蒼の忘録   作:鹿鳴弥

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 こんばんは。いらっしゃいませ。
 前回の更新分の最後を改稿していますので、まだお読みでない方はそちらもご査読ください。


第二話 「青空の涙」

 

 

 

 

 

 あれから一日が経った。

 

「ねえ~、イルク~。今日は何食べる~?」

 

 セティシア某と言うものは俺の名前、フレドリクス・アイネイアスの名など忘れたかのように俺を深い蒼(イ・ルク)の名前で呼ぶ。

 

 これだけは何度言っても変わりはしない。

 

 アイネイアス家へいずれは帰る。

 

 そうだ、俺は恩人たる彼女のもとへ。

 ───帰るんだ。

 

 その名で呼ばれても返事をしないようにしている。

 

 その為に泥水を飲み、死体まで食って生きてきたんだ。

 

「あれ~? あれれ~? 返事がないぞ~?」

 

 しかし、彼女にはなしのつぶて。

 

 こちらが無視していようと、こちらの考えなどお構いなしに話しかけてくる。

 

 保護してもらっているのはありがたいが、こっちはあんたとずっと一緒に暮らすわけじゃあないんだ。

 

 傷も一日寝てたら治ったし、ここから出ていくのも遠い日のことではないということをわかってもらいたいんだが。

 

「なんだっていいだろ。俺はもう大人なんだ。傷も癒えたんだし、ここから出ていく。あんたとも今日でサヨナラだ」

 

 うりうりと撫でてくる手を押しのけ、毅然とした表情を作る。

 

 セティシアは悲しそうに眉を歪め、俯く。

 

「でも……。でもさ~……、キミ。一人だったんでしょ? ずっと一人で戦ってきたんでしょ? 死んだ人間の肉とか、泥水しか食べられない環境だったんでしょ? そんなところに戻るより、僕とずっとここで一緒に暮らそうよ。一人よりも、二人のほうがきっとずっと楽しいよ。ずっと。ずううっと」

 

 顔を上げたセティシアの眼はぐちゃぐちゃだ。

 

 笑い方は引き攣っている。

 俺より背丈が大きい女性なのに、どこか小さなものに見えた。

 

 まるで、捨てられる子供を見ているようだ。

 

 なんとなく見るのが気まずくて、目をそらした。

 

「あんたは一人で寂しいのかもしれない。でも俺は違う。あんたとは違う。俺には帰る場所がある。こんなに素晴らしい宮殿をもつあんたに同情されるいわれはない」

 

「ッ……!」

 

 セティシアの顔が沈痛に歪む。

 

「……俺は、あの人の所へ戻るんだ。だからあんたとは、ここでお別れだ」

 

 あの沈痛な表情を見てられなくて、踵を返して瑠璃の宮殿の外へと歩き始める。

 

 帰るんだ。

 

 生きるのに精いっぱいで、外に何も考えられなかったあの時とは違う。

 身体の傷は完全にふさがっているし、食事も済ませている。

 

 関所で止められるのなら、関所のない山や森林を駆ければいい。

 数百ある小国家群を抜けて、それで聖都へ。

 

 あの人がいるところへ――。

 

「──じゃあさ」

 

 叫ぶようなセティシアの声が響く。

 

 宮殿のバルコニー前の階段で立ち止まり、セティシアの方へ振り向く。

 

 辛そうな、苦しそうな顔だった。

 何故だ。

 

 何故彼女は、たかが一日しか会っていないガキのためにそんな顔ができるんだろう。

 利用価値があるわけでもない、飢えた痩せ犬のようなどこにでもいるガキを、なぜそんな目で──。

 

「じゃあさ、出ていく前に教えてよ。イルク」

 

 セティシアは恐る恐るといった様子で俺に尋ねてくる。

 

「──その、()()()()()()()()

 

「――名前?」

 

 この期に及んでそんなくだらないことを。

 

 そんなの、すぐに答えられるに決まって──。

 

「──え」

 

 違和感。

 

「どうしたの。そんなに大切な人の名前なら、すぐに言えるはずでしょ」

 

 セティシアから飾ったような気丈な声が飛んでくるが、それどころではない。

 

 

「あ──、え──?」

 

 喉を掻きむしる。

 出てこない。思い出せない。

 

 確かにいた。忘れるはずが無い。

 

 15の俺より少し小さい子供のような小柄な体を。

 あの長い銀髪を。

 透き通る冬の空の様な、叡智と老獪さが宿った蒼白の瞳を。

 気高き長いエルフの耳を。

 

 声も、物臭なところも、口癖も。朝が弱いところも、彼女の往来の親友の冒険者のエリスが起こしていたころも。彼女と暮らしていたあの時のすべて思い出せる。

 

 なのにどうして、どうして──。

 

()()()()()()()()?」

 

 膝に力が入らなくなり、崩れ落ちる。

 

 胸に腕が回され、セティシアに支えられ、抱きしめられる。

 

「──貴方の記憶は、弄繰り回された形跡があった」

 

 耳元で囁かれる。

 

 視界が安定せず、吐き気までしてきた。

 

 嘘だ、だって、あの時のことは、確かに覚えて──。

 

「貴方の治療をしているときに、記憶海馬に小さな傷があった」

 

 セティシアの俺を抱く力が強くなる。

 

「それから貴方と話してみて、違和感があった。貴方がこれだけ傷だらけになってまで戻ろうとしているのに、貴方は名前を呼ばずに『あの人』と呼び続けた。敬意から呼ばないことも考えたんだけどね。でも──」

 

 セティシアが強く息を吸う。

 

「貴方の口から、ついぞその人の名前が出ることはなかった」

 

 頭が痛い。

 

「私の技で貴方の脳を深く精査したら、貴方の脳に魔法の痕跡」

 

 

「──記憶を消す魔法の痕跡があった」

 

 その言葉を聞いた途端。

 

 

 ──『貴様のような出来損ないが、何故御意見番様の寵愛にあずかっているのだ!』

 

 

 走馬燈の声が、いやに響いた。

 

 ざ、ザ──。

 

 頭にざわついた音が響く。

 

 砂嵐に巻き込まれたように記憶の景色が明滅する。

 

 口がすっぱい。

 

 朝食べたものが上がってきて、よろよろと立ち上がろうとしているのに五、力が入らない。

 身体の調子が悪くなっていく。

 

「記憶に関する魔法は難度は、わたしのいた時代の頃から難しかった。今も同じか、それ以上に難しくなってると思うんだ。きっとイルクのいたところは相当魔法に特化した場所だったんだろうね。でも──」

 

 セティシアが頃場に迷っているのがわかる。

 

 わかる、分かるからこそやめてくれ。

 

「そんな高度に、ピンポイントで消されているってことは。それほど綿密に消されているのならイルクの帰る場所は」

 

 いやだ、やめてくれ。

 

 聞きたくない。

 

「──もうない、と思う」

 

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 

 セティシアを無理やりにでも引きはがして、耳に手を当てて当てもなく走り出す。

 

 もう、今は何も聞きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり、イルクは、フレドリクスは」

 

「──わたしと同じなんだね」

 ※※※

 

 

 

 

 

 走る。

 

 いくつもの回廊を抜けて走る。

 

 広間を、階段を、回廊を、何もかもを無視して駆け抜ける。

 

「──!」

 

 声にならない絶叫をのどにくぐもらせ、それでも叫ぶ。

 

 ──『貴様のような出来損ないが、何故御意見番様の寵愛にあずかっているのだ!』

 

 消えない。

 

 耳元にこびりつくあの声を消すために無我夢中で走り、叫ぶ。

 

 ──『貴様のような出来損ないが、この家にいる資格などない』

 

 消えない。

 

 ──『ただ力だけが強い賢し気なガキが。貴様がいるべきは理知の学府たるアイネイアス家に、翼なき叡智ある蛇の名のもとにはない』

 

 消えない。

 

 ──『貴様のような魔力を持たぬ出来損ない。■■■■■様の記憶も、あのお方の隣に侍るべきではない』

 

 消えない。

 

 ──『骨ではあるが、貴様から■■■■■様の名の記憶を抜く』

 

 ……消えろ。

 

 ──『普段ならば貴様に接触すら許されぬが、あのお方は今はアイネイアス家にはいない。【勇者】の出現やロプトゥル博士の出奔の対策で大神殿に一月は拘束されるからな』

 

 消えろ。

 

 ──『貴様は■■■■■様の財を持って逃げた罪人と説明しておく。安心して死ぬが良い』

 

 消えろ。

 

 ──『貴様のような出来損ないのくだらん生き物には』

 ──『大陸の西端、野蛮な魔族と戯れる<魔人戦線>がお似合いだっ』

 

「消えろおオオオオッ!!!」

 

 喉なんて裂けてしまえ。

 

 枯れるくらいに叫び、何も見たくない思いで走り抜けていた。

 

「──ガッ」

 

 何かにつまずき、転んだ。

 

 ずずー、と派手に埃をまき散らして滑った。

 

「う、あ──っ」

 

 拳を振り上げ、地面にたたきつける。

 

「俺は、俺は──ッ!」

 

 目からこみあげてくる熱いものを歯を食いしばってこらえる。

 

「なんの、ために──!」

 

 人を殺して、食ってたんだ。

 

 生き抜くためだった。

 

《紅指》と言われるくらい殺して、それでもあの人なら、あの人の所に戻れば、何とかしてくれるって。

 

 生きてさえいれば、あそこに戻れば、俺は元のフレドリクスとして、あの人の役に──。

 

「もう、無理だ」

 

 俺の居場所には、だったところへはもう戻れない。

 

 アイネイアス家は魔窟だ。

 魔導の探求のためなら何でも許される。求められるのは効率と知識欲の権化たちが、少しでも己の研究をするべく、発言権を得るべく足を引っ張り合う蟲毒の聖地。

 

 ただでさえ魔力のない俺の立場は危うかった。

 

 そんな俺を助けてくれた。

 それだけでも相当な冒険だったのに、謀略で消された子が、当主代理の名前も呼べないようなガキが、どうやったら戻れる。

 

 戻れたとしてもだ。

 俺を消した大御所たちとあの人は全面戦争になる。

 

 あの人は優しすぎる。きっと俺が戻ってきたら、俺のことを放ってはおかない。

 

 俺自身が、あの人の急所になるかもしれない。

 

 名前すら満足に呼べない俺が、あの人にこれ以上迷惑をかけるのか?

 

「──できねえ」

 

 そんなことになるくらいならいっそ、いっそ。

 

「──死ねよ」

 

 人を殺して、その死体を弔わずに食うようなやつなんか。

 

 もう、生きていることすら申しわけが無かった。死んで、俺が辱めた人へ償うしかなかった。

 

「Grrrrrr……」

 

 自分の首を絞めたり、のど元をひたすら殴っていると、黒い半固体の身体を持つ獣が俺を見ていた。

 

 涎を垂らして俺を見ている。

 

 ──ああ。

 

「腹、空かせてるのか?」

 

 丁度良いのが来てくれた。

 

「おいで」

 

 重油のような黒い獣へと両手を広げて招き入れる。

 

 獣は一瞬身を縮こめると、一気に跳躍して俺の右腕をかみちぎった。

 

 身体が芯から凍り付くような、強烈な痛みが俺を襲う。

 

「ああ、腕が邪魔だったか」

 

 しかし、胸に来るのは安心の気持ちだけ。

 

 この獣は俺を殺せる。

 

 1時間水の中に沈められても、攻撃魔法が直撃しても目立った傷がつかないほど無駄に頑強な身体。

 

 下手な魔獣や魔物じゃ俺に傷もつけられないのに、こいつは軽々と俺の四肢をちぎり取った。

 

 これなら、自分で息の根を止めるより確実に俺を殺してくれる。

 

 黒い獣が咆哮を上げ、俺へ跳びかかる。

 

 俺を押し倒し、思い切りのど元を噛み切る。

 

 赤い血が噴水のように溢れ、ぼろきれのような服を濡らす。

 

 倒れたまま抵抗の意思を見せないところを確認すると、黒い獣は後ろを向いて俺の腹を爪で切り裂く。

 

 腸を取り出し、咀嚼されている。

 

 痛みはもうあまり感じない。

 

 ぞっとするような寒さと、ほの昏い眠気が足音を立てて近づいてくる。

 

 死──。

 

 しかし、身体は無駄なことにまだ生きたがっているのか、カッと胸の奥──魂と呼ばれるものがある場所が熱くなる。

 血とも違う。何か熱いものが身体を迸って死から遠ざかろうと足掻いている。

 

 それがうまいのか、くろい獣の食う速度が速まる。

 

 痛覚はないのに、意識だけは明瞭に、それでいて遠くなっていく。

 

 自分の生き汚さに辟易としていたが、どうやらそろそろ死ねるらしい。

 

 安心して目を閉じた、その瞬間であった。

 

 「──<蒼仙法(そうせんほう)>」

 

 激情を秘めた声。

 氾濫する川のような強烈な感情に満ちた声が俺の意識を掬い上げる。

 

 ふと意識を向けると、華奢な腕が獣の腹にめり込み、掌底となって。

 

 セティシアの腕だ。

 

 同時に、周囲の景色が螺旋を描いてセティシアの腕へと集い、蒼白く光る稲妻と化した。

 

「──《蒼霆(そうてい)》ッ!!」

 

 セティシアの強烈な憤怒に従って放たれた声と、雷鳴。

 

 蒼白い雷霆を喰らった瞬間、獣は跡形もなく消し飛んで消滅した。

 

「──イルク!」

 

 セティシアの声が俺の耳朶を打つ。

 

「あ、せてぃ──」

 

「大丈夫、助けるから。助かるから」

 

 セティシアは必死に訴えかけるが、どうやっても無理だろう。

 

 大動脈はずたずた。

 臓器の半分は持っていかれているし、残っているのも無惨なありさまなのはなんとなくわかる。

 

 蘇生魔法を阻害する魔力,攻性魔力に似た黒い瘴気が染みついている。

 

「い……よ、せてぃ……しあ……。ごめ……ん、ね」

 

 意識が遠くなる。

 

 考えがおぼつかない。

 ああ、そうだ。その前に、せめてセティシアに、謝らなきゃ。

 ひどいこと言って、ごめんって。

 

「黙って、しゃべらない。治せるから」

 

 セティシアは真剣な表情でそうつぶやくと、大きく息を吸い、集中する。

 

「<蒼仙法>・《喪伝(そうでん)》──」

 

 周囲の景色がまたもセティシアに集い、先ほどの蒼白い稲妻を作り出す。

 

 何も聞こえない無我の境地に入っているのか、セティシアは極限の集中状態を維持して蒼白い稲妻をおれの傷口へ当てる。

 

「──《蒼造(そうぞう)》」

 

 刹那。

 

「え、あれ──?」

 

 完治していた。

 

 傷跡も一切ない。

 蘇生魔法? 違う。蘇生でどうこうできる性質の傷じゃない。

 

 儀式魔法? いや、違う。それにしては詠唱も魔法陣も生贄も何もなかった。

 

 ぱあん。

 

 乾いた音。

 

 俺の頬が叩かれた音だ。

 

 頬を摩り、茫然とした顔でセティシアを見る。

 

 顔と目が、真っ赤になっていた。

 

「バカ! イルクのバカ! なんで死のうとするの! 貴方──」

 

 セティシアはそう言うと近寄り。

 

「──まだやり直せるでしょう!?」

 

 俺の事を強く抱きしめた。

 

「だ、だって俺──」

 

「うるさい! 知ってるよ! 何を言おうとしたかくらい! 人を殺して食ったこと! 罪から目を背けてた理由の居場所がなくなったから死んでしまいたい! 償いたい! そんなことでしょ!?」

 

「う──」

 

 正論だった。何も言い返せなかった。

 

「人を殺して後悔しているなら──」

 

 

「殺した数の倍だけ人を救うくらいの根性見せなよ!」

 

 

「何死んで楽になろうとしてるのお!」

 

 

「この、バカァ!」

 

 電撃が走った気分だった。

 

 ああ、そうだ。

 

 その通りだ。

 

 死んで償いになんかなるもんか。

 生きることしか、償いにはならないんだ。

 

「ごめん、ごめん──!」

 

 子供のように泣きじゃくった。

 

 人でなしって自分を決めつけて、狂ったふりをして逃げていた。

 

 そんな自分が恥ずかしくて、バカらしくて。

 

 そして。

 

「あ゛り゛がと゛う゛、ゼディジア゛……」

 

 そんな自分を怒って、こんなに泣いてくれる人が嬉しくて、べそまでかいて泣いた。

 

「怒られてるのに謝らないでよ゛ぉ!」

 

 セティシアも、泣いていた。

 

 おいおいと、いつまでも二人で泣いていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 お読み下さり、ありがとうございました。
 ハーメルンというか、オリジナル作品を投稿するのは初めてですので緊張しています……。
 ニキネキ達も読んで楽しんでいただければ幸いです。
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