殺された者になる魔法   作:つるもちぷに

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4『死について』

 呼ばれた言葉が自分に向けられたものだとテイターが気付いたのは、修道女がもう一度口を開いた後だった。

 

「エント、どうして帰って来たの……?」

 

 一度目は人違いの類かと思っていたが、その修道女が明らかにテイターへ話していたのを見てやっと思い至る。

 

(まさか、この体の持ち主の知り合いか)

 

 そう内心で思っている内に彼女はすぐ目の前まで駆け寄って、その勢いのままテイターに抱き着いた。

 彼女が付けた勢いを受け止める程度はこの肉体には簡単だった。だが力を入れもしていなかった所為で二歩後ろへ押し戻された。自分より一回り小さい彼女の頭を見下ろしながら、テイターは少し遠慮気味に声を掛ける。

 

「あの、」

 

 その言葉を聞いた途端、彼女の目に滲んでいた涙が飛ぶほどの驚きを瞼の開きが示す。彼女は背中まで回していた手を解いて、彼の顔が見える程度に遠ざかりテイターを見上げた。

 

「……『あの』って、何?」

 

 足元を見失ったような声で彼女は尋ねる。感情が混ざり過ぎて顔付きが無に飽和していた。

 

 何の答えが来るより前に彼女の無意識は可能性を思いつくが、その現実を拒絶したがる頭と心臓が、熱を持ち、凍えていく。その絶望が分かっていた。

 彼女の顔を見たテイターは言葉選びを後悔しながら、だが今更もう変えられないと思い、言うしかなかった。

 

「どちら様でしょうか」

 

 増す耳鳴りが彼女に聞こえる音を潰す。

 

 足の力が抜けて、教会の玄関口で地面にドサッと座り落ちた。彼女を見た村人が事態を収拾するまでの間ずっと、彼女は茫然自失だった。

 

 

 

 

 

 修道女の名前はシーデンと言った。

 

 かつて戦士エントと同じ村で生まれ育ったが、彼女とエントが六歳の頃に村が魔族に襲われて滅ぼされ、逃げ延びた彼らは散り散りとなり数ヵ月前にこの村で再会した。

 それは十二年ぶりの再会で、その時にエントは同じ村に居た頃から抱いていた恋心を打ち明けた。だがシーデンはそれを振り、そしてエントは再び勇者と共に旅を再開した。それが今から二年前、テイターがこの肉体を得る一年前の事だった。

 

 それが彼女を引き取って育てた神父からテイターが聞いた、戦士エントと僧侶シーデンの関係性だった。

 

 テイターは自分が記憶喪失になったという事にした。

 神父に宥められていたシーデンが落ち着いた頃には『戦士エントはパーティを戦闘で失った事による精神的ショックによって記憶喪失となり、この村に流れ着くようにして戻って来た。そして記憶を取り戻す方法を探すために女神の魔法を求めていた』という認識が村中に知れ渡っていた。

 

 ひとまずその日テイターは村の民宿に泊まり、翌朝の早朝に目覚めると戦士の荷物は部屋に置いたまま教会へ足を運んだ。

 

 彼が向かった理由は女神の魔法では無かった。

 ただ何かを確かめなければならない気がしてここに来た。

 

 日が昇る直前の白んだ空が空気を少し冷やし、山の向こうまで灰色の曇天を湛えていた。その不思議な明るさに甘んじる教会の傍まで来ると、建物の角の向こうから待っていたかのようにシーデンが現れた。

 彼女は長く真っ直ぐな紺の髪を持ち、そばかすはあるが可愛らしいと言える童顔の女性だった。

 

「おはようエント、昨日は急にごめんなさい」

 

 友人でも他人でも無い曖昧な距離感で彼女は謝った。

 

「あ、……いや」

 

 もしもこれが本当に記憶喪失になった本人であれば、どれほど答えやすかっただろうか。

 テイターは目を伏せ反射的に後ろめたさを隠した。それを見ると彼女は少し微笑み、さっきの謝罪よりは朗らかな声で話す。

 

「もう聞いたかもしれないけれど、私の名前はシーデン。エントと同じ村で生まれて、前にこの村で会った時にエントから告白されたけど、今はもう聖職者になってたからね。振っちゃった」

 

 その雰囲気に絆されてテイターも少し話しやすくなった。

 

「聞きました。神父様から」

 

 彼の短い答えにシーデンは口角を緩ませながらも、悲しげな瞳を揺らして言った。

 

「本当に別人みたいだね。エントが敬語で喋ってるのなんか初めて聞いた」

 

 テイターの瞳孔が窄む。

 

「……すみません」

 

 経験から直感してそう口にした直後に思った。

 

(……何を謝るべきだ?)

 

 そして考えた後から、謝罪した後に謝る内容を考えるという順序を自分が辿っていたのが自覚出来た。

 この会話の流れに於いて『最も波を立てない返事』として謝罪を選んだ事は間違いとは思っていない。だが、悪いと思っていなくとも何を責められているかが普通は分かる筈だ。それが今の謝罪には無かった。

 

 自分は何を悪いと感じて謝ったのか?

 それが分からない事が正に『感情表現の模倣』だったと気付いた時、テイターの脳裏でソリテールに殺された魔法使いの絶望した眼差しが瞬いた。

 あれが何を見る目だったかを理解した。

 

「気にしないで。私の方こそ、今のエントは色んな事が大変な筈なのに無神経な事言っちゃってごめんね、いつか記憶が戻ったら次はこの会話の事で笑おう!」

 

 彼女は軽やかにそう言ってくれるが、テイターの顔色は更に暗く歪んでいく。世界がバランスを失うような揺らぎがテイターの意識に木霊し、背中を上がってくる感情に貫かれて嫌な頭痛を感じた。

 彼女の悲しみも気遣いも、無理に作った微笑みも、言葉の全てが自分を糾弾し串刺しにする剣のように思えてきていた。

 

 テイターは口だけを先に開き、空気を上手く吸い込めないまま声を出した。

 

「…………ごめん、なさいっ」

 

 零れ落ちた言葉と共に何かが決壊し、テイターは地面に何粒も涙を落とした。

 

「えっ、ちょ嘘、急にどうしたの!?」

 

 突然様子が変わった彼に驚き、シーデンは慌てて周りを見回してから彼を慰め始めた。しかし彼は震える声で呟く。

 

「ごめんなさいっ……俺は、本当は俺が――」

 

 テイターの嗚咽に近い言葉に被せるようにして彼女は言った。

 

「大丈夫だから落ち着いて! 今はエントが生きて帰ってきてくれただけで私十分嬉しいから!」

 

 肺が息を漏らした。

 涙が溢れていたテイターの目が別の感情を放つように開いた。

 彼はシーデンに今ここで全てを打ち明ける事がどういう意味を持つのかを共感してしまった。

 

 

 テイターは今まで、自分が人を殺した事は無いと思っていた。

 

 自分の魔法は『殺されない魔法』であって『殺す魔法』ではないという認識で、主観の体験では最早そうでしかなく、以前にグラオザームも使ったこの言い回しこそが自分の魔法を的確に表していると思い、自分が魔族と同じ認識をしているという状態に違和感を持てなかった。

 この世界に魔族として生まれて以来、自分は常に命を奪われる立場であって、その経験しかなくて、別の魔族が誰かを殺している場面でも自分が殺されない事だけを考え、それを必ず満たすように生きていた。

 そしてそれ以前の世界でも殺人罪を犯した事は無かった。

 

 だがテイターは殺していた。

 

 名前も知らない剣士を。エントという名の戦士を。そしてその仲間達が殺されるのをただ黙って見過ごした。まだ死んでいない村人達を魔族の手から守らなかった。

 

 自分は人を襲わない。魔族とは違う。

 彼らを助ける力は自分には無い。結局死は変わらない。

 今までずっとそう思うだけだった。あの人々が生きている世界もきっと選べた筈なのに。

 

 だからテイターは分からなくなった。

 自分はただ彼を見殺して体を乗っ取った魔族であり、エントは既に死んでいる。そう正直に話すのは正しいのかと苦悩した。

 

 黙ってエントに成り代わる事が許される筈はない。それは間違いない。死体を弄び尊厳を貶めているに等しい非道だ。人間の生き方ではない。そこは痛感した。

 だが剥き身の真実だけを告げても、その結果にあるのはただ自分が楽になりシーデンが苦しむ世界かもしれない。正しさに優しさが伴うとは限らない。誠実さは本質的に自己満足でしかない。そもそも自分がシーデンに優しさを見せる資格があるのか。

 

 答えは分からなかった。

 

 そうしてテイターが決断出来ない間の数日や数週間の間もシーデンは、記憶を失ったエントに対して優しかった。

 

 

 ある日、シーデンは語った。

 

「実はエントの事を振ったのは、聖職者だからっていうのはあんまり関係無かったの。記憶があるエントだったらきっと話さなかったんだけど、告白してくれたあの日、私凄く嬉しかったの。だけどエント、リーベン村に居た頃私に話してくれたでしょ?」

 

 リーベン村というのは、幼少期のエントとシーデンが生まれ育った村の名前だ。北側諸国の外れに位置しており、今はもう魔族に滅ぼされて人は一人も住んでいない。

 その村の記憶を一人思い出しながらシーデンは語る。

 

「冒険者になって最高の仲間と一緒に魔王を倒して、世界に平和を取り戻すのが俺の夢だー、って。それから何年も経って前に会った時は、エントはその夢の途中に居た」

 

 話しながら彼女は自分の左手を甲から眺めていた。

 テイターも少し見たが、左手に何かがあるわけでは無かった。

 

「もし私が断らなくても一旦は旅を続けて、魔王を倒して帰ってきて結婚してくれたかもしれない。だけど待ってる方はずっと心配だし、だったら私は一緒に行きたいって思った。でもそしたらきっと私は足手纏いになる」

 

 否定は出来なかった。事実彼らはこの村を出た後にグラオザームと出会っている。

 彼らの不意打ち戦略ほどの周到さであれば、もしも自分があの場に居なかったら実は倒せていたか、或いは生き残っていたのかもしれない。

 そしてその場にもしシーデンが居たら、更に未来はズレて、再び悲劇に転んだという可能性も捨てきれない。

 

「だから私は自分が諦めを付けて、エントの夢を自分が邪魔したっていう後ろめたさを私が感じないために、エントの告白を断った。既に聖職者になってた相手にそれでも告白する事がどれだけの想いなのか、分かってたのに……」

 

 彼女の声はなだらかなままだが、少し俯いた目から静かな涙が一筋降りていた。

 

 

 

 

 

 その話をした日の夜、この村が魔族に襲われ滅んだ。

 村を襲ったのは七崩賢の一人、断頭台のアウラだった。

 

 この日初めてテイターは魔族に向けて武器を構えたが、多くの意味で相性は最悪だった。

 戦闘の最中で軍勢と戦うテイターを見つめながら、アウラは猫のような声を鋭く向ける。

 

「貴方、魔力を制限しているわね。四百年以上生きた私の魔力を超えてるとは思わないけど、人類は年月と見合わない魔力を有してる事も稀にある。その魔力制限を解除しない限り挑発には乗らないわよ」

 

 普段のテイターは魔力を制限せずに過ごしていた。

 魔族社会に帰属しない彼なら常時魔力を制限してもデメリットは無いが、制限する事で得られるメリットは『魔族を騙せる』の一点のみ。この時まで魔族と表立って敵対するつもりの無い彼には不要な事だった。

 そんな付け焼刃の魔力制限では揺らぎを看破されるのは仕方が無く、揺らぎが無い相手にも削りを使う彼女の用心深さは、この時全く崩れなかった。

 

 ただしこれは不運というわけではない。

 そもそもテイターの魔力は素でアウラよりも低い。加えてアウラと相対した時にテイターが恐れたのは服従する魔法(アゼリューゼ)に掛けられる事で、死すら無視して使役される可能性だ。テイターであっても魔力を制限して戦えば、相手の油断は誘えないが相手の警戒は誘えた。

 

 しかしそれでも良い戦況とまでは行かなかった。アウラの魔法の弱点は後世まで伝わってはいるが、ヒンメル達と戦う時代の時点で既にアウラは首切り対処を行っているくらいには、早期に対処法を確立していた。勿論今も同様に。

 

 もしもテイターがこの不死の軍勢によって殺された場合、テイターの魔法が対象と取るのは操っているアウラか、それとも命を奪ったこの死体になるのかはやってみなければ分からない。

 死体になった場合、魔法の掛け直しが出来なくなりテイターの死が確定する公算は非常に高い。

 

 戦況は覆らなかった。

 戦士の肉体は確かにとても強かったが、テイターが戦っている間に物量が村を滅ぼした。家が燃え、人が惑い、シーデンが逃げる子供を庇って殺されたのを見る事は出来ても、軍勢を押し退けてそこへ駆け付ける事は出来なかった。

 

 やがて生存者が尽き、テイターは最後の一人になった。

 

(……俺は今、何のために戦っているんだ)

 

 そう思った瞬間、テイターの意識に死への強烈な恐れが蘇った。

 

 彼は勇者ではない。彼は戦士ではない。

 彼は世界のために戦っていない。

 

 自分がやらずとも世界はこの先の未来である男が救う事を知っている。

 ここでアウラを倒せたら、この先に世界で生じるいくつの悲劇を防げるだろうか。だがそれはあらゆる戦場と魔族に対して言える事で今ここだけが特別なわけではない。

 彼の今までの人生がそうであったように、今の彼にも自分より大事な存在は無かった。

 

(――――ああ、駄目だ。死にたくない)

 

 続く軍勢との打ち合いで戦士の斧が砕かれた時、テイターは遂にこの戦いから逃げ出した。

 テイターが逃げると決めてからのエントの肉体はいとも簡単にアウラから逃げ切った。

 

 

 その数日後、エントの身体能力を持ってすれば取るに足らない程度の魔族と遭遇した。

 魔族は旅の武器商人を襲っていて、今にも殺せるというほどの力の差があるように見えた。

 テイターはその魔族を殺して商人を助け、その報酬として新しい斧を受け取った。

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