蒼の忘録   作:鹿鳴弥

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少年の苦悩

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘れがたい風呂から三か月が経った。

 

 《統巡》のコツは完全に掴んだ。今ではふよふよ宙を浮くこともできる。遠くにある物体を取ってきたりだとか、そういうこともできるようになってきている。

 

 ただ、セティシアの調子が悪い。

 ずっと咳こんでいるし、頬が少しこけている。顔色も悪く、全体的な調子が不調そう。

 

 看病を申し出ても自分でやった方が早いからと締め出された。

 

 ……少しくらい、恩返しさせてくれたっていいだろうに。

 

「──イルク」

 

 朝食を作っているとセティシアのか細い声。

 

「…………フレドリクス。どうしたの、セティシア」

 

 セティシアはいまだに俺の事をイルクと呼ぶ。

 半年が経ってもまだそう呼ばれるのには少しばかり困っていた。

 

「また、ピアノ──。聞かせて?」

 

 セティシアは小さく微笑む。

 

 少し前のような豪快さは見る影もない。

 今はドアを半開きにして微笑むばかり。

 

 ──朝食の準備があるか……。

 

「──いいよ。ちょっと待ってて」

 

 言いかけた言葉を呑み込み、むりやり頬を持ち上げて応じる。

 

 病気はつらい。

 辛い病を患っている恩人に、そんな酷な事が言えるもんか。

 

 かけていた火を止め、引きずるような大きさの僅かに甘い香りがするエプロンをかけてセティシアの寝室へ向かう。

 

 セティシアの部屋は厨房のすぐ隣。

 

 短い廊下を渡り、がちゃりとセティシアの部屋を開ける。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 青い、海の中のような薄暗くて透き通った色の寝室。

 

 青い水が球体を包んだ絵が描かれた天蓋。

 

「やほ~、イルク。ごめんね、作ってもらっているときに」

 

 弱弱しい、作ったような笑顔が向けられる。

 

「……いいよ、気にしないで」

 

 ……見て居られなくて、目をそらした。

 

 大きな寝台に寝転んだセティシアの隣にあるピアノにそそくさと寄り、椅子を引いて座る。

 

「何を弾く?」

 

 極力、できる限り優しい声音を作る。

 

「『蒼』がいいな」

 

「またそれ? 飽きないね」

 

 おどけたように肩を竦め、眉が引きつくのをごまかしながら鍵盤蓋を開き、少し届かない足を《流月》を使って伸ばし、ソフトペダルへ足を賭ける。

 

 肩の力を抜き、鍵盤へ指を這わせて優しく音を奏でる。

 

『蒼』

 

 澄んだ泉のような静けさの短調。

 

 優しく、包み込むような涼けさ。からん、と鳴る夏の日の氷水のような、みんなが盛り上がった祭りの後のような楽しさと寂しさを内包した曲。

 

 あのお方とエリス様から教えてもらった曲の一つを、セティシアは異様に気に入っている。

 

 歌詞があったようだけど、歌っていたのはあの御方とその弟子のカゥア様。

 あの御方に関わる記憶の一部が欠落しているから、どうにもうまくは歌えないけど──。

 

「──♪」

 

 歌い上げる。

 古代語なので意味は分からない。しかし、この曲が好きならばきっと気に入るはずだ。

 

 ちらり、とセティシアを見る。

 

 

「あ──」

 

 

 驚いたような、ありえないものを見るような、泣きそうな目。

 

 でも、どうしようもなく嬉しそうで──。

 

「──!」

 

 ぐしゃぐしゃになりそうな胸を隠してピアノに向かい、記憶の限りを絞って歌う。

 

 ミ。Eの音を出して曲を締め括り、セティシアの方を見る。

 

「すごい! すごいよ! よく、よく知っていたね──!」

 

 セティシアは病気のことも忘れて俺に飛びついてきた。

 

「うわ、セティシア、あぶ──」

 

 セティシアを受け止め、驚いた。

 

 泣いている。

 笑顔で、嬉しそうに泣いている。

 

「そっかぁ……。知ってたんだ。良かったぁ……」

 

 嗚咽をあげることもなく、てへへと笑いながら泣いている彼女の身体が。

 

 とても、軽かった。

 

 病状は、悪化している。

 

「ねえ、イルク~」

 

 

「連弾しよ?」

 

 

 セティシアは嬉しそうに軽い身体で俺に抱き着きながら、体重を俺に預けてくる。

 

 病状を考えたらだめに決まっている。

 横になっているべきだ。そんなことをして、調子を崩してしまったらどうするんだ。

 

「──いいよ。セティシア」

 

 言えない。

 

「一緒に弾くか」

 

 そんなことを、俺はセティシアに言えない。

 

 セティシアは紫陽花の花が咲いたようにぱっと笑い、静かに笑ってこう言った。

 

「ありがとう。イルクは……フレドリクスは、優しいね」

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 俺がピアノを弾くときはとても穏やかな顔をするようになっていた。

 

 セティシアの苦痛を少しでも和らげようと弾く時間が、病床にいる彼女と一緒にいる時間が増えて、最近は連弾もできるくらいに回復してきている。

 

 今はセティシアもよく眠っているので、訓練ができる。

 

「ふう……っ」

 

 霊魂の入り口の胸部を意識して気魄を体内に巡らせて練り上げ、外部へと放出する。

 ──《流月》、成功。

 

 放出した気魄を周囲の空間へと巡らせ、周囲の魔力を支配する。

 ──《統巡》、成功。

 

 周囲の魔力をからめ取り、大地と五体を使って原素を取り除いて浄化、気魄と練り合わせる──。

 

「っと、ととと……!」

 

 ところで膨れ上がっていく蒼白い雷霆。法力が暴れだし、制御できなくなった青光りを空間へと放出する。

 

「──うーん」

 

 やはりうまくいかない。

 

 制御していてもどこかで気魄や魔力と触れあって体内で爆裂しようとする。

 

 セティシア曰く、気魄か《統巡》で取り入れた魔力の練りが甘いとのこと。

 

「うーむ」

 

 《統巡》を使い、魔力を集めて体内に入れ込む。

 

 ──吸われる様子はない。

 

「なるほど、やっぱり自分の魂から出た魔力以外は吸い取ろうとしないんだな」

 

 俺は得心がいった。

 

 ──魔力っていうのはね、イルク~。すっごく、すご~く薄まった気魄なんだよ。気魄のごく一部、千分、いや万、もしかしたら億分の一もありえるかな~? 骨髄と血液の関係性に近いかな。

 

 

 ──他所の型が違う血液を入れても体内ではうまく作用しないだろう? それと同じで、《統巡》で取り入れた魔力を体内に入れても吸収されることはないと思うよ~。

 

 セティシアの説明だ。

 何故成功しないのかと頭を捻っているときにくれた説明だが、それを考えれば巧くいかないのには納得がいく。

 

 俺には魔力を操作するという誰しもが持っているという感覚、『第六感』が欠如している。

 

 そりゃそうだ。ないものを操作しようだなんて無駄の極みだ。身体に覚えがあるはずもない。

 

 よく考えれば魔力を得ることに躍起になってばかりで、そのあとの魔力操作について何も考えていなかった。

 

 読んだ本の中身はすべて覚えているけど、魔力操作に関する本はあまりなかったな。

 

 気魄の操作ならお茶の子さいさいだが、魔力と気魄では操作感が違い過ぎる。

 

 気魄を操れるし、と思って魔法術式を紙で書いてみたけど、魔法が爆発したことから性質がまるで違うものなんだってことがよくわかる。

 

「感覚はまるでだめ。なら理詰めで考えてみるか」

 

 口に出しながら考えるのはいい。

 思考がまとまりやすい。あの御方からは人がいる前ではやらない方がいいとお叱りを受けたことがあるが、今は人など見当たらない。

 

 まあ問題ないだろうと考え、修練場を後にする。

 

 向かうは図書館。

 

 そこでいろいろと調べていってみよう。

 

 

 ──セティシアの事も気になるしな。

 

 自分の研鑽は後でもいいが、セティシアの症状をよくする何かが図書館の書物にはあるかもしれない。

 

 セティシアは自分でなんとかできる、と言っていたけど、苦しいことを長引かせる方が酷だろう。

 

 ──俺にもできることがあるかもしれない。

 

 首に垂らしていたタオルで顔を拭い、絞って洗濯籠へと放り込み、蒼い神殿の回廊へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 図書館。

 

 寝殿造りと呼ばれる横長の神殿の東部分、いわば本殿から出たところを左に曲がった場所にある。

 

 中は外見のそれよりも五倍は広く、空間が拡張されているのがわかる。

 

 それにしても……。

 

「真代の時代からあるからか、やっぱり多いな。()()()

 

 きょろきょろと見回してみれば大概は日本語と呼ばれる異世界の言語だ。

 

「確か真代の時代に悪魔。真霊っつー化け物が世界の外からやってきて、その対処として異界の戦士を呼んだんだっけか」

 

 昔、本で読んだことがある。

 

 異世界から召喚された鍛冶師であり、戦士であり魔法師でもある者を呼び寄せて、創世神が加護を与えた存在。

 

 確か名前は千金是打(ちがねこれうち)。役小角って名乗るときもあったらしい。

 

 世界を救った【十二真傑】を結成し、悪魔の軍勢を追い払ったとかなんとか。

 

「うげえ、やっぱり読めねえのもあるな……」

 

 ぺらぺら、と巻き物を捲ってみるも、やはりよくわからない文字列だ。

 

 漢字ってのが多すぎる。それだけならまだしも、真代文字とか超々古代の文字まで入り混じってるから、なにがなんだかさっぱりわからない。

 

 いや、待てよ……。

 

「《統巡》」

 

 片手を掲げて周囲の力場へ干渉、そして支配する。

 がたがた、と音を立てて巻き物、冊子、記録宝晶と図書館にある半分以上の書籍。

 

 総数四千以上。

 

 それらが目の前で宙に浮き、一斉に開かれる。

 

 巻き物は紐の封を解き、本は音を立てて開け、記録宝晶は情報を直接脳内に照射させる。

 

「…………」

 

 つう、と鼻血が唇を伝う。

 頭が熱い。眼の奥が灼ける。パチパチと頭の奥で火花が散るような音がする。

 

 理由は明白。一面に開かれた情報量は圧倒的で、視認こそできるが脳みそが処理しきれていない。

 

 つーか脳に焼き付けられる情報が複雑すぎる。映像じゃなくて文章に変換するように設定したのは俺だが、理解できない言語を焼き付けられると脳がショートしそうになる。

 

「──《流月》」

 

 しかし、しのごの言っていて何になる。

 こんなの、セティシアの背負ってる苦しさと比べたら毛みたいなもんだろ。

 

 《統巡》で力場を保ちながらショートしそうになる脳を治癒、活性化させ、並行して真代の文字の解読作業を始める。

 

「しかし……」

 

 真代文字はアイネイアス家でも誰も解読できていない。

 そりゃそうだ。この時代は世界の命運をかけた戦いが巻き起こっていた。

 

 資料を残す余裕もないだろうし、暗号化しなければ作戦が漏れる。

 

 少ない資料。残った暗号化された資料。この星に残る真代の遺跡・痕跡が僅少であること。

 おかげさまで聖教国の学術機関、【叡智の学堂】でもほとんど解読が進んでいない。

 

 だが俺ならやれる。

 ここまで揃っているのなら、全文解読に八時間程度もあれば用意だろう。

 

(──まずは全体の本の把握……。っつ、頭痛凄いな……Bー132番の252頁の文字列の象形は形が少し崩れている。この崩し方はZ-87番の宝晶記録521頁目と酷似。一部知っている真代文字と表現が似ているが、このままの表現では意味が不明になる。それなら日本語の本から読み解いていこう。……ビンゴ、文法が似たような崩れ方。こっちの方がわかりやすいな。それならこっちで読み解いて鍵を作って復号させたほうがいい。ええと……)

 

 書くものを用意し、目の前の文字列を書き直し、それをフル回転させている脳で覚え込んで訳し、翻訳を進めていく。

 頭の出来ならアイネイアス家の老人共よりずっと巡りがよい自信がある。

 

 似たような記述事項が多いので、思ってたよりも楽に解読できそうだな。

 

 

 

 ──大体一時間後。

 

「よし、真代文字の解読、暗号の鍵は恐らくこんなもんだろう」

 

 ぱたん、と羽ペンをペン立てに突き刺し、浮かせていた本の力場を解いて机の上に並べる。

 

 乗り切らないものは床へ積み上げるも、あまりに量が多すぎてあちらこちらに本の塔が出来上がっている。

 

 お、流石は魔導が今より栄えていたころの本が記録されていた図書館。

 

 ひとりでに本が図書棚へ戻っていく。

 いいなー、【シェイバット大図書館】もああいう機能があれば、管理者のあの御方も苦労しなくて済むだろうに。

 

 さて、では読むか。

 

『迷宮』 『蒼輝神』 『宇宙』 『戦艦』

 

 最後に訳し終わった、どの本にも頻出していた言葉を並べた紙を横へよけ、本格的に読書を始めていく。

 ええと、なになに……。

 

「──『罠だった。これ全部、僕を騙すための、仕留めるための罠だったんだ』」

 

 どこか聞いたことがある言葉と一人称を聞き流し、違和感を覚えて本のタイトルへと戻る。

 

 それ、は──。

 

「なんだ、これ……」

 

 蒼い表紙が黒く染まった羊皮のようで。

 表題に書かれている真代時代の文字は、あまりにも聞き覚えのある単語で。

 

 あまりにも、衝撃的で。

 

「……『【蒼輝神】セティシア・■■■■■の最期』」

 

 ひゅ、と息を呑む音が肺から漏れる。

 

 恐る恐る、この本の裏側へと手を這わせ、反転させる。

 

 これが魔導書の類であることは理解している。

 なら、その裏側に魔導書の分類が記されているはずで──。

 

「『記憶、録書』」

 

 ぎ、と心臓が締め上げられるような感覚。

 

 記憶録書。

 魔法師が遺言や今際の言葉を遺す為に作られた、思念が刻まれた魔導書。

 

 なら、あのセティシアは。

 

 いったい、なんで──。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

『僕は、あの方に認められ、名の一部を与えられた最高神だった』

 

 

『創世神の一角であるいと高き水、【世界の権】と呼ばれる蒼の創世神の名を冠することを許された僕は、あの御方の力となれるように世界の循環、世界を巡る水の管理を任された』

 

 

『遠くの空に離れた人々や生き物を運び、世界の循環を担う世界を管理する力、【蒼輝神】へと至った僕はできうるかぎり励み、世界は大いに栄え、愛しき僕の民たちは大いに栄えた』

 

 

『闇の創世神にして魔法神オクロ・エレス様の計らいでひとびとに魔法の叡智が与えられ、世界は全盛の光で包まれた』

 

 

『そこが全盛だった』

 

 

『外なる者……真霊、悪魔と呼ばれていたやつらが世界の中へ踏み入ってきたのを契機に。人も神も等しく三分の一に減った。僕らは必死に戦ったけど、それでも戦況を変えることはできず、じりじりと同胞や民らが散っていくのを見ていることしかできなかった』

 

 

『土の創世神のアルメ・ガファ様が異世界から状況を回天させうる勇士を一人、雷の創世神のアルメ・オトル様と共に召喚した』

 

 

『そこからは快進撃だった。彼が図を作り、古の竜が命を捧げ、ドワーフが鍛え、小人が叡智を刻み。神々が祝福した【赤戦神艦(せきせんしんかん)】に乗り、僕は、僕たちは五部の状況まで戦局を回復させた』

 

 

『そうして、僕はあの御方に。僕に名をくれた蒼の創世神に、死地へと送られた』

 

 

『罠だった。あの御方の領域へ迫る外なる者を撃退しようと船と僕が向かったこと。これら全部、僕を捨てるための、騙すための罠だった』

 

 

『キミはつまらないなァ。そう言って無尽蔵に湧き出る外なる者を排除した消耗した僕を、その腕で貫いて、与えてくださった僕から名を、権能を取り上げて外なる者の群れへと僕ごと捨てた』

 

 

『どうして? なぜ? 何がお気に触ってしまったのだろうか。僕は、貴女様のために戦っていたのに……』

 

 

『次に目覚めたときには、ここにいた。外に出ることができない、僕の故郷の形をした牢獄へ』

 

 

『あの熾烈な戦いがどうなったのか、僕は必死に調べた』

 

 

『結果は、人々の勝利だった。聖剣を携えた【勇者】と、創世の原初、混沌を宿した【月王】、鍛冶師たちで構成された【十二真傑】と呼ばれる集団による勝利』

 

 

『はじめは喜んだ。嬉しかった。けれど、代償として僕の身体は外なる者に侵され、名を失った僕はあらゆる人々から忘れられ、外なる者として認識された。結果として』

 

 

『僕は、外なる者としてこの迷宮に封じられていた』

 

 

『迷宮……。人類にとって、今を生きる人々にとって害となる存在を閉じ込め、命と力を吸い上げて人々の糧や宝となる者を生み出す、敗北者の牢獄』

 

 

『僕は、僕は……。愛する民たちから忘れられ、力と命だけを吸われる機構として、崇められることなく、忌み嫌われる外なる者として酷使される。零落した僕では、外なる者への浸食を止められない。いずれは人々に牙を剥くのだろう』

 

 

『嫌だった。酷使される事実よりも、愛する皆に忘れ去られ、捨てられた事実に。愛する人々へ獣のように襲い掛かる自分のおぞましさに。僕は耐えきれなかった。だから、迷宮の門を閉じた。知らない存在として扱われるのが、何よりも怖くて、寒い』

 

 

『──もう僕に、救いなんかいらない。だから、誰か』

 

 

『僕を、滅ぼして』

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

「──そうか」

 

 セティシアは、もう折れてしまっているんだ。

 

 心の大切な部分が、きっともう折れている。

 

 誰かを恨むこともできなくて、ただ真代から自分の不出来を責め続けていた。

 

 自分の命をすり減らしながら。誰よりも強いから、誰かを恨むことすらできなかったんだ。

 

 俺とは比べ物にならない。

 

 忘れてしまった誰かに縋って生きてきただけの俺と、忘れられても誰かのために自分を抑え続けたセティシア。

 

 迷宮に封じられた人が、迷宮を閉じ続けるのは並大抵の努力じゃない。

 

 迷宮は……。ここは、強者を衰弱させ、弱者に狩らせるための肉へ返る場所。

 

 その無理が、迷宮を閉じ続けるに足る踏ん張りがもう効かないのだろう。

 

 俺を襲ったあの獣がよい証拠だ。セティシアはもし仮にこの危険な場所に誰かがまよいこんだとしても無事にいられるように、迷宮を閉じることで誰かを襲われることもないように。

 その力を抑えていたのだろう。

 

 しかし、もうセティシアは限界だ。

 

 迷宮は恐らく、少しずつ開き始めている。

 

 迷宮が開いたら、必ず誰かがセティシアを殺しにやってくる。

 

 何故か。迷宮とは強者の肉。

 

 封じた強者の命や力を搾り取って弱らせ、やってきた弱者に狩らせる。

 

 狩った弱者は、具象化した強者の力を道具として得ることができる。

 

 ──迷宮特典と言う形で。

 

「お、え……っ」

 

 吐き気がする。

 

 誰かに殺させるのか?

 セティシアを? 恩人を?

 

 彼女を知らない、忘れたまま放置し続けたやつらに?

 

「──耐えられない」

 

 俺には耐えられない。

 見ず知らずのどこの馬の骨とも知れないやつに、ここまで尽くしたセティシアを殺させる?

 

 無理だ。

 想像するだに恐ろしい。

 

 ならば、苦しみ続けるセティシアを見続ける?

 

 できない。そんなことはできない。

 

 ならば、ならば、ならば──。

 

「俺が、殺す──?」

 

 それこそ、それこそできない。

 

 だけど、誰かに殺されるぐらいなら──。

 

「──やら、なきゃ」

 

 思いながらも、口にしながらも。もう立てない。

 

 俺は、もう蹲ることしかできなかった。

 

 何も、考えたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 





 もう何も見たくねぇ。

 申し訳ありません、ちょっと体調を崩してしまい、更新が遅れてしまいました。

 次回、最終回です。
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