蒼の忘録   作:鹿鳴弥

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第四話 「変わりゆく想い」

 

 

 

 

 

 

 ──この世に完全な善はない。

 完全な善とは何か。

 打算とか皮算用だとかの採算度外視の純度十割の行動。ただ誰かのためだけを思って行う行動のことが善だ。

 

 俺にとっての完全な善とは青の薔薇。

 存在しない、探すだけ徒労でしかないおとぎ話。

 

 完全な善を為しえる人がこの世にいないのならば、完全な聖者もいない。

 

 十一年程度の青二才が考え付いた人生哲学だけども、人生で覆されたことのない哲学だ。

 

 

「──んなぁ、セティシア」

 

「ん~」

 

 だからこそ、俺は不思議に思っていた。

 

「──風呂場でまで引っ付かなくてもいいんだけど」

 

 この女性(ひと)は、この物好きは、セティシアは。

 どうして血がつながっているわけでもない俺をこうまで構って、いろいろと気をもんでくれているんだろう。

 

 というか、修練が終わって水浴びに来ただけなのに着いて来られると反応に困る。

 

「え~、なんでそんなこと言うの~。二人で入った方が楽じゃん~」

 

「俺が困るの!」

 

 

 顔が熱くなる。

 

 女性の裸はエリス様で慣れている。

 あの人、タオルだけ垂らした状態で家を徘徊するからな。そこら辺の免疫は同年代の男子よりもある自信がある。

 

 でも、流石にお風呂まで着いて来られたのは初めてなんだ。

 

「え~、なになに~? 気になっちゃう?」

 

 

 セティシアは俺にしなだれかかったまま唇を耳元に持ってくる。

 

「──そういうノ」

 

 

 ぞくっ。

 背筋に妙な感覚が走るくらい甘い声で囁かれた。

 

 だが、ここで気になると答えたらなんだかこう、負けた気がする。

 

「気にならないし。ぜ、全然問題ないし」

 

 

 上ずった自分の声。

 体が熱くなる感覚があの声にはあったけれど、密かに《流月》で血流の流れを操作して興奮に奪われそうになる情緒を取り戻す。

 

 あれから二か月。

 《流月》は無意識のうちにでも使用できるようになった。

 

 だけど、次のステップの《統巡》は全く感覚がわからない。

 

「ふ~ん。じゃあ一緒に入っても問題ないね~」

 

 

 セティシアは一瞬だけ目を細めて俺の腰を眺めると、いつものニコニコとした笑みを浮かべて一足先に風呂場の引き戸へと手をかける。

 

「──いっち番風呂~!」

 

 

 ガラガラと音を立てて入るセティシアに先手を畳みかけられた。

 全く別のことを考えていた俺は理解が追い付かず、眼前の事実に一瞬目を白黒させていた。

 

「え、え」

 

 入る? 何に? 風呂に? 一緒に?

 

 ──セティシアと!?

 

 

「やっべぇ……!」

 

 

 非常にまずい。

 何がまずいのかちゃんと言葉にできてないけど、かなり不味い。

 

 訓練中は鬼か何かかと思うセティシアだけど、あれでも結構、いやめちゃくちゃ女性的な体つきをしている。

 

 俺より高い背丈。

 163センチメテルくらいはある俺の背丈だけど、それより高い。172くらいはある。

 

 足も長い。接待嬢かと思うくらい長い脚。

 

 引き締まったおなか。

 腹筋は割れている。だけど女性特有の柔らかさは失っていない。むしろそれが奥ゆかしい魅力を醸し出している。

 

 胸は──。

 

 思いっきり頬を叩く。

 《流月》で思いっっきり強化した腕で、両の頬をサンドウィッチを作るみたいに思いっきり叩く。

 

 バカのサンドウィッチの完成だ。

 

「──ふーっ」

 

 

 息を吐く。邪念よ去れ。

 セティシアは尊敬する戦士であり、教えても旨味のない小僧に秘伝中の秘伝のような技術を惜しみなく教えてくれる恩師だ。

 いいかフレドリクス。フレドリクス・アイネイアス。

 

 あのセティシアだぞ? 普段から適当な事ばかりしている大雑把で男勝りなやつだ。

 興奮するなんてないな──。

 

「──イルク!? すっごい音したけど大丈夫!?」

 

 

 ガラガラっ。

 

 引き戸を開き、たわわな胸をタオルで押さえてセティシアがこちらへ心配の言葉をかけてくれる。

 

「あ、転んだとかじゃないんだ~。良かった。どうしたの、頬っぺたに紅い手形ついてるよ?」

 

「……い、いや。気合注魂、じゃなくて、じょ、常在戦場。そう、せん、戦意の現れ」

 

「?」

 

「とにかく、大丈夫だ! 平気! 超兵器! 古代兵器くらい兵器! 腕とか飛ぶし!」

 

「そ、そっかあ~。じゃ、じゃあ先入ってるね~」

 

 ガラガラ。

 

 セティシアは困惑したように扉を閉めると、再び鼻息交じりに水温が混ざる。

 水浴びをしているのだろう。

 

 ぼたぼた。

 熱いものが鼻から垂れ、床に落ちていく。

 

 ちらり、と床に眼を落す。

 

 白の布をそのまま身体に巻いたような服のキトンが脱ぎ捨てられていた。

 そのすぐ横には黒の──。

 

「これは厳しい戦いになりそうだ」

 

 先ほどの自分でも何を言っているのかわからない発言を思い返し、『撤退』を己の視野に入れて考え始める。

 よく考えれば今入る必要はない。

 

 厠でおよそ四十分の時間を稼いで、セティシアの後に汗を流す。

 

 だがそれは弱者の思考だ。

 命の危機があるわけでもないのに逃げ出すなんてそんなみっともないことがあるだろうか。

 

「行くぞ」

 

 どばどばに血が止まらない鼻に《流月》を流し込んで強化して、出てくる血を塞ぐ。

 

 大丈夫だ。俺には《流月》がある。

 腰付近に《流月》の血流操作を全力で施していたが、今度からは鼻にも強烈に強化をかけて、心頭滅却すればいい。

 

 きっと火も涼しいだろう。

 

 勢いよく鼻を拭い、引き戸を強く開いて風呂場へ入る。

 

 新世界へ──!

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 ごしゅごしゅ。

 

「かゆいところはございませんか~、ふふっ。こういうのやってみたかったんだよね~」

 

 己の選択を後悔していた。

 後ろで囁きながら頭を現れている感覚が嫌に響く。

 

(心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭滅却……)

 

 《流月》フル回転。頭に余剰の思考回路を残すな。限界まで強化を施せ。血を回転させろ。意識するな。

 

 高速で血液の流れを高速で操作し、血管が切れそうになる度に強化と再生を施し、処理量に焼き切れそうになる脳を治癒する。

 

 繰り返す都度に《流月》の運用のレベルが上がっているのを実感する。

 

 というか、近い近い!

 入って早々に頭を洗いに来るやつがあるか!

 

「ねえ、イルク~」

 

「……フレドリクスだ」

 

 そんなことをしていたので反応がワンテンポ遅れたが、それでも俺は自分の名前を損なわない。

 

「もし、もしだよ? 僕がとっても悪いやつだったとしたら、どうする?」

 

 上ずって震えた、ぎこちない声。

 思ってもいなかった言葉に俺の茹だった思考回路がゆっくりと冷めていく。

 

 ふむ──。

 

「どうもしない。セティシアはセティシアだろ?」

 

 至極バッサリと答える。

 

 善悪に完全な区切りなんてないし、完璧な聖者なんていない。

 そもそも、俺に言わせれば善悪なんて他人のために行動したか、自分の欲のために行動したかのどちらかだ。

 

 善かれと思って行動したことが世間一般では悪になることだってたくさんある。

 悪しきを為そうと自分のためだけに行動したことが結果的に善行と称えられることもあるんだ。

 

 善悪とは表面上は簡単に分けられるが、その実複雑なんだ。

 

 だから。

 俺はセティシアが悪人だったとしてもどうもしない。俺に害がないし。

 

「じゃあ、じゃあさ」

 

 セティシアは続ける。

 

「もしも、僕が悪いやつで。イルクの大事な人を殺さなきゃ生きていけなくなったら」

 

 セティシアはすがるように尋ねてくる。

 

「イルクは、どうしてくれる?」

 

「セティシアを止める」

 

 俺は断言する。

 

「あのお方はめちゃくちゃ強い。セティシアでも簡単には殺せないと思う。でも俺は二人に争ってほしくない」

 

 俺はただ、胸の内を吐露する。

 きっと昔なら。セティシアに出会う前なら『殺す』って。あのお方の援護だけするって簡単に言えただろう。

 

 だけど、今はそれは言えない。

 

 情けない話だけど、俺はどちらの味方もしたい/どちらの敵にもなりたくない。

 

 だから、せめてこの情けなくとも偽りなく抱いた気持ちは貫き通したかった。

 

「で、あの御方は俺がいなくても大丈夫だろうから、ボコボコにされた後のセティシアを助けてあげる」

 

 すう、と息を強く吸い込む。

 気魄を心臓の奥から汲みだし、丹田で練り上げる。

 

 セティシアは俺よりずっと強い。

 そんなセティシアを俺は助けると言った。宣言した。

 

 ならば俺は、その証拠を示さなければならない。

 セティシアを助けるに足る力をつけられる、その証拠が。

 

 湯気が揺蕩い、朦朧とした視界だ。

 水蒸気が多く含まれている。手で追い払うだけではまた濛々と湯気が押し寄せてくるだろう。

 

 

 ──『これが<蒼仙法>が弐の相、《統巡》。知ってる? 魔力ってのはね。気魄が元になって気魄の意に沿う形で動くから、《流月》の範囲を拡大させればこの通り』

 

 脳裏でいつかの、二か月前に魅せてくれたセティシアの業と原理の説明が響く。

 

 何度も見せてもらった手本どおりに気魄を練り上げ、外へと押し出す。

 

 いつもここで接続が切れる。気魄の練りが甘くて、大気中で霧散してしまう。

 

 ──『貴様のような出来損ないが、何故御意見番様の寵愛にあずかっているのだ!』

 

 アイネイアス家の御老体の心底見下したものへの侮蔑と、理不尽な寵愛を与えられいる出来損ないへの嫉妬の混ざった声が聞こえる。

 

 ああ、できなかった理由など分かり切っている。わかり切っていた。

 

 これは、《統巡》は魔法と似てるんだ。

 

 世界を己の掌中に収め、法則と語り合い、魔力を代価に現象を引き起こす。

 

 俺ができなかった、代価となるものがなったが故の(フレドリクス)

 みんなが当たり前に持っているもの(魔力)が、当たり前にある感覚(魔力操作)が、俺にはない。

 

 だから、叡智の徽である魔法が使えない。法則を支配できない、ただの猿。

 

 だけど──。

 

 ──『<蒼仙法>はね、僕が編み出した技術。その意思のエネルギーである気魄を世界に広げて、世界そのものを己の五体の延長線上にする技術』

 

 ──『大気・大地にある魔力が自在に操作できるようになる。そして更に言えば力場や重力といった法則すらも支配下に置けるってことなんだ』

 

 ──今は、違う。

 

 俺は、猿じゃ──。

 

 

「──ないッッ」

 

 

 弧を描く。 空間の環。

 

 俺は、セティシアを助ける力を備えられる。

 

 俺は。

 

「知恵ある猿なんだァ!」

 

 気魄を限界まで練り、絞り上げる。

 腕を大きく振るい、大気の流れを掴み──。

 

 

「──《統巡(とうじゅん)》」

 

 殻を破る。

 

 振り返り、水蒸気を散らす。

 曇った視界を晴らし、驚愕に染まっているセティシアを見遣る。

 

「これなら、セティシアを助けられるだろ」

 

 俺は顔に自信を満たし、セティシアを満面の笑みで見下ろす。

 

 驚きを顔全面に張り付けていたセティシアは一瞬泣きそうな顔をして、そのあとに満面の笑みを顔に咲かせた。

 

 

「──うん!」

 

 

 その笑顔は、とってもきれいで。

 

 一瞬、練っていた《流月》の強化を忘れる程で。

 

「ぶっ──」

 

 血流操作を怠った瞬間、成功の高揚と別の興奮が織り交じって鼻に駆け抜け。

 

「おば、あばばばば……」

 

 どばどばと流れる血を止められず、慌てて風呂場から出ようと駆けだして。

 

「──ぎゃうっ」

 

 己の血で滑って、盛大に転んだ。

 

 呆気にとられ、くすりと笑うセティシアを綺麗だなと思いながら。

 

 血を流しすぎかつ、興奮した俺は、一瞬で気絶したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──よかった、イルクが天才で」

 

 気絶したイルク──。フレドリクスを膝に乗せて微笑みながら、突如セティシアはせき込む。

 

「げっほ、げっほ……」

 

 血の混じった咳。

 イルクの前では決して見せない、気丈なお姉さんの仮面の裏側。

 

「ああ、もうこんなに侵食が……」

 

 手についた、インクのような黒い血。

 パキパキとひび割れる、《流月》で誤魔化していた黒く染まった、結晶手。

 

 それこそが彼女がこの場に──。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「思ってたより、時間がないのかァ……」

 

 己にしか見えない、蒼いバラを見る。

 

 その花弁の半分は、黒く染まってきていた。

 

 セティシアは、ただ憂いだけを顔に残し、イルクの髪を撫でていた。

 






 お読み下さり、ありがとうございました。
 無名で数話しか投稿できていないこの作品を評価してくださる皆様方、本当にありがとうございます。

 精一杯頑張って、完結へと向かわせていく所存です。
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