北側諸国や北部高原と言った北と名の付く地域では、その冬の凶悪さが特徴として外せない。
仮に山越えでもしようとすれば北部入り口の時点で猛吹雪に埋もれ、屈強さに自信のある冒険者でもあっという間に遭難凍死のコンボが決まる。大陸最北端にある魔王城を目指した千年間の魔王軍との戦いで最も多くの人間を殺したのは、北側諸国の冬とも言われているほどだ。
そんなかつての冬に半年間の足止めを受けた事を思い出し、風に身震いを引き出されたフェルンはマフラーへ深く顔を沈めていた。
勇者ヒンメルの死から三十一年後。
北部高原、ヴィッセン山脈。
地上を下に見下ろす崖と、山の森林の隙間に敷かれた山道を三人は歩いていた。
最前を歩くのは最も背が低く最も歳が上の銀髪のエルフ。かつて魔王討伐を成し遂げた伝説の勇者の仲間であるフリーレンだ。
その後ろに紫色の長髪を靡かせながら続くのが、フリーレンの弟子であり一級魔法使いの資格を持つ手練れの少女フェルン。そして彼女と同じく伝説のパーティの師匠を持つ赤髪の戦士シュタルク。その計三名の一行だ。
このパーティには他にザインという僧侶の男も居るのだが、目的地の擦れ違いによって現在は同行していなかった。
しばらく歩いていると、フェルンの傍に手紙を咥えたリスのような動物が近寄ってきた。足を止めフェルンは手紙を開けると、中の書面を読みながらフリーレンに声を掛けた。
「フリーレン様、大陸魔法協会からの依頼が来ました」
「内容は?」
「この付近で目撃情報が出ている魔族の捜索と討伐依頼だそうです」
先頭から踵を返しフリーレンが近寄ってくると、フェルンは手紙を彼女に渡した。
「……なるほど。確かにこれは面倒な相手だ。ゼーリエが自分でやればいいのに」
「フリーレン様」
「分かってるってば。冗談だよ……」
落ちたトーンの声でフリーレンがぼやくが、フェルンが一声呼ぶと彼女はすぐに不機嫌を別の不機嫌に引っ込めた。
依頼書をしまいながらフェルンは魔力探知の範囲を広げるが、フリーレンは迷わずある方角を向く。
三人が歩く道は森と崖に挟まれた道であり、崖の反対側の森をフリーレンは見ていた。その様子に気付くとフェルンが尋ねる。
「何か見つけたのですか?」
「実はさっき天脈竜から降りた時に、上から気になる場所を見つけてたんだよ。そこに居るとは限らないけどまあ手始めにね」
彼女の言葉をひとまず信じ二人は森を分け入るフリーレンの後ろを着いて行った。
少し歩き、獣道を見つけて若干足場がマシになってくるとシュタルクが尋ねた。
「なあフリーレン、相手はどういう奴なんだ?」
「いまいちよく分からない奴、かな」
フリーレンが歯切れの悪い返事をすると、フェルンもそれに同調するように話す。
「確かに転生者テイターって名前自体もですけど、どういう戦い方をする魔族なのかの情報も滅多に聞きませんね。勝利してはいけないとか、強い冒険者ほど敗けやすいとか、そんな曖昧な話ばかりです」
「確かにテイターへの対抗策として、情報を隠したまま誰も挑まないようにするというのは、一定の効果があるかもね」
やけに物知り声で語るフリーレンにシュタルクは尋ねる。
「フリーレンはそいつの魔法の正体を知ってるのか?」
フリーレンは足元の柔らかい土の傍でしゃがみ、浅い足跡を見つけた。それは少しだけ奥に続いていたが、肉眼で捉えられるのはほんの数歩分だった。
それを見てフェルンが足跡を追跡する魔法を使い、地面に点々と残る足跡から青い光の煙が浮かび上がって、三人はそれを追った。
フリーレンが質問の続きに答える。
「殺された者になる魔法。自分を殺した相手の精神を乗っ取る事で転生するんだ。しかも現場か魔力を見れないと誰が入れ替わったのか分からない。奴は今まで最低でも五つの村と一つの都市に壊滅的な被害を出しているけど、都市の時は疑心暗鬼に陥った人達の内乱が原因の被害だった。だから混乱を避けるために詳細を伏せて、勝者殺しの噂だけを広めてるんだよ」
「どうやって倒すんだよそんなの……」
慄くシュタルクに、少しだけ不機嫌そうにフリーレンは教える。
「テイターを倒す役割の人が先に自ら致命傷を負った状態で倒すという方法なら、乗っ取られた先でそのままテイターも死ぬとは言われてるよ。ただ自分が犠牲になる覚悟があっても、周りがその人の犠牲を許容するとは限らない。だからこの作戦は私が知る限り今まで一度も試されていない」
「なんだよその作戦。というかそもそも致命傷を負った状態じゃ魔族を倒せないだろ」
何気なくシュタルクがそう指摘すると、二人は立ち止まりシュタルクの体に湿った目を向ける。
「……普通はそうですね」
「何で今俺を見たの?」
感想はフェルンの冷たい一言だけだが、また歩き出してフリーレンは疑問に説明を続ける。
「まあシュタルクじゃなくても、実はテイター自体はそんなに強くないから、その時使ってる肉体次第では普通の人でも割と簡単に倒せちゃうんだよね。人や村を襲う時も必ず他の魔族と行動してる。純粋な実力で言えば私が戦ってきた中では最弱の大魔族だよ」
「でも普通に魔法で倒したら駄目なんですよね……フリーレン様は確か精神防御を持ってましたよね、あれで防げないんですか?」
フェルンが確認したのは、一級魔法使い試験に於いての一幕の事だった。
フリーレンの複製体を倒すための方法論の一つとして、拘束魔法や精神操作魔法をフリーレンに試す機会があった。その時に精神操作を試みたメトーデも、試験ではフェルンの複製体を一人で相手に出来るほどの卓越した魔法使いだったのだが、それでもフリーレンの精神防御は破れなかった。
だが今回それを試みるのはリスクが高過ぎた。
「私の精神防御も破られる事が無い訳じゃないからね。もし破られたら一発で負ける。流石に試したくはないかな」
事実フリーレンの精神防御は無欠ではない。後に女神の石碑に触れて過去に飛ばされた先でグラオザームと対峙した時には、精神防御を破られ完璧な幻覚の世界に彼女は囚われてしまう。
「そもそも今までどうやって被害を抑えてたんだ?」
シュタルクの疑問は尤もだが、フリーレンは首を振る。
「抑えていない。私の封印も破られた前例があるし、そもそも相手は抵抗するのにこっちは碌に応戦出来ないからね。だけど自分から人を襲う事が極端に少ない。なんだかんだで挑まず逃げるのと、方法が無い時は見つけても関わらせない事が一番被害を抑えられてるかな」
「自分の魔法に拘りがあるって事か」
「……そうだろうね」
彼の納得をフリーレンは訂正しなかった。
森の中を進むと、やがて廃村が見えてきた。
石造りの建物らしき影もある少し大きめの村だったが、崩壊してかなりの年月が経っていた。
中でも一軒だけ、修繕され建物の体裁を保っている家があった。庭には割られる前の薪木が積まれ、よく手入れされた伐採斧も立て掛けられている。その建物の室内に一人の人間が居る事を魔力で探知すると、フリーレンが前に出て玄関をノックした。
数秒してすぐに室内から足音が聞こえ、扉が開かれた。
「……どちら様でしょうか」
そこに居たのは無精髭の生えたやや筋肉質な中年の男だった。彼は三人を見ると、不揃いな髪をぐしゃぐしゃと掻いて驚きと不機嫌の混ざった表情をした。
そしてその間フリーレンは室内に目を向け、壁に所狭しと貼られている紙に書かれた文字を睨むと彼に向き直り言った。
「道に迷ってしまって。街道がどっちか分かりますか?」
シュタルクが「えっ?」と声を漏らすと、隣に居たフェルンがすぐさま彼の裾を掴み視線で口を噤ませた。
男は鼻から短く溜息を吐き、フリーレン達が来た方向を指差して答えた。
「そっちの方にまっすぐ行くと街道がある。崖もあるから気を付けろよ」
「ありがとうございます」
短く礼を言うとフリーレンは元来た道を戻り、その後ろを不可解そうな顔のシュタルクと無表情のフェルンがまた着いていく。
街道まで半分くらいの距離まで来ると、シュタルクが我慢出来ずに訊いた。
「なあフリーレン、なんでさっきの人に街道への戻り方だけ質問してきたんだ? もっと色々話訊かなくて良かったのか?」
「うん。訊かなくて良かった。あいつが今のテイターだよ」
淡々と答える彼女にシュタルクの驚愕が遅れた。
「マジか!? 魔力で分かったのか?」
「それもだし、見た目の特徴も目撃証言とほぼ一致する。実はテイターは魔法以外では、外見を変えて変装するような事を全然しないんだ」
「なんでだ?」
「病や寿命までに殺されないと死ぬからだよ。だから人類に紛れている時も何度も同じ理由で魔族だとバレてるのに対策をしないし、その度に奴の魔法の犠牲者が出て奴の残り時間はリセット。テイターは常に殺される余地を残しているんだ」
「それだけですか?」
フリーレンの説明に懐疑的なフェルンに少し微笑み、フリーレンは追加の説明をする。
「部屋にあったメモの文字でも分かった。私が前にテイターと会った時もあいつは独自の言語を使っていたからね」
「フリーレン様は前にもテイターと戦った事があるのですか?」
少しだけ相手に怯える様子を浮かべフェルンは確認する。そしてフリーレンは後ろめたいような目で答えた。
「正確には私達は戦ったわけじゃないんだ。その時もたまたま立ち寄った村で人間に混じって奴は過ごしていた。私もヒンメル達も、肉体の持ち主の知り合いが偶然現れるまで、テイターの事を魔族だと思わず普通に過ごしていたんだ。結局ちゃんとした倒し方が思いつかなくて封印したんだけど、村人の中には封印を解くべきだと主張する人も居たくらいだったよ」
フリーレンが語るその魔族の在り方の異質さに、二人は直近の事件を自然と重ねる。
黄金郷を作り出す前のマハトも、こんな風に受け入れられていた時期があったとされている。逆に言えば現在は人類に対してほとんど無害なテイターも、時を経ればマハトのように本性を一気に現すだろう。
「一旦戻ったのはあの場では倒せなかったからですよね? 結界で閉じ込めたりしなくて大丈夫なんですか?」
心配そうにフェルンが尋ねる。
「出来るだけ油断させておきたいからね。それにテイターは別の地域で目撃されてた頃に結界へ抵抗した事があるんだ。人間の体の時のテイターを閉じ込めて餓死させようとしたら、自分を閉じ込める結界を無理やり通ろうとして死んだ事で、結界を掛けた魔法使いが乗っ取られた事があったらしいよ」
あくまでも冷静にフリーレンは説明するが、それを聞いた二人はその生への執念に気持ち悪いほどの魔族らしさを感じていた。
小屋の中でテイターは頭を抱えていた。
遂にこの日が来てしまったのだ。
(……人間の肉体に居る間は魔族の頃と違って普通に記憶が薄れていく。その所為でそろそろ時期だったのをすっかり忘れてた。多少人と関わってでも情報は仕入れておくべきだった)
フリーレンと出会ったのは約九十年前だ。テイターも流石にこれを指折り数えて過ごしてはいなかった。
あれから何度か肉体を渡る機会があった。
現在入っているこの肉体は自分を運悪く轢き殺した御者だ。五年前の出来事である。その後この廃村で一人暮らしている内はそれこそ迷子以外ほぼ誰にも会わずに過ごせていた。
そして一人で物事を研究する時、その成果は伸びにくい。
彼は未だに肉体の創生も異世界への転移も実現していなかった。
テイターは部屋の中に貼られた日本語の研究メモを見ながら、虚ろな瞳に沈む。
(あの様子は恐らく俺に気付いてる。大陸魔法協会かどっかからの依頼で倒しに来たと見て間違いないだろう。さっき封印されなかったのは前回俺が逃げたからだろうが、あれはソリテールが居たから解除されただけだ。次封印されれば、倒す準備を整えてクヴァールのように詰んだ状態まで持って行かれる)
テイターはもう、人間の人生二回分を超えようかと言う時間を過ごしている。しかしそれでもまだ、死への恐怖は拭えていない。
というよりもその先が。
誰にも乗り移らず真に死んだ先で待つ『無』が恐ろしかった。
この世界にも天国という考え方がある。僧侶ハイターはこれをあるべきものと呼んだ。
しかしテイターに根差す
そして仮に
「はあーっ…………」
深い息を零しテイターは
だがすぐに彼は机の上の研究資料を集め、まとめて暖炉へ
それらは炎を纏って斑に黒くなり、苦しむように歪に縮んでは焦げ落ちて灰の粉になっていく。その揺らぐ赤い光を瞳に焼き付けながら、テイターは自分の思いを正確に言葉へ
「……悪いがフリーレン、俺は今も死にたくない」
パチンと火が音を立てた。
まだ日が高いうちにテイターは背負い鞄へ荷物をまとめて、自分の使っていた家から出た。だが魔力探知を使うと自分を探知している魔力がある事に気付いた。フリーレンかフェルンの見張りと推察出来るが、彼女達は自分が逃げた後をすぐに追って来たとしても、準備が出来ていない間は倒せない筈だ。
その準備が出来るまでの時間を使ってどうにか逃げ切る事が、テイターの方針だった。
彼は目を閉じてゆっくりと自分の魔力を極限まで封じ込める。アウラと戦った時は半分も抑制出来ていなかったが、それも流石に生きている時間が習得させてくれた。
そしてそれを森の中でフリーレンは察知する。
「まずいな。魔力の隠蔽が予想以上に上手い。これ以上離れると私でも見失いそうだ。先に準備してから探すべきだったなあ。私はこのまま追跡と見張りを続けるから、やっぱりフェルンは魔力使い切ってもいいからシュタルクを早く送ってきて」
「分かりました」
杖を構えてフェルンとフリーレンは別々の方向へ飛ぶ。フェルンは低く森の中を突っ切って崖際の街道へ向かい、フリーレンは森の木々よりも高い高度を飛びながら聞こえる筈もない相手に呟いた。
「悪いけどテイター、私は必ずお前を殺すよ」
夕焼けが空を染め始めていた。