訪れた一行は四人のパーティであり、テイターはその四名の事をとてもよく知っている。
勇者ヒンメル。戦士アイゼン。僧侶ハイター。
そして魔法使いフリーレン。
今から数えて七年後、彼らは千年間誰も成し得なかった魔王討伐と言う偉業を達成する。いわゆる伝説の勇者達だ。
その彼らがこの村に来てまずした事は、村人にとある情報を尋ねる事だった。
「すみません、この村に休める場所は無いですか。うちの僧侶が二日酔いの限界みたいで」
「ヒンメル、フリーレンもまた二度寝しそうだぞ」
村人と話すヒンメルの服の裾をアイゼンが引っ張り、広場で別々の理由でぐったりする二人を指差した。
確かに現在時刻はまだ朝の九時頃だった。
テイターは特に何をするわけでも無く小屋に戻った。
あの物語を知る者にとって勇者ヒンメルは確かに言葉にし難いほど大きな存在だが、今のテイターは彼に用があるわけではない。
というより彼らの中の一人、フリーレンに会いたくない。
南の勇者の言によれば、テイターは多くの未来でフリーレンに殺される。テイターの主観から現在の年代を正確に知る事は出来ないが、少なくともまだ魔王討伐の知らせは耳にしない。
彼らが同時行動するのは魔王討伐の旅と、その帰路。
そして
もし今このタイミングでフリーレンに殺されでもすれば、魔王討伐は成されなくなってしまう。大魔族が組織を組んでいるのといないのとでは人類の安寧度合いには天と地の差があるのだ。
しかしその日の夕方、テイターは小屋の扉をノックする音で目を覚ました。彼の小屋に訪れたのはヒンメルだった。
ヒンメルは扉を開けた男の眠たそうな顔を見て、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべて訊く。
「お休みのところすまない。貴方がこの村の
ベトルークというのは、この村で過ごすにあたりテイターが使う偽名だった。
この魔法使いの持ち物から本人の名前を知る事は一応出来たが、知り合いまで伝わったりすると良い事は無い。かと言ってテイターという名前は逆に魔族の方で通りがある。
そのため魔法使いの本名が分かる品は誰にも見られないように隠して保管し、この村では『魔法の使えない魔法使い』のベトルークと名乗って過ごしていた。
「はい、俺がベトルークで合ってます。何の御用でしょうか?」
彼は寝起きの重たい頭を回しながらヒンメルを警戒した。
今この場に来ているのはヒンメルと、玄関の少し遠くにフリーレンも居るのを見つけた。
折角知識があったため試しに彼女の魔力を見てみたが、フリーレンの魔力はあまりにも凪いでいた。完璧な偽装、その上で百年分はあるのだから、これは魔族が騙されるのも仕方が無いだろう。
ともかくつまりこの場には半数しか居ないわけだが、このパーティは誰も彼も常軌を逸した強さと慧眼を持っている。この状況すら自分の正体に気付き排除しに来たと考える事も出来ると思うと、テイターは落ち着けない。
そうした気配に気付いてか気付かずか、彼は穏和に自己紹介から入る。
「僕はヒンメル。彼女はフリーレンだ。僕達は冒険者をしていて路銀を稼ぐ必要があるから、この村の人達に何か困り事は無いかと尋ねて回っていてね。それで君がこの村に来てからずっと何かの研究をしていると聞いた。本当は自分達でも手伝いたいそうだが、彼らに出来る事は無かったと聞いた。もし僕達が何か手伝えそうなら是非君の研究を手伝って欲しいとの依頼だ」
「……なるほど」
溜息をするようにベトルークは呟いた。ヒンメルにはそれが嬉しそうな表情には見えなかった。
だがベトルークは気怠そうに頭を掻く手を止めると、ふと何かに気付いたようにこう返事した。
「女神の魔法には詳しいでしょうか」
聞く前から彼には答えが分かっている。ヒンメルパーティに居る僧侶ハイターは人類史の中でもトップクラスの僧侶だ。彼より優れた実力を持つ僧侶となると、それこそ未来で生まれるザインが候補に挙がるくらいだろう。
ただそれは別の世界での知識であり、本来初対面の彼が知る筈はない以上、取り敢えず会話は正規の順序で展開した。
ヒンメルはそんな思考など全く気付かない様子で答える。
「なるほど女神の魔法か。となるとハイターの領分だけど、あいつ今日はもう動けないからな。また明日改めて来てもいいかな?」
「ええ。まあ、大丈夫です」
「じゃあ今日のところは一旦宿に帰って…………フリーレン?」
話の途中で隣に近付いてきた少女に気付き、ヒンメルは名前を呟く。
フリーレンは見た目こそ少女だが、千年前の大魔法使いフランメの時代から生きるエルフだ。彼女はその長大な寿命により卓越した実力を身に着けている。感情の機微には特別疎いが、状況的な異常を察知する能力は高かった。
その彼女が珍しく、わざわざ会話している場に近付いて来た。そして彼の顔や部屋の中を少し興味深そうに見渡すと、彼女は蕾のような声でベトルークに回りくどく尋ねる。
「ベトルークは誰から魔法を教わったの?」
「誰からも教わらなかったですね」
彼は短く答えた。フリーレンは表情を変えなかったが、彼女の目線からベトルークは真意に気付いた。
恐らく目線だ。
ベトルークが彼女の魔力を観察した時の目は、魔力の制限に気付いたか初めから知っているかというような視線だった。その上でベトルークの魔力量は目算で制限フリーレンの倍程度であり、人間を逸脱した域にある。
そもそも人との話にフリーレンが同行したのは『魔法の使えない魔法使い』に漠然と興味を持ったからだった。それが自分の魔力を不自然に観察していたとなると流石に気付いた。
人の感情とは違う、被危険感覚とでも言うのか。そんな違和感をフリーレンは感じ取っていた。
少しだけ互いの魔力を見合う時間があった後、フリーレンは会話を切り離すように言った。
「そっか。それで明日はハイターの出番なんだよね。じゃあ今日の所は帰るよ」
四人で夕食を食べながら、会話の流れでフリーレンは今日の気付きについて話した。
「あのベトルークって人、この村では魔法が使えない魔法使いと呼ばれているけどとてもそうは思えない」
「魔法が使えない魔法使いとは珍しいですね。民間魔法の専門家みたいな感じでしょうか」
今朝よりはマシな顔色のハイターが会話に混ざる。
今日二日酔いを起こしていた筈なのにと言わんばかりの顔でアイゼンが彼の飲んでいる物を眺めていたが、他の三名は最早あまり気にしていなかった。
ハイターの説にはヒンメルが答えた。
「どうやら彼は民間魔法も使わないそうなんだ。村を魔物から守る時も剣で戦っているらしいんだけど、魔法使いって魔法が使えなくなることはあるのか?」
彼にそう尋ねられフリーレンは会話の途切れで口に入れていたものを一旦飲み込み、顎に手を当てながら話す。
「封魔鉱とか魔力切れとか一時的に使えなくなることはあるけど、基本的に覚えた魔法は一生使えるよ。魔力探知はしていたから単に魔法を使ってないだけじゃないかな」
「そもそもどうしてフリーレンは、そのベトルークってやつが魔法を使えると思ったんだ?」
アイゼンが疑問を口にすると、フリーレンは一瞬だけ思考を巡らせるように目を逸らして言った。
「彼の住む小屋にあった杖は傷の手入れの痕が結構あった。恐らくかなり使い込まれてる物だ」
「誰かから預かっているんじゃないか?」
思いついた率直な想定をヒンメルが口にすると、彼女も「ま、それもあり得るか」と呟き特に否定は示さない。話が一旦推進力を失うと、彼らのいつもと同じようにハイターが機嫌よく酒を飲みながらまとめ上げた。
「まあもしかすると明日以降で訪ねた際に、そういう話も聞けるかもしれませんね。何か事情があるのかもしれませんし」
「飲み過ぎて明日も潰れるのだけは勘弁してくれよ?」
最後のヒンメルの忠告に効果があったのかはともかく、ハイターは翌日になるとすっかり調子を取り戻していた。
女神の魔法の研究について、ハイターから思った形の協力を得る事は出来なかった。
何故かというと、女神の魔法は普通の魔法とは異なりそもそも原理がよく分からないまま運用されるからだ。
聖典に暗号化され記されている用法で使う聖職者限定の魔法が女神の魔法と分類されるわけだが、女神の力を借りて行使されるそれは『どうすれば何が起きる』という部分だけで成立していて『何故起きるのか』の部分は魔法より断然未解明なままだった。
結局ベトルークの収穫は、女神の魔法にはどんなものがあるのかという情報くらいであり、そして当然一日程度の多少の指導を受けた所で女神の魔法を使えるようになる素質も彼には無かった。
彼らが滞在している数日間は何も問題の無い日々だった。
ベトルークの研究に関してはほぼ進捗は進まなかったが、純粋に彼らと過ごす時間は村に充実を与えた。
ある日ベトルークは同じ魔法使いとして、フリーレンに自分の研究資料を見せた。これは魔法に興味を持ったフリーレンの頼みで、初めは渋ろうかとも考えたがすぐに見せても平気だと思い直した。
この世界にはいくつかの言語がある。
人名や地名は元の世界に於けるドイツ語と同じ発音、文字の物が使われていたり、魔導書はおよそ半数が古エルフ語という言語で記述されていたりする。
公用語もその手の言語であるわけだが、これをベトルークは魔族の機能としての人類言語の模倣によって、魔族の肉体の時代に習得していた。
そしてベトルークの研究資料や理論のメモについてだが、彼はこれを日本語で記述していた。この世界に平仮名や漢字は無い。
ベトルークの知らない魔法に『知らない言語を理解する魔法』みたいなものが無いとも限らないが、もしこれがあるなら未来に於いてフリーレンの弟子となるフェルンは、苦労して古エルフ語を自力学習する必要は無かった筈だと判断し、フリーレンにも読めないと見て研究資料を開示した。
それを見た時のフリーレンの表情は珍しく分かりやすかった。
「これ本当に落書きじゃないんだよね?」
部屋の中や他の紙も見て回り、フリーレンはふと部屋の奥で埃を被っている杖に目が留まった。
「はい。出来るだけ短く情報を詰め込めるように、文字記号と意味や使い方を決めて紙を節約してるんです」
質問に答えが来るとフリーレンは彼へ向き直って話す。
「暗号というか最早これは一つの言語みたいだ。確かにこんなやり方で研究してたら誰も手伝えない。きっとこれは何百年後かに多くの人の人生を狂わせる書物になるだろうね」
ベトルークの意味不明な方向の才能に彼女は独特の視点で感心するが、事実これはただの言語であり、彼自身としても他人の功績で持ち上がるような気分が妙にむず痒かった。
数日後、ヒンメル達が村を発つ日が訪れた。
畑仕事や荷物運びなど多少の手伝いをこなしつつ村の人々と仲良くなったヒンメルは、朝方何人かの村人の見送りを受けていた。
その中にはベトルークも居た。彼に限って言えば感謝というよりは無事に旅立った事の確認という意味合いが強いが。
「ベトルークさん、結局あまり力になれなくてすまない」
少しだけ申し訳なさそうにヒンメルが言うと、彼は敢えてあまり笑わず真面目に返す。
「平気です。元々一人でやるつもりの事でしたし、それに貴方達に期待してるのは別の事ですから」
「ああ。魔王は僕達が必ず倒す。そして世界に平和を取り戻してみせるよ」
勇者は眩しく思えるほどに頼もしい笑顔でそう答えた。
彼が口にした、千年誰も成し得なかった偉業を彼は実現する。彼こそが魔王を倒す人物だという事をベトルークは知っている。
だからなのか。ベトルークは聞こうとは思ってなかった筈なのに彼にもう一言尋ねてしまった。
「あの、俺を手伝って欲しいって言った人って誰でしたか?」
ヒンメルは微笑んで尋ね返す。
「自分では誰だと思う?」
中々意地悪な事をするな、と内心ベトルークは思った。流石に村人の名前はもう覚えているが、ここで誰と名前を出してそうではなかった時どうなるかは想像したくない。結果、出来るだけ当たり障りのない人選をした。
「まああんまり自信は無いですけど村長とかですかね。そういうの気にしがちな役職って部分もありますし」
見送りの場には村長も居た。顔色を窺うに全く大外れという事は無さそうだったが、ヒンメルの答え合わせとは違った。
「みんなだ」
彼がそう言うと何名かの村人は分かりやすく口角を上げる。
「誰と話しても君を労わる声があった。いつも村を守ってくれる君に感謝してない人は居なかった。僕はこの村に依頼を受けたんだ」
初めは呆気に取られていたが、ベトルークは次第に淡い微笑みを浮かべていく。
つまり彼の研究の手伝いは共同依頼だったというわけだ。恐らく実態としては食事の席で話題に上がったとか、そう言う意味で複数人由来の依頼となった流れだろうと思ったが、それでも彼の中にはじんわりと込み上げて来る感情があった。
だからこそ、その終わりは心臓を強く締め付けた。
「まさか、ボーデンかお前……生きてたのか?」
村の入り口に知らない男が来ていた。彼もまた旅人のようだ。
そして彼の驚きは、テイターにも伝播した。
「……ボーデン?」
ヒンメルがその名前を口元に繰り返す。その空気感の異変を村人達も感じ取り全体がざわめき始める。
だが旅の男はお構いなしにテイターの体に近付き、少し涙ぐみながらも笑って話し掛けて来た。
「ボーデンお前、生きてたなら知らせを寄越せよ! 確か三年くらい前だっけか? 魔族の討伐に出てそれっきりになったもんだから家族も悲しんでたんだぞ……どうした、大丈夫かボーデン?」
「あの、失礼。ボーデンというのは?」
呆けた顔の知り合いに話していた男に、ヒンメルが笑みの消えた表情で尋ねると、男は浮ついた口調で答えた。
「コイツの名前だよ。その様子だとあんた達ボーデンと過ごしてたわけじゃないのか?」
「彼はベトルークという人だ。もしかして人違いを――」
「ヒンメル、ベトルークをよく見ておいて」
ヒンメルの言葉の途中でフリーレンが一言だけ挟み込むと村の中に走り出す。その行き先が自分の過ごしていた小屋であろうことはすぐに予想出来て、すぐに諦められた。
最早この状況を逃れる術はないとテイターが悟った一分後、魔法使い用の杖と金属光沢のある名札を持ってフリーレンが村の入り口に戻って来た。
「ボーデンって人の杖はこれ?」
「おー、そうそう。まだこれ使ってるのか。愛着あるって言ってたもんなあ」
フリーレンの確認に男が答えると、ヒンメル達の顔付きが一気に鋭くなる。そしてハイターが旅男をその生き物から引き離すと、ヒンメルとアイゼンが武器をいつでも抜ける位置に手を置いた。
状況が飲み込めない村人と旅の男に説明するように、フリーレンは持ってきた名札を見ながら語る。
「これは引き出しの奥の鍵付きの木箱に入れてあった。きっとこの杖の意匠に刻まれていたのを取り外したものだろうね。名前が書いてある。これは私の目にはボーデンと読める」
「実は記憶喪失なんだ。自分の名前も忘れてしまった」
「記憶喪失なら普通は自分の持ち物から名前を調べる」
苦し紛れの言い訳もフリーレンは冷たく伏せる。実際こういう事態を考慮して村人には初めから過去の記憶が無いと説明してあったのだが、それでもテイターはこの魔法使いの持ち物を、特に『この文明レベルでわざわざ名前を記すような物』を廃棄するのを先延ばしにしてしまっていたのだ。
抵抗する様子を見せずテイターはただ暗い表情をする。その眼前に抜いた剣を突き付けて、信じられないものを見ているような驚きと焦り混じりの顔でヒンメルが尋ねる。
「君は本当は誰なんだ」
冷たい風が二人の隙間を駆け抜けた。答えを告げるまでの時間でフリーレンは自分の杖を構え、ハイターは聖書を開いて旅の男と村人達を下がらせる。
朝日を雲が覆い隠して村が青白い空気に落ちた。
「俺の魔法は殺された者になる魔法だ。これは俺が誰かに殺された時に発動し、殺した者に俺の精神を上書きする事で乗っ取る。多少間接的な事故にしても回避は出来ない。だから今誰かが俺を殺せばその瞬間からその人は俺になる」
彼の説明を聞くと、ヒンメルの構えていた剣の先が動揺で僅かに跳ねた。そして村人達の顔が真っ青になり、悲鳴にもならない競り上がった息の音が漏れる。
話を飲み込むまで呆けていた旅の男の顔には、次第に悲痛な怒りが浮かび始めていた。
このどうしようもない空気を唯一無視して、フリーレンは淡々と情報を言語化していく。
「今お前が言ったものは私の知る限りでは人類の魔法体系には存在しない魔法だ。これはお前が嘘を言っているか、人知を超えた魔法を使える事を意味している」
「……もう一度だけ尋ねる。お前は誰だ」
彼らしからぬ慈悲の籠らない声でヒンメルが問い質し、そして問われた方は力の抜けた声で返事した。
「転生者テイター。それが俺の魔族としての名前だ」