断頭台のアウラに敗れたテイターはその後およそ二年程度の時間を戦士エントの肉体で過ごし、一人で旅をしながら多くの魔族と魔物を倒した。多少のトラブルをものともしない程度の総合的な強さがエントの肉体にはあった。
今でも他の世界への転生、或いは転移を目的に女神の魔法を調べながら旅をしていたが、これに関する手掛かりは未だに見つかっていない。加えて『他者の肉体に自己を上書きする』という手段以外での転生に関しても、具体的な理論はまだ考えている途中だった。
それからエントは出来るだけ人と関わらないようにした。
他人の肉体を使っている事の罪悪感が枷となり、人との交流を通して少しでも楽しい時を過ごす度に強烈な自責の念に苛まれたからだ。
そしてその苦悩こそが罰であり、その罰に慣れてはいけないのだと思っていた。
人間は慣れる生き物だ。罪悪感を押し切ってでも人と無理に交流していれば、いつかはその状態に慣れて苦が薄まる。そうなれば自分はまたきっと人間を見殺しにするようになると思っていた。
もしそうなって、その後に苦が薄まっていたと自覚した時に自分はどういう感情を持つのかを想像すると、それも恐ろしかった。
テイターは南の勇者と相対した。
場所は中央諸国から北上した位置にある森の中の馬車道で、その時はまだ日が高かった。
道の向こうから歩いてきた南の勇者を一目見てテイターは彼だと気付いた。目測で五メートルほどの距離まで彼と近付くと、南の勇者は立ち止まって両手に二本の剣を抜いた。
彼はテイターを見ていた。
驚きが遅れたがテイターは立ち止まる。それを見て彼は言った。
「あらかじめ忠告しておくが、既に道を潰して人は止めている。そして君は自滅させれば倒せる事も分かっている」
有無を言わせぬ臨戦態勢だった。しかも南の勇者はこの時点で既にテイターの魔法の特性と、自分で自分を殺した場合は乗っ取る相手が自分になりそのまま死ぬという効果の抜け道を理解していた。
今のテイターに彼と争う意思は無い。だが流石に南の勇者が挑んでくるのと他の冒険者に挑まれるのとでは意味合いが違う。
自分がやれば如何にも魔族らしいかもしれないが、会話でこの場を収めようとするしかテイターに出来る事は無い。
「待ってください、今の俺は人類の味方です」
「知っているともテイター。しかし君はこの先多くの人間を殺す事になる。それにもし仮に魔族の敵として生きる事が出来ても、君の存在は人類の味方とは限らないのだ」
まだ名乗っていないにも関わらず南の勇者は当たり前のように彼の名を呼んだが、そこにテイターは驚かない。
南の勇者。人類最強とも呼ばれる彼は未来予知の魔法を使う。それは自分の死期や、その先で誰が魔王を討つのかという死後の未来までをも見通すという出鱈目な性能を持った。
ただし魔法を明かした相手はテイターが知る限りではただ一人だけ。それも南の勇者自身が未来を見て『生涯誰にも口外しない』と分かっている人物であり、ほぼ全ての人類にも魔族にも彼に予知魔法の存在は知られていない。
だがかつて読者として、神の視点からテイターはその魔法の存在を知っていた。
そして明らかに南の勇者は、テイターが南の勇者の魔法を知っている事を知っていた。さっきのはそういう言葉だった。
そんな南の勇者がテイターを前に剣を取るのはつまり、未来でテイターが生きている事に重大な不都合があるからに他ならない。
だがその理由にテイターは納得出来ていない。相手が戦闘準備万端だからと言ってまだ武器は取らず、必死に会話で解決する事に努めた。
「今更人類の敵になんかなる気は無いですよ。何かしらの不可抗力があるにしてもその原因に対処して、後は人里離れた場所で生きるくらいじゃ駄目なんですか!?」
険しい表情で南の勇者は浅く俯き、重い声で語る。
「では確認する。私が人類の未来のためだと言えば、君は今この場でその背中の斧を使って自殺する事が出来るか?」
「……どんな未来のために?」
「君は魔族に脅され、自分が殺されないために人を殺す」
正にそれを防ぐのが自分の魔法だと反論しようとしたが、実際魔族側には相性の悪い魔法がいくつか存在している。もしそれによって殺される事を脅された場合、自分はどうするか。
今ならばすぐ答えを出せる。
だが
「……今ここで俺が口で否定しても、実際にここで自殺しない限り未来を回避する証明にはならない。仮に魔族の敵として生きる事が出来た場合は何が問題なんですか」
あくまで感情をセーブした上でテイターが重ねて訊くと、南の勇者は惜しみなく説明する。
「君の魔法は外見が変わる。魔力量を見られない普通の人には、入れ替わったのを見抜くのはともかく、入れ替わっていないと信じさせる事は難しい。魔族としての君の存在が知れ渡り、もし何かのきっかけで都市単位の人々が疑心暗鬼に陥るような事があれば、どうなるかは分かるだろう」
彼の説得には何も言い返す言葉が無かった。
その手の話は元の世界には山ほど転がっていたが、基本的に人間は疑心暗鬼に陥るといつも同じ展開を辿った。
魔女狩りに絶対的な防ぎ方は無い。
いくら未来が見える最強の勇者であっても、彼がどう行動した所で人類の全員を説得しきる未来には辿り着かないだろう。確かにそれならば今ここで一人を犠牲にする決断は、仕方が無い事なのかもしれない。
それも踏まえて彼は『今自殺出来るか』と訊いた。そしてその上でのテイターの答えは分かり切っている。
「自殺は……でも、そうならない未来も存在するんですよね」
噛み締めるように確認すると、あくまで真摯に、しかしきっぱりと南の勇者は答えた。
「ああ。だが君はその可能性を信じてやはり死を拒む。人間の味方として生きようとも君は生涯その魔法を捨てられない。それ故に、死を拒絶するその意志が君を再び人類の敵にする」
徐々にテイターの目付きが暗くなる。
彼は南の勇者の事はどちらかというと好きだった。だがこうして自分の未来を見られて、まだ自分が抱いてすらいない心を見透かされて、それが理由で敵視されるというのは流石に気分が悪かった。
だが感情的に反論したくなっても、未来でそうだと言われている事に上げられる論拠は無い。
それに償い云々を抜きにしても単純に死にたくないのは南の勇者の言う通りだ。それこそ売り言葉に買い言葉で自殺すると口にしたとしても、実際に今ここで自殺出来る気はしない。
前世からずっとテイターは自分第一だ。
過去の体験から多少それを省みた所で、今ここでこの状況で自殺しても構わないとなるわけがない。
捻れた表情で黙るテイターに南の勇者は話し続ける。
「テイター、君は人類の未来のためには生かしておけない存在だ。例えば人里から離れた場所で生きればと君は言ったが、そうして過ごした場合の君はいつか必ず同じ者に殺される」
「……ならそっち路線で今から対策を考えます。その人の事を教えてください」
まだ何の考えも無いが、それでも考えて見せるしかないと半ば
「フリーレンだ」
テイターの決意に意味は無かった。
確かに旅をする彼女であれば何処にでも訪れるし、先に人の肉体でこちらから会いに行くにしても、彼女がいつ何処に現れるか確定している場面は少なく、加えて年単位でしかそのタイミングは分からない。
テイターが生涯一人も人を殺さず魔族としての名が広まらない場合きっと、この戦士エントの体の寿命が尽きるより先に魔族の体を乗っ取ってその体で生き永らえるだろう。最悪エントの体が病気にでもなれば更にそれは早まる。
そして無名のまま魔族の肉体となったテイターをフリーレンが見れば、話を聞く事無く殺してテイターの魔法が発動するだろう。
魔法を掛けていなければと思っても、南の勇者にはテイターがこの魔法を捨てられない未来が見えている。そして彼の言う通り自殺の指示にもテイターは応えられない。
その上でフリーレンが死ぬ事で人類に与える影響の大きさも分からずにはいられない。
南の勇者の決断を崩す材料は無かった。
テイターは背中に背負った斧の柄に手を伸ばしながら、眉間に力を入れて呟く。
「……責任転嫁かもしれないが、貴方はそれを防いでくれるような人だと思ってた」
それを聞いた彼もまた少し暗い声で答える。
「私は全知のシュラハトと七崩賢に討たれ命を落とすのだ。そしてフリーレンを説得するだけの言葉も持ち合わせていない」
南の勇者は全能ではない。それはテイターにも分かっていた。
だが改めてこう言われるまでその実感は無かったかもしれない。自分の中で肥大化したイメージの彼は、あらゆる障害をすり抜ける最強無敵の勇者だったのだ。
いよいよ会話の諦めが付いた。テイターは取り出した斧を両手に構えると、それを目の前に真っ直ぐ立てて言う。
「正直勝てるとは思ってないし、逃げるのも厳しい。だけど貴方でも俺を直接殺す事は出来ない。それに俺を自滅させるのはいくらなんでも二手三手で簡単に出来る事じゃない筈だ」
南の勇者は黙って両手の剣を交差に構える。
テイター達が今立っている道の向こう側、森の木々に遮られるその先を見つめた後に、南の勇者を睨んでテイターはこう続けた。
「だから俺は人がここを通るまで動かない。そして今回だけはそいつを人質にして逃げさせてもらう」
「それは諦めた方がいい」
諭すような口調で南の勇者が言うと、テイターは思い出した。そして思い出したのと同時に彼は続きを教えてくれた。
「あらかじめ忠告しておいた筈だ」
出会った直後の開口一番で彼は言った。既に道を潰して人は止めている、と。
つまり運良く来る筈の人質候補ですら、ここに来る前の時点で既に南の勇者が対処していたという事だ。
実に見事な手際だとテイターは思った。
だからこそ、それほどの男が自分を見捨てたという事実の絶望感も大きかった。
「……俺は死にたくないですよ」
今までの会話よりも一段階固まった声でテイターは宣言する。
魔法を解いたりもしなければ、迂闊に自滅をする気も無い。
殺された者になる魔法は決して無敵ではないが、南の勇者のように相手がただ強いだけであれば強力な盾として機能する。そう簡単には殺されない。
そしてこう衝突する事も初めから分かっていた南の勇者は、改めて剣を握る手に力を籠める。
「君は自分がどう見えるかを自覚すべきだ」
そう言われたテイターの目頭に影が差す。何故か妙に心がざわつく一言だった。反感とも違う何かが燻った。
テイターが斧を動かそうとした瞬間、南の勇者の剣が素早く振り抜かれた。
南の勇者の背後に現れた別の魔族へ向けて。
その魔族は完全に不意打ちを決められるつもりだったのか、自分の体を切り裂いた剣筋に驚いていた。
しかも南の勇者の装備は二刀流だ。一度斬った腕を戻すよりはるかに素早くもう片方の剣を振れる。
だが紙一重でその魔族が自分の体に手を当てて、姿が消える方が速い。と、テイターが認識してしまったのは、南の勇者がもう片方の手を振り切らなかったからだった。
南の勇者はその追撃が空振る事を既に加味してそれをフェイントにし、テイターの方へ追撃方向を変えた。
テイターと彼との距離の五メートルなど、この世界の猛者にとっては一瞬で詰められる間合いだった。
斬られたと思った次の瞬間、テイターの目に映る景色が変わっていた。
さっきまでテイターは森の中に居た筈だが、今は森を見下ろす高所の岩場の一角に居た。
今の凄まじい攻防は一体何秒間の出来事だったのか、当人であった筈のテイターにもよく分からなかった。
「まさかあの男があれほど強い奴だとは……今は命令を優先した方が良さそうだな」
背後で青年の声がした。青年のような姿をした魔族だ。一本だけの長細い角を持ち、つい先ほど急に現れ南の勇者に斬られていたその魔族の姿にテイターは見覚えがある。
「お前は……っ
声を出した事でやっと感覚が現実に着地し、同時にテイターは自分の手に鋭い痛みを覚えた。
「俺は七崩賢、奇跡のグラオザームの配下、残影のツァルトだ」
テイターの痛みの正体は手を見てすぐ分かる。
両手の指が根元から切り落とされ全て無くなっていた。
そしてそんなテイターの様子に眉一つ動かさず、自分の胴に受けた傷を気にしながら彼は自己紹介をし、テイターの方も彼を完全に思い出した。
残影のツァルトの魔法は空間転移だ。主に相手を成層圏まで転移させ自由落下で殺す戦法を取る。人類が飛行魔法を使えないこの時代では基本的に必殺の攻撃だ。
しかし転移魔法は相手に触れなければ使えず、南の勇者相手に手を伸ばし反撃を受けたという事だったのだろうと、全てが終わった今ようやくテイターは理解した。
そして痛みが全く引かない。
今までテイターは基本的にずっと即死していた。そしてエントの肉体に移ってからの闘いでは、エントの肉体は碌にダメージを受けなかった。
南の勇者ほどの実力者であればこの体にダメージを通すのも分かる。指を斬られた程度ではまだ死なないのも分かる。
だが傷付く事がここまで痛いのはテイターの想像を超えていた。
傷口が焼けるようで、針が刺されるようで、削り潰されるようでもある。一周回って負傷してない筈の頭すら痛い。
肘と腿で体を支えて荒く息をしても、明らかに呼吸が上手く出来ていない。それが分かる頃になると全身から汗が流れ、既に何滴も地面を湿らせているのが自覚出来た。
斬られた瞬間には気付かなかったのに、時間が経つと何故これほどの痛みが分からなかったかが疑問でならないほどの痛みだ。
「随分苦しそうだな。まあこの状態なら俺達に手を出す事は出来ないだろう。転生者テイター、探すのに苦労したが、お前はこの二年間調子に乗って魔王軍の魔族を多く殺し過ぎたんだ。命によりグラオザーム様の元へ連れて行く」
ツァルトがそう言ってテイターに触れると、二人の姿はこの場から完全に消えた。
その方角を森の中から眺めつつ、南の勇者は剣を鞘に収めて地面に転がった指を拾う。それを木の根元へ簡単に埋めると、道端に残された斧を取って来た道を戻った。
少し歩くと道を塞ぐ巨大な倒木によって立ち往生している荷馬車があった。
「失敬。戦闘に際して木を切ってしまっていたのだ。すぐになんとかしよう」
「おお、ありがとうございます!」
商人は礼を言うと、南の勇者が持っている斧を見て、それから彼が腰に持つ二本の剣も見つけると不思議そうに話し掛けた。
「なんとも沢山武器を使われるのですね」
「いや、この斧は私の物ではない。だが今はもう
「なるほど、そういう事でしたら買い取らせて頂きます。これでも武器商人ですから」
南の勇者は倒木を道から除けてから商人に斧を売ると、また一人何処かへと歩き始める。
(……すまないテイター。だが君を救えばシュラハトが更に悪いタイミングで動く。それにもし君が人々を助ける事で信頼を得ようとしても、君の
彼は森の中を進みながら心の中でそう呟いていた。