蒼の忘録   作:鹿鳴弥

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夜明け 蒼の忘録(アンコール)

 

 

 

 

 

 

 

「──あ」

 

 黒影が砕ける。

 セティシアを包んでいた異形が、割れる瓶の様な音を立てて砕けた。

 

「セティシアッ!」

 

 セティシアが崩れ落ちてきた。

 纏わりついていた影を《統巡》で払って、セティシアの身体を受け止める。

 

「あ……」

 

 セティシアの胸に、大きな穴が開いていた。

 血はほとんど流れていない。ぱき、ぱきと胸の周囲が灰のように白く、塵になっている。

 

 もう、流れ出る血すら無くなっていた。

 

「イ……ルク」

 

 眼を閉じていたセティシアが眼を開ける。

 

 黒い片目は左目と同じ黄金の彩になっていて、元の黄金色に染まっていた。

 

「あ……りがと、ね~……」

 

「いい、しゃべらないでっ! いま治療を……!」

 

 ふるふるとセティシアが首を横に振った。

 

 なんで──。

 

「霊魂のほとんどが、ね……。《蒼霆》で無くなっちゃったから……。もう、治らない、かな~……」

 

「ッ……!」

 

 わかってる。言われなくてもわかってる。

 

 セティシアが永くないことなんて、視るまでもなくわかってるんだ。

 

 腕や足の指が音を立てて砕けていくのを、崩れているセティシアの欠片を拾い集めても砂になっていくのを見れば、そんなことはわかってる。

 

 でも、でも……!

 

「何か、何かあるはずなんだ……! セティシアが治る、何かが、絶対に……!」

 

 こんな俺でも魔力を操作できた。

 

 失敗作だって、皆から蔑んだ目で見られていた俺でも、ほかの誰も知らない<蒼仙法>を覚えて、夢みたいな力を、夢見ていた以上のものを得ることができたんだ。

 

 なら、セティシアが治る方法もきっとある、あるはずなんだ……!

 

 じゃなきゃ、俺は……!

 

「嫌だ、嫌だよぅ……! 逝かないで。逝かないで、くれ……!」

 

 また、一人に……!

 

「ごめんね、ごめんね~……」

 

 ぱき、ぱきと壊れていく手で、セティシアは俺の頭を撫でた。

 

 ただ、その仕草だけであんなにきれいだったセティシアの手にひびが入る。

 

 ぎり、と歯を食いしばる。

 目から溢れたものがこぼれないように。

 

 俺がやったんだ。

 俺が、セティシアのことを殺したんだ。俺の手で、セティシアを──。

 

「……セティシア」

 

 だから、せめて。

 

「俺にできることは、してあげられることはないか」

 

 せめて、罪滅ぼしくらいは──。

 

 きょとん、とした感情を浮かべた後、セティシアは静かに笑った。

 

「ピアノ──」

 

 

「イルクの、ピアノが聞きたいな」

 

 ──。

 

「ああ、わかった」

 

「行こう」

 

 俺はゆっくりと、大切なものを扱うようにセティシアを持ち上げる。

 

 ──こんなに、軽くなっちゃった。

 

 ぐ、と胸からあふれてくる熱い激情を抑え、ゆっくりと歩く。

 

 ピアノがある部屋、セティシアの寝室へ。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 

 歌が聞こえる。

 

『いつくしみ深き、友なるセティシアは──』

 

 僕を讃える歌を、『蒼』を、僕を知る唯一の弟子が詠う歌が、少しずつ透明になっていく意識の中でも確かに聞こえる。

 

 僕の魂に憑いていた真霊は、イルクの《蒼霆》によって完全にこの世から消え去った。

 

 胸の奥から身体を汚泥が犯すような感覚もない。臓腑が呪力によって腐る感覚も、臓腑を破壊して造り直す激痛も無い。

 

『我らの誉れとなり、深き蒼と輝くような愛を与え給わん』

 

 名を奪われた僕を覚えている人は誰もいないと思っていた。

 僕が僕であると証明できる、無二の物を失くしてしまったのならば、世界から見ればこの世に存在しないのと一緒だ。

 

 だけど、イルクは。この歌だけは。

 

『悩み、かなしみに沈めるときも』

 

 僕を、覚えていた。

 

 イルクも誰もこの歌の意味は知らないだろうけど。それでも僕の一部が、僕と言う存在がかすかにでも残っていることにどれだけ救われたか。

 

 僕は、『わたし』は完全に忘れ去られたわけではなかった。

 

『大いなるルクライト。蒼の神(ルク・ライト)。セティシア・ルクライトよ』

 

 セティシア・ルクライト。

 

 それがわたしの名前。青の、人の可能性を示す(ルク)(ライト)

 

 ねえ知ってる?

 イルクはね、深い青(イ・ルク)って意味なんだ。

 わたしの失くしてしまった、魂の名前の一部なの。

 

 こんなものを貰っても、イルクは。フレドリクスは困るだけだよね。

 

 ずっとフレドリクスの肩は震えてる。

 

 涙をこらえて、ただ僕のためだけにピアノを弾き続けている。

 わからない真代の言葉を、懸命に歌い上げている。

 

 わたしの、わたしだけの業を教え込むことができた、ただひとりの子。

 

 ──ああ、いとおしいな。

 

「フレドリクス」

 

 彼の名前を呼ぶ。

 驚いたようにこちらを振り向いた彼の頭に、静かに手を置く。

 

 思うように動かず、震える手を動かして、最期の力を振り絞った。

 

「《蒼霆》」

 

 フレドリクスの頭に極小の蒼い稲妻を撃ち込み、彼の枷を解く。

 

「セティ、シア……?」

 

「フレドリクス……。きみの、封じられていた記憶の枷を、わたしのところにとどめておく枷をいま、解いたよ」

 

 ああ、ちゃんとできてよかった。

 

 離れてほしくなかったがために、わたしのエゴのためだけに見てみぬふりをしていた、彼の記憶にかけられた枷を解く。

 

 これが、わたしの最期にする、しなきゃいけない仕事。

 

「だから、わたしのことは忘れて。フレドリクス、きみはその人のところへ──」

 

「忘れない」

 

 イルクは歌うこともやめて、わたしの肩を掴んだ。

 

「絶対に、絶対に忘れない! 俺はフレドリクスじゃない! 違うだろ、なあ……!」

 

 わたしに縋りつくようにフレドリクスは顔をうずめた。

 

「イルクだろ……。俺の名前は、イルクだろうが……!」

 

「あんたがくれた、俺の名前だろ……!」

 

 ──ああ、本当に。

 

「……かわいいなあ、イルクは」

 

 ──君に会えて、君に終わらせてもらえて。

 

 よかったぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 掴んでいた肩は、しがみついていた身体は塵になって消えた。

 

 セティシアは、この瞬間に息絶えた。

 

 

 

 ──黒晶級迷宮、堕神【蒼の忘録】の討伐を確認。

 

 ──討伐者:フレドリクス・アイネイアス。

 

 迷宮特典:【蒼録恋謌(そうろくれんか)】を討伐者、フレドリクス・アイネイアスへと贈与。

 

 ──討伐、ありがとうございます。貴方の活躍によって、世界は一歩平穏へと近づきました。

 

 

 脳裏に淡々とした事務的な声が響く。

 崩壊が始まった。

 

 宮殿が、闘技場が、寝所が。何もかもが崩れていき、瓦解が始まる。

 俺の想い出が、俺の過ごした日々が、俺の大事なものがセティシアの身体のように塵へと変わっていく。

 

「……なにが、平穏だ」

 

 脳裏に響いた言葉に、俺は噛みしめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 気が付けば、俺はセティシアとすごした迷宮の外、味気ない洞窟へと戻っていた。

 

「……」

 

 扉だけが壁面に残っている。

 静かに、その扉を開く。

 

 扉の先には、一寸先も見渡せない闇。

 

 本能的にわかる。

 この先には、俺の大切だったものは何一つ残っていないと。

 

「──リクス。フレドリクス!」

 

 洞窟の入り口から、懐かしい声が聞こえる。

 

「──いた! フレドリクス!」

 

 青銀の髪。

 俺と同じくらいの背丈。

 

 夏の風鈴の様な涼やかな声。

 長く伸びたエルフの耳。

 

 深い海の底のような紺碧の瞳。

 

 俺を見出だしてくれた、恩人の中の恩人。

 

「やっと見つけた」

 

 魔導の主家、アイネイアス家が御意見番にして世界最古の枢機卿。

 

《蒼銀》の二つ名。

 リヴェータ・ロット・アイネイアス。

 

 世界最巧の魔法師へ、俺は静かにひざまずく。

 

「お久しぶりでございます。リヴェータ様」

 

 リヴェータ様は靴音を立てて歩み寄り、片膝をついて俺の頬に触れた。

 

「遅くなって、守ってあげられなくてごめん」

 

 リヴェータ様は俺に視線を合わせて語る。

 

「いいえ。いいえ、リヴェータ様。貴女様が俺を覚えていてくれた。それだけで感無量でございます」

 

「お世辞ばっかり。それにしても──」

 

 リヴェータ様は細い眉を顰める。

 

「──傷を負ったのね、フレドリクス。良き出会いと、別れが」

 

「──ええ」

 

 リヴェータ様は「そう」と小さく呟くと、よしよしと俺の頭を撫でた。

 

「その服は──」

 

 リヴェータ様が俺の新しく纏った礼服へ手を伸ばす。

 

 ──ッ!

 

「触らないでっ!」

 

 思わず、その手を払いのけてしまった。

 やってしまった。何より尊き御方に、無礼な真似を働いてしまった。

 

 だけど、譲れない。触らせられない。これは──。

 

「──これは、形見なのです」

 

 ぎゅ、と俺を優しく包み込む服、迷宮特典【蒼録恋謌】を握りしめる。

 

「そう。不躾な真似をしてしまったようね」

 

 リヴェータ様が俺に静かに頭を下げた。

 

 一昔前の俺ならば、恐れ多いと慌てていただろう。

 

 しかし、なぜかそういうことをする気にはなれなかった。

 

「──ここは冷える。屋敷へ戻ろう、フレドリクス。大丈夫。わたしに歯向かった老人たちはエリスに粛清させた。だから──」

 

「恐れながら、リヴェータ様」

 

 俺は覚悟を決め、思いのたけをぶつけた。

 

「俺は、もうフレドリクスでは。フレドリクス・アイネイアスではありません」

 

 

「ただの、イルクです」

 

 訣別の意思を、静かに伝える。

 

 わざわざ探して迎えに来ていただいたリヴェータ様に断る言葉など、俺には持ち合わせていない。

 

 だが、それでも俺はやるべきことがある。

 

 ──奪われたセティシアの名を、取り戻さなければならない。

 

 リヴェータ様はわずかに驚いたような顔をしたが、わずかに微笑み、こういった。

 

「──そう。イルク。深い青(イ・ルク)。いい名前」

 

 リヴェータ様はそう言うと踵を返し、俺に背を向けた。

 

「それじゃあね、イルク。困ったときはわたしのもとへおいで」

 

 

「家族ではなく、友として」

 

 

「わたしはいつでも待っている」

 

 

 そう言うとリヴェータ様は転移魔法の魔法陣を描き、この場から消え去った。

 

 しん、と元の静寂が洞窟を満たした。

 

 

「……行こう、セティシア」

 

 俺は服に触れ、小さく囁いた。

 

 服が、わずかに揺れた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 少年は征く、最愛のシを身に纏いて。

 大変お待たせいたしました。
 【蒼の忘録(アンコール)】、これにて完結でございます。

 ここまでお付き合い頂き、バチクソ感謝です。

 今後は同じ世界観の短編や長編をちょくちょく投稿していこうと考えています。

 イルクことフレドリクスのその後や、セティシアの名を奪った者。リヴェータ枢機卿の過去なども書いていこうと考えていますので、お手隙でしたらおつきあいください。

 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
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