」

 

 

「──貴方を殺す女の名前」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 暗がりの洞窟。

 

 どさり。

 大きな荷物を床に置いたような、質量を伴った音が小さな洞窟に響く。

 まっすぐ歩くのがしんどくなって、壁に俺がもたれかかった音。

 

 ずり、ずり。

 

 全身から血が出ていく。止まらない。足元は歩いた先から血まみれだ。

 血の線を引っ張りながら、壁にもたれかかる。

 

「ふぅ……」

 

 喉から息が漏れる。

 

 身体が寒い。眠気まで出てきていて、手は真っ赤に濡れているのにとても冷たい。

 

 あの女──。【勇者】トワはとても強かった。

 

 仲間、魔力、知識、先読み、成長性。

 俺にはないものをたくさん持っていた。

 

 俺が拾った剣で攻撃を防いでいく度に、一撃一撃が重く、鋭くなっていった。

 

 防いでいるのに全身が傷だらけになっていった。

 

 横やりが──。最強の魔族【魔族元帥】が乱入してこなければ、俺は逃げる事すらできなかっただろう。

 

 つまるところ、あの場で間違いなく死んでいた。

 

「ゔっ、え……っ」

 

 喉の奥から込みあがってきた生臭く、鉄臭いもの。血をおぼつかない手で押さえ、見つめる。

 

 ──遅かれ早かれ、これは死ぬな。

 

 血を流しすぎた。

 肉体の傷は六割がたふさがってきたけれども、そう遠くないうちに俺も肉に変わるだろう。

 

 

 ──『まさか。魔導の大家たるアイネイアス家の直系の子の身体に魔力がないとはな』

 

 

 ああ、これが噂のアレか。

 死ぬ間際に流れる一生の振り返りってやつ。

 

 走馬燈。

 

 ──『肉体に魔力が保持できていない! 魔力と肉体の親和性が高すぎるんだ! 魔力が出ずる先から肉体に吸収されていっている!』

 

 ──『つまり、この子は魔法が使えない。と』

 

 ──『なんという、なんという……! 何とかならないのですか! この子は五歳にして相伝の魔法術式、【天素宣言(ザ・セヴン)】に新しい解釈を与えた神童なのですよ! せめて、学者という立場だけでも……』

 

 ──『その通り。わたしに任せて。この子には相当なポテンシャルがある。この子は特異点になりうる』

 

 ──『わたしはアイネイアス家の当主代理として、この子を次期当主に指名する』

 

 俺よりも背丈が小さいけれども、誰よりもあの家で。アイネイアス家で発言権があった女傑の声。

 

 そいつは俺を保護してくれた。必要な知識や芸事、学術書や禁書まで読ませてくれた。

 

 だけど――。

 

 

 ──『貴様のような出来損ないが、何故御意見番様の寵愛にあずかっているのだ!』

 

 

 そいつが、どうやらいけなかったらしい。

 

 あの人に俺はいろんなものを与えてもらった。教えてもらった。

 俺は優れているから自信を持てと、そう言ってくれた銀髪の小さなエルフの少女。

 

 どうやら、それが。

 魔法を使えるのにあの少女に見向きもされなかったやつらにとっては本当に気に喰わなかったらしく。

 

 

 ──『貴様のような出来損ないが、この家にいる資格などない』

 

 ──『ただ力だけが強い賢し気なガキが。貴様がいるべきは理知の学府たるアイネイアス家ではなく』

 

 ──『大陸の西端、野蛮な魔族と戯れる<魔人戦線>がお似合いだっ』

 

 

 汚い欲で濁った目と衝動にかられた大人どもに連れられて、エルフの少女がいない隙を見計らって俺は<魔人戦線(こんなところ)>に追いやられた。

 

 初めは帰ろうと。ここから逃げて元の場所へ戻るためになんだってした。

 

 

 ──元の場所に戻るために走った。/敵前逃亡と取られて殺されそうになった。

 

 ──殴られるのが怖くて一心不乱に暴れた。/ころそうとしたやつを殺してしまった。

 

 ──逃げて逃げて町にたどり着いた。/将軍殺しとして指名手配されていた。

 

 ──故郷へ帰る道には憲兵や関所があった。/俺は通ることができず、西へ西へ。

 

 ──<魔人戦線>で、誰も味方がいなった。/食うものがなくて、ひもじかった。

 

 ──食べるものを見つけた。/転がっている死体を見つけた。

 

 

 あとはただ転がり落ちて、気付けばこんなところにいた。

 

 どうしようもないところまで堕ちてしまった。

 

 ただ、生きるために必死になっていたら、こんなところまで。

 

 【天素宣言】の古代文字を読み解いた神童、フレドリクス・アイネイアスではなくて。

 

 人を食う人。《紅指》のフレドリクス・アイネイアスとして、懸賞金までかけられてしまっていた。

 

 どくどくとまだ血が流れている。

 血と一緒に人でなしの部分まで流れ出ていってしまったのだろうか。

 

「ああ、まだ──」

 

 死にたくないなあ──。

 

 目頭が熱くなって、血とは違うものが頬を流れる。

 

 でも身体は寒い。冷たい。どこか、洞窟以外の、暖かいところが──。

 

 ふと、洞窟の奥に「扉」が視界の端に映った。

 

 <魔人戦線>のこんなところに居を構えている奴なんてきっとろくでもないやつに決まっている。

 

 でも、どうせ死ぬなら。死んでしまうなら。

 

 僅かでも、生き残れそうな方へ──。

 

「助け……て……」

 

 俺は扉に手を伸ばし、触れたところで。

 

 視界が真っ暗になり。

 意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──いいよ」

 

 蒼の髪を長く伸ばした女性は柔らかく応える。

 

「助けてあげる」

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「ふんふんふ~ん」

 

 ことこと。

 

 鼻歌と鍋を煮込む音が聞こえる。

 柔らかい女性の声だ。

 

「おや~? 起きたのかな~?」

 

 こちらに向けて声が飛ばされる。

 

「ん……ぐ……ぅ」

 

 布団を顔までかぶって光や音を遮る。

 眠気が勝った。

 久しぶりに背中に感じる、クッション特有の柔らかい感覚。

 

 地面や洞窟の中の硬い岩の上とは違うこの感覚にもう少しだけ味わっていたかった。

 

「あ〜っ! もう起きてるのに寝たふりする悪い子は……こうだっ」

 

「っ!?」

 

 いきなり毛布を剥ぎとられる。

 一瞬で光が目に入って意識が覚醒し、一気に身構えて周囲を見回す。

 

 

 

 ──全くの別世界が広がっていた。

 

 

 

 瑠璃の宮殿。

 

 深い青色で構成された大広間で、あちらこちらに黒い宝石の花が咲いている。

 空には蓋がない。満天の星が散りばめられていて、太陽が出ていない青の空。

 

 太陽が出ているわけではない。

 瑠璃色の宇宙が頭上で輝いている。

 

 

 未知。

 全く知らない、青の絶世が澱のような現実の代わりに広がっていた。

 

「もう、君から助けを求めてたのにそんな反応されるのは、お姉さんちょっと悲しいな〜」

 

 語る女性は頬を膨らませて怒っている。

 

 青い髪の女性だ。

 白い布地をそのまま着込んだ古代の服装、キトンに身を包んでいる。

 

 金と黒のオッドアイ。

 

 すらりと伸びた手足と、スタイルの良い身体。

 五体は彫刻の様であり、絵画のようでもあるような、不思議な感覚だ。

 

 宮殿の女主人。

 

 瑠璃の絶世の宮殿を治めるに相応しい風格を持つ女性が、静かにお辞儀する。

 

 古代の中の古代、真代の形式の御辞儀だ。

 

「僕はセティシア。君の傷がいえるまでの間、住処と食事を与えよう。よろしくね~、深い蒼(イ・ルク)!」

 

深い蒼(イ・ルク)

 

 古代語で瑠璃色を表す言葉か。

 

 紅から最も遠い、青の彩。

 

 だが、名乗ることはできない。

 

 俺はまだ、アイネイアス家に帰りたい。

 拾ってくれた、俺を買ってくれた人の期待に答えたい。

 

「――ありがとう、セティシア。だが、俺の名前はフレドリクス。フレドリクス・アイネイアスだ。そんな古臭い名を名乗ることはできない」

 

 さっさと言葉を切って話す。

 助けてもらったがそれはそれ。

 

 大切なものを曲げてまで他人に従う必要なんかない。 

  

 セティシアは、朝露に濡れた紫陽花のような美しい笑顔から萎れた花のような顰めっ面になる。

 

「――ええ!? そこは受け取るとこでしょ〜! いいじゃん深い蒼(イ・ルク)〜! かっこいいじゃ〜ん!」

 

「かっこよくない」

 

「カッコイイ!」

 

「かっこよくない!!」

 

 

 ぎゃーぎゃーと二人で論争し、結局一時間たっても決着がつかなかった。

 

 こうして、浮浪児の俺と、不思議なセティシアとの生活が幕を開けたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 あけましておめでとうございます。

 正月でめでたい時でも、そうでない時でも。

 彼らの物語をお読み下さり、ありがとうございます。
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